学位論文要旨



No 116810
著者(漢字) 加藤,正晴
著者(英字)
著者(カナ) カトウ,マサハル
標題(和) 頭部運動や視覚を伴う音源定位の研究
標題(洋)
報告番号 116810
報告番号 甲16810
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第368号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 中村,政隆
 東京大学 教授 江里口,良治
 東京大学 教授 川合,慧
 東京大学 助教授 開,一夫
 東京大学 助教授 高橋,成雄
 東京大学 教授 佐藤,隆夫
 NTTコミュニケーション科学基礎研究所   柏野,牧夫
内容要旨 要旨を表示する

本論文は音源定位の研究であり,特に音源定位に対する頭部運動や視覚の影響について,その心理物理学的研究を行うものである。

 人は,何か外界で変化が生じたときに,まず聴覚によってその大まかな方向を把握し,つぎに聞こえた方向に首を動かしたり目を向けたりして詳しい場所を特定しようとする。この行動は,視野の及ばない背後,左右,上下方向からの刺激に対しても聴覚が反応することができるということと,視覚の空間分解能が,聴覚的な空間分解能よりも優れていることを考慮すると合理的であることがわかる。しかしそれだけなのであろうか。本研究によれば,頭部を動かしたり,目を向ける行為によって,聴覚的な空間知覚,すなわち音源定位の精度それ自体もまた向上するという結果が得られた。

 頭部運動によって音源定位が向上することは,いくつかの研究において確認されている。しかし,定位精度は向上しないという結果を出している研究もあり,その有効性ははっきりしていなかった。今までの研究で頭部運動によって定位精度が向上することを示した研究と,そうでない研究では,利用できる音響的な手がかり,音源の提示位置,頭部運動の方向がそれぞれ異なっており,この違いが結果の差の原因であると考えられた。そこで本論文ではこれらの違いを統一的に扱うことによって,どのような状況で頭部運動が音源定位の定位精度に貢献するかを調べた。また頭部運動によって生じる両耳性,単耳性手がかりを分類し,今まで有効な手がかりと考えられてきた運動性両耳手がかり(頭部運動によって誘発される両耳手がかりの変化)だけでなく,運動性単耳手がかりにも注目し,この手がかりが有効性を検討した。

 その結果,全体として聴取者は,頭部が静止しているときに得られる手がかりがあいまいであったり,あるいは不正確な場合には,頭部運動によって生じる手がかりを有効的に利用していることが示された。例えば水平面定位の場合,頭部を静止しているときに得られる両耳手がかりには前後判断を除いてはあいまい性がないので,頭部運動による精度の向上はほとんど見られなかったが,正中面定位では頭部運動によって定位精度に向上が見られた。そのときに運動性両耳手がかりだけでなく,運動性単耳手がかりも定位精度の向上に有効な手がかりであることを示すことができた。更に,単耳条件かつ耳甲介の凹みを埋めて,頭部が静止しているときに得られる手がかりをすべて狂わした場合でさえ,頭部運動によって定位精度が改善することを示した。

 一方で,自由な頭部運動時の運動軌跡の分析を行い,聴取者が実際に行う頭部運動を定量的に評価し,自由運動時にどのような手がかりを得ているかについて考察を行った.

 次の章では頭部運動を伴いながら音源定位を行う際,聴覚によって察知されるもの以外の知覚情報(視覚,平衡感覚,体性感覚など)が音源定位の精度に及ぼす影響について検討した。この検討を行うために,三種類の条件で定位実験を行い,それぞれの場合の定位精度を比較することで,聴覚以外の情報の重要性を評価した。

 最初に,音源が自動的に移動し聴取者は静止した状態の場合,すなわち音響的変化は生じるが,その他の感覚器からの情報は何もない場合の定位について実験を行った。その結果,頭部を動かさないでも音源が動くことによる音響的変化のみで定位精度が向上することがあることを見出した。

 つぎに音響的変化にくわえて,自分がどれだけ動いたかという情報を与えることによって定位精度がどう変わるかを検討した。具体的には被験者の座る椅子が自動的に回転することによって被験者に次の情報が聴覚情報以外に加わることとなる:(1) 周囲の画像が動いたことによる視覚からの情報,(2) 頭部が動くことによる前庭系からの加速度の情報,(3) 回転されることによって椅子から受ける反力による自己受容感覚。この場合,手がかりが増えたにもかかわらず,逆に定位精度が低下する結果が示された。

 最後に,自発的に頭部を動かすことにより,最も自然で情報量の多い場合の音源定位の精度について検討した。このときの定位精度は音源が自動的に運動する場合とほぼ同様であることがわかった。

 これらの実験結果は次のように解釈することが可能である。まず,一つ目の実験結果より,音源あるいは聴取者が運動しているときに生じる音響的変化は,定位精度を向上させる働きがある。二つ目及び三つ目の実験結果より,聴覚以外の情報が増えたとしても,それが能動的に獲得されたものでない限り逆に定位精度を悪化させる原因となることを示した。

 次の章では,視覚刺激及びサッケード(スピードの速い眼球運動)の音源定位に及ぼす影響について調べた。今までに視覚的な手がかり刺激によって生じるサッケードによって聴覚刺激に対する反応時間が短縮することや,先行音によって後続音に対する空間分解能が変化することが報告されているが,視覚的手がかり刺激によって,聴覚的空間分解能が変化することを示した研究はなかった。しかし,生態学的にも,視界が悪いあるいは夕暮れやくらやみの中では,聴覚による音源定位のほうが役に立つため,先行する光によって,その方向の聴覚的空間分解能が向上するならば生物にとっては有用で,このような仕組みが,進化の過程で聴覚系に備わってきたと考えても不思議ではない。

 本実験によって,(1)光刺激の提示された方向にサッケードを行った場合,サッケードを行う方向の聴覚的空間弁別がサッケードを行わないほうの聴覚的空間弁別よりも良いこと。(2)光刺激による聴覚的空間弁別能の向上は,サッケードが発生していないSOA=100msのときに最も見られた,ただしサッケードを行わない場合は,弁別に変化は見られないこと。(3)SOAが300msになるまでは,弁別は時間とともに向上することが示された。

 このことは,音源定位を行うプロセスそのものに聴覚以外の現象が影響を及ぼすことを示した結果である。

 聴覚的な空間情報は,体性感覚や視覚的な空間情報と同様,脳の上丘に収束しており,これは互いに対応関係を保った構造になっていることが生理学的に知られている。上丘は更に眼球運動を指令するコントロールセンタでもあり,人間の複数感覚統合において重要な働きを担っていると考えられている。この結果は上丘が聴覚的な空間把握に関与していることを心理物理学の観点から示唆するものである。

 我々は常に複数感覚から大量の入力を受けているにもかかわらず混乱することなく,行動している。この説明として,脳が各感覚ごとに独立して処理しているからだとする考えは広く支持されている。しかし絶えず変化する外界に適応的に対応するためには独立性と同時に協調性もまた必要である。本論文では,直前に提示した光刺激に近い地点で,聴覚的空間分解能が向上する一方,離れた地点では低下する現象を報告した。これは,ある感覚が別の感覚の感度調整を行うことであり,すなわち複数感覚の出力間による協調ではなく,より低次のレベルでの協調が生じていることを示す事例である。また頭部運動により音源定位の精度が向上することは,外界に人が自ら働きかけることによって生じた手がかりを利用していることであり,運動と聴覚の協調性の例であると考えられる。

 以上のことにより,人の音源定位は,頭部運動や,視覚,眼球運動という,他の感覚による情報によって,より頑健になったり,精度を向上させたりすることがわかった。この知見は,バーチャルリアリティやテレプレゼンスといった工学的技術の発展にも貢献できると考えている。従来の頭部伝達関数(音源から発せられた音波を入力とし,鼓膜に到達した音波を出力とする1つの系と考えたときの系の入出力応答を表現したもの。系の振る舞いは主に耳介や頭部によって生じる音響的な影や回折により決まる)を用いる手法では,頭部伝達関数は個人差が大きかった。そのため正しい場所に音源定位させるためには聴取者毎に頭部伝達関数を測る必要があり,聴取者の負担が大きかった。また,聴取者の頭部が動くとともに仮想音源も動いてしまう問題点があった。しかし手がかりとともに動きを積極的に利用すれば,単純化した頭部伝達関数を使用することによって,少ないデータ量でより精度やリアリティが向上したり,個人差を吸収できる可能性がある。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、頭部の運動や視覚などのほかの感覚が聴覚に与える影響、特に音源の位置を定位する能力への影響を明らかにしようとしたものである。頭部を動かすことが音源の定位に寄与するかどうかについてはこれまでにもいくつかの研究があるが、寄与するというものと寄与しないという報告がともにあり、詳細については未判明であった。本研究では、実験の条件を細かく設定しかつそれらのすべての組み合わせについて実験を行うことにより、どのような条件の下で頭部運動が音源定位に寄与するかを明らかにしている。

 1章では、研究の背景が述べられている。

 2章では、頭部運動が聴覚に及ぼす影響を調べる実験の内容とその結果が述べられている。実験は、音源の移動方向(水平、垂直)2通り、頭部の運動(静止、自由、左右、上下)4通り、外耳のくぼみをふさぐ耳栓をつけた場合とつけない場合の2通り、の組み合わせのすべて16通りの条件のもとで各被験者に音源定位の実験をした。その結果から、まず、水平面定位(水平方向の音源の定位)では、頭部の運動は定位精度の向上に寄与しないことが示された。ただ、頭部運動によって前後判断誤りが減ることも認められた。一方、正中面定位(垂直方向の音源定位)では、どの場合でも頭部運動が定位精度の向上に寄与することが認められた。また、耳栓条件の場合の方が精度の向上が著しかった。これらのことから、水平面定位においては、静的な手がかりが主要で基本的であるのに対して、正中面定位では動的な手がかりが定位精度の向上に貢献することが明らかにされた。同様の実験を単耳(片耳で聞く場合)の場合にも行い、単耳の場合及び外耳を埋める耳栓をつけた単耳の場合のどちらにおいても、頭部運動が定位精度向上に貢献することが判明した。この場合この効果は、水平面定位においても正中面定位においても同様に認められた。これらのことから、両耳での時間差、両耳での音圧差、外耳のスペクトル変化という手がかりが存在しない場合には、動的な音圧変化が優位に働き、定位に貢献する手がかりになっていると結論づけている。以上の実験では刺激音は10 secの連続音を用いていたが、音像の連続的な移動が寄与しているのかデータを複数点取ることが寄与しているかを明らかにするために、刺激音をクリック音列(10 msecの短音の列)に変えた場合の実験が行われ、クリック音列においても頭部運動の効果は連続音の場合とほぼ変わらないという実験結果を得た。これから音像の移動の連続性は、定位精度の向上に対する頭部運動の寄与には関係のない要因であることがわかった。また、これらの実験環境下での被験者の頭部の運動を電磁気センサを用いて三次元的に測定し、頭部の運動方向と頭部運動を有効な手がかりに使っている場合との関係も調べられている。

 頭部の運動時には、聴音の変化以外にも被験者自身の身体感覚、平衡感覚などの情報がある。これらの音源定位への寄与を調べる実験とその結果が、3章に述べられている。実験は、頭部を動かさず音源を移動させる場合および被験者が頭部を静止させてその椅子を外力で回転させる場合とで行われた。実験の結果から、被験者自身が頭部の運動を制御できない場合には、音源と頭部の相対的運動だけでは定位精度が向上せず、このような受動的な運動ではむしろ定位精度が悪化することがわかった。この要因として推測できるものとして、複数の感覚のあいだの不整合性、及び自分の体躯を中心にして方位を処理している被験者が回転の量を補正するときに誤差が起きる、の二点を論文提出者は挙げている。

 4章では、視覚的手がかりが聴覚の知覚処理を促進するかどうかという点を明らかにするための一組の実験とその結果が述べられている。ここでは、左右に提示された光刺激の後で左右にランダムに提示された移動音源の移動方向を判別する実験が行われた。このとき、被験者が視線を自由に動かせる条件と視線を固定し眼球を動かさない条件について実験して、眼球を動かせる場合の方が動かさない場合に比べて弁別が向上するという結果を得ている。さらにここで、光刺激のあと実際に眼球運動が起こるまでには平均約300 msec要するにもかかわらず、音の提示までの時間が100 msecのときがもっとも弁別力が向上したという結果を得た。このことは、眼球運動を起こす前に視覚刺激によって活性化されるニューロンが脳の上丘に存在すること及びここに視覚と聴覚の空間マップが層状になって存在していることが知られていることから、本論文での実験結果が空間弁別に関する視聴覚のリンクが上丘に存在することのひとつの証左になるであろうと結論づけている。

 また、従来、バーチャルリアリティなどの工学的応用では、聴取者の頭部の運動は妨害的要因とみなされてきたが、本研究の知見からは貢献要因にもなりうることが示唆されている。

 以上のように、本論文は、精細な実験と考察により、頭部運動や視覚などの感覚が聴覚に与える効果とその機序について多くのことを明らかにし、これにより聴覚心理学にとどまらず感覚の相互作用を研究する面での心理学の展開に寄与するところ大であると評価できる。よって本審査委員会は、本論文が博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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