学位論文要旨



No 116789
著者(漢字) 林,采成
著者(英字)
著者(カナ) イム,チェソン
標題(和) 戦時下朝鮮国鉄の組織的対応 : 「植民地」から「分断」への歴史的経路を探って
標題(洋)
報告番号 116789
報告番号 甲16789
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第155号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武田,晴人
 東京大学 教授 岡崎,哲二
 東京大学 教授 加瀬,和俊
 東京大学 教授 橘川,武郎
 東京大学 教授 加納,啓良
内容要旨 要旨を表示する

 本稿は、1930年代から50年代までの朝鮮国鉄を、一つの営業単位でありながら、同時に国家機関の一部として交通政策を実行する多面的かつ主体的存在として捉え、同時期の外部環境の激変(戦争→解放・分断→戦争→復興)に直面して朝鮮国鉄が内外部的に行った組織的対応を実証的に分析し、戦時動員と平時復員における鉄道運営システムの転換や、「植民地」鉄道から「分断」鉄道へ再編される過程で現れた史的断面図間の連続と断絶をえぐり出すことを目的とする。

 まず、朝鮮国鉄の戦時動員の歴史的前提として戦前期の鉄道運営の特徴に注目してみよう。朝鮮国鉄は日露戦争の戦後処理として設立され、植民地統治の物的基盤たる域内鉄道と、地政学的位置からの大陸鉄道としての役割が期待された。しかし、鉄道経営の不安定性のため、投下資本の確保どころか、運営費も完全に自己負担できず、その不足分が総督府財政によって補填されざるを得なかったため、政策推進上で充分な鉄道投資が行われなかった。さらに、植民地経済の低位性と同化主義的植民地政策のため、その経営資源の供給も地域内では完結できず、日本内地から半分以上の経営資源が調達されざるを得なかった。そこで、満州事変の勃発と植民地工業化の本格化は輸送需要の増加をもたらし、鉄道輸送力の急速な拡充を要請すると、その鉄道増強計画が立案され、部分的には実施され始めた。

 こうした朝鮮国鉄に対し、日中全面戦争の勃発は組織内部の運営や輸送力配分において大きなインパクトとなった。戦争勃発に伴い、朝鮮国鉄が域内輸送を多く制限し、集中軍事輸送に当ったことはもとより、その後も兵站輸送が続き、加えて植民地経済の戦時動員過程から膨大な物資輸送が発生し、輸送市場は超過需要の常態化を免れなかった。その反面、外部からインプットされる投資財、燃料、人的資源の調達が不円滑化するに従って戦前来の鉄道増強計画は実現不可能となった。それだけでなく、組織内部からも応召及び入営、車両貸与などによって資源流出が多くなり、平時のような輸送力発揮もできなくなった。植民地経済の統制化・計画化ないし資源的制約の深刻化という外部環境の変化に対応して、朝鮮国鉄は輸送サービスの生産過程において外部からの経営資源の調達を組織化するとともに、こうして確保された資源をもって従来の生産方式を変え、輸送の効率化を実現した。それにしても、超過需要の常態化は改善できなかったため、輸送サービスの配分過程において「市場的調整」(market coordination)に代えて「官僚的調整」(bureaucratic coordination)を行ったのである。こうした組織的対応は関特演の実施に至って対ソ戦争を念頭においた集中輸送路としての性格が強調されることを契機に、厳しい資源的制約のもとでも効率的輸送システムの構築を見た。同様の現象が他の鉄道でも見られるものの、朝鮮の場合、その地政学的位置から通過輸送が多く発生する反面、日本内地からの半分近くの経営資源調達という戦前来の特徴が克服できなかったため、輸送需給がよりいっそう逼迫し、短期間内で厳格な輸送統制がとられ、効率的輸送方式が築き上げられたのである。

 しかし、戦争の拡大は南進論に傾き、日米開戦が起こると、朝鮮国鉄はさらなる外部環境の変化を経験した。米軍側の攻撃によって船舶の大量喪失が発生したのに対し、中国大陸からの戦略物資輸送を朝鮮ルートに陸運転嫁することが決定され、大陸鉄道輸送協議会が設置され、いわば中継輸送の統制に当った。それに伴い、大陸鉄道からの支援も得て、中継輸送ルートの強化が至急に実施されるとともに、域内輸送に対して厳しい輸送制限が加えられたことは言うまでもないが、さらに朝鮮国鉄は中継輸送の円滑な実施のため、自らの組織構造を再編成し、それまで陸運に限っていたコントロール・スパンを海事、港湾などまで拡大し、海陸一貫輸送体制を実現した。にもかかわらず、日満支交通システムが危機的状況に陥るに従って、政策的に大陸鉄道一元化が考慮され、朝鮮国鉄の満鉄への委託経営も問われたが、朝鮮側の反対によって実現できず、大陸鉄道司令部を頂点として中継輸送を含む軍事輸送の一元化のみが実施された。この点で、朝鮮国鉄が「日本経済の外延的拡大」に対して寄与するとはいえ、植民地朝鮮における日本内地の利害の実現が、植民地統治それ自体の特殊性を無視して押し付けられたものではなかった。

 このような対応の中で、敗戦後=解放後の「遺産」に繋がる不可逆的な変化が生じた。すなわち、縦貫線の複線化を始めとして膨大な資本投下が行われたことや、日本人の「強制代替」として朝鮮人が大量雇用され全職員の7割を占めたことがそれである。とはいえ、こうした「遺産」の形成というのが、植民地経済が「資源制約型経済」(resource-constrained economy)化する過程で行われただけに、解放後の鉄道運営にとって「諸刃の剣」のような両面性を持っていたといわざるを得ない。まず、鉄道投資についてみると、極限的な資源的不足のもとで、既存施設の取替えないし減価償却が充分に行われず、重点的施設投資が至急に実施されたため、解放後の朝鮮国鉄は物理的減耗の激しい老朽化施設を多く抱えざるをえなかった。次に、朝鮮人の大量雇用については、既存研究では「朝鮮人の量的質的成長」として受け取られ、「解放の時点では鉄道を主体的に運営できる能力を不完全でありながら体得した」と評価されている。しかし、朝鮮人の大量雇用それ自体が労働力の希釈化(dilution)問題を抱えており、しかも朝鮮人の中間管理層以上への昇進は依然として部分的現象であったため、戦時期に組織内部で蓄積された鉄道運営能力がそのまま解放後の朝鮮人による鉄道運営に受継がれたどころか、正常な鉄道運営も不可能であった。

 植民地支配が崩壊するのに伴い、組織外部から経営資源調達ルートが崩れ、アジア太平洋戦争期からの生産要素レベルの危機が深化し、地域内での人的資源の確保、経済援助による物的資源の調達を内容とする再構築過程が必要であった。それだけでなく、朝鮮国鉄の組織内部では民族別職員の配置にオーヴァーラップしていた垂直的ヒエラルキーが崩れたうえ、南北分断によって組織が二つに分裂し、内部機関間の情報伝達が円滑性を失ってしまった。要するに、日米開戦後、顕在化していた生産要素レベルの危機的局面に加えて、新たに既存秩序の支配体制の崩壊に連動したシステム的危機が生じたのである。そこで要請された朝鮮国鉄の再編は、組織体たる経済主体の戦時動員及び平時動員とは異なる意味での体制転換としての意義を持っている。つまり、動員・復員の場合、外部環境たる経済全般が計画化・統制化あるいは市場化するのに対して、経済主体は組織外部との関係を再編しながら、自らの経営資源運営及び生産プロセスを再編するという適応様式を示す反面、植民地鉄道から分断鉄道への再編は組織内部における経営資源運営の再編だけでなく、鉄道運営の主体それ自体の創出過程でもあったのである。

 植民地鉄道から分断鉄道への再編過程は、占領軍による社会経済システム全般の再構築の一部として行われたため、「ソビエト体制への対抗国家の建設」という占領目的と不可分の関係を持った。そのため、占領軍のイニシアティヴのもとで組織内部から鉄道警察及び右翼系労組によって占領目的に同意しない左翼系労組が排除され、国家権力による内部統制力が保障された。その結果、右派労組が各現場に浸透し、労働者の利害を代弁する唯一の団体となることによって、組織内部で労使協調主義が実現されるとともに、支配理念としての反共イデオロギーが組織文化として職員側に内面化されることが要請された。とはいえ、労組の存在性が団体交渉を通じて認められたことからわかるように、戦時下の労働者組織である交通連盟には還元できない側面が解放後の右翼系労組には存在し、生活困難に対して経済闘争を行いつづけ、インセンティヴ・システムの再編に持続的な影響力を行使したのである。こうして、占領下の過度期を経て植民地鉄道が分断鉄道たる韓国鉄道に再編され、韓国人による初めての自主運営が開始された。それに伴い、ECA援助のもとで鉄道復興が始まり、さらに韓国経済運営の市場経済化が進展するに従って、韓国鉄道は徐々に鉄道運営の正常性を取り戻し、経営安定化を図っていた。

 しかし、このような歴史的方向性に対し、朝鮮戦争の勃発は大きな外部ショックとなった。韓国鉄道は作戦遂行の観点からアメリカ戦争体制の一部として戦時動員され、再び米軍の管理下に置かれただけでなく、経営資源も作戦遂行の円滑性を保障するために比較的安定的に調達され、市場経済下での予算制約性は完全に外されたのである。それのみならず、韓国鉄道は輸送施設の半分近くが戦災を被ったうえ、人的資源でも大きな流出があり、従来の輸送方式は実施不可能となった。こうした被害にもかかわらず、韓国鉄道は経営資源の調達がアメリカの戦時動員体制によって支えられ、施設の応急復旧が速やかに実施されただけでなく、組織内部でも上層部、中間管理層などの人的資源が保存され、組織外部では鉄道輸送司令部が存在したため、膨大な軍事輸送が実現でき、兵站面で軍事作戦を支えたのである。結果的には、こうした戦術的状況の急変に対する弾力的な戦時輸送の実施経験やシステムの運営管理能力の向上が、休戦後の韓国人による鉄道自主運営に受継がれたこととなった。この点で、朝鮮戦争期は、韓国鉄道が分断鉄道としての任務、即ち「新しい」国家の物的土台としての任務を遂行し、冷戦体制の契機を組織内部に固く刻み込む局面であると同時に、植民地鉄道から再編され、現代の鉄道に至る直接的な前提となっている。

 休戦後の軍事力を支えるために作成された経済復興計画において、鉄道は戦略投資部門として想定されたが、韓国鉄道が自主運営の再開に伴ってまず直面したのは、経済復員による予算制約のハード化であった。経済の平時復員によって資源配分の原理が市場経済化するのに伴って、韓国鉄道の企業性が要請されたのである。こうした経営危機を乗り越えるのには決め手となったのが、動力のディーゼル化という朝鮮戦争中の経験であった。それに基づいて、日米開戦来の鉄道運営を規定していた韓国の資源特殊性を克服し、輸送力強化、生産原価の低下、生産性の向上を同時に実現し、そうすることによって労使協調主義の物質的基盤の創出という解放後以来の課題も組織内部レベルで解決できた。その結果として、輸送システムにおいて、1960年代に経済成長を支えてゆく前提が作られたのである。

 以上のように、「植民地」鉄道が平時体制から戦時動員され、解放直後のシステム的危機を経て「分断」鉄道に再編され、再び戦時動員・平時復員されたのである。これを敷衍してみると、戦時統制経済としての植民地経済は解放に伴って崩壊し、占領軍のイニシアティヴのもとで市場経済としての分断経済に再編されたが、分断経済は冷戦の熱戦化によって戦時動員され、休戦後の復員過程を経てそれなりの効率性ないしダイナミズムをもって安着し、1960年代を迎えたといえよう。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、1930年代から50年代までの朝鮮国鉄の事業展開を対象として、その企業としての自律性と、国家機関の一つとして交通政策を担うという多面性に着目し、この間の外的環境の激変(戦争→解放・分断→戦争→復興)に直面して朝鮮国鉄が主体的に行った組織的対応を実証的に分析することを課題としている。著者はこうした分析を通して、戦時動員と平時復員における鉄道運営システムの転換や、「植民地」鉄道から「分断」鉄道へ再編される過程で現れた「史的断面図間の連続と断絶をえぐり出すことを目的」とすると本論文の冒頭で述べている。

 本論文は、研究課題の設定、研究史の批判的整理、分析視角を明らかにした「はじめに」に続いて、「第1部 戦時動員と「植民地」」と「第2部 「分断」と戦時動員」の2部全6章と「むすび」から構成されている。400字詰め原稿用紙に換算して1000枚を超える論文のほとんどがこれまでの研究の空白を埋める緻密な実証によって綴られているため、その内容を逐一明らかにすることは困難であるが、以下、まず本書の構成に従って主要な論点とこれについての著者の貢献を明らかにし、その上で審査委員会の評価を記すこととしたい。

 まず、第1部第1章「戦前期における鉄道運営管理の特質と輸送増強計画」では、朝鮮国鉄の戦時動員の歴史的前提として、戦前期の鉄道運営が明らかにされる。著者が特に強調する点は、(1)朝鮮国鉄が植民地統治の物的基盤たる域内鉄道と、地政学的位置からの大陸鉄道としての役割が期待されたにもかかわらず、経営が不安定で投下資本の確保どころか運営費も完全に自己負担できなかったこと、(2)植民地経済の低位性と同化主義的植民地政策のため、その経営資源の供給も地域内では完結できず、日本内地から半分以上の経営資源が調達されざるを得なかったこと、(3)こうした状況のなかで、満州事変の勃発と植民地工業化の本格化による輸送需要の増加に対して、鉄道輸送力の急速な拡充が要請され、鉄道増強計画に基づく組織的な対応が着手されたことである。本論文が中心的に分析する時期の歴史的な前提となる時期の分析であるため、他章と比べると分析は概括的であるが輸送力の実態とその限界に対する自主的な増強計画という点に踏み込んだ分析は、本論文が韓国国内の研究も含めて初めてのものである。

 第2章「日中全面戦争期における陸運統制の開始と輸送力増強」では、日中全面戦争の勃発が朝鮮国鉄内部の組織運営や輸送力配分に大きなインパクトとなったことが明らかにされる。特に、(1)朝鮮国鉄が域内輸送を制限して集中軍事輸送に当ったこと、(2)兵站輸送と植民地経済の戦時動員過程による超過需要の常態化にもかかわらず、投資財、燃料、人的資源の調達が不円滑化するにともなって、戦前来の鉄道増強計画が実現不可能となったばかりでなく、応召及び入営、車両貸与などによる資源流出が重なって、平時の輸送力すらも発揮できなくなったこと、(3)こうした事態に対処するために朝鮮国鉄は、経営資源の調達を組織化するとともに、輸送サービスの配分過程において「市場的調整」に代えて「官僚的調整」を行って効率的な輸送の実現に努めたことが強調されている。本章の分析において特に重要な点は、輸送力の逼迫に伴って資源使用の節約や運営の合理化のために統制的な手段が順次導入される過程を明らかにするなかで、とりわけ朝鮮国鉄が植民地域内での物資の円滑な輸送という責務と、大陸への戦略物資の輸送という本国政府・軍部の要請とのせめぎ合いに苦しみながら、その打開のために組織をあげて輸送の効率化を実現したことを明らかにした点であろう。

 第3章「アジア太平洋戦争期における輸送力増強の限界と陸運統制の強化」では、日米開戦後まもなく、日本が海上輸送力を失っていったために、中国大陸からの戦略物資輸送を朝鮮ルートの陸運に転嫁することが決定され、朝鮮国鉄では一段と厳しい輸送統制が必要となったことが明らかにされる。(1)大陸鉄道輸送協議会が設置され、大陸鉄道からの支援も得て、中継輸送ルートの強化が急いで実施されるとともに、域内輸送に対して厳しい輸送制限が加えられたこと、(2)中継輸送の円滑化のため、朝鮮国鉄は自らの組織構造を再編成し、陸運に限らず海事、港湾などに及ぶ海陸一貫輸送体制を実現したことなどが輸送統制の特徴である。本章では、この時期に朝鮮国鉄の大陸鉄道への一元化政策が浮上し、満鉄への委託経営問題が浮上したが、朝鮮側の反対によって実現できなかったことを明らかにすることで、植民地統治機関の一環であった朝鮮国鉄の独自の位置を明らかにしており植民地研究および日本の戦時経済研究に対して重要な問題提起となっている。また、敗戦後=解放後の「遺産」となる2つの変化、(1)縦貫線の複線化を始めとして膨大な資本投下が行われたこと、(2)日本人の「強制代替」として朝鮮人が大量雇用され全職員の7割を占めたことを指摘するとともに、それらの変化が、資本形成という点では設備の老朽化を防げなかったこと、朝鮮人の大量雇用についても、既存研究で強調される「朝鮮人の量的質的成長」とは異なり、労働力の希釈化と中間管理層以上の職務を経験する機会には乏しかったことを指摘することで、「戦時期に組織内部で蓄積された鉄道運営能力がそのまま解放後の朝鮮人による鉄道運営に受継がれた」というような単線的な戦後への「遺産の継承」という見解を批判している。

 第2部第4章「分断国家の成立と輸送体制の再編」では、解放後の朝鮮国鉄が直面した問題が分析される。すなわち、(1)植民地支配が崩壊するのに伴い、組織外部からの経営資源調達ルートが崩れ、アジア太平洋戦争期からの生産要素レベルの危機が深化し正常な鉄道運営も不可能な深刻な状況であり、(2)打開のためには、地域内での人的資源の確保、経済援助による物的資源の調達を内容とする再構築が必要であった。しかも、(3)組織内部では民族別職員の配置に基づく垂直的ヒエラルキーが崩れたうえ、南北分断によって組織が二つに分裂して内部機関間の情報伝達が円滑性を失ってしまった。こうした状況を著者は、「要するに、日米開戦後、顕在化していた生産要素レベルの危機的局面に加えて、新たに既存秩序の支配体制の崩壊に連動したシステム的危機が生じた」と要約している。従って朝鮮国鉄は、単に戦時から平時へと復員することが求められたわけではなく、植民地鉄道から分断鉄道への再編にともなって組織運営を再編し、鉄道運営の主体それ自体を創出していかなければならなかったと捉えられている。しかもその過程は、占領軍による社会経済システム全般の再構築の一部として行われたため、「ソビエト体制への対抗国家の建設」という占領目的と不可分の関係を持ち、右派労組の各現場への浸透と労使協調主義の実現という課題の達成をも必要とした。このように本章では、基本的には植民地鉄道期との断絶面を強調するなかで、分断鉄道としての韓国鉄道が鉄道運営の正常性を取り戻し、予算制約の下で経営の改善と安定化を図っていたことを明らかにした。

 第5章「朝鮮戦争期における輸送戦の実施と陸運統制」では、こうした正常化の過程が朝鮮戦争によって中断された時期が分析される。この時期に、(1)韓国鉄道はアメリカ戦争体制の一部として戦時動員され、米軍の管理下に置かれただけでなく、自主的な経営資源の調達が円滑さを失ったこと、しかも(2)韓国鉄道は輸送施設の半分近くが戦災を被り、人的資源の流出もあってそれまでの輸送方式が実施不可能となったことが指摘される。この困難を克服し得たのは、アメリカによる戦時動員体制に支えられて経営資源が調達され、施設の復旧が速やかに実施されこと、さらに組織内部では上層部、中間管理層などの人的資源が保存されためであった。こうして戦術的状況の急変に対する弾力的な戦時輸送の実施が可能となり、この経験やシステムの運営管理能力の向上が、休戦後の韓国人による鉄道自主運営に受継がれたというのが本章の主張である。

 第6章「休戦体制下の韓国鉄道の復興と自主運営」では、休戦後の軍事力を支えるために作成された経済復興計画において戦略投資部門の一つとなった鉄道経営が問題とされる。分析の焦点は、韓国鉄道が自主運営の再開に伴ってまず直面した予算制約の厳格化におかれる。すなわち、経済の平時復員によって資源配分の原理が市場経済化するのに伴って、韓国鉄道の企業性が要請されたからであるが、そのため、朝鮮戦争中の経験に基づいて動力のディーゼル化が図られ、輸送力強化、生産原価の低下、生産性の向上を同時に実現した。その結果、労使協調主義の物質的基盤の創出という解放後以来の課題を組織内部で解決し、輸送システムにおいて、1960年代の経済成長を支えてゆく前提が作られたと著者は主張している。

 以上のように、本論文はその構成する各章において、極めて綿密な実証分析を展開しており、明晰な文章に加えて、各章末尾の「小括」において丁寧な論点の要約がなされたうえで、次章につながる論点が提示されているなど完備した内容となっている。また、その基礎となる文献資料の渉猟は、日韓米三国にわたり、現在なし得る最大限の努力を費やしたものとみなしうるものであり、そうして収集された資料に基づく実証面での本論文の多面的な貢献は枚挙にいとまがない。これらの点だけでも本論文は、十分に高い評価を与えうるものであるが、その研究史上での意義はそれにとどまるものではない。

 第一に、本論文が、「植民地」鉄道が平時体制から戦時動員され、解放直後のシステム的危機を経て「分断」鉄道に再編され、再び戦時動員・平時復員された過程の全体を過不足なく描こうと努めたことによって、これまで部分的、断片的であった朝鮮鉄道の歴史的な展開を、経営体としての組織的な対応という側面から全体像として捉えうることになった。「植民地化」と「分断」という激動の時代を1つの歴史像としてまとめた著者の構想力と、それを支えた緻密な実証とは、日本ばかりでなく韓国国内における既存の研究の水準をも大きく突き抜け、研究水準を格段に引き上げたと評価しうる。

 第二に、戦時需要などの超過需要の発生に対する資源制約の下で、経営体としての朝鮮鉄道が限られた資源の節約や合理化を通して輸送の効率化を図ったこと、あるいは解放後の市場経済化のもとで要求される予算制約、つまり企業性の発揮の要求への取り組みなど、著者がいう主体としての朝鮮国鉄の「組織的対応」の面に着目したことは、これまでの研究にない新しい視点であった。そして、そうした視点を持つことによって著者は、既述のように、戦争末期に至っても朝鮮国鉄が一元化政策を拒否して独自の位置を保ったことを明らかにし、植民地政府機関の持つ二重性を明らかにした。また、解放後についても労働の組織化、つまり協調的な労資関係の構築には反共的なイデオロギーの注入と同時に、インセンティブ・システムの導入が不可欠であったなど、広い問題領域に議論を展開することが可能となった。従って、著者の新しい分析視角は本論文において十分に成功裡に活かされていると評価しうる。

 第三に、最近の韓国史研究では、戦時下の遺産の継承について、やや概括的な事実に基づいて連続面が強調される傾向にあったが、本論文はそうした議論に対して、戦時期の遺産の限界面を明らかにするとともに、戦後の新しい事態を戦前期とは異なる状況下での「システム危機」と捉える必要があることを指摘し、さらに、1960年代の経済成長への歴史的な前提が、植民地期にではなく、解放と朝鮮戦争による戦時動員、そして平時への復員という、もう一つの「動員と復員」の時代に形成されたという捉え方を対置した。著者は本論文の「むすび」で植民地工業化の「実態」と1960年代以降の韓国経済の成長の「実態」とを直結する見解を批判し、この間の断絶を強調する一方で、成長の前提としての1950年代に「分断経済は冷戦の熱戦化によって戦時動員され、休戦後の復員過程を経てそれなりの効率性ないしダイナミズムをもって定着した」と指摘することで、韓国経済の歴史的な把握に関して、50-60年代の連続性を重視するという新しい見方を提示したということができる。

 もちろん、本論文にも改善すべき点は残されている。とくに主体的な対応を問題とするという本論文の基本的な視点から見ると、資料的な限界があったためとはいえ、朝鮮国鉄の意思決定の過程そのものは具体的に明らかにされておらず、朝鮮総督府と朝鮮国鉄との間に認められる植民地機関としての一体性と、朝鮮国鉄の企業体としての独自性との相克の問題などは必ずしも十分に論じられているとは言えないことが指摘できる。また、「復員」の過程で問題となる「予算制約」という論点についても、その背景、具体的な制約の程度などについては一層の立ち入った分析が今後の課題として残されているであろう。

 このような問題点が散見されるとはいえ、本論文が日韓両国の研究史をふまえて積極的に提示した研究成果は、その実証的な密度の高さと、研究史上の枢要な論点に対する批判的な問題提起との両面において、高く評価されるべきものであり、課程博士論文として出色といいうる水準を示している。こうした研究史への大きな貢献をともなう優れた成果を、博士課程在学三年という短期間に達成したことは、著者の研究者としての高い能力を示すものであり、審査委員会は全員一致で著者が博士(経済学)の学位を授与されるにふさわしいとの結論に達した。

UTokyo Repositoryリンク