学位論文要旨



No 116802
著者(漢字) 宮崎,真
著者(英字)
著者(カナ) ミヤザキ,マコト
標題(和) ヒトの動作変動の時間的特性
標題(洋) Time-dependent property of the human movement variability
報告番号 116802
報告番号 甲16802
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第360号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大築,立志
 東京大学 教授 福永,哲夫
 東京大学 教授 福林,徹
 東京大学 教授 石井,直方
 東京大学 助教授 川上,泰雄
内容要旨 要旨を表示する

 はじめに

 たとえ一定の出力を繰り返そうとしても,ヒトの動作は絶えず″変動″し続けている.あるシステムの振舞の″変動″特性を調べることは,そのシステムの動作メカニズムを知る上で有効な手法である.これまで多くの研究者がヒトの動作の″変動″を研究してきた.これらの研究では変動係数や相関係数といった古典的統計指標が用いてられてきた.そこでは,″変動″の時間的側面は無視されている。1990年代以降、フラクタル解析等の数学的手法の発展より,″変動″の時系列プロファイルから意味ある情報が抽出可能になった.本研究では,ヒトの動作における変動の時間的特性を調べ、それをもとにヒトの動作制御系の機能メカニズムを考察していく.

<1>急速標的到達動作における動作キネマティクス変動の時間特性

 被験者は,肘屈曲−伸展により画面上のカーソルを操作し,急速標的到達動作課題を行った(動作振幅31.5°,標的幅3°).被験者は,ビープ音に素早く反応し,スタート地点からなるべく早く且つなるべく正確にカーソルを標的内に定位することが求めれた(300試行,試行間間隔3秒).動作キネマティクスの試行間変動についてフラクタル解析を行った結果,最高加速度の変動にフラクタル相関が確認された.その相関強度を示すスペクトル指数βの値は0.31であった.しかし,そのフラクタル相関は最高速度では減弱し(β=0.2),動作終着点では消失に至り,ホワイトノイズ化した(β=0).同様の結果が位置軌道の進行過程にも認められた.筆者は、この現象を標的へ向けて動作軌道が調整されていく過程の表れと推測した.

<2>急速標的通過動作における動作キネマティクス変動の時間特性

 次に急速標的通過動作を実験課題として施行した.被験者は,ビープ音に素早く反応し,スタート地点からなるべく早くカーソルを標的(距離15°)を通過させることが求めれた(300試行,試行間間隔3秒).なお,標的通過後カーソルが消えるように設定され,最終動作位置については一切の制約がなされなかった.動作キネマティクスの試行間変動についてフラクタル解析を行った結果,<1>と同様に最高加速度の変動にフラクタル相関が認められた(β=0.54)が,そのフラクタル相関は,動作軌道が進行しても消失せず,むしろ増大した(β=0.67-0.75).ターゲットによる終着点の制約を受けない動作にみられたこの結果は,標的到達動作軌道進行にともなうフラクタル相関消失現象が標的へ向けて動作軌道が調整されていく過程の表れであるという上記<1>の推測を強く支持するものである.

<3>急速標的到達動作における動作関連筋電活動変動の時間特性

 急速標的到達動作中の動作関連筋電活動の変動についてフラクタル解析を行った.動作を開始させる主働筋活動成分であるAG1積分値の変動(β=0.2),および動作を減速−静止させる拮抗筋活動成分であるANT積分値の変動(β=0.3)にフラクタル相関が確認された.筋電活動はα運動ニューロンから筋への入力を反映するものであり,この結果は,標的到達動作の初期キネマティクス変動にみられたフラクタル相関の起原が中枢神経系活動にあることを示す.

<4>急速標的通過動作における動作関連筋電活動変動の時間特性

 急速標的通過動作中の動作関連筋電活動の変動についてフラクタル解析を行った.<3>と同様にAG1積分値の変動(β=0.36)およびANT積分値の変動(β=0.26)にフラクタル相関が確認された.そして,これらのフラクタル相関は最高加速度,最高減速度の変動におけるフラクタル相関よりも有意に弱いものであった.この結果から筋骨格系ダイナミクスのフラクタル相関増大への貢献が示唆された.一方,<3>の標的到達動作では,筋電活動とキネマティクスとでフラクタル相関強度の差に有意性は認められなかったが,これは,動作軌道の定常化ための拮抗筋間協応が生じているためと推測した.

<5>制約のない繰り返し動作における動作関連筋電活動変動の時間特性

 <4>では,筋電変動のフラクタル相関の強度は動作キネマティクス変動のフラクタル相関強度に比べ有意に低いことが観察された.その要因としては筋電活動成分間の干渉による測定上のノイズが関係している可能性も考えられる.そこで,被験者の至適な振幅,リズムによる肘伸展−屈曲繰り返し動作を実験課題として施行した(8分間).この動作では,伸展−屈曲の各加速フェイズに関連した筋電成分が単相であるため測定上ノイズの影響が低い.その結果,動作キネマティクスの各パラメーターの変動におけるβ値が0.5-0.9であったのに対して,関連する筋電図の各パラメータの変動におけるβ値は0.3-0.4で,それぞれの間に有意な差が認められた.この結果から,筋骨格系ダイナミクスがフラクタル相関増大に貢献しているという推測が支持された.

<6>標的到達動作軌道進行にともなうフラクタル相関消失現象のメカニズムの解析

 <1>で観察された標的到達動作軌道進行にともなうフラクタル相関消失現象のメカニズムを調べるために,周波数帯域分離変動説明率分析を標的到達動作課題と標的通過動作課題で得られたデータに行った.その結果,標的到達動作においては,最高加速度変動による動作最終位置変動の説明率は、高周波数成分に比べ,低周波数成分の方が低い値を示した。つまり、短期変動成分に比べ、長期変動成分の方が動作初期キネマティクスから動作終着点までの変動残存率が低いことを意味する.また、最高加速度変動によるANT積分値変動の説明率は、高周波数成分に比べ低周波数成分の方が高い値を示した。つまり,動作初期キネマティクス変動のうち,短期変動成分によりも長期変動成分の方が強い減速調整を受けていることを意味する.この初期キネマティクスの長期変動成分に対する強い補償調整は,周期パワースペクトル表記上,初期キネマティクス変動に比べて,動作終着点変動で低周波成分パワーを相対的に減衰させる.その結果,初期キネマティクス変動で観察されたフラクタル相関が動作終着点変動ではホワイトノイズと評価されるフラットパターンとなったと考えられる.一方,同様の分析結果は急速標的通過動作のデータには認められなかった.

 総合的考察

 従来の研究で,リズムタッピング(Yamada 1994, Chen et al. 1997),歩行(Hausdorff 1995, 1996),立位姿勢維持(Duarte 2000),等の比較的自動的な動作変動においてフラクタル相関が観察されてきた.本研究では,随意性の強い間欠的標的到達動作の初期キネマティクス変動にフラクタル相関を確認した.上述の研究のほとんどでは,動作におけるフラクタル相関の生成メカニズムについて中枢神経系活動に関連させて議論がなされてきたが,実際に動作中の中枢神経系データを記録していなかった.本研究では,上肢の動作中の動作関連筋電活動の変動にフラクタル相関を観察し,動作のフラクタル相関の起原が中枢神経系ダイナミクスにあることを確認した.さらに動作キネマティクス変動との比較から,筋骨格系ダイナミクスが筋電活動から運動出力への変換過程でフラクタル相関を増大させている可能性を示した.つまり,ヒトの動作における強いフラクタル相関は中枢神経系と筋骨格系のダイナミクスの複合によって生じていると考えられる.

 標的到達動作の初期キネマティスに観察されたフラクタル相関は動作軌道の進行にともなって減弱していき動作終着点では消失にいたることも確認された.この現象は,終着点の制約を受けない動作には起らないことから動作軌道調整の結果によることが確認された.そして,周波数帯域分離変動説明率分析の結果,標的到達動作軌道進行にともなうフラクタル相関消失の背景として,初期キネマティクス変動における短期成分よりも長期成分に対して強い補償調整が働いていることが示された.この結果から,動作出力誤差の長期トレンドに対する予測的調整がヒトの定位動作制御システムにおいて機能していること,そして,それが従来考えられてきた動作出力誤差に対する逐一調整よりも最終動作状態達成に大きく貢献していることが明らかとなった.

審査要旨 要旨を表示する

 一定の出力を繰り返そうとしても、ヒトの動作は絶えず変動し続けている。あるシステムの出力の変動特性を調べることは、そのシステムの動作メカニズムを知る上で有効な手法であるが、標準偏差や変動係数や相関係数といった変動を表す古典的統計指標においては、変動の経時的変化は無視されている。これに対し、最近発展してきたフラクタル解析により、変動の時系列プロファイルから意味のある情報を抽出することが可能になった。本論文は、この方法を用いてヒトの動作における変動の時間的特性を解析することによってヒトの正確な随意運動制御のメカニズムを考察した一連の研究をまとめたものである。

 本論文は、上記のテーマに関する過去の研究状況及び解析法を第1章で詳述し、申請者が行った5つの研究の結果を第2章から第6章に、それらのデータに基づくメカニズム解明のための解析を第7章に、そして総括論議を第8章に加えて構成されている。

 第2章(研究1)に報告された実験では、被験者は、肘屈曲伸展動作によって画面上のカーソルを操作し、できるだけ素早く且つ正確にカーソルを標的内に定位する「急速標的到達動作課題」を行った。動作キネマティクスの試行間変動についてフラクタル解析を行った結果、動作の最初期に発現する最高加速度の変動にはスペクトル指数β=0.3のフラクタル相関が確認されたが、そのフラクタル相関は最高速度時点では減弱し(β=0.2)、動作終着点では消失に至り、ホワイトノイズ化した(β=0)。

 第3章(研究2)の実験では、課題動作は実験1と同じであるが、腕を標的位置に停止させずに標的を通過させ、通過後任意の位置で停止させた。研究1と同様の解析の結果、同じく最高加速度の変動にフラクタル相関が認められた(β=0.54)が、そのフラクタル相関は、研究1とは異なり動作軌道が進行しても消失せず、むしろ増大した(β=0.67-0.75)。

 ターゲットによる終着点の制約を受けない動作にみられたこの結果は、標的到達動作軌道進行にともなうフラクタル相関消失現象が標的へ向けて動作軌道が調整されていく過程の表れであるという研究1の解釈を強く支持するものであった。

 第4章(研究3)及び第5章(研究4)は、第2、3章の課題動作に関わる筋活動の変動に関するフラクタル解析の結果である。動作を開始させる主働筋活動指標としての筋電図積分値の変動、および動作を減速停止させる拮抗筋筋電図積分値の変動にβ=0.2-0.3のフラクタル相関が確認された。筋電活動はα運動ニューロンから筋への入力を反映するものであることから、2、3章で報告された標的到達動作の初期キネマティクス変動におけるフラクタル相関の起原は中枢神経系活動にあることが明かとなった。一方、これらの筋電図のフラクタル相関は研究2で得られた最高加速度変動のフラクタル相関より有意に弱かった。この結果は、筋活動から運動発現までの過程に介在する筋骨格系ダイナミクスがフラクタル相関を増大させている可能性を示唆するものであった。

 しかし、この結果は、筋電活動開始停止時刻計測上のノイズに起因するアーチファクトである可能性もある。その点の検証実験が第6章(研究5)に報告されている。すなわち、被験者にとって至適な振幅とリズムの肘伸展屈曲繰り返し動作を行わせた。この動作は筋電成分が単相でかつ開始停止が明確であるため測定ノイズが小さい。その結果、研究4と同様、筋電図変動のβ値(0.3-0.4)は動作キネマティクス変動のβ値(0.5-0.9)より有意に小さかったことから、筋骨格系ダイナミクスのフラクタル相関増大への貢献が確認された。

 第7章(研究6)では、研究1〜4のデータに、申請者が創案した周波数帯域分離変動説明率分析を適用し、研究1で観察された標的到達動作軌道進行に伴うフラクタル相関消失現象のメカニズムを考察した。その結果、標的到達動作においては、最高加速度変動による動作最終位置変動の説明率は、高周波数成分より低周波数成分の方が低く、また最高加速度変動による拮抗筋筋電図積分値変動の説明率は、高周波数成分より低周波数成分の方が高いことが明かとなった。つまり、動作初期から動作終着点までの間に、動作初期キネマティクスの長期変動成分の方が拮抗筋による強い補償調整を受けていることが明かとなった。急速標的通過動作のデータにはこのような特徴は認められなかった。

 第8章(総括論議)では、以上の結果を先行研究と比較しつつ総合的考察を行っている。

 本研究の成果は以下のようにまとめられる。(1)セルフペースタッピング、立位姿勢維持などの自動性の強い動作(先行研究)だけでなく、標的到達動作(本研究)という随意性の強い(自動性の低い)動作でも開始直後の比較的自動的な出力の変動には、フラクタル相関が存在する。(2)動作のフラクタル相関の起原は中枢神経系ダイナミクスにある。(3)筋電活動から運動出力への変換過程に介在する筋骨格系ダイナミクスがフラクタル相関を増大させる。(4)標的到達動作という自動的でない意図的動作であるヒトの定位動作制御システムにおいては、動作出力誤差の長期トレンドに対する予測的調整が機能して最終停止位置のフラクタル相関が消失する。(5)この随意動作特有の調整機構は、従来考えられて来た動作出力誤差に対する逐一調整よりも最終動作状態の安定度達成に大きな貢献をしている。

 これらの成果はすべて申請者のオリジナルな発見であり、学術業績として極めて有意義であると認められる。よって、本審査委員会は、本論文は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

UTokyo Repositoryリンク