学位論文要旨



No 116841
著者(漢字) 岡林,潤
著者(英字)
著者(カナ) オカバヤシ,ジュン
標題(和) 高エネルギー分光によるIII−V族希薄磁性半導体及び関連するナノ構造の研究
標題(洋) High-energy spectroscopic studies of III-V based diluted magnetic semiconductors and related nanostructures
報告番号 116841
報告番号 甲16841
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4104号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小谷,章雄
 東京大学 教授 塚田,捷
 東京大学 教授 柿崎,明人
 東京大学 教授 家,泰弘
 東京大学 助教授 勝本,信吾
内容要旨 要旨を表示する

 磁性元素を含む半導体としては、今までII-VI族希薄磁性半導体を中心に研究が行なわれてきたが、近年、低温分子線エピタキシー(MBE)によりIII-V族半導体GaAs, InAs中への高濃度のMn添加が可能となった。これらの物質は、電気伝導性の増加とともに強磁性を示すことから、物理学的見地のみならず、デバイス応用の観点からも注目を集めている。この強磁性は、磁性不純物Mnと相互作用する正孔が関与していると考えられることから「キャリア誘起強磁性」と呼ばれている。本研究では、キャリア誘起強磁性の発現機構を解明することを目標とし、そのために光電子分光により電子構造を調べた。キャリア誘起強磁性の起源として、RKKY相互作用、二重交換相互作用などが候補に挙げられてきたが、本研究ではその妥当性を議論した。本研究では、3つの物質、Ga1-xMnxAs, In1-xMnxAs,閃亜鉛鉱型MnAsドットについて光電子分光等を用いて電子構造の解明を行なった。特に、Ga1-xMnxAs, In1-xMnxAsの光電子スペクトルを比較することで、キャリア誘起強磁性を引き起こす電子構造の特徴を理解することができた。また、III-V族希薄磁性半導体の中ではGa1-xMnxAsの強磁性転移温度が最高で110K程度であるが、実用化のためにはより高い転移温度の物質設計が要求されている。このためにはGa(またはIn)格子位置を置換するMnの濃度を増やすこと、正孔キャリア数を増やすことが必要である。Mnを100%置換した閃亜鉛鉱型MnAsが、バンド計算からハーフメタリックな状態と予想されており、その作製及び物性の解明が期待されてきた。バルク、薄膜でNiAs型構造が安定なMnAsをドットサイズで作製することで閃亜鉛鉱型MnAsの作製に成功し、高エネルギー分光による電子構造の解明に取り組んだ。以下に本論文における研究結果の概要を示す。

Ga1-xMnxAs Ga1-xMnxAsは1996年に大野らにより初めて作製された。MnがMn2+の形でGaサイトに取り込まれ、正孔を供給することでキャリア数を増やしていると考えられており、輸送特性、光物性などが盛んに研究されてきた。我々は放射光を用い、共鳴光電子分光法により、Mn3d準位を測定し、角度分解光電子分光法によりGa1-xMnxAsのエネルギーバンド分散を調べた。Mn3d準位はバンド計算では再現できないサテライト構造が観測され、フェルミ準位近傍でのMn 3dスペクトル強度が抑えられている結果が得られた。このスペクトルをMnとそれを4配位で取り囲むAsを考慮したクラスターモデルによる解析を行ない、電子構造を特徴づけるパラメータをスペクトル形状のフィッティングにより求めた。解析から、フェルミ準位近傍はAs 4p軌道が支配的で、As 4p軌道の電子がMn 3d軌道に電荷移動することでMn2++正孔という電子構造をとることで説明できた。次に、Ga1-xMnxAsとGaAsの角度分解光電子分光を行ない、両者を比較することで、エネルギー分散の違いを観測できた。(001)面の試料による放射光を用いた角度分解光電子分光により、垂直放出のみでなく非垂直放出を利用し、ブリユアンゾーン内の対称性の高い全ての線に沿ったエネルギーバンド分散の観測に成功した。その結果、全ての対称性の高い方向において、Ga1-xMnxAsではフェルミ準位近傍にGaAsでは観測されない新たな状態が出現し、共鳴光電子分光の結果と併わせ、この新たな状態がMn 3d準位と価電子帯頂上のAs 4p準位の混成(p-d混成)によりGaAsのバンドから分離して形成された状態と解釈した。フェルミ準位には観測可能なほどのスペクトル強度を持った状態がなく、金属中の磁性不純物間のRKKY相互作用とは状況が異なっていることがわかった。価数の違う(例えばMn2+とMn3+)Mn間でのd軌道の正孔のホッピングによる二重交換相互作用についても、価電子帯頂上がAs 4p軌道が支配的なため否定されると考える。我々は、新しい機構として、p-d混成を通してMnイオンによって偏極されたキャリアが伝導を担うと考えている。このモデルは金森らによって定式化されつつある伝導電子の運動エネルギーの利得による強磁性出現機構と共通している。

In1-xMnxAs III-V族希薄磁性半導体は、宗片らによりMBE法によりInAsに非平衡状態でMnをパーセントオーダーまで多量に添加できたことから始まった。In1-xMnxAsは、強磁性転移温度はGa1-xMnxAsに比べ低いが、光誘起強磁性など興味深い現象が報告されている。我々は、Ga1-xMnxAs同様、In1-xMnxAsについても光電子分光測定を行なった。共鳴光電子分光を行ない、Ga1-xMnxAsと似ているが、やや異なるMn 3d状態密度が得られた。同様なクラスターモデル計算による解析により、Ga1-xMnxAsに比べp-d混成が弱いことがわかり、p-d交換相互作用が小さいと結論した。InAsは格子定数がGaAsよりも大きいため、Mnと配位子Asとの混成は小さくなる。In1-xMnxAsの強磁性転移温度が低いことも、p-d交換相互作用の値が小さいことから説明できる。また、角度分解光電子分光では、In1-xMnxAsとInAsでフェルミ準位近傍での違いは観測できなかった。p-d混成が弱いために、Ga1-xMnxAsの場合のように、価電子帯頂上から分離した状態が観測できないと解釈できる。したがって、正孔はMn2+の周りに束縛されず、自由な正孔として動きまわるものと考えられる。

閃亜鉛鉱型MnAsドット 遍歴強磁性金属MnAsはMn周囲にAsが6配位のNiAs型構造が安定であるが、Ga1-xMnxAs, In1-xMnxAsの高濃度極限である仮想的な閃亜鉛鉱型MnAsは、III-V族希薄磁性半導体の物性解明に糸口を与えてくれるものと信じられてきた。最近、GaAs表面を硫黄原子終端化することで、その表面へ蒸着された微量なMnとプニクトゲンはドットを形成することが報告されている。このことを利用して硫黄終端化したGaAs上にMnAsドットを成長し、その構造評価を原子間力顕微鏡(AFM)及び透過型電子顕微鏡(TEM)にて行ない、格子像からMnAsドットが閃亜鉛鉱型結晶構造を組むことがわかった。本論文では、閃亜鉛鉱型MnAsドットの作製について述べ、光電子分光及びX線吸収分光(XAS)の測定結果を議論する。ドット成長後、MBE装置から超高真空中を搬送し、その場観察の光電子分光測定を行なった。共鳴光電子分光によるMn 3d状態密度は、スペクトル形状がGa1-xMnxAsと良く似ており、閃亜鉛鉱型MnAsが得られたことを示唆した。NiAs型MnAsとは異なり、フェルミ準位近傍のスペクトルは抑えられており、局在性の強いMn 3d準位を示唆するスペクトルが得られた。これは、NiAs型におけるMn-Mn間の距離に比べ、閃亜鉛鉱型ではMn-Mn間の距離が離れているためと考えられる。次に、閃亜鉛鉱型MnAs膜の作製を目指してドット密度の異なる試料を作製し、X線吸収分光にてドット密度依存性を調べた。希薄なMnAsドット密度では、GaAs中のMnと良く似たXASスペクトルが得られた。ドット間の距離が接近、接触しはじめるドット密度では、XASスペクトルはブロードになり、NiAs型に構造が転移したものと閃亜鉛鉱型MnAsの混在を示唆した。閃亜鉛鉱型MnAsドットは、下地の硫黄との結合に引きずられ、閃亜鉛型を形成するものと考えられるが、厚膜作製は、ある臨界膜厚を境にNiAs型MnAsに転移してしまうものと考えられる。また、局所的な磁気的情報を得るために軟X線領域での磁気円二色性(XMCD)の測定を行なった。高密度のMnAsドットでは強磁性を示し、100K, 70Kでは明瞭なXMCDスペクトルが得られ、構造転移を伴いNiAs型MnAsも混在した結果となった。

 本研究では以上のように、III-V族希薄磁性半導体において、p-d混成効果が強磁性出現に重要な役割を果たしていることを見い出した。物質設計の立場からは、強いp-d混成が期待できる磁性半導体において、高い強磁性転移温度の物質が予想される。また、Ga1-xMnxAs, In1-xMnxAsの高濃度極限である閃亜鉛鉱型MnAsのドット構造の作製に成功し、その電子構造がIII-V族希薄磁性半導体と良く似た結果となった。閃亜鉛鉱型MnAsフィルムの作製は構造転移のため難しく、今後のさらなる研究を必要とする。以上のように、本研究では希薄磁性半導体の電子構造について新しい知見を得ることができた。本研究の結果は、ナノテクノロジーを支える新しい物質開発に貢献できるものと思われる。

審査要旨 要旨を表示する

 III-V族化合物半導体GaAsおよびInAsにMnをドープした物質は、電気伝導度の増加とともに強磁性を示すことから、この現象は「キャリア誘起強磁性」と呼ばれ、磁性と伝導性の相関に強い関心がもたれている。本論文は光電子分光を中心とする実験によりこれらの物質の電子状態をしらべ、キャリア誘起強磁性の機構を研究したものである。

 本論文は6章から構成されている。第1章は序論で本研究の目的と背景が述べられ、第2章では光電子分光を中心とする高エネルギー分光実験についての説明がなされている。第3章は本論文の中心部分で、Ga1-xMnxAsに対する共鳴光電子分光と角度分解光電子分光の実験と解析がおこなわれている。第4章はIn1-xMnxAsに対する同様な研究の報告であり、第5章は閃亜鉛鉱型MnAsドットの作製とその分光実験にあてられている。第6章はまとめである。

 GaAsは非磁性の半導体であるが、Ga1-xMnxAsはMnの添加とともに金属的伝導を示すようになり、それに伴って強磁性状態をとる。電気伝導度と強磁性転移温度はともにxが0.05の近傍で最大値をとり、さらにMn濃度が増加すると半導体に戻る。本論文では、xが0.035と0.069の試料に対して共鳴光電子分光の実験を行い、MnAs4クラスター模型による解析を行っている。スペクトルの形状にはMn3d電子の相関効果の重要性を示唆するサテライト構造があり、Mnは2価の状態をとること、フェルミ準位近傍の電子状態は主としてAs4p状態からなることが明らかにされた。次に、角度分解光電子分光実験により、価電子帯の電子分散が測定され、GaAsでは観測されない新たな状態がフェルミ準位近傍に出現することが見出された。これは、Mn3d・As4p間のp-d混成により、GaAsの価電子帯から分離して形成された一種の不純物状態と解釈された。以上を総合し、3価のGaが2価のMnで置換されると、フェルミ準位近傍に形成される不純物状態に正孔が導入され、それが伝導に寄与すると同時にMn3dスピン間の結合を媒介し、強磁性秩序を引き起こすという描像が導かれた。

 In1-xMnxAsではGa1-xMnxAsよりも多量のMnが添加できるにもかかわらず、強磁性転移温度は低い。In1-xMnxAsに対して行われた共鳴光電子分光と角度分解光電子分光の実験結果からは、Ga1-xMnxAsに比べてp-d混成が弱いこと、そのために不純物状態がInAsの価電子帯から分離されないことがわかった。したがって、Mnの添加によって作られた正孔は、不純物状態ではなくInAsの価電子帯に入り、Mnとの結合が弱く、強磁性転移温度が低くなるものと解釈された。

 Ga1-xMnxAsおよびIn1-xMnxAsの高濃度極限である閃亜鉛鉱型MnAsは安定でなく、MnAsの安定構造はNiAs型であることが知られている。しかし、GaAs表面上にMnAsを成長させることにより、閃亜鉛鉱型MnAsの薄膜を作ることができれば、新物質の創製として大きな意義がある。本研究では、硫黄終端化したGaAs上にMnAsドットを成長させることに成功し、原子間力顕微鏡像および透過型電子顕微鏡像によりその構造評価が行われた。また、光電子分光およびX線吸収分光により、MnAsドットのスペクトル形状はGa1-xMnxAsのものに類似しており、NiAs型のMnAsよりも局在性の高いMn3d電子状態をもつことが確認された。しかし、ドットの密度の増大ととも、これらのスペクトル形状はNiAs型MnAsのものに変形することが見出され、NiAs型への構造相転移が生じるものと解釈された。したがって、ドットを接合して閃亜鉛鉱型MnAsの薄膜を作ることは難しく、今後のさらなる研究が必要である。

 以上の研究は、III-V族希薄磁性半導体の電子状態を分光学的手段により研究し、電子状態と磁性および伝導性との間の関係を論じたもので、この分野の研究発展に対する寄与を十分に評価することができる。よってこの論文は博士(理学)の学位論文として合格であると審査員全員が認めた。

 なお、本研究は、藤森淳教授(指導教官)らとの共同研究となる部分を含むが、研究計画からその遂行、結果の考察まで、論文提出者が主体となって行ったものであることが認められた。

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