学位論文要旨



No 116803
著者(漢字) 村岡,哲郎
著者(英字)
著者(カナ) ムラオカ,テツロウ
標題(和) ヒト筋腱複合体の受動的力学特性
標題(洋) Passive mechanical properties of the human muscle-tendon complex
報告番号 116803
報告番号 甲16803
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第361号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 福永,哲夫
 東京大学 教授 大築,立志
 東京大学 教授 石井,直方
 東京大学 助教授 金久,博昭
 東京大学 助教授 川上,泰雄
内容要旨 要旨を表示する

第1章 序

 筋の発揮する力という観点からヒト身体運動のメカニズムを探るため、様々なモデルが用いられてきた。モデル作成の際には骨、腱組織、筋腹の特性に対して数多くの仮定が設定される。それら仮定のうち、腱組織及び筋腹の受動的力学特性は、ヒト生体における情報が極めて限定されているため、多くの場合、モデルから除外されたり、過度に単純化されてきた。しかし、動物やヒト屍体から得られる知見から判断すれば、腱組織及び筋腹の受動的力学特性は、身体運動に深く関わることが予想される。ゆえに、ヒト身体運動のメカニズムの正しい理解の為には、ヒト生体における腱組織及び筋腹の受動的力学特性に関する情報が必要である。そこで本論文では、1)より妥当な、ヒト生体における腱組織および筋腹の受動的力学特性を提示し、2)それら受動的力学特性がヒト身体運動において果たす機能的意義について検討する、ことを目的とした。

第2章 ヒト生体における内側腓腹筋の筋束、腱、腱膜の受動的力学特性

 ヒト腓腹筋内側頭を対象に、筋束、腱、腱膜の受動的力学特性を定量することを目的として実験を行った(n=7)。足関節角度および受動足関節モーメントと筋束、腱、腱膜の長さの関係を調べ、また、腱の弛みがとれて力を伝え始める長さ(slack length)を決定するという2つの実験を行った。その結果、筋が活動していない状態においても、足関節角度を変化させることにより腱および腱膜の長さが変化することが示された。腱のslack lengthは底屈位-19°で観察され、それより足背屈すると腱と腱膜の伸張が、それより足底屈すると腱と腱膜の弛みが筋全体の長さ変化の半分近くを説明することが示された。これは、筋の伸展性に腱組織の受動的力学特性が関与することを意味する。また、足底屈位における腱組織の弛みは、急激な筋の伸張に対して、筋束が急激に伸張することを防ぐという、ある種の"ショックアブソーバー"として働く可能性が示唆された。

第3章 ヒト腓腹筋内側頭の腱の弛みがElectromechanical delayに及ぼす影響

 筋の電気的活動と収縮力の発生との間には時間的なズレ(Electromechanical delay : EMD)があり、これは、筋電図と力学的データの関連づけから筋機能や運動制御のメカニズムを探るといったような研究において重要である。本章では、腱組織の状態(弛み及び伸張の度合い)という観点から、EMDと関節角度の関係、すなわち、腱組織のもつ力伝達能力を明らかにすることを目的として実験を行った(n=7)。実験は、腓腹筋内側頭を対象として、腱組織の状態を測定する実験と、EMDを決定する実験を行った。これらの実験から、腱が弛んでいる足関節角度と弛んでいない足関節角度の間にはEMDに差が認められるが、腱が弛んでいない足関節角度においては、足関節角度はEMDに影響しないことが示された。すなわち、腱組織のもつ力伝達能力に対する腱長の影響は、腱の長さがslack lengthより大きいかどうかが重要であることが示唆された。

第4章 自転車駆動におけるヒト外側広筋の筋線維及び腱組織の長さ変化

 動的な動作におけるヒト生体の腱組織長変化は、筋全体の長さ変化と筋束長変化から推定されてきた。しかし、第2章で示したように、筋が安静であっても、関節角度を変化させることにより腱組織長は変化することが明らかになった。また、この安静状態における腱組織長変化は、ヒト身体動作における筋束、腱組織の長さ変化とそのメカニズムに影響を及ぼすことが示された。本章では、自転車駆動を対象に、その主働筋である外側広筋の筋束、及び筋全体の長さ変化から推定される腱組織長について、その機能的意義を明らかにするとともに、腱組織の受動的力学特性について考察することを目的として実験を行った(n=5)。その結果、腱組織の持つ弾性は、自転車駆動において、筋束の活動する長さを、その長さ−力関係における至適長に近づけ、また、最大の筋束短縮速度を低く抑える、という貢献をしていることが示された。推定された外側広筋腱組織長は、筋電図活動がみられない膝関節屈曲相に渡って、その長さが一定であることが示された。このことから、自転車駆動中の膝関節可動域においては、外側広筋は弛んでおらず、また、筋の受動張力によるさらなる腱組織の伸張が起こっていない可能性が示唆された。

第5章 筋線維の短縮が立位および歩行時の受動足関節モーメントに及ぼす影響

 筋腹及び腱組織の受動的力学特性の最も注目すべき機能の一つとして、動作中の関節モーメントに対する受動張力の貢献が挙げられる。これまで、筋腹の受動張力により生じる受動関節モーメントは、安静時に測定した関節角度−受動関節モーメント関係から推定されてきた。しかし、この方法では、筋収縮による筋束の短縮と、それに伴う筋腹の受動張力の減少を評価できない。そこで、本章では、筋束長に基づいて立位及び歩行時の足関節受動関節モーメントを推定し、足関節の総モーメントに対する受動関節モーメントの貢献を明らかにすることを目的として実験を行った(n=6)。さらに、歩行において、運動制御や腱の力伝達能力に影響する腱のslackが運動中に現れるかどうかという観点から、筋腱複合体と関節の相互作用について考察した。実験は、腓腹筋内側頭を対象として、筋腹及び腱組織の受動的力学特性を調べる実験と、立位及び歩行時の足関節モーメント、筋束長を調べる実験を行った。これらの実験から、立位及び歩行時の足関節総モーメントに対する受動関節モーメントの貢献はそれぞれ、17.4%、5.8%であり、筋束の短縮によりその貢献は、立位時で2.5%、歩行時で2.2%だけ減少していたことが示された。このことから、従来の研究では、総モーメントに対する受動関節モーメントの貢献が2-3%程度過大評価されていることが示唆された。また、歩行の立脚相初期において、腓腹筋内側頭はslack length以上に保たれていることが示された。このことは、筋及び関節の相互作用により、歩行中の腓腹筋内側頭が力の伝達や制御の点で効果的に活動できる状態に保たれている可能性を示唆した。

第6章 総括論議

 【腱組織の弛み】 安静な筋腱複合体を短くすると、腱や腱膜が弛むことが、腓腹筋内側頭を対象とした実験結果から明らかになった。この弛みは、'しわ'や'曲がり'によるものと考えられ、その程度は、筋腱複合体全体の長さ変化の半分に達するほど大きかった。腱膜全体の形状を観察した予備的な実験から、腱膜の弛みは主に'しわ'によるものである可能性が示唆された。この大きな弛みにより、腱組織は、急激な筋腱複合体の伸張に対して、筋束が急激に伸張することを防ぐという、"ショックアブソーバー"として働く可能性が示唆される。しかし、一方でこの弛みは、筋収縮力が骨に伝わる時間の遅延を増大し、運動制御という点では望ましいものではないと考えられる。また、弛みをとるための筋線維の短縮は、エネルギーの消費につながる(HuijingとWoittiez、1985)。自転車駆動膝関節伸展相初期、歩行立脚期初期の外側広筋、腓腹筋内側頭それぞれの筋腱複合体の弛みの程度を調べると、筋腱複合体は弛みがとれている長さ以上に保たれていた。このように、筋腱複合体と関節の構造及び特性の相互作用によって弛みが運動中に発現していないことは、筋腱複合体がより効率的に機能していることを示している。

 【腱組織の伸張】 安静な筋腱複合体を長くすると、腱や腱膜が伸張することが、腓腹筋内側頭を対象として明らかにされた。この伸張は、実際の伸張と'曲がり'具合の変化によるものと考えられ、その程度は、筋腱複合体全体の長さ変化の半分近く(39%)に達するほど大きい。そのため、腱の受動的力学特性は筋腱複合体の伸展性に大きく関与することが示唆される。一方で、筋の収縮は腱膜のスティフネスを増大させる(Zuurbierら、1994)。これらのことは、運動前などに行われる様々なストレッチング法の効果を評価する上で、考慮すべきことかもしれない。

 【筋腹の弛み】 筋腹が弛むとき、筋線維内のサルコメアは曲がり、一定サルコメア長以下になりにくい(Brownら、1984)。つまり、弛むことにより、サルコメアはその長さ−力関係における力発揮に不利な下行脚の端にまでは短縮しないと考えられる。実際、筋腱複合体を短縮させていくと、筋束長は一定値に収束することが観察された。これは、圧縮に抗する筋腹の力が、腱組織に筋腱複合体の短縮を全て担わせるほどに高まったことを意味し、これにより、前述した'ショックアブソーバー'として腱組織が十分機能することができるといえよう。

 【筋腹の伸張】 筋腱複合体を受動的に伸張すると、筋腹から受動張力が生み出される。この受動張力は、確かに、至適長における最大等尺性収縮力と比較すると小さい。しかし、筋線維は常に至適長で活動するわけはなく、日常生活では、安静から最大下、低強度の収縮が筋活動の大部分を成す(Kernら、2001)。そのため、相対的に筋腹の受動張力の役割は大きくなる。実際、足関節総モーメントに対し、受動関節モーメントの貢献は、歩行時で5.8%、立位時で17.4%にも達した。これら貢献度の算出には、収縮に伴う筋線維短縮による受動張力の減少を考慮した。それにより2-3%受動関節モーメントの貢献は減少していることが示された。この減少分は、運動の起こる関節角度、筋腱複合体の特性により変化することが予想されるので、無視できないであろう。

 【結論】これまでのところ、筋骨格のモデル構築におけるモデル構造の単純化、パラメータの数の限定といった作業の中で、腱組織及び筋腹の受動的力学特性は、しばしば、省略または過度の単純化の対象となってきた。本論文では、ヒト生体を対象とした実験から、筋の安静時においても腱組織には伸張、弛みといった長さ変化が生じることを示し、筋束長−受動関節モーメント関係を明らかにした。そして、これらの腱組織及び筋腹の受動的力学特性が筋腱複合体の伸展性、腱組織の力伝達能力、動作中の関節モーメントに深く関わることを示した。従って、ヒト身体運動において腱組織及び筋腹の受動的力学特性は機能的に重要であり、ヒト身体運動のメカニズムをより深く理解するためにそれらを考慮しなくてはならない、と結論づけられる。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文「Passive mechanical properties of the human muscle-tendon complex(和訳 ヒト筋腱複合体の受動的力学特性)」は、ヒト生体での筋線維及び腱組織の動態を観察することにより、腱組織の弾性特性を定量し,関節運動に及ぼす腱組織の形状的機能的影響を検討したものである.これらの研究から得られた知見は、身体運動科学における研究の新しい方向を示すものとして注目される。

 本論文は6章よりなり,以下のようにまとめられる。

第1章 序

 筋の発揮する力という観点からヒト身体運動のメカニズムを探るため、様々なモデルが用いられてきた。モデル作成の際には骨、腱組織、筋束の特性に対して数多くの仮定が設定される。それら仮定のうち、腱組織及び筋束の受動的力学特性は、ヒト生体における情報が極めて限定されているため、多くの場合、モデルから除外されたり、過度に単純化されてきた。しかし、動物やヒト屍体から得られる知見から判断すれば、腱組織及び筋束の受動的力学特性は、身体運動に深く関わることが予想される。ゆえに、ヒト身体運動のメカニズムの正しい理解の為には、ヒト生体における腱組織及び筋束の受動的力学特性に関する情報が必要である。そこで本論文では、1)より妥当な、ヒト生体における腱組織および筋束(筋線維)の受動的力学特性を提示し、2)それら受動的力学特性がヒト身体運動において果たす機能的意義について検討する、ことを目的とした。

第2章 ヒト生体における内側腓腹筋の筋束、腱、腱膜の受動的力学特性

 ヒト腓腹筋内側頭を対象に、筋束、腱、腱膜の受動的力学特性を定量することを目的として実験を行った(n=7)。足関節角度および受動足関節モーメントと筋束、腱、腱膜の長さの関係を調べ、また、腱の弛みがとれて力を伝え始める長さ(slack length)を決定するという2つの実験を行った。その結果、受動的に足関節角度を変化させることにより腱および腱膜の長さが変化することが示された。腱のslack lengthは底屈位19で観察され、それより足背屈すると腱と腱膜の伸張が、それより足底屈すると腱と腱膜の弛みが筋腱複合体長変化の半分近くを説明することが示された。これは、筋腱複合体の伸展性に腱組織の受動的力学特性が関与することを意味する。また、足底屈位における腱組織の弛みは、急激な筋の伸張に対して、筋束が急激に伸張することを防ぐという、ある種の"ショックアブソーバー"として働く可能性が示唆された。

第3章 ヒト腓腹筋内側頭の腱の弛みがElectromechanical delayに及ぼす影響

 筋の電気的活動と収縮力の発生との間には時間的なズレ(Electromechanical delay : EMD)があり、これは、筋電図と力学的データの関連づけから筋機能や運動制御のメカニズムを探るといったような研究において重要である。本章では、腱の状態(弛み及び伸張の度合い)という観点から、EMDと関節角度の関係、すなわち、腱のもつ力伝達能力を明らかにすることを目的として実験を行った(n=7)。対象は腓腹筋内側頭とし、腱の状態およびEMDを決定する実験を行った。その結果、腱が弛んでいる足関節角度のEMDは腱が弛んでいない足関節角度のEMDより大きく、腱が弛んでいない足関節角度においては、足関節角度はEMDに影響しないことが示された。すなわち、腱のもつ力伝達能力に対する腱長の影響は、腱長がslack lengthより大きいかどうかが重要であることが示唆された。

第4章 自転車駆動におけるヒト外側広筋の筋線維及び腱組織の長さ変化

 動的な動作におけるヒト生体の腱組織長変化は、筋腱複合体長変化と筋束長変化から推定されてきた。しかし、第2章で示したように、筋が安静であっても、受動的な筋腱複合体長変化により腱組織長は変化することが明らかになった。また、この安静状態における腱組織長変化は、ヒト身体動作における筋束、腱組織の長さ変化や腱の力伝達能力に影響することが示された。本章では、自転車駆動を対象に、その主働筋である外側広筋の筋束、及び筋腱複合体の長さ変化から推定される腱組織長について、その機能的意義を明らかにするとともに、腱組織の受動的力学特性について考察することを目的として実験を行った(n=5)。その結果、腱組織の持つ弾性は、自転車駆動において、筋束の活動する長さを、その長さ?力関係における至適長に近づけ、また、最大の筋束短縮速度を低く抑える、という貢献をしていることが示された。推定された外側広筋腱組織長は、筋電図活動がみられない膝関節屈曲相にわたって、その長さがほとんど変化しないことが示された。このことから、自転車駆動中の膝関節可動域においては、外側広筋の腱組織の弛みはとれ、伸張し、筋束の受動張力変化の影響をほとんど受けないほどスティフになっている可能性が示唆された。

第5章 筋線維の短縮が立位および歩行時の受動足関節モーメントに及ぼす影響

 筋束及び腱組織の受動的力学特性の最も注目すべき機能の一つとして、動作中の関節モーメントに対する受動張力の貢献が挙げられる。これまで、筋束の受動張力により生じる受動関節モーメントは、安静時に測定した関節角度?受動関節モーメント関係から推定されてきた。しかし、この方法では、筋収縮による筋束の短縮と、それに伴う筋束の受動張力の減少を評価できない。そこで、本章では、筋束長に基づいて立位及び歩行時の足関節受動関節モーメントを推定し、足関節の総モーメントに対する受動関節モーメントの貢献を明らかにすることを目的として実験を行った(n=6)。さらに、歩行において、運動制御や腱の力伝達能力に影響する'腱の弛み'が運動中に現れるかどうかという観点から、筋腱複合体?関節構造について考察した。腓腹筋内側頭を対象とし、筋束及び腱組織の受動的力学特性を調べる実験と、立位及び歩行時の足関節モーメント、筋束長を調べる実験を行った。その結果、立位及び歩行時の足関節総モーメントに対する受動関節モーメントの貢献はそれぞれ、17.4%、5.8%であり、筋束の短縮によりその貢献は、立位時で2.5%、歩行時で2.2%だけ減少していたことが示された。このことから、従来の研究では、総モーメントに対する受動関節モーメントの貢献が2-3%程度過大評価されていることが示唆された。また、歩行の立脚相初期において、腓腹筋内側頭はslack length以上に保たれていることが示された。このことは、筋腱複合体?関節構造が、歩行中の腓腹筋内側頭を、力の伝達や制御の点で効果的に活動できる状態に保つことに貢献している可能性を示唆した。

第6章 総括論議

 【腱組織の弛み】 受動的に筋腱複合体を短くすると、腱や腱膜が弛むことが、腓腹筋内側頭を対象とした実験結果から明らかになった。この弛みは、'しわ'や'曲がり'によるものと考えられ、その程度は、筋腱複合体長変化の半分に達するほど大きかった。腱膜全体の形状を観察した予備的な実験から、腱膜の弛みは主に'しわ'によるものである可能性が示唆された。この大きな弛みにより、腱組織は、急激な筋腱複合体の伸張に対して、筋束が急激に伸張することを防ぐという、"ショックアブソーバー"として働く可能性が示唆される。しかし、一方でこの弛みは、筋収縮力が骨に伝わる時間の遅延を増大することが示され、運動制御という点では望ましいものではないと考えられる。また、弛みをとるための筋線維の短縮は、エネルギーの消費につながる(HuijingとWoittiez、1985)。自転車駆動膝関節伸展相初期、歩行立脚期初期の外側広筋、腓腹筋内側頭それぞれの筋腱複合体の弛みの程度を調べると、筋腱複合体は弛みがとれている長さ以上に保たれていた。このように、筋腱複合体?関節構造によって弛みが運動中に発現していないことは、筋腱複合体がより効率的に機能することに貢献していることが示唆された。

 【腱組織の伸張】 受動的に筋腱複合体を長くすると、腱や腱膜が伸張することが、腓腹筋内側頭を対象として明らかにされた。この伸張は、実際の伸張と'曲がり'具合の変化によるものと考えられ、その程度は、筋腱複合体長変化の半分近く(39%)に達するほど大きい。そのため、腱組織の受動的力学特性は筋腱複合体の伸展性に大きく関与することが示唆される。一方で、筋の収縮は腱膜のスティフネスを増大させる(Zuurbierら、1994)。これらのことは、運動前などに行われる様々なストレッチング法の効果を評価する上で、考慮すべきことかもしれない。

 【筋束の弛み】 筋束が弛むとき、筋線維内のサルコメアは曲がり、一定サルコメア長以下になりにくい(Brownら、1984)。つまり、弛むことにより、サルコメアは力発揮に不利なその長さ?力関係における下行脚の端にまでは短縮しないと考えられる。実際、筋腱複合体を短縮させていくと、筋束長は一定値に収束することが観察された。これは、圧縮に抗する筋束の力が、筋腱複合体の短縮を腱組織に全て担わせるほどに高まったことを意味し、これにより、前述した'ショックアブソーバー'として腱組織が十分機能することができるといえよう。

 【筋束の伸張】 筋腱複合体を受動的に伸張すると、筋束から受動張力が生み出される。この受動張力は、確かに、至適長における最大等尺性収縮力と比較すると小さい。しかし、筋束は常に至適長で活動するわけはなく、また、日常生活では、低強度の収縮が筋活動の大部分を成す(Kernら、2001)。そのため、相対的に筋束の受動張力の役割は大きくなる。実際、足関節総モーメントに対し、受動関節モーメントの貢献は、歩行時で5.8%、立位時で17.4%にも達した。これら貢献度の算出には、収縮に伴う筋束短縮による受動張力の減少を考慮した。それにより2-3%受動関節モーメントの貢献は減少していることが示された。この減少分は、運動の起こる関節角度、筋腱複合体の特性により増大する可能性が考えられるため、無視できないであろう。

 【結論】これまでのところ、筋骨格のモデル構築におけるモデル構造の単純化、パラメータ数の限定といった作業の中で、腱組織及び筋束の受動的力学特性は、しばしば、省略または過度の単純化の対象となってきた。本論文では、ヒト生体を対象とした実験から、筋の安静時においても腱組織には伸張、弛みといった長さ変化が生じることを示し、筋束長?受動関節モーメント関係を明らかにした。そして、これらの腱組織及び筋束の受動的力学特性が、筋腱複合体の伸展性、腱の力伝達能力、動作中の関節モーメントに深く関わることを示した。従って、ヒト身体運動において腱組織及び筋束の受動的力学特性は機能的に重要であり、ヒト身体運動のメカニズムをより深く理解するためにそれらを考慮しなくてはならない、と結論づけられる。

このように、村岡哲郎君の論文はヒト生体における受動的条件に於ける腱組織の弾性特性を定量し、その身体運動に及ぼす影響を明らかにしたもので、身体運動科学の分野における意義は非常に大きいものがある。従って、村岡哲郎君により提出された本論文は、東京大学大学院課程による学位(学術)の授与に相応しいと内容と判定した。

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