学位論文要旨



No 116824
著者(漢字) 谷藤,尚貴
著者(英字)
著者(カナ) タニフジ,ナオキ
標題(和) トリチエニルメタン誘導体の光反応と固体反応に関する研究
標題(洋) Study on the Photo- and Solid-State Rcactions of Trithienylmethane Derivatives.
報告番号 116824
報告番号 甲16824
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第382号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小林,啓二
 東京大学 教授 菅原,正
 東京大学 助教授 村田,滋
 東京大学 助教授 小川,桂一郎
 東京大学 助教授 尾中,篤
内容要旨 要旨を表示する

 有機固相反応は、環境保護の見地に立ったものから非常に重要な研究課題である。溶媒を使用しなければ廃溶媒の排出もない、反応に使用する溶媒の選定に頭を悩ませることも無くなる。ただ必要な基質を混ぜ合わせるだけで良い訳で、工業的にも期待の大きな分野である。一方で基礎研究的視点に立った場合でも、固相反応はこれまで蓄積されてきた情報の範疇には当てはまらない反応や、現象の誘導など興味は尽きない。

 しかし固相反応に対する理想を列挙する一方で問題は存在する。溶液中での反応と異なり、分子が自由に動かない空間で起こらなくてはならないという壁が存在する。現状では固相反応を行うにあたり、基質を選ばなければならないのが事実である。合成化学的に良好な結果をもたらしている内のほとんどは光反応であり、固相での熱反応は一部の例外を除いて広範な適用は困難である。本研究では固相反応の中でも報告例は多くない固相での二成分反応、例えば置換反応や付加反応に関する研究を目指した。

 固相二分子反応を実現するためには、反応が起こる二分子が確実に接触しなくてはならない。その解決手段はいくつか存在するが、本研究では始めに二つの化合物の成分が規則的に接触できる配置となる様な包接体結晶及び電荷移動錯体を作成することに注目した。下記化合物は、そのような目的を背景に設計合成されたホスト化合物である。本研究ではこれらホスト化合物がもたらす反応性に興味を持ち、固相や液相で見られた興味深い生成物の解明を中心として研究を行った。

 本研究で扱ったホスト

【1】トリチエニルメタン誘導体における溶液中の光転位反応

 固体反応に先だって溶液での光反応を検討した中でトリス−ベンゾ[b]チオフェン−2−イル−メタノール1のとその誘導体はアセトニトリル中の光照射によって新奇なケトン体を与えることを見出した。

 1のアセトニトリル溶液を高圧水銀灯で光照射すると[2s+2s]環化付加反応で生成する3と[2a+2a+2a]環化付加反応を経由して生成する4が得られた。トリチルアルコール類の光照射では一般的にC-O結合の開裂が優先的に起こることが知られているが、この反応では先にπ−π*が起こったと思われ、[2a+2a+2a]環化付加の初めての例となった。また、この反応は溶媒効果が著しく、ヘキサン中では3、4は作られずに、脱水閉環体5が生成することを確認した。

 次に1のOH基を水素に置換した誘導体4についての光照射を行ったところ。π成分がすべて芳香環に含まれるにも関わらず、光照射によってジ−π−メタン転位に由来する三員環を含む転位生成物5が得られた。通常、転位におけるジラジカル中間体は芳香環上で存在するのは困難で、π成分として2個以上芳香環が関与する例はほとんどないが、複素環であるベンゾ[b]チオフェン環ではジ−π−メタン転位が進行することを見出した。また、転位で生成した三員環は、さらに開裂して6員環生成物6を二次生成物として与えることを見出した。

【2】 固相酸化反応とクロモトロピズム

 4とDDQをめのう乳鉢によって基質比1:2.2でこすり合わせると4の酸化生成物である5と6が得られた。また5は4→6の中間体であることが確かめられた。

6は赤色のチオインジゴイド部位をもつ化合物である。外部刺激によって可逆的に二色性を示すkとを見出した。二色性の原因はチオインジゴイド部位がアクセプター、ベンゾ[b]チオフェン縮環部分がドナーとする分子間電荷移動相互作用と推定した、類縁体のX結晶構造解析においてこのような相互作用が見られたことからも上記のメカニズムを支持していると考えられる。すなわちIR用錠剤成型器での加圧、めのう乳鉢でのすりつぶしによって赤色から黒色に変化することが確認された。この着色は加熱や、溶媒との接触で元の赤色にもどり、繰り返しこれらの挙動を示すことが分かった。6は溶液中での反応で大量合成する方法も開発した。

【3】 TCNQ、TCNQF4で生成する電荷移動錯体

 ドナー性をもつホスト化合物2はn−ブチロニトリル中でTCNQと再結晶することにより、結晶性の電荷移動錯体(1) : (TCNQ) : (n−ブチロニトリル)=1:1:1を生成した。またフッ素置換体であるTCNQF4についても同型の結晶が生成した。このTCNQF4を成分とする結晶は乳鉢上ですりつぶすと、電荷移動相互作用は更に強まり、ESRシグナル強度の増加やUVのスペクトルの長波長シフト変化が観測された電荷移動錯体をすりつぶしたのち、メタノール蒸気接触させるとメトキシ置換が固体状態を保たれたまま起こることが分かった。

【4】 包接体結晶での偽多形現象の誘起

 当初の目的であるホスト化合物1の包接現象について、各種溶媒からの再結晶により検討した。アセトニトリルを包接した結晶が包接比の異なる(ホスト:ゲスト比=1:1、2:1)2種の結晶を与える偽多形現象を起こすことを見出した。この2つはX線構造解析から水素結合パターンが異なることに起因した現象であることが分かった。またこの熱挙動を検討したところ、2種の包接体結晶間で水素結合パターンの組み替えを伴う結晶相(1:1)−結晶相(2:1)への変化を含むことが各種分析から明らかになった。

 以上のように化合物1、2を中心に固相、液相様々な化学反応性を調べることができた。本研究で見出された興味深い反応や現象はトリベンゾチエニルメタン骨格に特有のものである。特に(1)この化合物から発生するカルボカチオンの安定性(2)嵩高い剛直な平面を三つ有していること(3)ベンゾチオフェンのチオフェン環不飽和結合のオレフィン性(4)ベンゾチオフェン環のドナー性などが本研究のおける分子設計が成功した要因となったことが考えられる。

 ホスト1:アセトニトリル=1:1結晶

 ホスト1:アセトニトリル=2:1結晶

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は7章からなり、第1章は導入説明、第2章と第3章は標題化合物群の光反応、第4章は固相酸化反応、第5章は固相酸化反応生成物のクロモトロピズムについて、そして第6章では電荷移動錯体の気体−固体接触による固相置換反応、第7章では包接体結晶における偽多形について記されている。

 導入説明では、本研究の初期の目的が固相での異種二成分反応の開発であったこと、そのために包接体結晶に注目してホストーゲスト間の反応を誘起すべく新たな反応性ホスト化合物を設計、合成したことが述べられている。これらのホスト化合物では、期待通り固体での反応が起こることが第5章、第6章に記されることになるが、さらに溶液でも新規な光反応性を示すことが見い出されている。

 それら光反応のうち、トリ(ベンゾ[b]チエニル)メチルアルコールの光反応について第2章で述べている。この反応では、ベンゾ[b]チエニル環の不飽和結合が関与したシクロブチルケトンと7員環トロポン誘導体が生成し、それぞれの構造決定が各種スペクトル分析により行われている。これらの生成は、トリチル型第三級アルコールの光反応において従来から知られている反応からは予期できない、全く新しい反応形式である。特に、7員環トロポン誘導体は、これまで可能性が予言されていた光励起の「2a+2a+2]付加環化を経る反応と考えられ、非常に興味深いものがある。また、この光は溶媒効果を顕著に受けることも見い出されている。すなわち、ヘキサン中の光照射では、脱水閉環5員環化合物が生成する。この原因が、励起状態での溶媒効果に基づいて議論されている。

 第3章で述べられる光反応は、トリ(ベンゾ[b]チエニル)メタンの光反応である。この化合物は第2章の化合物のヒドロキシル基が水素原子に置き換わっただけの構造でπ−クロモフォアには本質的な変化がないにも関わらず、全く異なる反応性をもつことが明らかになった。すなわち、ジーπ−メタン型の転位反応により三員環化合物が生成している。さらに、第三級炭素位置の重水素置換体を合成して光反応を行い、生成物中の重水素標識位置を各種二次元NMRを利用して決定することにより、確かにジーπ−メタン型の転位に矛盾しないことを確認した。この転位生成物は、さらに光照射を長く続けるとチオピラン化合物に異性化することも見い出している。これら、光反応生成物の構造はX線結晶解析により明らかにされている。

 以上のように、溶液光化学反応に用いた化合物、すなわち、トリチエニルメタン誘導体ではいずれも、第三級炭素との結合の開裂よりも複素環の不飽和結合の光反応性が高いことを見い出した点は学術的価値が高いと評価される。

 次いで第4章では固体での反応性に移る。ここでは、トリ(ベンゾ[b]チエニル)メタンをジクロロジシアノキノンとを固体混合してメノウ乳鉢中で擦りあわせると、脱水素閉環体を経てチオインジゴイド化合物が生成するという固体反応を見い出している。トリ(ベンゾ[b]チエニル)メタンは非常に酸化され易いことが判るが、固体が空気中の酸素と接触してインジゴイドクロモフォアが容易に生成する例はこれまでになく、新規性の高い反応であるとともに、固体反応の一つの方向を示すものであろう。類似の反応はフルオレン誘導体でも起こることが確認され、この場合の固体反応生成物についてはX線結晶構造解析により分子構造と結晶構造が明らかにされている。

 第5章では、上で述べたチオインジゴイド型酸化生成物が赤色の高融点化合物であることを記し、これを擦ると黒色に変色する現象について検討している。チオインジゴイド化合物は、錠剤成型器で加圧しても、また、乳鉢中で擦っても黒色に変化する。固体反射スペクトルでは黒色体は近赤外部まで反射が延び、また粉末X線回折パターンからは結晶性が崩れていくことが分かった。黒色体は融点以下で加熱を続けると元の赤色体に戻ることから可逆的なクロモトロピズムの現象である。これまで、加圧や摩擦による固体のクロモトロピズムは限られた化合物群で見られるだけであったが、本研究で発見された化合物はこれ迄に例のない新しいタイプの化合物である。着色の原因については分子間電荷移動相互作用に基づく議論がされている。確実な根拠とは言えないものの、現象自身が非常に興味深く、むしろ今後の発展の種を蒔いた研究結果といえる。

 第6章では、前章での電子受容性分子との相互作用からヒントを得て、さらに電子供与性の高いトリチエニルメタン誘導体としてチエノチオフェン環からなる電子供与性ホスト化合物を合成し、様々な電子受容体との電荷移動錯体を生成する中で、TCNQとテトラフルオロTCNQ(F4-TCNQ)との電荷移動錯体が同形の結晶を与えることを記している。F4-TCNQを受容体とする結晶をメノウ乳鉢中で擦ったのちメタノールの蒸気にさらすとメトキシ置換反応が起こることを見い出している。TCNQを成分とする結晶ではこのような反応は起こらず、フッ素の電子的効果の違いが現れている。同じ結晶構造でありながら、すなわち同形の結晶において、電子的効果の異なる、従って反応性の異なる固体どうしは、分子における異性体の関係であるというユニークな発想のうえに、同形結晶の固体反応性の違いを浮き出させたユニークな実験と言えよう。

 最後の第7章では、包接体結晶における僞多形の発現と、それに伴う新規水素結合パターンの発見について記している。アセトニトリルをゲスト分子とする結晶でホスト:ゲスト組成比の異なる、すなわち1:1と2:1の二種類の結晶が得られ、X線結晶解析により結晶構造を明らかにするとともに、ゲスト脱離による1:1から2:1の結晶への固体−固体変換について詳細な固体化学的実験を行っている。

 以上のように、本論文で述べられた幾つもの光化学反応と固体化学上の現象は、いずれも論文提出者のオリジナリテイーの高いものと認められ、なお学術上の価値も高いと認められる。

 よって、本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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