学位論文要旨



No 116848
著者(漢字) 高林,雄一
著者(英字)
著者(カナ) タカバヤシ,ユウイチ
標題(和) 干渉性共鳴励起によるヘリウム様重イオンの精密分光
標題(洋) High precision spectroscopy of helium-like heavy ions with resonant coherent excitation
報告番号 116848
報告番号 甲16848
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4111号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 兵頭,俊夫
 東京大学 教授 片山,一郎
 東京大学 教授 谷畑,勇夫
 東京大学 教授 小林,孝嘉
 東京大学 助教授 清水,明
内容要旨 要旨を表示する

 結晶は原子が周期的に配列したものであり、軸や面が存在する。その軸や面に沿って電子密度の小さい空間が存在し、チャネルと呼ばれている。イオンが軸や面に平行に入射するとき、イオンは結晶原子との大角散乱を受けることなく、チャネルを通過する。この現象はチャネリングと呼ばれている。チャネリングするイオンは結晶の周期的な電磁場を感じるが、その周波数vが、Etrans/h(Etransはイオンの遷移エネルギー、hはプランク定数)に一致するとき、イオンは励起される。これは干渉性共鳴励起(Resonant Coherent Excitation)と呼ばれている(今後、略してRCEと呼ぶ)。この現象は、1965年にオコロコフが予言したものであり、提唱者の名前にちなんでオコロコフ効果とも呼ばれる。

 イオンは励起されると電子の軌道半径が大きくなるので、結晶中では、結晶内の電子や原子核との衝突により電離されやすくなる。よって、RCEが起きると電離されたイオンの割合は増加する。また、励起状態の割合の増加に伴い、イオンの脱励起X線の強度も増加する。

 今まで観測されてきたRCEの多くは、比較的軽い水素様イオンのn=1からn=2への励起である。イオンが重くなるほど、結晶の電場によるシュタルク効果と比較して、l・s相互作用の寄与が大きくなると考えられ、さらに重いイオンのRCEを観測することにより、このことが確認できると考えられる。

 本研究では、相対論的重イオンビームを用いて、RCEの研究を行った。実験は、放射線医学総合研究所の重イオンシンクロトロンHIMAC(Heavy Ion Medical Accelerator in Chiba)から供給される平行度の高い390MeV/uのAr17+、383MeV/uのAr16+、460MeV/uのFe25+、423MeV/uのFe24+、423MeV/uのFe23+イオンビームを用いて行ってきた。これらのイオンは、光速の約70%の速さを持つ。標的としては、厚さ21μmのSi結晶を用いた。本研究では、イオンをSi結晶の(220)面でチャネリングさせたが、その場合の共鳴条件は、次式で表される。

ここで、Etransはイオンの遷移エネルギー、νはイオンの速さ、〓、cは光速、aは格子定数、(k, l)は結晶のフーリエポテンシャルの次数を表す整数、θはイオンの進行方向と結晶の<110>軸のなす角度である。この式から分かるように、面チャネリング条件下で結晶を傾け、θを変化させることにより共鳴条件を満たすことができる。Si結晶は、3軸回転可能なゴニオメーターに取りつけた。結晶透過後のイオンの荷電分布を測定するために、結晶の1.3m下流に約0.5Tのマグネットを設置し、結晶の5.6m下流に2次元の位置敏感Si検出器(PSD)を設置した。また、イオンの脱励起X線を測定するために、ビームの進行方向に対して41°方向にSi(Li)検出器を設置した。Si(Li)検出器は、水平面内と鉛直面内に1つずつ設置した。これは、X線の放出角度分布の異方性を測定し、励起状態に関する情報を得るためである。

 図1は、460MeV/uのFe25+イオンをSi結晶の(220)面でチャネリングさせた場合の透過Fe25+イオンの割合を示す。横軸は、(1)式を用いて角度θを遷移エネルギーに変換したものを示す。割合が減少しているところで、RCEが起きていると考えられる。高エネルギー側のピークはn=1→n=2(j=3/2)に、低エネルギー側のピークは、n=1→n=2(j=1/2)に対応する。Feは今までにRCEが観測されてきたイオンの中で最も重いイオンである。本研究では、Arイオンのn=1→n=2のRCE観測も行ったが、Arイオンの場合と比較してFeイオンの方が、結晶の電場に起因するシュタルク効果による遷移エネルギーのシフトが小さいことが分かった。これは、Feイオンの方が、電子の軌道半径が小さいことや、j=1/2とj=3/2のエネルギー間隔が大きいことによって説明される。また、イオンの脱励起X線測定によるRCE観測も行ったが、共鳴条件下でX線の収量が増加することが確認された。さらに、共鳴条件下で放出されるコンボイ電子の収量も測定した。共鳴ピークの微細な構造が観測されたが、このような測定は、過去に例がない。

 n=1→n=2のRCEだけではなく、Arイオンの場合は、n=1→n=3, 4, 5のRCEを、Feイオンの場合は、n=1→n=3のRCEを観測した。この励起エネルギー8keVは、RCEによる励起エネルギーの世界最高値である。シュタルク効果による準位のシフト、分裂は、nが大きくなるほど大きくなることが分かった。

 本研究では、ヘリウム様のAr16+とFe24+イオンのRCE観測にも成功した。図2は、423MeV/uのFe24+イオンをSi結晶の(220)面でチャネリングさせた場合の、透過Fe24+イオンの割合を示す。ピーク位置の遷移エネルギーから、高エネルギー側のピークは、1s2→1s2p 1P1に、低エネルギー側のピークは、1s2→1s2p 3P1に対応すると考えられる。ヘリウム様イオンのRCEは、過去に1例だけ測定例があるが、このように構造が観測されたのは、はじめてである。1P1の方が3P1よりも共鳴が大きかったが、これは、遷移の過程でスピンが変化しない1P1の方が励起確率が高いためであると考えられる。X線測定によるRCE観測も行ったが、1P1の共鳴条件下で、大きなX線の角度分布の異方性が観測された。これは、定性的には、励起確率を考慮することによって説明される。

 さらに、3電子系のFe23+イオンのRCE観測にもはじめて成功した。たくさんのピークが観測されたが、少数電子系の強電場によるシュタルク効果を調べるのに、好都合な系であると考えられる。

 これらのRCEの研究で、共鳴のピーク位置(角度θ)が高い精度で求まることが分かってきた。これは、エネルギーの高いイオンを用いたために、RCE過程のコヒーレンスがよくなり、共鳴ピークの幅が狭くなったことに起因する。共鳴条件の式(1)からわかるように、イオンの速さvも高精度で求めることができれば、遷移エネルギーを高精度で決められることになる。加速器の加速条件から決まるイオンの速さの絶対精度はあまりよくないので、別の方法でイオンの速さを測定する必要がある。本研究では、水素様イオンとヘリウム様イオンの共鳴を観測し、ビームの速さは、水素様イオンの共鳴角度から求め、ヘリウム様イオンの遷移エネルギーを高精度で決めることにした。この場合、水素様イオンは結晶の上流に設置したAlフォイルで、ヘリウム様イオンから電子をはがすことによって生成する。水素様イオンの遷移エネルギーとして理論値を用いることにより、観測された共鳴角度からイオンの速さを求めることができる。シュタルク効果による遷移エネルギーのシフト、Alフォイルにおけるイオンのエネルギー損失は補正する。イオンの分光法として、結晶分光器などを用いて、イオンの脱励起X線を分光するという手法がとられてきたが、検出効率が低く、ドップラー効果によるエネルギーのシフトや幅の広がりが問題になっていた。RCEによる分光法では、イオンを検出するので検出効率が高く、ドップラー効果の影響もない。

 Ar16+とFe24+イオンにこの方法を適用し、遷移エネルギー(1s2→1s2p 1P1, 3P1)を求めた。Ar16+イオンの場合は、3139.27±0.15 eV(1P1)、3123.30±0.16 eV(3P1)、Fe24+イオンの場合は、6700.22±0.16 eV(1P1)、6667.52±0.17 eV(3P1)という値が得られた。この方法では、同時にビームエネルギーも高精度で求まるが、Ar16+イオンの場合、382.931±0.025 MeV/u、Fe24+イオンの場合は、422.946±0.013 MeV/uという値が得られた。

 Fe24+イオンの場合は、得られた遷移エネルギーは理論値とほぼ一致したが、Ar16+イオンの場合は、理論値よりも約0.3 eV小さい値が得られた。イオンの出射角を制限することだけでは、振幅の大きい軌道の寄与を完全には取り除くことができず、シュタルク効果による遷移エネルギーのシフトが、見積もった値よりも大きかった可能性がある。結晶としてSi検出器(SSD)を用いた場合、イオンのエネルギー損失を測定することにより、チャネリングイオンの振幅をより厳密に選択することができるので、歪みのない、チャネリング実験の可能な薄いSSDが手に入れば、この問題は解決できると考えられる。

 このRCEによる分光法は、新しい分光法であり、今後、さらに重いイオンやRIイオンの分光への応用が期待される。

図1.460 MeV/uのFe25+イオンをSi結晶の(220)面でチャネリングさせた場合に観測した共鳴。

横軸は、<110>軸からの角度θを遷移エネルギーに変換したものを示す。矢印は真空中の遷移エネルギーを示す。

図2.423 MeV/uのFe24+イオンをSi結晶の(220)面でチャネリングさせた場合に観測した共鳴。

矢印は、真空中の遷移エネルギーを示す。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は5章からなり,第1章は導入,第2章は実験の詳細,第3章は水素様イオンAr17+とFe25+の干渉共鳴励起の観測,第4章はヘリウム様イオンAr16+とFe24+の干渉共鳴励起の観測と精密分光,第5章はまとめにあてられている。さらに,付録Aに面チャネリング状態の水素様イオンのエネルギー準位の理論,付録Bにコンボイ電子スペクトルの観測についての記述が与えられている。

 イオンが結晶の軸や面に平行に入射すると,結晶原子から大角散乱を受けることなく通過する。この現象はチャネリングと呼ばれている。その際,イオンは結晶の周期的な電磁場を感じるが,その周波数νが,Etraus/h(Etransはイオンの遷移エネルギー,hはプランク定数)に一致するとき,イオンは励起される。この現象は干渉性共鳴励起(Resonant Coerent Excccitation, RCE),あるいは提唱者の名前からオコロコフ効果と呼ばれる。

 イオンにRCEが起きると,電子の軌道半径が大きくなるので,電離されやすくなる。また,脱励起に伴うX線放出が観測される。

 本研究では,Si結晶の(220)面にチャネリングする水素様イオンとヘリウム様イオンのRCE観測を行った。

 (220)面をチャネリングするイオンの共鳴条件は〓 (1)である。νはイオンの速さ,γ=1/〓,cは光速,aは格子定数,(k, l)は結晶のフーリエポテンシャルの次数,θは,イオンの進行方向と結晶の<110>軸のなす角度である。この式から,面チャネリング条件の下で結晶を傾け,θを変化させることにより,共鳴条件を満たすことができることがわかる。

 実験は,放射線医学総合研究所の重イオンシンクロトロンHIMACから供給される平行度の高い390MeV/nのAr17+,383MeV/uのAr16+,460MeV/uのFe25+,323MeV/uのFe24+,423MeV/uのFe23+イオンを用いて行われた。これらのイオンは光速の約70%の速さをもつ。結晶透過後のイオンの荷電分布を測定するために,下流に約0.5Tの磁石と2次元位置敏感Si検出器を設置した。また,イオンの脱励起X線を測定するために,ビーム方向に対して41°方向に結晶面内とそれに垂直な面内にSi(Li)検出器を置いた。

 まず,Ar17+イオンとFe24+イオンのRCEを観測した。ビームと<110>軸のなす角θを変化させて,入射イオンが減少しているところで共鳴が起きていると考えられる。Feイオンは2次のRCEを用いて初めて励起されたものであり,今までにRCEが観測された中で,最も重いイオンである。

Ar17+とFe24+のRCEを比べると,Feイオンの方が結晶の電場によるシュタルク効果の影響が小さいことがわかった。これは,Feイオンの方が電子の軌道半径が小さいことや,j=1/2とj=3/2のエネルギー間隔が大きいことから理解することができる。

 さらに,Ar16+とFe24+イオンのRCEも観測した。透過イオンの割合から遷移エネルギーを知る。1s2→1s2p1P1と1s2p3P1の構造を初めて観測した。X線測定によるRCE観測も行い角度分布の異方性を確認した。

 Li様イオンFe23+のRCEも初めて観測した。

 本実験では,イオンのエネルギーが高いため,RCE過程のコヒーレンスが良くなり,共鳴ピークが狭くなる。そこで,ヘリウム様イオンのRCEを高精度で求めることにより,エネルギー準位の精密測定を行った。この場合,イオンビームの速さ知る必要があるが,それには,上流にAlフォイルをおいてヘリウム様イオンから電子をはがして水素様イオンを生成し,そのRCE共鳴角度と水素様イオンの遷移エネルギーの理論値から速さを求めた。また,面に垂直な方向に広がったイオン分布の中から,面に平行に近い方向に出射したもののみを選ぶことにより,シュタルク効果を受けやすい大振幅でチャネリングしたイオンを除いた。

 このRCEによる分光法は新しい分光法であり,イオンの数を検出するため,従来から行われているX線の分光による方法に比べて,検出効率が高い,ドップラー効果の影響がないなどの特徴を持つ。

 この手法により,Ar16+とFe24+の遷移エネルギー(1s2→1s2p 1P1, 3P1)を求めた。結果はAr16+が3139.27±0.15eV(1P1),3123±0.16eV(3P1),Fe24+が6700.22±0.16eV(1P1),6667.52±0.17eV(3P1)であった。

 Fe24+イオンの場合は得られた遷移エネルギーは理論値とほぼ一致したが,Ar16+イオンの場合は,理論値よりも約0.3eV小さい値が得られた。これは,イオンの出射角の制限によっては振幅の大きい軌道の寄与を完全に取り除けず,シュタルク効果による遷移エネルギーのシフトが大きいArイオンでは,補正が十分な精度でできなかったためと思われる。この点に関しては,チャネリング用の結晶として,Si検出器を用いれば,イオンのエネルギー損失がわかり,チャネリングの振幅をより厳密に選択することができる可能性がある。

 なお,本論文は,小牧研一郎教授らとの共同研究であるが,論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって,博士(理学)の学位を授与できると認める。

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