学位論文要旨



No 116815
著者(漢字) 小林,彩
著者(英字)
著者(カナ) コバヤシ,アヤ
標題(和) 寄生蜂による性比調節の進化とその遺伝的背景 : Heterospilus prosopidisにおける寄主の質の効果
標題(洋) Evolution and genetic background of the sex allocation in the parasitoid wasp : host quality effects in Heterospilus prosopidis
報告番号 116815
報告番号 甲16815
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第373号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 嶋田,正和
 東京大学 助教授 松田,裕之
 東京大学 教授 松本,忠夫
 東京大学 助教授 伊藤,元己
 九州大学 助教授 粕谷,英一
 九州大学 助教授 上野,高敏
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

 産卵数や寿命などの生活史形質は生物の繁殖成功度に直接関わり、強い自然選択圧下にあるためにそれらの形質に保有される遺伝的変異はさほどに大きくないというのが従来の予測であった。しかし最新の研究では生活史形質で大きな遺伝的変異が報告され、その維持機構が議論の対象となっている。生活史形質における遺伝的変異の有無を確かめ、その維持に関わる要因を調べることは、進化生物学上、重要かつ未解決の問題である。

 性比も適応度に直接関係する生活史形質であると考えられ、多くの理論・実証研究が行われてきた。寄生蜂は母親による雌雄の産み分けが可能なために、常に性比調節研究の最も重要なモデル生物となってきた。寄生蜂の性比を決定する要因として特に重要なのは、交配様式(Hamilton 1967による局所的配偶競争理論)と寄主の質の効果(Charnov 1979による寄主の質モデル)である。

 本研究の目的はマメゾウムシの幼虫・蛹を寄主とするコマユバチ科の単寄生蜂Heterospilus prosopidisを材料として、以下のことを明らかにし、性比調節の進化とその遺伝的背景についてさらなる理解を深めることを目的とする。

(1)性比調節に影響を与える2大要因(交配様式と寄主の質の効果)を考慮した理論の予測が、この蜂の野外性比に当てはまるか?

(2)特定の種の寄主および寄主ステージへの寄生効率が性比調節に影響を与えるか?

(3)性比調節においてその遺伝的変異は維持されているか?維持されている場合、その維持に関わる要因は何か?

野外性比の測定

 H. prosopidisは野外ではランダム交配をしていると考えられており、寄主であるマメゾウムシのサイズは様々である。本種は寄主の大きさに応じて雌雄を産み分け、体サイズの増加に伴う適応度の増加分は雄より雌の方で大きいことが、実験室での先行研究により明らかになっている(Jones 1982)。本種は寄主の体を食べ尽くして1匹の寄主から1匹の蜂が羽化するため、羽化時の体サイズは寄主の大きさに依存する。交配様式と寄主の質の効果を組み合わせたWerrenの理論(1984)により、本種の野外性比について2つの予測が立てられる。(1)羽化時において雌は雄より大きい。(2)集団全体の性比は1:1、または偏るとすれば雄がやや小さいため雄偏向である。

 寄主である野生マメゾウムシ(Algarobius, Mimosestesなど)が食害するProsopisの豆果は、アメリカ合衆国南西部からメキシコにかけての半乾燥地帯で7月下旬から9月中旬の間にのみ成熟し、本種はこのProsopisを食害するマメゾウムシに寄生する。1996、1997、1998年の7月、8月にProsopisの豆果を合衆国の3地域(ハワイ、アリゾナ、テキサス)から採集し、27℃・16L8Dの恒温室に保存し、その豆果から羽化した本種の性と乾重量を測定した。

 その結果、多くの調査地で性比は1:1または雄偏向であり、羽化時の体サイズは雌の方が大きく雄の方が小さかった。このことから本種は野外でもランダム交配下での寄主の質モデル(Charnov 1979 ; Werren 1984)の予測に従った性比調節をしていることが明らかになった。また体サイズの変化に伴う性比をプロットした結果、Charnov et al(1981)の理論が予測するような体サイズの閾値を境にした階段関数にはならず、体サイズの増加に伴い性比が徐々に低下した。この雌雄産み分けプロットについて共分散分析を行った結果、傾きについては年度間および地域間の差はなかったが、高さ(修正平均)についてはハワイの年度間で有意な差が見られた。このことから寄主サイズの年次・空間変動に伴って、雌雄産み分けプロットも変動するが、雌雄産み分けプロットの傾きは、地域集団や年度によらずほぼ一定に決まっている可能性が示唆された。

寄主ステージへの寄生効率が性比調節に与える影響

 H. prosopidisのように寄主サイズに応じて性比調節をする蜂では寄主の発育ステージへの寄生効率が羽化個体の体サイズに影響し、その結果、性比調節にも影響を与えると考えられる。本章ではアズキゾウムシを寄主として、H. prosopidisの各々の寄主発育ステージに対して示す寄生効率が性比調節にどのように影響を与えるか、また様々な大きさの寄主ステージを選択可能か否かによって性比が異なるか(寄主サイズの評価法の分析)を調べた。

 長年アズキゾウムシを寄主として飼育した実験室系統と米国から導入したばかりの野外系統を用いて実験を行った。アズキゾウムシの3齢から蛹までの4つの発育ステージを選好可能な場合と、各ステージを単独で与えた場合について比較した。

 実験の結果、H. prosopidisでは蛹のステージに対する寄生効率が低く、特に野外系統でその傾向が顕著であった。これに対し実験室系統では他の寄主ステージと比べて蛹に寄生したときに最も大きくなって羽化してきた。実験室系統では寄主の質モデルの予測により、蛹により多くの♀を産んだほうが適応度が上がることが予測されるが、その予測通り、蛹には雌偏向に産み分けていた。実験室系統は、4つの発育ステージの寄主を選好可能な場合には、小さい寄主に雄を多く、大きい寄主に雌を多く産み分け、一つのステージの寄主のみを与えられた場合には、どの大きさの寄主にも、より1:1に近く産み分けていた。このように実験室系統は、寄主ステージを選好可能か否かではっきりとした産み分けの違いを示し、寄主サイズを相対的に評価できるのに対し、野外系統はこのような相対評価を完全には行えないことが明らかになった。

 蛹は寄生した後の羽化重量という点で見れば質の高い寄主だが、一方で寄生しづらい寄主でもある。実験室系統は長期間アズキゾウムシを利用してきたことによるアズキゾウムシへの適応の結果、寄生しづらい蛹というステージもうまく利用できるようになった。また様々な大きさの寄主が混在する場合には、その相対的な大きさの違いを正確に判断して、性比調節を行えることが明らかになった。

性の産み分けパターンの遺伝的解析

 性比進化のゲーム論の重要な前提の1つとして適応進化のための遺伝的変異の存在がある。寄生蜂の性比の遺伝的変異に関してはいくつか研究例があるが、集団間の比較によって遺伝的変異を報告したものがほとんどである。また寄主サイズに応じた性の産み分けパターンについて遺伝的変異を調べた研究はどの種でもない。本章の目的はH. prosopidisによる性の産み分けパターンの遺伝的変異の存在をhalf-sib分析により明らかにすることである。

 1997年にハワイ・アリゾナの2地域で採集された本種の野外集団を実験に用い、寄主はアズキゾウムシを与えた。half-sib分析を行い、子供に寄生させ、得られた子(孫)の性と体サイズ(重量)を測定した。これらの値より子供の形質として、子供が産んだ性比と性の産み分けプロットを得た(図1)。性の産み分けプロットは(i)性の切替点、(ii)性の切替幅の2パラメータで決まるので、閾値モデル(e.g.Lynch and Walsh 1998)を用いてこの2パラメータを推定した。また性比の遺伝的変異と比較する他の形質として体サイズ、寄生効率(寄生数/48時間)も測定した。階層的分散分析の結果より、各形質についての相加的遺伝分散(VA)、狭義の遺伝率(h2)、変動係数(CVA)を算出した。

 解析の結果、ハワイ集団では性比・性の切替点に関して有意な遺伝率が検出されたが、性の切替幅に関しては有意ではなかった。アリゾナ集団では性の切替点の遺伝率は有意性判定の境界レベル(0.05<P<0.1)であった。体サイズ・寄生効率の遺伝率は両集団ともに有意に0より大きかった。

 寄主の質に応じて性比調節をする蜂では、性比の遺伝的変異は性の産み分けプロットの変異によると考えられる。本種では性の切替点が遺伝する形質であり、性比調節の遺伝的変異はこの切替点の遺伝的変異によって説明できる。

性比の多型維持のモデル解析

 性比調節に遺伝的変異があることが示されたが、変異の維持がどのような要因によるのかを調べるために、寄主サイズに応じた性比調節をする寄生蜂(haplo-diploid)の個体ベースモデルを構築した。性切替点と性切替幅はそれぞれ1遺伝子座のさまざまな複対立遺伝子によって決まる形質とした。これらの性比調節遺伝子はメスでのみ働き、2倍体メスでの2つの対立遺伝子は完全に相加的に形質値を決めるとした。メスの体サイズは寄生した寄主サイズによって決まり、産卵数はその体サイズに比例して大きくなる。オスの交尾成功度は簡単のため体サイズによらないとした。集団サイズは一定であるとし、2つの遺伝子座には突然変異を導入した。

 環境変動がない場合のESS性比への収束/多型の維持に注目して解析を行った。ESS性比の集団における突然変異体の侵入可能性を調べ、次に相補的に集団性比がESS性比となるような遺伝子型の組み合わせ(それぞれの遺伝子型自体はESS性比からずれている)が共存できるかどうかを解析した。

総合考察

 本研究により、H. prosopidisの性比調節の進化について以下のことが示された。

(1)野外で寄主の質モデルの予測に従った性比調節を行う。

(2)長期間の飼育によって、特定種の寄主やある発育ステージへの寄生効率が変化し、それが性比調節に影響する。

(3)本種において性比調節の遺伝的変異は、性の切替点という形質に遺伝的変異が保持されていることによる。

図1性の産み分けプロット

審査要旨 要旨を表示する

 動物の性比調節は、進化生態学の中でも、進化のゲーム論に基づく進化的に安定な戦略(Evolutionarily Stable Strategy ; ESS)の理論的解析が最も進んだテーマである。そして寄生蜂は、この材料は母親による雌雄の産み分けが可能であるために、常に性比調節の進化の研究では最も重要なモデル生物となって、実験的検証に貢献してきた。

 寄生蜂の性比を決定する要因として特に重要なのは、交配様式(Hamilton 1967,局所的配偶競争理論)と寄主の質の効果(Charnov 1979,寄主の質モデル)である。これらの理論は、性比調節が進化ゲームによってESSの状態に到達するために必要な、自然選択が作用するだけの十分な遺伝的変異量の存在を暗黙のうちに仮定している。本論文の重要な成果の第一点は、寄主の質の効果に焦点を当て、寄生蜂の性比調節の適応進化に関わる遺伝的変異量(相加的遺伝分散)を、シブ分析という定量的に精度の高い方法を世界で初めて性比研究に適用して測定したことである。

 ここで問題になる遺伝的変異量であるが、性比は適応度に直接関係する生活史形質であり、生物の繁殖成功度に直接関わるので、強い自然選択圧下にあると考えられる。そのため、それらの形質に保有される遺伝的変異量はさほどに大きくないというのが従来の予測であった。その予測を覆し、性比調節のような頻度依存選択の対象となる形質に特有に作用する遺伝的変異の維持機構を理論的に示したのが、本論文の第二の重要な点である。

 本論文の構成は、第1章が序論で、研究の背景となる理論を整理して紹介している。第2章では、本論文が実験材料としたコマユバチ科の単寄生蜂Heterospilus prosopidisの、アリゾナ及びハワイの野外調査区における性比を測定し、これが従来の理論の「寄主の質」モデルの予測(羽化時において雌は雄より大きく、集団全体の性比は1:1か、または偏るとすればやや雄偏向になる)に合致することをまず示している。これは野外での寄生蜂の性比を、アメリカ合衆国ハワイ州・アリゾナ州から多数の調査地区を選んで広範な地域で調べた貴重な研究例である。

 第3章は、寄主の発育段階に対する選好性が性比調節にどのように影響を与えるかを、長年アズキゾウムシを寄主として維持されてきた実験室系統のH.prosopidsと、ハワイ・アリゾナから輸入したばかりの野生系統に対して、アズキゾウムシを寄主として、その発育段階ごとの性比調節を解析したものである。その結果、複数の寄主発育段階を同時に与えた時には、実験室系統は、羽化する蜂が最大になる蛹期の寄主に雌を偏らせ、小さく羽化する4齢前期の寄主には雄を偏らせるという、性比調節のESS理論の予測パターンにより近い結果を示した。これには、実験室系統の方が、蛹期の寄主に対する寄生効率が高いことと関係している。また、ここでは、その寄主がどのくらいの相対的な大きさを持っているかを、H. prosopidsは寄生しながら評価するという学習の効果も示された。寄生効率の性比への関与と学習効果の検出は、この分野では全く新しい発見である。

 第4章は、シブ分析(雄親−雌親−子からなる階層的分散分析に基づく実験計画法)による遺伝的変異量(相加的遺伝分散)の推定である。ハワイ・アリゾナの2地域の野生集団で、シブ分析における子世代を寄主アズキゾウムシの幼虫に寄生させ、次世代個体(孫)の性と体サイズ(重量)を測定した。性の産み分けは「性の切替点」(性を切り換える寄主サイズ)と「性の切替幅」の2つのパラメータで決まるので、閾値モデルを用いて最尤法でパラメータ値を推定した。階層的分散分析により、ハワイ集団・アリゾナ集団とも性比・性の切替点に関して有意な相加的遺伝分散(VA)、狭義の遺伝率(h2)、相加的遺伝変動係数(CVA)が検出されたが、性の切替幅に関しては有意ではなかった。よって、この場合「性の切替点」の遺伝分散が、性比調節の遺伝的変異をもたらしていることが分かった。性比産み分けに関する相加的遺伝分散を定量的に示したのは、本研究が世界初である。

 第5章は、性比の遺伝的変異の維持に関するモデル解析である。ここでは、シンプルな解析的モデルと、寄主サイズに応じた性比調節をする寄生蜂の個体ベースモデル(IBM)を構築し、進化的に安定な(Evolutionarily Stable : ES)性比への収束/遺伝的多型の維持に注目して解析を行った。まず解析的なモデルの予測では、ES切替点は寄主分布の平均値よりもやや大きなサイズの所に来て、性比は少し雄偏向になることを示した。その理由は、モデル簡潔化のため、小さな寄主に寄生して雄の体サイズが小さくなっても、その交配能力は落ちないと仮定しているため、小さな寄主では雄を多く生む方が有利になるからである。

 次にIBMの突然変異がない場合で、ESSとなる性切替点に非常に近い近傍遺伝子を持つ野生型集団に対して、人為的に導入した変異体の侵入可能性を調べ、平均がES切替点と同値になるような相補的な組み合わせの非ES切替点遺伝子ペアが、ES近傍遺伝子と共存できるかを解析した。その結果、相補的な遺伝子ペアとして存在する方が、単独の場合よりも、非ES遺伝子がES近傍遺伝子と共存する時間は5倍〜10倍長くなった。さらに、このIBMに突然変異を導入し、各個体から一定の低頻度で親の遺伝子とは異なる遺伝子が突然変異で生じるとした結果、突然変異と自然選択の作用により、性切替点の集団平均値はES切替点へと収束した。そして、集団が相補的遺伝子ペアからスタートした方が、相補的でない場合よりも、ES切替点への収束には有意により長い時間がかかった。

 第6章は総合考察で、本論文が明らかにした点と従来の理論との関係が考察されている。

 本研究は、これまで性比という進化ゲームの中で暗黙のうちに仮定されてきた性比調節に関わる十分な遺伝的変異を、世界で初めて精度の高いシブ分析法で定量的に検出したものであり、さらにその遺伝的変異の維持機構として、頻度依存的自然選択に特有な作用を明らかにしたものである。これらの成果は、生物一般における性比調節の進化の包括的な理解に大きく貢献するものであると評価される。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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