学位論文要旨



No 116808
著者(漢字) 小池,司朗
著者(英字)
著者(カナ) コイケ,シロウ
標題(和) 旧版地形図に基づく時系列メッシュ人口データベース構築に関する研究
標題(洋)
報告番号 116808
報告番号 甲16808
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第366号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 荒井,良雄
 東京大学 教授 谷内,達
 東京大学 助教授 松原,宏
 東京大学 助教授 永田,淳嗣
 東京大学 教授 岡部,篤
内容要旨 要旨を表示する

 我が国における都市化に関しては膨大な研究蓄積が挙げられるが,近現代を通じた詳細な人口分布パターンの変化については意外に知られていない.これには,既存の統計データの多くが長期間にわたって時系列的に整備されてこなかったことが影響していると考えられる.近年,地理情報システム(GIS)が急速な発展を遂げており,あらゆる種類のデータはGISで利用可能なフォーマットで提供されるようになってきている.また,経済学・社会学・考古学・人文地理学など様々な分野へGISを応用しようとする試みも活発化している.ところが,歴史的事象を明らかにし,時系列的な分析を行う際にGISを適応した研究は現段階できわめて少ない.元来GISはデジタル形式になっているデータの解析のために開発されたシステムであり,データ自体が存在しない時代における分析に関しては,従来GISの利用法が確立されてこなかったといえる.地理学においても,過去の人口のような社会的データを定量的に復元しようとした研究はきわめて少ない.近年,歴史的事象に対してGISを導入する,いわゆる歴史GISの可能性を探る研究が見られるようになってきたものの,それらの多くはデジタルデータ復元そのものに重点が置かれている状況であり,後の空間分析を企図するまでには至っていない.

 一方,空間分析に適したデータとしてメッシュデータが挙げられる.GISの発展に伴って,メッシュデータは一層重要視されてきているが,歴史GISに関連する研究においてメッシュデータを採用したものは現在のところ見られない.1970年の国勢調査以降,我が国においては通称3次メッシュと呼ばれる約1km四方単位での人口値が全国的に得られるようになっているが,それ以前においてはデータが整備されていないため,長期間にわたる詳細な時空間分析が妨げられている.

 過去における空間的な情報を得る手段として,地形図が挙げられる.迅速測図・仮製図といった初期の地形図は,基準点が未整備のまま作成されたものであるため,現代的に要求される測量精度を満たしたものではない.しかし当時としては広範囲の地域を比較的高精度でカバーしており,ローカル的な地域の状況を把握するには十分な情報量を持っている.したがって,これらと統計書をリンクさせることによって,当時の人口分布を定量的な形で推定することが可能となるのではないか,というアイディアが本研究の基本的な作業仮説である.

 以上のような状況を踏まえ,本博士論文においては,次の二点を主たる目的としている.第一に,メッシュデータが存在する以前の3次メッシュ人口データをGISにおける空間分析が可能な形で推定すること,第二に,推定したデータを利用して時空間分析を行い,近現代を貫く人口分布パターンとその変動を解析することである.

 第一の目的を達成するために,第3章においては滋賀県湖東平野を対象地域として明治中期に発行された正式図をもとにテスト的な推定を試みた.様々な検討を重ねた結果,基本的には地形図上に描かれている建物面積を説明変数とすることによって,精度の高いメッシュ人口推定が可能であることが明らかになった.一方で,地形図の描写手法が統一されていないことに起因する空間的な誤差率の偏りなども生じ,推定精度をさらに向上させるために各種補正を加え,概ね誤差20%未満での推定が可能となった.ところが,これらの各種補正は今後広範囲かつ多時点での推定を考慮に入れた場合,必ずしも効率が良いとは言えないため,GISを導入して建物データの入力手法を工夫することによって作業時間の削減を図った.対象地域中の一部のエリアにおける作業結果によれば,GISを導入することによって推定精度をほとんど落とすことなく作業時間を約半分に削減でき,広範囲かつ多時点でのメッシュ人口推定のための準備が整った.

 第4章では,以上のテスト的な推定から得られた成果を利用し,関東地方一円を対象地域として明治期メッシュ人口推定を行った.首都圏における近代以来の人口変動の過程を詳細に追うことは,都市化の時系列的な分析,あるいは産業や交通などとの関連による影響評価など,様々な分析において有力な手がかりとなり得る.関東地方においては明治期に,南東部を中心に迅速測図と呼ばれる地形図が発行されており,これをもとに推定作業を行った.作業はテスト推定の際の手法に改良を加え,一連の確立したプロセスによって実行した.キャリブレーションの結果,概ね誤差率30%未満での推定が可能になった.推定結果からは,当時の人口分布に関してこれまで必ずしも明らかにされてこなかった様々な事実が浮かび上がった.特に,主要な市街地は当時の街道に沿ってほぼ一定の間隔をもって分布しており,未だ人馬の交通が主体であった当時の中心地体系の様子をはっきりと読み取ることができた.また,現存するメッシュ人口データと比較することによって,近現代を通じた人口分布変化のパターンも鮮明にとらえることが可能となった.さらに,推定データを人口以外のデータとオーバーレイすることによって,人口分布パターンを様々な角度から解析できる可能性を示した.

 さらに,第二の目的である時空間分析を実行可能にするために,第5章では時点を昭和初期に広げて推定作業を行った.これにより,現存するメッシュデータと併せてほぼ一定間隔でのデータベース整備が完了する.昭和初期においては全国的に5万分の1地形図が発行されているため,推定手法が確立すれば,全国における昭和初期メッシュ人口推定が可能となる.これまで対象としてきた明治期とは地形図の描写手法や実際の建物形状などが大きく変化するため,基本的な推定手法は踏襲しつつも,建物データ入力方法やキャリブレーション手法を変更するなど地形図描写に即した推定手法を考案した.その結果,明治期と同様ほぼ誤差率30%未満で当時の市町村人口が推定できるようになった.関東地方の中から埼玉県と千葉県を選定し,新しい推定手法を適応して昭和初期メッシュ人口推定を行い,埼玉県の方が早い時期から都市化が進行していたことなどを明らかにした.

 第4章,第5章での推定作業の結果,埼玉県と千葉県においては1890年・1930年の推定メッシュ人口が算出され,時空間分析のための準備が整った.第6章においては,数ある分析手法の一例として,これらのデータに既存のメッシュ人口データや現段階で利用可能な様々な社会的・自然的因子を加えて統計解析を行い,中心性・人口増加ポテンシャルの要因分析を行った.続いてそれらをメッシュごとに得点化して,中心性・人口増加ポテンシャルそれぞれの上位メッシュの時空間的な変容パターンを明らかにした.以上から,中心地の立地を決定する社会的・自然的要因は時代を通じてほとんど変化していないこと,時代が進むにつれて中心性と人口増加ポテンシャルは乖離し,空間的にも相互に逆行するパターンを描くことなどが主な考察結果として得られた.

 一連の研究によって,旧版地形図と断片的な人口データのみから以上のようなメッシュ人口データベースを作成し,それらを利用した応用的な分析が行えたことで,本論文の大目的は達成されたといえる.近年,GISの歴史事象・時空間分析への応用の重要性が指摘されてきているが,そのような動きに応える試みとしても成果が挙げられ,メッシュという小地域統計の分析上の特性も大いに生かせたと考えている.一方,メッシュ人口推定・時空間分析とも多くの可能性を残しており,今後検討すべき課題は多い.なかでも,メッシュ人口推定に関しては推定手法の統一的なマニュアル化,時空間分析については近年盛んになってきているGISを利用した都市モデルに関する研究との融合が重要であると考えている.

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は,明治期から今日に至る人口分布変化をGIS(地理情報システム)上で時空間分析するため,時系列的小地域人口データベースを構築しようとしたものである.近年のGIS技術の急速な発展に伴い,学術においても,実務においても,地理的事象の把握・分析のためにGISを応用しようとする試みが活発化している.20世紀における近代都市の発達は人類史上もっとも顕著な空間改変ともいえるが,その時間的空間的プロセスをGISという最新の分析技術をもって解明することは,都市地理学ならびに歴史地理学の両分野を情報処理技術によって結びつける画期的な学術的進展をもたらしうるものである.しかし,そうした研究上のアプローチを実現するためには,克服すべき根本的困難が存在する.それは日本を含めた先進国で,GIS向けの各種データが利用できるようになるのは1970年代以降であって,それ以前の時期については,時系列比較が可能な地理的データが存在しないという問題である.本研究では,日本で明治期以降継続的に整備が行われている旧版地形図の情報から標準地域メッシュ体系にしたがった人口分布の推計を行うという手法によって,この問題への対処を試みている.旧版地形図は明治初期の迅速測図・仮製図を嚆矢とし,その後,明治末期から昭和初期にかけて5万分の1地形図が逐次,整備されている.本研究では,これらの旧版地形図から市街地や集落に関する地理的情報を抽出し,断片的に存在する当時の人口データと合わせて統計解析することによって推計モデル式を構築した上で,それを用いて対象地域全域の人口を基準地域メッシュごとに推計する手法を開発した.

 本論文は7章で構成されている.

 第1章では,研究の背景と動機について述べられ,第2章では,日本における近代以降の地理情報データ整備の概要が説明されている.第3章から第5章までは,様々な種類の旧版地形図を利用してメッシュ人口推定を試みている.第3章では明治期の正式図を利用し,滋賀県湖東平野を対象地域として試行的な推定を行った.第4章では,その結果を踏まえて,明治期の迅速測図を利用した関東平野一円における広域でのメッシュ人口推定を行った.第5章においては,関東地方の中から埼玉県と千葉県を選定し,昭和初期を対象時期とした推定を行った.推定には,当時発行された5万分の1地形図を利用している.さらに第6章では,実際の時空間分析の一例として,第4章と第5章で推定されたデータに現在の社会的・自然的データを加えて統計解析を行い,中心性と人口増加ポテンシャルを規定する因子の抽出を試みた.第7章では,結論として,本研究を総括し,今後の課題を整理した.

 以上のように本研究は,統計データの存在しない時代におけるメッシュ人口を旧版地形図から推定する手法を開発し,100年におよぶ長期の地域変容に関する計量的な時空間分析の可能性を開いたという点で,きわめて独創的であり,GIS研究のみならず,都市地理学・歴史地理学・人口学など多くの分野における学術の発展に貢献するものであると評価できる.なお,本研究の第3章〜第5章は荒井良雄との共同研究であるが,論文提出者が主体となって研究を進めたものであって,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

 したがって,本審査委員会は博士(学術)の学位を授与される資格があるものと認める.

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