学位論文要旨



No 116787
著者(漢字) 金,容度
著者(英字)
著者(カナ) キム,ヨンド
標題(和) 日本のIC産業の初期発展過程に関する研究 : 1960年代と70年代を中心に
標題(洋)
報告番号 116787
報告番号 甲16787
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第153号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武田,晴人
 東京大学 教授 岡崎,哲二
 東京大学 教授 橘川,武郎
 東京大学 助教授 谷本,雅之
 東京大学 助教授 粕谷,誠
内容要旨 要旨を表示する

 本稿の目的は、質的要素ないし「関係」の重視、開発の重視、開発における国内大手需要家との関係の重視という相互関連する三つの観点から、1960年代と70年代の日本IC産業のダイナミズムを描き直すことである。

 資料については、60年代と70年代にICの開発、量産、取引に直接携わったNEC、東芝、富士通、松下、日立、セイコーの技術者及び関係者へのインタビューを行い、その記録を主な資料とする。インタビューは1999年5月から2001年9月まで、32人と延べ48回(1回に平均約2時間)にわたって行われた。原則的に、録音テープとメモに基づいて、インタビュー内容をそのまま記録し、インタビュイ本人からの確認・修正を受けて保管した。他方、補完的には、半導体産業や電子産業についての単行本・雑誌、政府及び業界の公式統計、個別企業の社史及び単行本、経営者・技術者の回顧録、各種の新聞なども使う。

 なお、本稿では、既に公刊された以下の筆者の論文をも利用する。

 (1)「1960〜70年代における日本IC産業の発展−通信機用ICの開発における企業間関係と企業内組織間関係−」『経営史学』第35巻第3号、2000年12月

 (2)「1970年代の日本におけるIC生産の自動化」『産業学会研究年報』No16(2000年号)、2001年3月

 (3)「日本IC産業の初期の企業間関係−電卓用ICの取引、及び共同開発を中心にー」『社会経済史学』第67巻第1号、2001年5月

 本稿の分析内容を要約すると、以下のとおりである

 日本IC産業の初期には、民生用、産業用ともに、カスタムIC取引が圧倒的に多く、それゆえ、共同開発を中心に、社内外の大手需要家との間に頻繁な情報交換が行われた。通信機用ICの開発において、複数の競合するIC企業と電電が繰り返し共同研究を行った上、電電が半導体の基礎・試作技術の蓄積に基づいた認定制度を運営することによって、IC企業と電電との間に密接な情報交換が行われた。また、様々な形で電通研からIC企業への技術移転も存在した。企業内のIC技術者と通信機技術者間の協力・交流が頻繁に行われたことも、日本の通信機用IC開発の重要な特徴であり、さらに、70年代後半には、この企業内のIC技術者と通信機技術者間の協力の技術的な必要性が高まった。電卓用ICについて、70年代初頭の輸入LSIの急増は、日本電卓企業に対して電卓用LSIの開発・取引において国内IC企業の重要性を認識させる重要な契機になり、その後、カスタムLSIの取引の拡大に伴い、大手電卓メーカと日本IC企業間に、情報交換がより頻繁になり、かつ、安定的な関係が結ばれた。しかし、共同開発時の技術者間の頻繁な接触が、必ずしも製品情報の公開における積極性につながったとはいいきれない面もみられ、この点は、電電とIC企業間のIC共同開発に比べ、民間企業同士の共同開発においては交換される情報の限定性がより大きかったことを示唆する。通信機用ICや電卓用ICと異なり、コンピュータ用、家電用ICは社内需要家との共同開発が多く、かつ、重要であった。これらの用途のICの共同開発は、社内の需要家との間に行われたので、外部需要家とのそれに比べ、より濃密な情報交換が可能であるメリットがあった。それに、共同開発が1回限りではなかったので、情報交換が持続的に行われ、情報の蓄積が可能であった点もメリットであった。しかし、他面では、開発のパートナーが社内に限られることによって、甘えの可能性が常に存在した。

 需要家の要求とおりに量産化されない限り、大手需要家との共同開発・情報交換は意味を持たないので、共同開発は常に量産をも視野に入れて行われなければならず、従って、各技術者間、かつ、開発拠点と量産工場間の情報交換や協力、及び調整が欠かせなかった。とりわけ、設計、製造共に試行錯誤や暗中模索の時期であたる60年代と70年代において、IC産業を取り巻く「インフラがまだ未整備」され、かつ、設計されたものを製造に移すとき、トラブルの連続であったので、設計技術者と製造技術者が一緒にトラブルの解決に取組むケースが多かった。しかも、IC各社は激しい競争に曝され、プロセス技術面で完全ではないICも、一応量産へ移行せざるをえなかったため、設計技術者と量産工場間の協力は一層重要になった。設計技術者と量産工場間のこの協力・情報交換は、新製品の量産化、新ラインの立上げのときだけでなく、日常的にも行われた。それに、開発拠点内の設計技術者と製造技術者間、開発拠点の製造技術者と量産工場の製造技術者間にも密接な情報交換があった。

 ところで、ICの製造技術者と設計技術者間には、指向の差も存在し、殊に、納入期限に近づくと、意見対立が現実化するケースも少なくなかった。そのとき、対立が収拾していく方向は、究極的に市場、需要家の要求によって決められた。こうした意見の違いの表出やその調整の度重なる経験によって、設計技術者は量産工場の事情を考慮し、適正の納期、適正の歩留まりを見据えて設計する指向を身につけた。

 そして、用途別に、程度の差はあったものの、大手需要家との共同開発は、コスト、品質の両面の要求をIC供給者に突きつけた。開発費の分担、信頼性評価の方法の選定等における工夫はそれへの対応であるが、それだけでなく、量産領域においても、製造装置の導入と利用、品質管理上の工夫が積み重ねられた。具体的に、トラブルの頻発する輸入製造装置の導入・活用をめぐって、いかに早く、効率よく、稼働率を上昇・維持するかの工夫が繰り返され、品質管理においては、エンジニアの主導性の中でも、オペレータを含めた集団的な取組みがみられ、しかも、積極的な清浄度管理も行われた。また、共同開発を梃としてこうした経験を積重ねた企業とそうでない企業との優劣が現われ、それが、日本IC産業の堅い寡占構造を形づくる上で大きく影響したとみられる。

 他方、70年代後半になると、日本のIC産業においてもいくつかの重要な変化が現われた。外販が急激に拡大する中で、外販市場で、メモリ、汎用のマイコン、時計用標準品LSI、家電専用標準品等、標準品LSIの比重が急上昇したのである。用途別、需要家別の市場分断の色彩が濃かった70年代前半までと違って、より多くの企業が特定の製品市場で競争するという変化が現われたのである。市場や製品面のこうした変化は、結果的に、外販体制の整備を伴う、日本企業同士の競争を激化する要因になったが、他方では、大手IC企業間の取引の拡大のような企業間協調の側面ももたらした。70年代後半のもう一つの変化として、市場・需要面と資金調達等における兼業の規定性が弱化したことも重要であった。

 こうした変化の中で、日本企業は大規模事業所を中心に量産のパフォーマンスを急速に上げた上、R&D体系上事業部の「開発」が圧倒的に重要であった70年代前半までと異なり、超LSI組合、電電主導のDRAM共同研究に象徴される「研究」によって、一部の標準品の先端技術も蓄積し始め、世界市場での地位を高めていった。それを可能にした原因として、新たな環境への対応の姿勢・方法も無視できないが、より重要なのは、60年代以来、蓄積・形成されてきた力・仕組みであり、その意味では、連続性が強いものであった。その際、60年代以来、蓄積・形成されてきた力・仕組みとは三つのレベルのものであった。第1に、大手需要家との共同開発の影響、第2に、それに強く規定された量産領域での工夫の積上げ、第3に、しばしば政府の主導もみられる、IC企業間の協調と競争の「日本的」な仕組みがそれである。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、60年代から70年代にかけての日本のIC産業の発展過程を分析することを課題としている。特に著者が注目しているのは、集積度が高く、IC産業の競争力強化に貢献することになるような分野であり、その分野において初期の発展過程で製品開発に関して行われた共同研究である。このような製品開発面に注目した検討をふまえて、さらに、開発された製品がどのような形で量産化されていったのか、そこではどのような企業間競争が展開したのかを論じることが、本論文の骨格をなしている。

 この研究課題を明らかにするために、著者は企業資料の公開が不十分な現状の中で、できる限り文献資料を渉猟した上で、その不十分さを補うために、60年代と70年代にICの開発・量産・取引に直接携わったNEC、東芝、富士通、松下、セイコーの技術者及び関係者32人と延べ48回のインタビューを行っている。こうした聞き取り調査に多くを依存しているところに本論文の方法的な特徴がある。

 論文の構成は以下の通りである。

 序章

 第1章 日本におけるICの取引及び需要構成

 1.IC市場の拡大 2.ICの社内消費 3.ICの外販 4.ICの需要構成:用途別・品種別

 第2章 ICの開発:大手需要家との共同開発を中心に

 1.初期のR&D体系における事業部の重要性 2.通信機用ICの開発 3.電卓用ICの開発 4.コンピュータ用ICの開発 5.家電用ICの開発 6.小括

 第3章 IC量産化の展開及び製造技術の発展

 1.情報交換と協力・調整 2.製造装置の導入と利用 3.生産の自動化 4.品質管理 5.量産のパフォーマンスの向上

 第4章 企業間の競争及び協調

 1.分析課題 2.60年代及び70年代前半の企業間競争及び協調 3.70年代後半以降の企業間競争及び協調

 結論

 まず、第1章では、ICの開発の分析の前提として、IC産業初期の市場構造が簡単に整理される。強調されている点は、世界的な市場拡大の中でやや後れをとった日本が、当該期には国内市場に依存しながら成長を始めたと考えられること、その市場拡大の中でIC製造企業内の社内消費が重要な役割を果たしていたこと、製品の外販に際しても特定需要家とのカスタムICの取引の比重が高いことなどであり、さらに製品構成から見てアメリカとは異なる産業発展が見られたことなどである。

 次に、第2章では、主たる需要分野ごとにわけて分析が加えられるが、この時期に共通する点として、民生用、産業用ともに、カスタムIC取引が圧倒的に多かったことに対応して、共同開発を中心に、社内外の大手需要家との間に頻繁な情報交換が行われたことが指摘される。

 まず、電電公社を中心とする通信機用IC需要では、この取引が日本IC企業に対して最先端、高信頼度技術を身につける機会を提供してきたと位置づけられる。そこでは、複数の競合するIC企業と電電が繰り返し共同研究を行い、電電は半導体の基礎技術・試作技術の蓄積に基づいた認定制度を通じて、企業の品質向上を刺激する役割を果たした。こうした密接な情報交換の一方で、アメリカの軍需と異なって、電電からのコストダウン圧力のもとで複数の固定メンバー間の持続的な競争が行われた。また、企業内のIC技術者と通信機技術者間の協力・交流が頻繁に行われたことも特徴であり、とくにこの面では70年代後半に企業間競争が激化するなかでその必要性が高まった。

 電卓用ICについて、70年代初頭の輸入LSIの急増は、日本電卓企業に対して電卓用LSIの開発・取引において国内IC企業の重要性を認識させる重要な契機になり、その後、カスタムLSIの取引の拡大に伴い、大手電卓メーカと日本IC企業間に、情報交換がより頻繁になり、安定的な関係の下で厳しいコストダウンが追求された。しかし、共同開発時の技術者間の頻繁な接触が、必ずしも製品情報の公開における積極性につながったとはいいきれない面もみられ、この点は、電電とIC企業間のIC共同開発に比べ、民間企業同士の共同開発においては交換される情報の限定性がより大きかった。

 コンピュータ用、家電用ICでは社内需要家との共同開発が重要であった。これらの用途のICの共同開発は、外部需要家を相手にする場合に比べて、より濃密な情報交換が繰り返され、情報の蓄積と共有が可能であるというメリットがあった。しかし、その反面で、開発のパートナーが社内に限られることによって、「甘え」の可能性が常に存在した。また、コンピュータ用では、一部の周辺的なICを除くと、共同開発されたキーデバイスの場合、カスタム化されているが故に社内向けに限定されるという販売面と、多品種少量という生産面の限界がともに存在した。さらに家電用では、需要の中心がリニアICであったためにICの先端技術及び基礎技術の開発・実用化を後回しにさせるというマイナスの影響も及ぼした。著者によれば、このような捉え方は、民生用IC需要の役割を重視する伊丹敬之の議論に再検討を迫るものであり、その産業発展に果たした積極的な役割と同時に、そこにはらまれていた限界面をも重視すべきだということになる。

 第3章では、製造における量産化が論じられるが、著者はここでも設計技術者と製造技術者がいくつかの経路を通じて交流や接触を繰り返したことを重視し、開発からの影響を強調する。すなわち、上述のような開発過程における共同開発・情報交換は、需要家の要求する量産に結びつかないため、共同開発は常に量産をも視野に入れて行われ、開発拠点と量産工場間の情報交換や協力、調整が欠かせなかった。とりわけ、設計、製造ともに試行錯誤や暗中模索の時期であった60年代と70年代において、量産技術の形成では設計技術者と製造技術者が一緒にトラブルの解決に取組むケースが多く、激しい競争に曝されるなかで、プロセス技術面で完全ではないICも、一応量産へ移行せざるをえなかったことが協力の重要性を高めた。さらに、設計技術者と量産工場間の協力・情報交換は、新製品立上げのときだけでなく、日常的にも行われた。こうした中で設計技術者は量産工場の事情を考慮し、適正の納期、適正の歩留まりを見据えて設計する指向を身につけた。また、厳しいコスト、品質の両面の要求に対応して、製造装置の導入と利用、品質管理上の工夫が積み重ねられ、生産工程の自動化が推進されて女子労働力の相対的減少などの従業員構成の変化がもたらされる一方、品質管理において、エンジニアの主導下でオペレータを含めた集団的な取組みがみられ、積極的な清浄度管理も行われた。

 第4章では、開発と量産が激しい企業間競争の下で行われたことに注目しながら、その企業間の競争と協調のあり方が70年代半ばに変化したことが論じられる。すなわち、70年代後半になると、外販が急激に拡大する中で、外販市場で、メモリ、汎用のマイコン、時計用標準品LSI、家電専用標準品等、標準品LSIの比重が急上昇したし、用途別、需要家別の市場に分断される傾向のあった70年代前半までと異なって、より多くの企業が特定の製品市場で競争することになった。こうした変化は、結果的に、外販体制の整備を伴う、日本企業同士の競争を激化する要因になったが、他方では、大手IC企業間の取引の拡大のような企業間協調の側面ももたらした。また、70年代後半には、市場・需要面と資金調達等における「兼業の規定性」が弱化した。それは社内消費を基礎とした事業部中心の製品開発、社内事業部間での内部補填による資金調達が圧倒的に重要であった70年代前半までと異なり、超LSI組合、電電主導のDRAM共同研究などによる先端技術の蓄積の意義を拡大し、IC部門の拡張のために外部からの資金調達を要求するものであった。

 以上の分析をふまえ「結論」で著者は、1980年代以降に日本IC産業が世界市場での地位を急速に高めていった原因として、60-70年代に蓄積・形成されてきた「力・仕組み」−−大手需要家との共同開発、量産領域での工夫の積上げ、企業間の協調と競争の「日本的」な仕組み−−を重視すべきだと主張している。

 以上の内容を持つ本論文は、日本IC産業発展の条件を論じた先行研究が、十分な実証的な根拠を示さないまま言明している初期の産業状態についての「説明」を取り上げ、これについて具体的な根拠を問い、それを批判的に検討することを通して、1960-70年代の日本IC産業の実態を実証的に明らかにしたと評価することができる。

 とくに、電電との間で行われた通信機用IC、シャープやカシオとの間で展開する電卓用ICなどの共同開発の過程は、この研究によって詳細に明らかにされており、なぜ開発が重視されるべきか、そこでの情報交換の意味は何か、という問いかけに対して著者が用意した回答は説得的に展開されている。その意味では、単純に民生品として概括するのではなく、製品分野ごとの特徴に即して、企業内での共同開発、あるいは大手需要家との間での共同開発を具体的に論じたことは、本論文の主要な成果の一つと考える。

 また、共同開発や情報の緊密な交換に伴うメリットとともに、その限界面が併せて指摘されていることも著者の分析の目配りの良さを示してると考えられる。電卓用ICにおける大手需要家の情報開示の限定性、兼業企業内で発生する多品種少量生産や「甘え」の問題など、こうした指摘は本論文を従来の研究に比べてより幅のある分析成果としている。

 このほか実証的な面では、第3章における自動化のプロセスや従業員構成の変化の指摘、70年代後半における競争と協調の構造の変化など、これからの研究の足掛りとなるような事実が明らかにされていることも重要であろう。

 さらに、冒頭で述べたように企業資料の公開がほとんどないという資料的な限界の下で、インタビューを多用した点に本論文の方法的な特徴があり、それによってえられた証言に依拠することによって本論文はこれまでの研究にはない具体性を持つことになった。とくに、関係者の証言を利用するに際して著者は、開発過程など問題となっているプロセスにかかわった複数の関係者の証言を用いて構成するという叙述を可能にするために、多くの時間を割いて多数のインタビューを行っており、資料的な限界を克服するためのこの努力は現代史の研究手法として認めうるものである。

 他方、本論文は、今後に研究課題を残すという意味も含めていくつかの問題点を持っている。

 第一に、著者は伊丹敬之に代表される先行研究に対する全面的な批判を展開しているかの如くであるが、本論文の分析の範囲内では、伊丹説に代わる新たな歴史像が描き出されたというよりは、その実証的な根拠の曖昧さに切り込んで、伊丹説の欠けている点について説得的な解釈を示したという面が強い。従って、著者が獲得した新たな視点が、どのような意味で伊丹説に代わるものとなったかを明確な論理によって示す必要がある。

 第二に、結論の部分で指摘される企業間の競争と協調の「日本的な仕組み」−−具体的には「長期相対取引」が主として想定されているが−−についても、本論文の分析がこうした枠組みに沿うものであるとすれば、単に共同開発が行われたということではなく、それが繰り返されたことを重視すべきであろうし、また社内の事業部間の共同開発を長期相対取引という視点で論じることについては理論的に見ても疑問が残る。

 第三に、本論文の方法的な特徴となっているインタビューについても、証言の裏付けとなるような文書資料の探求が更に求められるであろう。電電や電卓に関わる開発過程に対比して家電用など従来の研究が重視した分野については、証言の数も限られており、裏付けとなる新聞、雑誌などの業界の情報源にもなお改善の余地が残されている。

 最後に、著者は1960〜70年代に光を当てた本論文が1970年代以降の日本の産業構造の転換を解き明かす上でも、また、1990年代の日本IC産業の低迷の原因を明らかにする上でも重要な意味を持つことを強調しているが、その回答の足掛かりが本論文によってどのような意味で与えられたのかを明確にすることが必要であろう。

 以上のような問題点は、著者が本論文で示した実証的分析への真摯な取り組みと、その背景となっている研究の構想との間にまだ埋めるべき間隙が多く残っていることを意味しており、今後の著者の課題として明記されるべきであろう。

 しかしながら、このような問題点があるとはいえ、本論文に示された実証的な研究成果は、著者が自立した研究者として研究を継続し、その成果を通じて学界に貢献しうる能力を持っていることは明らかにしている。従って審査委員会は全員一致で、本論文の著者が博士(経済学)の学位を授与されるに値するとの結論を得た。

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