学位論文要旨



No 116811
著者(漢字) 黒田,啓行
著者(英字)
著者(カナ) クロタ,ヒロユキ
標題(和) 植物食昆虫の個体群動態と生活史スケジュールの進化 : サイカチマメゾウムシの越冬戦略
標題(洋) Population dynamics and evolution of life history schedules in herbivorous insects : overwintering strategy in a bruchid seed beetle, Bruchidius dorsalis
報告番号 116811
報告番号 甲16811
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第369号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 嶋田,正和
 東京大学 助教授 松田,裕之
 東京大学 助教授 伊藤,元己
 東京大学 教授 松本,忠夫
 大阪市立大学 教授 沼田,英治
内容要旨 要旨を表示する

1.はじめに

 生物にとって環境は常に変化しているため、発育や繁殖などのタイミングは重要な適応度成分となる。温帯の昆虫の場合、低温と乾燥にさらされる厳冬期をいかにやり過ごすかは大きな問題であり、多くの昆虫ではホルモン調節により特定の発育段階で休眠に入ることが知られている。ところが、本研究の対象である植物食昆虫サイカチマメゾウムシBruchidius dorsalisは、信州、東北などの寒地ではほぼ単一の発育段階(終齢幼虫)で越冬するのに対して、南関東などの暖地では様々な発育段階で越冬する越冬態多型が見られることが予備的な調査から明らかになった。

 このような越冬時の齢構成に見られる個体群内、個体群間の多様な変異は、休眠を中心とした昆虫の季節適応を理解する上で、興味深い事例であり、より包括的な全体像の解明につながると考えられる。また、この現象を個体群動態と生活史の進化という本来密接な2つの分野の観点から解析することは、相互を理解する上で不可欠である。

 しかし既存の理論(モデル)は、生物の生活史を単純化しすぎているため、現実の生物を対象に定量的な解析を進めるのは困難だった。一方、昆虫の休眠性に関しては膨大な実証研究があるが、その進化的意義については定性的な理解にとどまっており、適応戦略の観点から定量的に議論した例はほとんどない。

 そこで、本研究では、越冬態に見られる多型に対し、(1)野外での実態把握、(2)昆虫の生活史特性を調べる室内実験、(3)個体群動態と生活史スケジュールの進化を予測するモデル解析、という3つの方法を組み合わせることで、現実的かつ一般性の高い解析を行った。

 本研究の目的は、サイカチマメゾウムシの越冬戦略を通して、その生活史スケジュールの進化と個体群動態を定量的に予測することである。具体的には、まず暖地・寒地間の個体群動態(特に越冬時の齢構成)の差異を説明することを第1の目的とする。次に日齢をベースとした時間構造化モデルを用いて、越冬戦略の進化(特に休眠時期)について予測し、現実と比較することを第2の目的とする。

 研究の流れとしては、まず、暖地、寒地2地域のサイカチマメゾウムシの生活史の実態について報告する(第2章)。次に、他地域での越冬態を調査すると同時に、暖地で越冬態多型が生じる個体群過程を、野外実験によって明らかにする(第3章)。さらに、本種の幼虫休眠、成虫繁殖休眠の基本特性と臨界日長の地理的変異を室内実験により調べる(第4、5章)。また同時に発育段階別の生存率についての実験結果を示す(第6章)。以上の結果をもとに、本種の個体群動態を記述するモデルを作り、多型が生じる個体群過程、およびその地理的変異についての説明を試みる(第7章)。最後に、その記述力の高いモデルを使い、本種の最適な休眠のタイミング(進化的に安定な戦略)について解析する(第8章)。

第1部 野外調査・野外実験

2.暖地・寒地でのサイカチマメゾウムシの生活史

 サイカチマメゾウムシは、マメ科木本サイカチGleditsia japonicaを寄主植物とする。豆果(莢)表面に産み付けられた卵から孵化した幼虫は、種子内にもぐり込み子葉を食べて成長し、成虫になって種子から出てくる。

 神奈川県相模原市(暖地)と長野県辰野町(寒地)で行った各々5年ないし4年間の野外調査により、両地域におけるサイカチマメゾウムシの生活史の実態を明らかにした。厳冬期を除き毎月1〜2回ずつ、昆虫の齢構成や寄主植物サイカチの種子の季節消長などを調べた。その結果、相模原では、8月上旬に結実した樹上の豆果に産卵が見られ、9月下旬以降に羽化(第1世代)した。さらに第1世代が越冬前に繁殖し第2世代を産するため、越冬時の齢構成に多様なステージが生じた。越冬後は、4月上旬から5月下旬にかけて第2世代の羽化が見られ、成虫は地面に落下した豆果に産卵する。さらに6月中旬から7月下旬にかけて第3世代が羽化するが、その頃には地表に利用可能な種子が少ないため、それらの羽化成虫はその年の種子が結実する8月上旬以降まで繁殖することができない。このように相模原ではサイカチマメゾウムシは年3(多くて4)化であることがわかった。

 一方、辰野は相模原に比べて気温が低いため、サイカチの種子の生長が約2〜3週間ほど遅れる。そのため、マメゾウムシが寄主マメを利用できるようになるのは8月中旬以降だった。その頃産卵された第1世代は、終齢(4齢後期)幼虫で越冬するが、夏から秋にかけて暖かかった年は成虫で越冬することもあった。越冬した幼虫は5月中旬以降羽化しはじめ、地面の完熟豆果に産卵する。第2世代は7月中旬以降羽化するが、地表に利用可能な種子が少ないため、大部分の成虫は8月中旬まで繁殖できない。そのため、辰野では年2(多くて3)化であることが明らかになった。

 以上の野外調査より、サイカチマメゾウムシの生活史は、気温だけでなく、寄主植物量の季節変化にも大きな影響を受けていることが明らかになった。

3.関東から東北に至る地域の越冬態と越冬態多型が生じる個体群過程

 越冬時の齢構成に多様なステージの見られた相模原個体群に対しては、袋かけにより産卵時期を限定する野外実験を行うことで、より詳しく越冬前の個体群動態を調査した。その結果、第1世代は9月下旬以降に羽化するが、その成虫の一部が、越冬前に繁殖し第2世代を産するため、越冬態に多様なステージが生じた。このことから相模原での越冬態は、第1世代の成虫と第2世代の老齢・若齢幼虫が混在した状態であることが明らかになった。

 また相模原、辰野以外での越冬態を関東から東北にかけて広く確認するために、岩手県二戸市、一関市、秋田県増田町、群馬県中之条町、茨城県下妻市などでも越冬態を調査した。その結果、東北地方では単一の発育段階(終齢幼虫もしくは成虫)での越冬が確認されたが、関東地方では相模原同様、越冬態に多型が見られた。

第2部 室内実験

4.幼虫休眠の基本特性と地理的変異

 越冬戦略に考える上で重要な休眠の基本特性について室内実験を行った。様々な日長条件の下で発育を観察したところ、短日条件下(24℃12L以下、20℃12.5L以下)で終齢幼虫(4齢後期)における休眠が見られた。また日長を感受する発育段階は卵の後期から1齢幼虫の初期にかけてであることや、休眠率は気温にも影響されること、などが明らかになった。これらの結果より、越冬時の終齢幼虫は休眠状態にあることが示唆された。さらに相模原・辰野・二戸個体群の20℃(12L〜14L)での休眠率の比較を行ったところ、二戸>辰野>相模原の順で休眠に入りやすいことがわかった。

5.成虫繁殖休眠の基本特性と地理的変異

 上記の実験で幼虫休眠に入らなかった個体について、成虫の精巣・卵巣の成熟の程度を調べた。その結果、成虫は短日条件下で繁殖休眠に入ることが明らかになった。このことは越冬時の成虫は休眠状態にあることを示唆する。また日長を感受する発育段階は羽化から5日以内で、幼虫休眠同様、暖地の相模原個体群においてもっとも休眠率が低かった。

6.各発育段階の耐寒性

 越冬態多型の適応的意義を議論するためには、それぞれの発育段階での越冬時の生存率を調べる必要がある。そこで越冬直前に野外から豆果を採集し、その中の幼虫の発育段階を調べ、翌春それらの越冬の可否を調べた。その結果、全ての齢の幼虫及び成虫で100%に近い高い生存率が確認された。

 また通常は越冬しない卵期、蛹期の耐寒性を調べるために、人為的にそれらの発育段階を用意した。他の発育段階と合わせて、100日間5℃で保存し、生存率及びその後の繁殖状況を調べた。その結果、卵期、蛹期での生存率は有意に低く、また羽化個体の産卵数も少なく、これらの発育段階が低温に強くないことが明らかになった。

 以上、2章から6章までの野外調査や室内実験により、暖地の越冬態は、第1世代の繁殖休眠成虫・第2世代の休眠終齢幼虫・非休眠若齢幼虫からなり、それらの間で越冬時の生存率に差がないため、その多型は春まで維持されることが明らかになった。また越冬態を決定する幼虫休眠や繁殖休眠に入る時期は、その地理的変異の存在などから考えて、各地の気候条件や寄主資源量の季節変化に適応した結果であると思われるが、越冬に不適な発育段階(卵と蛹)を避けるように進化したと考えられる。

第3部 モデル解析

7.時間構造化モデルによる個体群動態の解析

 本種の越冬戦略の進化に重要な要因を明らかにするために、日齢をベースとして時間的に構造化されたモデルを構築した。まず、本種の個体群動態を規定する要因を明らかにするための解析を行った。このモデルでは、昆虫の発育は日毎の気温(ひいては有効積算温量)に依存し、死亡率や繁殖率は季節や発育段階に応じて変化すると仮定した。また動態を記述するのに必要な本種の休眠性や発育速度などの生活史形質の知見は、上述の室内実験(第4章、第5章、第6章)により求めた。

 これらの条件下で、さらに各地域の気温と寄主資源量の季節変化を考慮すると、辰野の条件下では年2化で終齢休眠幼虫と非休眠幼虫で越冬するのに対して、相模原の条件下では年3化で、越冬態に大きなばらつきが生じることが、モデルにより予測された。この結果は、現実の個体群動態の地理的変異とよく一致し、このモデルの記述力の高さが示された。また様々な要因について感度分析を行ったところ、本種の個体群動態(特に越冬態)は、気温と寄主植物量の季節変化、また休眠に入る時期などに強く依存していることが明らかになった。

8.進化的に安定な越冬戦略の解析

 この記述力の高い現実的なモデルを用いて、本種の最適な休眠時期(進化的に安定な戦略)を求めた。室内実験の結果より、本種は卵や蛹では越冬できないと仮定し、進化的に安定な幼虫休眠、繁殖休眠の時期を求めた。その結果、暖地では寒地に比べて、幼虫休眠に入る時期は遅く、また越冬前に成虫は繁殖休眠に入ることが明らかになった。この結果は、野外調査や室内実験の結果と一致した。さらに、最適な休眠時期を持つときの個体群動態を計算してみると、暖地では越冬態に多型が生じ、寒地では単一の越冬態が見られることが明らかになった。つまり、越冬態に個体群内、個体群間変異が見られるのは、それぞれの地域で適応的な越冬戦略を示した結果であることが示唆された。

9.総合考察

 本研究より、休眠という昆虫の季節適応にとって重要な生活史形質の定量的な予測が可能となり、現実との比較が容易になった。また、野外調査、室内実験、モデル解析という3つの方法論を組み合わせた本研究の枠組みは、他種にも適用可能であり、現実的かつ一般性の高い解析と言える。よって、本研究は、温帯の昆虫の個体群動態と生活史スケジュールの進化の理解に大きな貢献をするものと思われる。

審査要旨 要旨を表示する

 温帯には寒冷と乾燥に晒される冬季があるため、生物にとって越冬のタイミングは重要な適応度要素であり、多くの昆虫ではホルモン調節により特定の発育段階で休眠に入る。ところが、本研究の対象であるサイカチGleditsia japonicaの種子を捕食するサイカチマメゾウムシBruchidius dorsalisは、長野・東北などの寒地ではほぼ単一の発育段階(終齢幼虫)で越冬するのに対して、南関東などの暖地では卵と蛹以外のさまざまな発育段階で越冬するという、越冬態多型が見られる。このような越冬時の齢構成における個体群内/個体群間の多様な変異の生成機構を明らかにすることは、休眠を中心とした昆虫の季節適応の、より包括的な全体像の解明につながると期待される。

 本論文は、このサイカチマメゾウムシの越冬態多型現象に焦点を当て、個体群動態と生活史の進化という従来別々に研究されがちだった2つの分野を同時に扱い、野外での実態調査/昆虫の生活史特性を調べる環境制御実験/個体群動態と生活史スケジュールの進化を予測するモデル解析、という3つのアプローチを統合した、総合的な視点に立った研究である。その大きな目的は、サイカチマメゾウムシの越冬生態の諸プロセスを明らかにし、その生活史スケジュールの進化と個体群動態を定量的に予測することである。

 本論文の構成は、第1章の序論で本研究の背景となる昆虫の越冬と休眠に関する研究を概括した後、第2章で、暖地・寒地の2地域におけるサイカチマメゾウムシの生活史の実態について報告する。第3章では、東北地方から関東に渡る東日本諸地域での越冬態を調査すると同時に、暖地で越冬態多型が生じる個体群過程を、野外実験によって明らかにしている。さらに、第4章と5章で、幼虫休眠と成虫の繁殖休眠を実験的に誘導し、地域個体群ごとの臨界日長の地理的変異を室内実験により分析した。また第6章では、低温条件下での発育段階別の生存率によって、低温耐性を調べている。以上の結果をもとに、第7章で、本種の個体群動態を記述する時間構造化モデルを作り、越冬態多型が生じる個体群過程とその地理的変異についての解析を試み、第8章で、そのモデルの記述力の高さを活かして、本種の最適な休眠のタイミング(進化的に安定な戦略)を定量的に解析している。

 具体的な発見・成果としては、まず第2章では神奈川県相模原市(暖地)と長野県辰野町(寒地)で行った各々5年ないし4年間の毎月の野外調査により、両地域におけるサイカチマメゾウムシの生活史の実態を明らかにした。その結果、相模原では、8月上旬に結実したサイカチの樹上の豆果(莢)に産卵が見られ、9月下旬以降に第1世代が羽化する。早く羽化した第1世代が越冬前に繁殖し第2世代を産するため、越冬時の齢構成には第1世代成虫と第2世代幼虫(若齢・終齢が混在)の多様なステージによる越冬態多型が生じる。一方、辰野では気温が低いため、サイカチの種子の成長が2〜3週間遅れる。そのため、サイカチマメゾウムシが当年産の寄主マメを利用できるのは8月中旬以降となり、その頃産卵された第1世代は、終齢幼虫で休眠に入って越冬する(秋が暖かかった年は成虫が少し混じる)。そのため、越冬態は単純な構成となることが分かった。この点は、第3章の東北地方から関東に至る5地域を新たに加えた調査でも、東北地方では単一の発育段階(終齢幼虫もしくは成虫)での越冬、関東地方では越冬態多型が見られ、広く一般に当てはまることが示された。

 第4章〜第5章では、越冬戦略を解明する上で重要な休眠特性について、制御環境下での実験を行っている。まず、第4章で、短日条件下(24℃では12L以下の日長、20℃では12.5L以下の日長)で終齢幼虫における休眠誘導を確認し、日長を感受する時期は卵後期から1齢幼虫初期にかけてであった。よって、越冬中の終齢幼虫は休眠状態にあることが分かった。さらに、東北地方から関東にかけての個体群間の比較により、北の方ほど南よりも休眠誘導率が高いという地理的変異を示した。第5章では、上記の実験で幼虫休眠に入らず羽化した成虫について精巣・卵巣の成熟度を調べたところ、成虫は短日条件下で繁殖休眠に入ることが分かった。よって、越冬時の成虫は繁殖休眠状態にある。日長を感受する発育段階は成虫羽化から5日以内で、幼虫休眠同様、北の方が南よりも繁殖休眠率が高かった。幼虫休眠と成虫の繁殖休眠の2つを併せ持つ昆虫は非常に稀であり、卵期と蛹期をさけて越冬するための二重のフェイル・セーフ機能として、本種のユニークな休眠特性が明らかとなった。

 また、第6章では、それぞれの発育段階での越冬時の生存率を調べたところ、野外ではすべての齢の幼虫および成虫で95%以上の高い生存率が確認された。また通常は越冬しない卵期・蛹期の耐寒性を調べるために5℃で100日間保存したところ、卵期・蛹期での生存率は他の発育段階よりも有意に低く、また羽化した後の産卵数も少ない等、これらの耐寒性の低さが示された。

 第7章では、日齢ベースの時間構造化モデルを構築し、本種の1年を通じた個体群動態のモデルを解析した。ここでは、昆虫の発育は日毎の気温(ひいては有効積算温量)に依存し、繁殖率と死亡率は季節と発育段階に応じて変化する。また、本種の休眠性や発育速度などの生活史パラメタの値は、上述の室内実験により求めた。これらの条件下で、暖地・寒地の気温差と寄主種子量の季節消長を考慮すると、寒地条件下では年2化で単純な越冬態構成になり、暖地条件下では年3化で、さまざまな越冬態の混合になるという実態によく適合する予測が得られた。

 さらに、第8章で、この記述力の高い時間構造化モデルを用いて、本種の最適な休眠スケジュールを求めた。本種は卵や蛹では越冬できないと仮定し、変異型の侵入可能性を調べることで、進化的に安定な幼虫休眠・繁殖休眠に入る時期(タイミング)を求めた。その結果は、野外調査や室内実験による休眠スケジュールときわめて良く一致した。さらに、最適な休眠スケジュールを持つときの個体群動態を計算してみると、暖地では越冬態多型が生じ、寒地では単一の越冬態が示された。すなわち、越冬態に見られる個体群内/個体群間変異は、それぞれの地域で適応的な越冬戦略を本種が示した結果であることが解明された。

 第9章は総合考察で、本研究で得られた成果の相対的位置づけが考察されている.

 このように、本論文は、野外調査/実験分析/定量的なモデル解析という3つのアプローチを統合した総合的な研究であり、進化生態学分野では貴重なものである。得られた結果の数々は、温帯での植食性昆虫の生活史の進化を理解する上ですべて重要な現象ばかりであり、その一部はすでに欧米の専門誌に掲載されている。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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