学位論文要旨



No 116845
著者(漢字) 坂根,勲
著者(英字)
著者(カナ) サカネ,イサオ
標題(和) 分子間力顕微鏡によるスタフィロコッカルヌクレアーゼ1分子アンフォールディングの研究
標題(洋) Single-molecular unfolding of staphylococcal nuclease studied by intermolecular force microscopy
報告番号 116845
報告番号 甲16845
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4108号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川戸,佳
 東京大学 教授 小林,孝嘉
 東京大学 教授 宮下,保司
 東京大学 教授 豊島,近
 東京大学 教授 佐野,雅己
内容要旨 要旨を表示する

 これまでのタンパク質の折れ畳みの実験は、多数個のタンパク質分子を対象として、それらの平均値を測定する方法で行われてきた。この方法では、少数の折り畳み中間体や、不安定な折れ畳み中間体からの信号は、大多数の平均的な構造からの信号に埋もれてしまう。

 この問題を解決するためには、1分子に対する測定が必要となる。この研究では、スタフィロコッカルヌクレアーゼ(SNase)1分子を、分子間力顕微鏡によって力学的に伸長しアンフォールドさせる実験を行った。

分子間力顕微鏡

 分子間力顕微鏡(IMF)とは、分子内や分子間に働く微細な力を計測するために、原子間力顕微鏡(AFM)に独自の改良を施した装置である。自作の極めて柔らかいカンチレバー(0.1pN/nm)と、光の輻射圧を利用したカンチレバーの位置制御機構により、サブピコニュートンの力分解能とナノメートルの位置分解能での計測が可能となった。

 従来のAFMでは、カンチレバーの力とたわみを独立に制御できないために、余剰弾性力の問題が生じるが、フィードバック機構によりそれが回避できることを示した。

SNase

 SNaseは、149残基から成る球状タンパク質であり、αへリックスとβシートからなる。フォールディングの研究の対象として、これまで詳しく研究されてきた。

 システインの持つチオール基は、金に化学吸着することが知られている。SNaseを力学的に伸長するため、SNaseのN末端とC末端にシステインを導入した変異体を作製した。この変異体は、ジスルフィド基を形成し、自己重合する能力も持っていたため、単量体から多量体までの様々な形態のSNaseについて計測することが可能であった。

金基板上での活性測定

 金基板に吸着したSNaseが変性していないことを確認するため、金基板に吸着したSNaseのDNA加水分解活性を測定した。SNaseが吸着した金基板上にλDNAの溶液を滴下し、37℃で24時間反応させた。反応後のDNA溶液をアガロースゲルで電気分解し、断片化したDNAの長さと量から活性を求めた。その結果、活性を持つ分子が1μm2あたり1つあると見積もられた。

金基板上のSNaseの1分子イメージング

 1個のタンパク質を伸長することができるかを確認するため、Cy3蛍光色素で標識したSNaseを金基板に吸着させ、その蛍光像を観察した。その結果、金基板上のSNaseの間隔がおよそ1μmで有ることが分かった。IFMのプローブ先端の曲率半径は、大きく見積もっても100nmであるから、一度に一つだけのタンパク質を伸長することが可能であることが確認された。

SNaseの力学的アンフォールディング

フォースカーブの解析

 分子を力学的に伸長することにより、伸長した長さと力の関係(フォースカーブ)を得ることができる。IFMにより単一のSNase多量体分子を伸長した結果、図1に見られるような結果を得た。この図は、同一の多量体分子を(1),(2),(3)の順番にしたがって伸長・短縮・伸長した場合のフォースカーブである。(1)では、95nmのピークから10nm離れた所に105nmの小さなピークが観察された。このピークは、考察の結果、SNaseのC末部分のαへリックスがアンフォールドした結果生じた物と同定された。

 球状タンパク質の一部分が力学的にアンフォールドする結果が得られたのは初めてのことである。また、この105nmのピークは、同一のタンパク質に対する2回目の伸長である(3)では観察されなかった。これは、力学的アンフォールディング過程において、部分的なアンフォールド状態を経由する過程と、そういう過程を経ずに直接アンフォールドする過程の二つが有ることを示している。力学的アンフォールディングにおいて、二つのアンフォールド経路が示されたのは初めてのことである。

Ca2+の影響

 カルシウムイオン(Ca2+)やSNaseの阻害因子であるpdTpは、SNaseと結合して、SNaseを安定化することが知られている。そこで、Ca2+がSNaseの力学的伸長にどの様な影響を与えるかを調べるため、Ca2+が存在するもとでSNaseの伸長実験を行った。その結果、多くの場合、SNaseはIFMで計測できる力の範囲内では伸長せず、アンフォールドに強い力を必要とする安定な構造をとっている事が分かった。しかし、図2に見られるような特徴的なフォースカーブを示す結果も得られた。

統計的な処理

 図1や図2のようなフォースカーブの特性を調べるため、個々のフォースカーブについて、そのピークに対応する伸長と力を統計的に処理した。その結果、図3に見られるような統計分布を得た。この分布は、(A)に示されているように、ピークとピークの間の距離について分布を取ったものである。その結果、Ca2+が無い時、(B)の様な結果が得られた。部分的なアンフォールディングの結果として生じる距離差に対応したピークが(*1)や(*2)に見られた。Ca2+が有る時の分布(C)は15nm付近にピークがあるだけで、Ca2+が無いときと明確な差が生じた。

力学的アンフォールディング経路のモデル

 実験で得られたフォースカーブ(図1)や統計分布(図3)と、SNaseの二次構造とを対応させて考察を行い、SNaseの部分的なアンフォールドは、C末のαへリックスがアンフォールドしたものだと同定した。また、Ca2+の結合ドメインがN末側のβシートを中心とした部位に集中していることから、Ca2+は主にβシート部分を強固にし、そのため、Ca2+存在下における分布図3(C)では、その部分のアンフォールディングに対応するピークが見られないと説明された。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究の目的は、タンパク質1分子を力学的にアンフォールドさせることにより、タンパク質の折れ畳み機構の新たな知見を得ることである。

 これまでのタンパク質の折れ畳みの実験は、多数個のタンパク質分子を対象として、それらの平均値を測定する方法で行われてきた。この方法では、少数の折り畳み中間体や、不安定な折れ畳み中間体からの信号は、大多数の平均的な構造からの信号に埋もれてしまう。この問題を解決するためには、1分子に対する測定が必要となる。論文提出者は、タンパク質スタフィロコッカルヌクレアーゼ(SNase)1分子を、分子間力顕微鏡を用いて、力学的に伸長することにより、アンフォールドさせる実験を行った。

 本研究で用いられた分子間力顕微鏡(IMF)とは、分子内や分子間に働く微細な力を計測するために、原子間力顕微鏡(AFM)に独自の改良を施した装置である。自作の極めて柔らかいカンチレバー(0.1pN/nm)と、光の輻射圧を利用したカンチレバーの位置制御機構により、サブピコニュートンの力分解能とナノメートルの位置分解能での計測が可能となった。

 試料タンパク質SNaseは、149個のアミノ酸から成る球状タンパク質である。その構造は、αへリックスから成るC末ドメインと、主にβストランドから成るβバレルドメインで構成されている。論文提出者は、SNaseを力学的に伸長するため、SNaseのN末端とC末端にシステインを導入した変異体(NC-Cys SNase)を作製した。システインの持つチオール基が、金に化学吸着する性質を利用し、タンパク質の一端を金蒸着したガラス基板に、他端を金を蒸着したIMFプローブに固定する。この変異体は、ジスルフィド結合により、自己重合する能力を持つため、単量体から多量体までの様々な形態のSNaseについて計測することが可能であった。

 論文提出者は、1分子の力学的アンフォールドが可能であるかを判定するための実験を行った。金蒸着基板に吸着したNC-Cys SNaseが活性を持つ天然構造であることを示すため、金蒸着基板に吸着したSNaseのDNA加水分解活性を測定した。その結果、活性を持つ分子が1m2あたり1個存在すると見積もられた。また、金蒸着基板に吸着したSNaseを一度に1個伸長することができるかを確認するため、Cy3蛍光色素で標識されたNC-Cys SNaseを金基板に吸着させ、その蛍光像を観察した。その結果、金基板上のSNaseの間隔がおよそ1mで有ることが分かった。IFMのプローブ先端の曲率半径は、大きく見積もっても100nmであることから、一度に1個のタンパク質を伸長することが可能であることが確認された。

 論文提出者は、NC-Cys SNaseを力学的に伸長する実験を行い、タンパク質の長さと、掛けられた力の関係(フォースカーブ)を得た。フォースカーブの解析から、SNase1分子全体のアンフォールドに対応する45nmの伸長とともに、部分的アンフォールドに対応する15nmの伸長が観測された。また、同一のタンパク質に対する連続した2回の伸長において、部分的なアンフォールドが見られる場合と見られない場合が有ることが観測された。これは、力学的アンフォールディング過程において、部分的なアンフォールド状態を経由する過程と、全体が一度にアンフォールドする過程の二つが有ることを示している。球状タンパク質の一部分が力学的にアンフォールドすること、力学的アンフォールディング過程が複数存在することが示されたのは初めてのことである。

 カルシウムイオン(Ca2+)やSNaseの阻害因子である3',5'−燐酸チミジン(pdTp)は、SNaseと結合して、SNaseの構造を安定化することが知られている。論文提出者は、Ca2+がSNaseの力学的アンフォールディングに与える影響を調べるため、Ca2+存在下でSNaseの伸長実験を行った。その結果、多くの場合、SNaseはIFMで計測できる力の範囲内では伸長せず、力学的に強固な構造をとっている事が分かった。

 以上の実験で得られたフォースカーブについて、論文提出者は統計的な解析を行った。アンフォールディングによる、伸長距離差の分布において、Ca2+非存在下ものでは、15nm・30nm・45nmの距離差に対応したピークが見られた。15nmと30nmの伸長距離は、部分的なアンフォールディングの結果として生じたものと結論された。Ca2+存在下に対する分布には15nmに単一のピークが存在するのみで、Ca2+非存在下に対する分布と明確な差が現れた。

 論文提出者は、以上の結果をSNaseの2次・3次構造とを対応させて考察を行った。部分的なアンフォールディングは、伸長距離15nmに対応するC末側のαへリックスドメインがアンフォールドしたものと同定された。また、Ca2+の結合部位がN末側のβバレルドメインであることから、Ca2+は主にβバレルドメインを強固にする働きをすることを示した。

 以上を要約すると、論文提出者は、力学的アンフォールディングという手法によって、タンパク質折れ畳み機構の新たな知見を得た、という点において、生物物理学上有意義な貢献をしたものと認められる。よって審査員一同、博士(理学)にふさわしい研究であると判断した。

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