学位論文要旨



No 116837
著者(漢字) 浅岡,陽一
著者(英字)
著者(カナ) アサオカ,ヨウイチ
標題(和) 太陽活動極大期における宇宙線反陽子流束の精密測定
標題(洋) Precise Measurements of Cosmic-Ray Antiproton Spectrum at Solar Maximum
報告番号 116837
報告番号 甲16837
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4100号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,洋一郎
 東京大学 教授 牧島,一夫
 東京大学 教授 寺沢,敏夫
 東京大学 助教授 森,俊則
 東京大学 教授 酒井,英行
内容要旨 要旨を表示する

 宇宙線反陽子はGolden等による初めての観測以来大きな注目を集めてきた.その起源として第一に考えられるのは,一次宇宙線(陽子・ヘリウム等)と星間物質との衝突で生成される二次起源成分である.このような二次起源流束は,一次宇宙線のスペクトラムと反陽子生成過程における運動学的要因により,2GeV付近にピークを持ち,その両側で急激に減少するという特徴的な形をしている.二次起源成分の絶対流束とスペクトルの形を測定することで,銀河間での伝播過程を研究することが可能である.一方,原始ブラックホール(PBH)の蒸発や,銀河ハローを構成する超対称性粒子暗黒物質の対消滅によって生成される一次起源成分が存在する可能性も指摘されており,こちらは低エネルギーまで平坦に延びるスペクトルが予測されている.BESS実験は98年までに,0.18-4.2GeVの運動エネルギー領域で精密な反陽子流束の測定を行い,二次起源成分ののピーク流束を10%の精度で測定した.さらにその結果を用いて,伝播モデルの検証と共に,素粒子・宇宙物理学的に非常に興味深い,未知過程に起因する一次起源成分の探索を行ってきた.

 太陽は22年の磁場のサイクルを持ち,その磁極は11年ごとの太陽活動極大期に反転する.太陽表面の磁場をその中に凍結した太陽風は,赤道面で400km/s,極で800km/sの速度で拡がっている(太陽活動極大期には,共に600km/s).太陽の自転及び磁極が太陽の北極/南極からずれていることによって,拡散していく太陽風は太陽系内に非常に複雑な磁場のパターンを形成する.宇宙線の太陽変調(solar modulation)は,局所的な磁場中での荷電粒子の拡散/対流等によってもたらされる宇宙線のエネルギースペクトラムの変化を意味する.一方,その電荷依存性は,大局的な磁場中でのドリフトパターンによって生み出されると考えられており,その対比は非常に興味深い.BESS実験は99年,2000年の観測を加え,太陽活動の極小期から極大期まで反陽子流束の経年変化を追うことに成功した.特に太陽磁極の正から負への反転が99年と2000年の間に起きており,これらのデータは太陽変調の電荷依存性を調べる上で新しいプローブとなる.これまで,電荷依存性は質量の大きく異なる電子と陽子やヘリウムの核子の比の時間変化として調べられてきたが,BESS実験では質量の等しい陽子・反陽子の同時測定が可能であり,より純粋に電荷依存性を研究することができる.

 本研究では,太陽活動極大期にBESS実験によって測定された宇宙線反陽子流束の測定結果を基に,太陽変調及びその電荷依存性について詳しく議論・検証し,太陽系内での低エネルギー宇宙線への理解を深めると共に,宇宙線反陽子の起源に迫ることを目的とする.また,2000年までに2000例を越える反陽子事象を観測し,今や精密測定となった宇宙線反陽子流束の測定において支配的な系統誤差となっていたBESS測定器反陽子検出効率の絶対較正についても詳細に記述する.

 図1に示したBESS測定器は,極低頻度な宇宙線成分の探索と様々な一次宇宙線の精密測定を行うことを目的として提案され,発展してきた気球搭載型の超伝導スペクトロメータである.薄肉超伝導ソレノイドの採用は,大面積・大立体角,一様な性能という他の反粒子探索実験にはないユニークな,そして本質的な利点をもたらした.粒子識別は"質量の同定"という最も確実な方法で行われており,薄肉超伝導ソレノイドと共に,BESS測定器の大きな特徴となっている.なお,質量の再構築は,磁場中(1T)での粒子飛跡から運動量と電荷を,TOFホドスコープから粒子速度を測定することによって行われている.測定器はさらに閾値型のエアロゲルチェレンコフカウンタ(Aerogel)を搭載し,反陽子識別可能領域の大幅な拡大を実現している.

 一方,これまでの反粒子探索実験において薄肉超伝導ソレノイドが採用されなかったのは,入射粒子に対して不可避な透過物質量が存在するためであり,ヘルムホルツ型の磁石を採用している他実験に比べ透過物質量が大きくなることは避けれられない.このため,より大きな測定器内相互作用による損失の補正を必要とし,反陽子検出効率に対して最大15%の系統誤差を評価している.我々は測定器の粒子検出効率を,GEANT/GHEISHAに基づくモンテカルロシミュレーション(BESS MC)によって評価している.BESS MCには測定器の詳細な物質量分布や現実的な応答が含まれており,さらに,反陽子原子核間の相互作用断面積には過去の実験データを再現するように変更したものが用いられている.しかしながら,二次粒子の振舞いや測定器の応答に対する不定性が検出効率に与える影響を精度よく推定することは難しく,特に低エネルギー領域では,相互作用による損失が支配的な系統誤差の原因となっている.

 99年にKEKの12GeV PS(K2エリア)にて行ったBESS測定器のビームテストは,反陽子ビームを用いた検出効率の直接測定によって,その系統誤差の大幅な削減を目指したものである.図2に,BESS測定器ビームテスト時のK2ビームラインのセットアップを示した.ビームラインには,4枚のトリガーカウンタ,2台のドリフトチェンバー,1台のエアロゲルチェレンコフカウンタを配置した.これらの測定器によって,BESSへの入射粒子の識別,入射位置・エネルギーの決定を十分な精度で行うことができる.BESSへのビームの入射位置としては,透過物質量や通過領域の観点から宇宙線の入射を代表することができるような3点を図3に示すように選び(CFG1-3),それぞれの位置に対して,BESS測定器直上で1GeV以下の運動エネルギーを持つ反陽子,陽子を入射し,データを取得した

 図4に,このビームテストの結果得られたBESS測定器検出効率の直接測定結果を示す.ビーム起源の系統誤差(ビームダンプの影響,偶発性粒子混入の影響など)については詳細に検討して見積もっている.図には,同じ条件で生成したBESS MCの結果も示しておいた.約0.2GeV以下でビームテスト結果とMCの検出効率に大きなずれが見られるが,この領域は急激に検出効率が変化するところであり,ビームエネルギーの決定に伴う系統誤差が原因である可能性が高い.それ以上のエネルギーでは,陽子・反陽子とも,非常に良く一致しており,データとMCの間の差は,検出効率に対して相対的に反陽子で3%,陽子で2%以内に押さえられている.さらに,ビームテストの結果を用いて,BESS MCの詳細な理解,検証を行い,検出効率の決定に対してGHEISHAが十分に信頼できることを確認した.また,MCに含まれている物質量や測定器の記述についても検証した.この結果,反陽子の検出効率に伴う系統誤差が,測定器直上で,0.16-1.0GeVのエネルギー範囲で5%以内に押えられていることを確認した.また,陽子に関しても,0.4-1.0GeVの範囲で2%以下に押えられていることが示された.BESS測定器は年々改良されているが,質量の同定による粒子識別に代表される測定器の特徴が保たれていること,及びBESS MCの信頼性に対する詳細な検証が行われたことから,ここで得た結果は過去および将来(南極での長期フライトも含む)の反陽子流束の測定にも適用可能である.

 図5に,太陽活動極小期の97年の結果と共に,99年,2000年の反陽子・陽子比を示した.反陽子陽子は共に絶対流束として測定しており,その後に比の形を取って示している.反陽子,陽子は質量の同定によって識別し,上述の検出効率絶対較正の結果を用いて大気頂上での流束計算を行った.流束に対する系統誤差も詳細に推定している.

 二次起源反陽子と宇宙線陽子はスペクトラムの形と電荷の符合において異なる.電荷依存性を組み込んだモデル(ドリフトモデル)によると,これらの効果は太陽極性が正のときは相殺する方向に,極性が負のときは強め合う方向に働く.従って,極性が正の期間の反陽子・陽子比はほぼ一定で,極性反転に際して急激な上昇を示すことが期待される.図中の破線,一点差線,実線は,それぞれ,正極性における太陽活動極小期,正極性における太陽活動極大期,負極性における太陽活動極大期におけるBieber等の計算結果である.それぞれの線が,ほぼ97(破線),99(一点差線),2000年(実線)のフライト時期に対応する.一方,電荷依存性を含まない球対称なモデルによると,比の変化にはスペクトラムの違いのみが寄与することになる.よって,球対称なモデルによる99年と2000年のフライト時における反陽子・陽子比は図中の点線のように予測され,極性反転前後の比の変化は電荷依存性を含むモデルの予測より小さく押えられる.我々の得た結果は2000年に急激な上昇を示しており,ドリフトモデルの予測により合致している.一方,図6には,93年から2000年までの反陽子・陽子比の経年変化を〓0.3(四角),〓1.0(丸),〓1.9GeV(星)のエネルギーについて,銀河間での値で規格化して示した.図中破線がドリフトモデル,点線が球対称モデルの予測である.ここでもドリフトモデルとの全体的な一致が見られる.また,モデルパラメーターや銀河間での流束の異なるドリフトモデルも,定性的に同様な振舞いを予測している.

 BESS実験は93年の初飛翔において低エネルギー宇宙線反陽子の存在を証明し,その後の測定器の改良と合わせて2000年までに2000事象を越える反陽子を検出し,太陽活動の極小期から極大期までの流束の経年変化の測定に成功している.99年から2000年にかけての太陽活動極大期には太陽極性反転に伴う反陽子・陽子比の急激な上昇をとらえ,太陽変調の電荷依存性についての決定的なデータを提示した.さらに,太陽活動極小期から極大期までの広いエネルギー領域における反陽子・陽子の絶対流束の同時測定は,太陽変調のモデルをより深く研究するために非常に重要なデータとなる.また,低エネルギー反陽子の起源を探求する上でも,太陽変調の詳細な理解は不可欠である.特に,一次起源反陽子はソフトなスペクトラムが予想され,太陽活動によって大きく影響を受けるため,太陽変調の総合的な理解は,今後より精密に一次起源成分を探索していく上で欠くことのできない非常に重要な情報である.

図1:BESS-2000測定器.

図2:BESSビームテスト時の,K2ビームラインのセットアップ

図3:CFG1-3それぞれの,BESS測定器への反陽子ビーム入射位置.

図4:(a) CFG1,(b) CFG2,CFG3における,反陽子,陽子検出効率の直接測定.

図5:1997,1999,2000年における,反陽子陽子比スペクトラムの測定.

図6:太陽活動極小期から極大期における,反陽子陽子比の経年変化.

ハッチは磁極反転の時期を表す.

審査要旨 要旨を表示する

 宇宙線反陽子は、一次宇宙線(陽子やヘリウム原子核)と星間物質との衝突で銀河間において生成される二次起源成分が主であるが、原始ブラックホール(PBH)の蒸発や、銀河ハローを構成する暗黒物質の対消滅によって生成される一次起源成分が存在する可能性も指摘されている。反陽子二次起源成分の研究により、銀河間の伝播過程を研究することが可能となる。太陽活動極大期の太陽モジュレーションについてはモデル化がむずかしい。特に、取り扱いの難しいドリフトの効果については良くわかっていない。質量の等しい反陽子・陽子比は、荷電依存性・ドリフト効果を含めた太陽モジュレーションモデルの研究に理想的である。ドリフトの効果により、反陽子・陽子比は太陽活動極大期の太陽磁場極性の反転の前後で、急激な上昇が予想されている。

 本論文では、太陽活動極大期の太陽磁場極性の反転の前後における宇宙線反陽子・陽子比の精密測定により、太陽モジュレーションの研究を行うとともに、原始ブラックホー(PBH)などの一次起源成分の探索を行なっている。

 本論文は、9章からなり、第1章は序論、第2章は実験装置についての記述であり、第3章はKEKでのビームテストによる検出効率の決定について述べている。第4章は気球観測について、第5章はデータ解析、第6章は反陽子、陽子の流束強度の決定方法、第7章は、実験結果と実験誤差の議論、第8章は太陽モジュレーションと原始ブラックホールの議論、第9章に結論が述べられている。

 本実験は気球搭載型の超伝導スペクトロメータ、BESS実験装置を用いている。薄型超伝導ソレノイドの採用は、大面積、大立体核、一様な磁場という他の反粒子探索実験にはないユニークな利点をもたらした。粒子の識別には、ソレノイドにより運動量と電荷の決定、TOFでの速度の測定、エアロゲルチェレンコフでの電子・ミュー粒子の除去を通じて行われる。BESS実験は93年以来、99年、2000年の観測を加え、太陽極小期から極大期まで反陽子の経年変化を追うことに成功した。また、2000年までに2000例を超える反陽子事象を観測し、BESS実験は精密測定実験となった。このため、系統的誤差や検出効率の絶対較正が実験の重要な要素になっている。特に、BESSの特徴ともいうべき薄肉超伝導スペクトロメータでの相互作用による損失の補正は最大15%の系統誤差が見込まれていた。

 この系統誤差をKEKの12GeVPSで作られる反陽子ビームを用いて、検出効率の直接測定を行うことにより大幅に削減した。この結果反陽子の検出効率に伴う系統誤差が5%以内に抑えられていることが確認された。また、陽子に関しても2%以下に抑えられていることが分かった。閾値型エアロゲルチェレンコフカウンターにより、高エネルギー領域で圧倒的なバックグラウンドである電子やミュー粒子を除去し最終的に反陽子を選別している。

 反陽子・陽子はともに絶対流速として測定し、その後比の形をとっている。二次起源反陽子と宇宙線陽子の流速は太陽モジュレーションにより変化する。荷電依存性を考慮した太陽モジュレーションモデル(ドリフトモデル)によると、その変化は、太陽極性が正の時は相殺する方向に、極性が負の時は強めあう方向に働く。したがって、その比は、極性反転に際して急激な上昇を示すことが期待される。99年と2000年の測定はまさにこの時期に対応している。実験データはドリフト効果を入れたBeiberたちの計算結果によく一致している。ドリフト効果を入れないと99年と2000年の陽子比の変化は小さく抑えられる。ドリフト効果を入れないモデルと実験結果は合わない。

 本論文では、太陽活動極大期における反陽子・陽子比の急激な上昇をとらえ、太陽モジュレーションの電荷依存性についての、世界で始めての、決定的なデータを示した。この結果は、ドリフト効果を強く示唆するものである。今後、本論文の結果を契機として、この分野の研究は大きく発展してゆくと思われる。本論文の学術的価値はきわめて高いものである。

 論文提出者は学部の4年からBESS実験に携わり、主に、エアロジェルカウンタの開発(1997〜搭載まで)、KEKでのビームテスト実験の計画、実施及び解析、1999年2000年の低エネルギー反陽子・陽子の解析、1999年2000年の結果の物理的な議論および解釈を行った。また、ビームテスト実験の結果をとりこんで、その知見をもとに解析方法をブラッシュアップし、測定器の理解や低エネルギー事象の理解を進めた。また、上昇中のデータを用いた大気陽子の見積もりにも貢献した。Dataの解析に主体的に取り組みBESS実験の主要な役割を演じている。さらに、毎年のフライトでのトリガー条件の最適化、BESS-TeV用ODCの開発、なども行った。

 以上により、本実験は論文提出者を含む共同研究であるが、論文提出者が本実験に関して本質的な寄与をしていることは明らかである。また、同意承諾書も完備している。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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