学位論文要旨



No 116805
著者(漢字) 矢島,潤一郎
著者(英字)
著者(カナ) ヤジマ,ジュンイチロウ
標題(和) キネシンスーパーファミリーに属する分子モーターのprocessivityに関する研究
標題(洋) The Processivity of Molecular Motors in Kinesin Superfamily
報告番号 116805
報告番号 甲16805
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第363号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 豊島,陽子
 東京大学 教授 須藤,和夫
 東京大学 助教授 奥野,誠
 東京大学 教授 馬渕,一誠
 東京大学 助教授 上村,慎治
内容要旨 要旨を表示する

 微小管依存性分子モーターであるキネシンスーパーファミリーのタンパク質は細胞内の輸送、微小管のdynamics、信号伝達の制御、細胞分裂、細胞の運動、形態形成等、生命現象の根幹にかかわっている。そのスーパーファミリーの中で一つのサブファミリーを形成するconventionalキネシンは、主に神経細胞で小胞を微小管に沿って一方向に輸送する。生体内で、キネシン分子は単独か少数のグループでtransporterとしての機能を効率的に果たすと考えられているため、細胞のスケールに対して有効に働くのに要求される領域を微小管と相互作用したまま移動しなければならない。この必要性のために、キネシンは1分子でも遊離することなく微小管上を8nmごとのサイズで、100回程度のステップを行う能力を備えており、この特質はmechanical processivity(以降、単にprocessivityと記述する)と呼ばれている。一方、別のサブファミリーに属するncdはキネシンとは異なり単独で機能するわけではなく、複数のモータータンパク質の一員として、直接的、間接的に相互作用しあいながら、確実に細胞分裂等の生命現象を導くようである。Ncd分子の細胞内局在性から、生体内では数分子で機能する必要はなく、ncd分子のチームとして機能しており、ncdが外部負荷のある状況でnon-processive motorであるという報告とも一致している。このように分子モーターのもつprocessivityは生体内での機能と密接に関係性を築いているが、このprocessivityに関する相違はどういったメカニズムから生れてくるのだろうか。

 Processiveな歩行のためにはいくつかの要求をみたさなければならない。双頭構造をとるキネシン分子は、本質的に、片方のヘッド(trailing head)が微小管を構成するチューブリンの結合部位と安定結合しながら、もう一方のヘッド(leading head)が新しい結合部位を探すと推測されている。その部位とleading headの結合により、二つのヘッドが同時に微小管と相互作用し、ヘッド間に偏りのある内部ひずみが生じ、その結果、trailing headのチューブリンからの解離を促進し、キネシン分子は微小管上を一方向に移動している。この過程では、ATPを無駄に消費することなく達成されることが合目的であり、ATP加水分解とメカニカルなステップとの関係はtight couplingとなることが報告されている。このためキネシン分子は微小管からの恒久的な遊離の確率を低めながらも、ひとつのヘッドはATP加水分解サイクルと同等のrate constantで、tubulinの結合部位との間で結合と解離を繰り返している。従って、キネシン分子が微小管上をprocessiveに移動するためには、ATPのturn overに共役した反復的な構造変化のプログラムが2つのヘッド間で協同的に進行しているはずである。そこで、本研究では、各種ヌクレオチドがキネシン分子のprocessivityに与える影響と各ヌクレオチド状態での1分子のキネシンと微小管との相互作用時間を顕微鏡下で直接観察し、ATP加水分解サイクルの遷移状態である各ヌクレオチド状態とキネシン分子の機械的なステップの各素過程の状態とを対応付けることを目的に実験を行った。

 この目的のために、単分子レベルでの機能解析技術の開発が必須と考え、1分子のモータータンパク質を無負荷で長時間観察可能な実験系(1分子imaging法)を標準的な蛍光顕微鏡を使って開発することに取り組んだ。従来のGFPをプローブとして利用する1分子imaging法では、GFPの光強度が弱く退色が速いため長時間の計測ができず、また、エバネッセンス顕微鏡や超高感度カメラも必要であるという問題点があった。これに対しプローブに多数のローダミンファロイジン分子でラベルした1本のアクチンフィラメントを用いることで、光強度を全体として非常に強くし、長時間の計測を可能とした。キネシン1分子に対し1本のアクチンフィラメントを結合させるために、アクチンフィラメントを切断してその切断端をcapするゲルゾリンをラットキネシンN末側430アミノ酸残基のC末端に融合した。大腸菌内で発現して得られた融合タンパク質ローダミンラベルしたアクチンフィラメントとCa2+の存在下で混ぜ合わせることで、任意の数のローダミン分子を含むアクチンフィラメントをキネシン分子に特異的に結合させた(図a)。アクチンフィラメントと結合した双頭キネシン分子(RK430G-A)をローダミンとは異なる発光極大を持つBODIPYでラベルした微小管(図b)の吸着しているガラス面にアプライしたとき、ATPの存在下で、微小管に沿って点状の短いアクチンフィラメントがスムースに一方向に移動するのが観察され(図c)、キネシン分子がprocessiveに微小管上を移動する過程を検出できた。対照的に、双頭構造ではあるがnon-processive motorと考えられているncd(GDN507-A)では、アクチンフィラメントが動くのが観察できず、外部負荷下の以前の報告と同様に、無負荷な状態ですらncd分子はprocessiveに運動しないことが確かめられた。また、微小管とキネシン分子の間で親和性の高い結合を生み出すAMPPNP(ATP非加水分解アナログ)存在下では運動が観察できず、この状態でのアクチンフィラメントの変位から見積もられた標準偏差は約11nmであった。この位置測定精度から、150nm以上のキネシン分子の微小管上での変位は十分に反映すると考えられる。こうして、これらの条件下で1分子キネシン、ncdの微小管上での挙動を直接観察することに成功した。

 キネシン分子の微小管からの解離状態を検証するため、ATP加水分解の4つ遷移状態、すなわちK(ヌクレオチドのない状態、rigor)、K・ATP、K・ADP、K・ADP.Piでのキネシン分子の微小管との相互作用時間(結合寿命)を計測した。結合寿命は、1分子のキネシンが微小管に結合してから遊離するまでの時間を直接観察に基づき算出した。計測の結果、キネシン分子がATPの非加水分解アナログであるAMPPNP(2mM)状態、溶液中のATP、ADPを消費するapyraseを加えたrigor状態では、ともに結合寿命は300秒以上であり、それに対し、ADP(2mM)、ADP.Pi(2mM ADP+20mM Pi)状態ではそれぞれ0.8秒程度であった。このことから、キネシンは微小管と安定結合している状態と、相対的に、不安定結合状態の2つに大きく分類できる。

 次に、ATP存在下でのキネシン分子の運動を観察し、processivityの指標としてキネシン1分子が微小管に結合してから遊離するまでに動いた距離(run length)とその相互作用時間(dwell time)をATP濃度の関数として計測した。Run length、dwell timeは広範囲のATP濃度で1次指数分布をとり、これらの分布の近似曲線から各ATP濃度における平均run lengthと平均dwell timeがそれぞれ得られた。計測の結果、run lengthは、1μMから2mMの広範囲にわたるATP濃度でほぼ一定値(380nm)をとり、dwell timeは1μM ATPで22秒、2mM ATPで0.44秒とATP濃度の上昇とともに短くなった。低ATP濃度ではATP分子のキネシンへの結合が律速過程となるため、rigor状態で微小管と結合している時間が増加するが、微小管からの遊離速度が非常に小さいために、rigor状態で1回のrunあたりに遊離する確率は依然として非常に低いと考えられる。以上のことからキネシンが微小管から遊離する確率は、rigor状態以外のスッテプ中の各ヌクレオチド状態にある一定の遊離確率が存在すると考えられる。

 そこでrigor状態以外での遊離の可能性を検討するために、高濃度のATP(2mM)の存在する溶液にADPを加え、同様にADP濃度の関数としてprocessivityを調べた。結果は、添加したADP濃度の上昇とともにrun lengthは減少し、2mM ADPの添加で208nmとほぼ半減した。このことは、キネシン分子はK・ADPで微小管から遊離することを示唆している。同時に、キネシン分子の微小管上の運動速度も853nm/sから2mM ADPでの344nm/sと減少したので、ADPはATPのキネシン分子への結合の競争阻害として作用し、キネシンの微小管上での一方向へのステップとATPの加水分解がtight couplingであることとも矛盾のない結果となった。

 本研究において、無負荷な状態でモータータンパク質の1分子の運動を長時間連続的に観察する系を開発したことにより、各ヌクレオチド状態での1分子のキネシンの微小管との相互作用の時間と距離をはじめて直接観察し、詳細に解析することが可能となった。この系で得られた結果から、キネシン分子が効率よく微小管上を一方向に移動するためには、2つのヘッド間で2つの結合状態を交互に出現させ、結合状態の非対称性を調整する機構が必要であることが強く示唆された。微小管にrigor状態で結合しているキネシン分子は、ATPの結合・加水分解を伴い微小管との結合状態を遷移させることを反復してprocessive運動を行い、ADPを捕捉した状態で微小管から遊離することがわかった。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文「キネシンスーパーファミリーに属する分子モーターのprocessivityに関する研究:The Processivity of Molecular Motors in Kinesin Superfamily」は、独自に新たな1分子運動計測系を開発し、細胞内で微小管上を運動するモータータンパク質のメカニズムについて検討を加えたものである。この研究から得られた知見は、モータータンパク質の運動機構における寄与のみならず、他の研究領域にも応用しうる有用な測定系を確立したものとして注目される。

 本論文の内容は、以下のようにまとめられる。

 まず、新たな1分子レベルでの機能解析のためのイメージング技術を開発した。従来のGFPをプローブとして利用する1分子イメージング法では、GFPの光強度が弱く退色が速いため長時間の計測ができず、また、エバネッセンス顕微鏡や超高感度カメラも必要であるという問題点があった。本研究では、アクチン結合タンパク質のゲルゾリンを目的のタンパク質に遺伝子としてつなぎ、融合タンパク質として発現させた。ゲルゾリンとアクチンの1対1結合を利用して、多数のローダミンファロイジン分子でラベルした1本のアクチンフィラメントをプローブとして用いることで、光強度を全体として非常に強くし、長時間の計測を可能とした。空間的・時間的分解能について考察した結果、キネシン等のモータータンパク質の運動を観察し、run length(processivity), dwell time, velocityなどの計測を行うのに十分な要件を満たしていた。

 この計測系を用いて、キネシン分子の微小管からの解離状態を検証するため、ATP加水分解の4つ遷移状態、すなわちK(ヌクレオチドのない状態、rigor)、K・ATP、K・ADP、K・ADP.Piでのキネシン分子の微小管との相互作用時間(結合寿命)を計測した。結合寿命は、1分子のキネシンが微小管に結合してから遊離するまでの時間を直接観察に基づき算出した。計測の結果、キネシン分子がATPの非加水分解アナログであるAMPPNP(2mM)状態、溶液中のATP、ADPを消費するapyraseを加えたrigor状態では、ともに結合寿命は300秒以上であり、それに対し、ADP(2mM)、ADP.Pi(2mM ADP+20mM Pi)状態ではそれぞれ0.8秒程度であった。このことから、キネシンは微小管と安定結合している状態と、相対的に、不安定結合状態の2つに大きく分類できた。

 次に、ATP存在下でのキネシン分子の運動を観察し、processivityの指標としてキネシン1分子が微小管に結合してから遊離するまでに動いた距離(run length)とその相互作用時間(dwell time)をATP濃度の関数として計測した。計測の結果、run lengthは、1μMから2mMの広範囲にわたるATP濃度でほぼ一定値(380nm)をとり、dwell timeはATP濃度の上昇とともに非常に短くなった。これらの結果から、キネシンが微小管から遊離する確率は、rigor状態以外のスッテプ中の各ヌクレオチド状態に、ある一定の遊離確率が存在すると示唆された。そこでrigor状態以外での遊離の可能性を検討するために、高濃度のATPの存在する溶液にADPを加え、同様にADP濃度の関数としてprocessivityを調べた結果、添加したADP濃度の上昇とともにrun lengthは減少した。このことは、キネシン分子はK・ADPで微小管から遊離することを示している。

 さらに、同じ計測技術を用いて、本論文では、キネシンスーパーファミリーの一員で、キネシンとは微小管上を反対方向に運動するモーター分子のncd分子についても同様な計測を行い、ncd分子はキネシンとは異なりprocessiveな運動を行わないことを、直接1分子の挙動を観察して明らかにした。さらに、ncdの場合にはADP・Pi状態における微小管への結合寿命が非常に短く、ここにnon-processiveであることの原因があることを示し、ncdの歩行モデルについての考察を加えている。

 本研究において、無負荷な状態でモータータンパク質の1分子の運動を長時間連続的に観察する系を開発したことにより、各ヌクレオチド状態での1分子のキネシンの微小管との相互作用の時間と距離をはじめて直接観察し、詳細に解析することが可能となった。この系で得られた結果から、キネシン分子が効率よく微小管上を一方向に移動するためには、2つのヘッド間で2つの結合状態を交互に出現させ、結合状態の非対称性を調整する機構が必要であることが示唆された。

 以上のように、矢島潤一郎君の学位申請論文は、新たな1分子計測系の開発を行い、モータータンパク質の運動機構を明らかにしたもので、細胞生物学および生物物理学の分野における意義は大きい。新たな系の開発は、種々の分子の挙動を可視化して調べる手段として卓越しており、今後の応用・発展が大いに見込まれる価値の高いものである。従って、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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