学位論文要旨



No 116793
著者(漢字) 毛利,伊吹
著者(英字)
著者(カナ) モウリ,イブキ
標題(和) 対人不安の心理学的研究:状況要因と認知モデル
標題(洋)
報告番号 116793
報告番号 甲16793
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第351号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 丹野,義彦
 東京大学 教授 繁桝,算男
 東京大学 教授 長谷川,寿一
 東京大学 教授 大築,立志
 東京大学 助教授 酒井,邦嘉
内容要旨 要旨を表示する

 心理的問題としての対人状況における不安や恐れは、対人恐怖症や社会恐怖のように異なる複数の概念のもとで別々に扱われてきた。しかしいずれも対人状況のもとで不安反応を呈するという点では共通している。対人状況における不安反応(以下、対人不安とする)の特徴は不安を生じる対人状況、認知、不安感、生理、行動という5つの要因から記述することができる。対人不安は対人状況における不安感をその本質とし、「否定的評価への恐れ」という認知を重要な特徴としている。対人状況は不安感を生じる要因として必須であるが、認知病理学の枠組みに基づくと認知も不安感を引き起こすものとしてとらえることができる。本論文では対人不安感の発生に重要な位置を占める、対人状況と認知という二つの要因に着目して検討を行った。

第1部 対人不安の現状

研究1 対人不安の現状に関する検討

 これまで対人恐怖的傾向を有する大学生の割合など、対人不安の実態に関わる報告が提出されてきた(e.g.,木村,1982;高橋,1979)。しかし1980年代以降はそのような情報が少ない。そこで研究1では、対人不安に関わる現状について質問紙調査を行い検討した。その結果、大学生においては40.3%が対人不安のことで苦痛や困難を感じていることが明らかとなった。よって現在でも対人不安が青年の心理的問題として大きな位置を占めており、対人不安研究の臨床的重要性は高いと考えられた。また、対人不安による苦痛や困難の開始年齢が10〜16歳に集中していること、対人恐怖症的な症状が大学生においても認められることなどが示された。

第2部 対人不安を引き起こす対人状況

研究2 対人不安を引き起こす状況の検討:状況別対人不安尺度の作成

 対人不安を引き起こす対人状況の分類についてはまだ見解が定まっていない。そこで、研究2では対人不安が引き起こされる状況の構造について検討した。まず自由記述調査の結果及び先行研究から項目を作成し、質問紙調査を行った。その結果をもとに因子分析を行い、対人状況の種類別に対人不安の程度を測定できる状況別対人不安尺度を作成した。この尺度は「発表・発言不安」「親しくはない相手不安」「会話のない不安」「異性への不安」「目上への不安」の5つの下位尺度を有し、十分な信頼性及び妥当性のあることが確かめられた。「親しくはない相手不安」と「会話のない不安」という2つの下位尺度は、対人恐怖研究でも重要視されてきた"親しくはない他者"や"会話における間"という対人状況(笠原,1977)にそれぞれ関連する内容になっており、このような状況での不安に焦点をあてた初めての尺度である。

研究3 対人不安における三つのサブタイプ

 対人不安に関連する概念として欧米では社会不安や社会恐怖がよく用いられている。これらには全般性と非全般性という2つのサブタイプが報告されており(e.g., Gelernter, Stein, Tancer, & Uhde, 1992 ; Heimberg, Hope, Dodge, & Becker, 1990)、前者ではほとんどの対人状況を恐れ、後者は主にパフォーマンス状況(人前での発表など)のみを恐れるとされる。このようなサブタイプの検討は主に欧米(e.g.,アメリカ、カナダ、ドイツ)で行われており、日本では検討されてこなかった。そこで研究3では研究2で作成した状況別対人不安尺度を用いて質問紙調査を行い、クラスター分析によりサブタイプを分類した。その結果、対人不安に関して「発表・発言不安群」「会話のない状況・親しくはない相手不安群」「全般性不安群」の3タイプが見出された。「発表・発言不安群」は非全般性サブタイプに、「全般性不安群」は全般性サブタイプに相当することが示唆された。また、「会話のない状況・親しくはない相手不安群」は日本の対人不安に特徴的なサブタイプである可能性が考えられた。

第3部 対人不安のモデル

研究4 対人状況における認知:対人相互作用自己陳述尺度の作成

 対人不安研究では、対人状況で頭に浮かんでくる認知を測定する尺度としてSocial Interaction Self-Statement Test (SISST; Glass, Merluzzi, Biever, & Larsen, 1982)が主に使われている。しかし、日本でよく知られた対人恐怖症に特徴的とされる認知(加害的意識など)に関する項目は含まれていない。そこで研究4ではそのような内容も含めて認知を測定できる尺度を作成した。初めにSISSTに自由記述調査結果及び既存の尺度から作成した項目を加え質問紙調査を行った。因子分析の結果、「自己に起因する否定的評価への恐れ」「現状の忌避」「肯定的自己陳述」「相手に関する思案」という4因子を抽出し、各因子を下位尺度とする対人相互作用自己陳述尺度を作成した。この尺度における信頼性及び妥当性は確認された。「自己に起因する否定的評価への恐れ」はこれまでの対人不安研究で重要視されてきた"否定的評価への恐れ"に類似する内容であるが、相手への加害的意識を含む点などが特徴的である。「現状の忌避」は現状を否定的なものとして認識し、対人不安の行動的症状である逃避行動を志向するような内容になっている。

研究5 対人不安に関わる対処の検討

 近年の対人不安研究から、対処を目的としていながらかえって症状を維持するように働くものがあると考えられており、それらは"安全行動"と命名されている(Clark & Wells, 1995)。しかし不安を感じるような対人状況において実際に行われている対処の種類はまだ明かになっていない。そこで研究5では対人不安に関わる対処の種類について整理し、さらに認知との関係を検討することを目的とした。初めに自由記述調査を行い、それに基づいて対人不安における対処を測定する項目を作成し、質問紙調査を行った。因子分析の結果、「情動沈静化の試み」「親和的行動の試み」「距離をおく試み」「逃避の試み」という4因子を抽出した。これらの因子を下位尺度とする対人相互作用対処尺度を作成し、その信頼性及び妥当性を確かめた。対人不安低減への効果については相手に対して親和的にふるまおうとする対処である「親和的行動の試み」が最も効果的であると認識され、行われる頻度も最も高い対処であった。一方、対人不安の行動的症状でもある「逃避の試み」については最も効果が小さいと認識され、行われることが最も少ない対処の一つであった。また認知を独立変数、対処を従属変数とし、パス解析により認知と対処との関係を検討した結果、4つの下位尺度はいずれも「自己に起因する否定的評価への恐れ」または「肯定的自己陳述」という認知の影響を受けることが示された。この2つの認知はいずれもストレス状況への認知的評価に関わる内容を含んでいる。Lazarus & Folkman (1984)のストレス理論によればこのような認知的評価に続いて対処が行われると考えられており、パス解析の結果はこの理論からの予測に合致していた。

研究6 対人不安モデルの検討

 認知行動理論の枠組みを用いると認知が対人不安の発生に関与しているととらえられる。対人不安における認知としては"否定的評価への恐れ"が重要視されており、対人不安の定義にも含まれることも多いが(e.g., Watson & Friend, 1969; Schlenlker & Leary, 1982)、その他の認知内容についてはあまり注目されてこなかった。本研究では研究4で作成した対人相互作用自己陳述尺度を用いて対人状況で生じる認知を内容別に取り扱い、認知と対人不安感との関係について検討するため、先行研究などを参考に対人不安モデルを作成し共分散構造分析を行った(図)。

その結果モデルとデータの適合度には問題がないと判断された。モデルにおいて「自己に起因する否定的評価への恐れ」という認知は直接、対人不安感の発生に正の影響を及ぼしており、これまで対人不安において最も重要視されてきた認知が対人不安感の発生に関わっていることを今回実証的に示すことができた。また、「相手に関する思案」は「自己に起因する否定的評価への恐れ」を介して対人不安感の発生に正の影響を及ぼす一方、「現状の忌避」という逃避行動を志向する内容の認知には直接負の影響を及ぼすことが示唆された。

 また、認知と対処及び対人不安感との関係については対人不安対処モデルを作成し共分散構造分析を用いて検討した。その結果、各対処はそれぞれ1つまたは2つの認知から直接的な影響を受けていた。研究4で最も効果的な対処であると認識されていた「親和的行動の試み」は「相手に関する思案」および「肯定的自己陳述」という2つの認知から影響を受けていた。これらの認知のうち前者は相手からの情報収集に関わるものであり、後者はこの状況において自分が効果的に対応できるという肯定的な予測に関わる内容である。よって、情報を得ようと相手に注意を向けていたり、自分はこの状況でうまくやっていけるという見通しを持つほど、相手に対する親和的行動を志向しやすいことが示唆された。

まとめ

 本論文の研究から対人不安の重要な要因である対人状況と認知について、それぞれの構造を明らかにし、さらに、認知から対人不安感及び対処へ至る対人不安のプロセスを把握することができた。今後これらの知見を基礎として、対人不安への介入方法を検討していくことができると考えている。

 今回の結果は大学生のみを対象として得られたものである。しかし、対人不安は青年期を中心とした問題であり、研究1からは約4割という多くの大学生が対人不安のことで苦痛や困難を感じていることが示されている。よって、大学生において結果が得られた意義は研究面からも臨床面からも大きいと考えられる。ただし、本論文の知見をより一般化して扱えるかどうかについてはさらに重症度の高い群や異なる年齢層などでの検討が必要である。

図 対人不安モデルとその分析結果観測変数及び誤差項は省略。

審査要旨 要旨を表示する

 対人不安は思春期から青年期にかけて高まる現象であり,その測定とメカニズムの解明は青年期の臨床心理学において大きな意義を持っている。対人不安は,対人状況,認知,主観的不安感,行動,生理的側面といったさまざまな側面から記述される。本研究は,このうち「対人状況」と「認知」の2つの要因を中心として,おもに大学生を対象とする調査研究にもとづいて,青年期の対人不安の基本的構造を明らかにしたものである。

 本論文は6つの研究からなるが,大きく三部に分けられる。第一部(研究1)は,現代の大学生における対人不安の現状を明らかにしたものである。第二部(研究2と研究3)は,対人不安を引き起こす「対人状況」を明らかにしたものである。第三部(研究4〜6)は,「認知」の側面から,対人不安の発生メカニズムを明らかにしたものである。

 第一部の研究1では,対人不安に関わる現状について検討した。対人不安の研究は1980年以前のものが多く,1980年代以降は報告が少ない。そこで,対人不安の現状について調べるため,調査研究を行った。その結果,大学生では約40%が対人不安のことで苦痛や困難を感じていた。現在でも対人不安が青年の心理的問題として大きな位置を占めており,対人不安研究の臨床的重要性は高いと考えられた。また,対人不安による苦痛や困難の開始年齢が10〜16歳に集中していること,対人恐怖症的な症状が大学生においても認められることなどが明らかになった。

 第二部では,対人不安を引き起こす対人状況を明らかにした。研究2では,対人不安が引き起こされる状況について,因子分析を用いて,「状況別対人不安尺度」を作成した。この尺度は「発表・発言不安」「親しくはない相手への不安」「会話のない不安」「異性への不安」「目上への不安」の5つの下位尺度を有し,十分な信頼性及び妥当性のあることが確かめられた。

 研究3では,研究2で作成した「状況別対人不安尺度」を用いて質問紙調査を行い,クラスター分析によりサブタイプを分類した。その結果,「発表・発言不安群」「会話のない状況・親しくはない相手不安群」「全般性不安群」の3タイプが見出された。「発表・発言不安群」は,欧米の研究における「非全般性サブタイプ」に対応し,「全般性不安群」は,欧米の研究における「全般性サブタイプ」に相当すると考えられた。これに対し,「会話のない状況・親しくはない相手不安群」についてはこれまで報告されておらず,日本の対人不安に特徴的なサブタイプである可能性が示された。

 第三部では対人不安の認知モデルについて検討した。研究4では,対人状況における認知を測定する「対人相互作用自己陳述尺度」を作成した。因子分析を用いて,「自己に起因する否定的評価への恐れ」「現状の忌避」「肯定的自己陳述」「相手に関する思案」の4つの下位尺度を作成した。これらの下位尺度は十分な信頼性と妥当性があることが確かめられた。

 研究5では対人不安に関わる対処について検討した。因子分析の結果,「情動沈静化の試み」「親和的行動の試み」「距離をおく試み」「逃避の試み」という4因子を抽出し,各因子を下位尺度とする「対人相互作用対処尺度」を作成し,その信頼性及び妥当性を確かめた。

 研究6では,研究4で作成した「対人相互作用自己陳述尺度」を用いて,対人状況で生じる認知を内容別に取り扱い,臨床研究を参考にして,認知と対人不安の関係のモデルを作成した。このモデルにおいては,「自己に起因する否定的評価への恐れ」という認知は,対人不安感に直接の正の影響を及ぼしていた。また,「相手に関する思案」という認知は,「自己に起因する否定的評価への恐れ」を介して,間接的に正の影響を及ぼしていた。一方,「現状の忌避」という認知は,直接的に負の影響を及ぼしていた。共分散構造分析をおこなった結果,モデルとデータの適合度は十分に高かった。

 以上要約した本論文においては,とくに次の諸点が高く評価された。

1)対人不安をひきおこす「対人状況」と「認知」について,統合的に測定できる尺度を作成し,その信頼性と妥当性を明確にするなど,質問紙データの信頼性を高めるために細心の注意を払い,また,のべ3000人に及ぶ多数の被験者の調査データを積み重ねて,実証的な議論を組み立てていること。

2)対人不安についての従来の研究を統合できるモデルを提示し,共分散構造分析を用いてその実証を試み,ある程度それに成功したこと。それによって,対人不安を包括的に捉えようとする新たな方向を示すことができたこと。

3)従来の研究で見逃されることが多かった「認知」や「対処」に焦点を当てており,今後,対人不安への効果的な介入方法を検討する際の基礎となる情報を提供していること。

 これらの成果により,本論文は,博士(学術)の学位に値するものであると,審査員全員が判定した。

 なお,第2研究はすでに「健康心理学研究」誌上に公表済みであり,第4研究はすでに「性格心理学」誌上にて公表済みである。

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