学位論文要旨



No 116849
著者(漢字) 田中,純一
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,ジュンイチ
標題(和) チャーム中間子の寿命の精密測定と中性D中間子−反中性D中間子混合の探索
標題(洋) Precise Measurements of Charm Meson Lifetimes and Search for D0-D0 Mixing
報告番号 116849
報告番号 甲16849
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4112号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 真下,哲郎
 東京大学 教授 杉本,章二郎
 東京大学 助教授 徳宿,克夫
 東京大学 助教授 松尾,泰
 東京大学 助教授 櫻井,博儀
内容要旨 要旨を表示する

 20世紀、高エネルギー物理学は理論と実験が相互に刺激しあいながら発展してきた。その中で、実験結果を詳細に記述できる標準理論が完成した。21世紀、我々の目的はこの標準理論の更なる検証とこの理論を越えた新しい物理の探索である。本論文の測定の意義とこの両者の話題の関連を以下に述べる。

 標準理論は電弱相互作用と強い相互作用を記述する枠組から成り立っている。このうち、後者に関しては有効な計算法がまだ確立していないため実験結果を正確に予言することができない。このため、様々な計算法(モデル)が提唱されているが、チャーム中間子の寿命を精密に測定することによって、重いクォークのハドロン崩壊に関する理論の正しさを定量的に判断できる。3つのチャーム中間子D0, D+, D+sの寿命は、それらの測定が行われる以前はすべて同じ程度だろうと予言されていた。しかし、実験結果はそれを否定した。3つのチャーム中間子の寿命の違いはスペクテータークォークのフレーバに依存した崩壊確率の寄与から生じる。D+の寿命がD0の寿命に比べて約2.5倍長いという測定結果は、D+の2つの崩壊グラフの干渉から説明できる。実際、D+には終状態に反ダウンクォークが2つ存在するのでそれを入れ換えることで2つの崩壊グラフができ、それらが打ち消し合うように干渉することでD+の寿命が長くなる。しかし、理論の不確定性が大きいため、定量的には十分に理論と実験の結果を比較できない。また、D+sとD0の寿命の違いは、既存の理論では〓と計算できるが、実験では1.202+0.026-0.023と測定されており、既存の理論では説明できない。したがって、これらの精密測定は理論の構築に大きな制限を与えることができる。

 また、標準理論においてD0-〓混合の大きさは10-3以下と非常に小さいと予想されている。したがって、それ以上の大きさでD0-〓混合が確認できれば標準理論を越えた新しい物理の存在を示唆することになる。D0-〓混合はCPの固有状態における崩壊率の差から測定でき、次のような式で記述できる。このycpは、D0→K-K+がCP evenの固有状態であるという事実と、D0→K-π+がCP evenとCP oddの均等な混合状態であるという仮定から〓として測定できる。

 また、このyCPは次のような式で表すことができる。

ここで、中性チャーム中間子D0の質量固有状態D1,2(質量m1,2、崩壊率Γ1,2)を|D1,2〉=p|D0〉±q|〓〉とすると、xとyは次のように定義できる。Γ=(Γ1+Γ2)/2, x=(m2−m1)/Γ, y=(Γ2−Γ1)/2Γ, Am=|q|2/|p|2−1, qA(D0→K-K+)/pA(D0→K-K+)=−|q/p|eiφ。つまり、xは2つの質量固有状態の質量の差に由来する混合パラメーターで、yは寿命の差に由来する混合パラメーターである。もし、CPの破れがチャーム中間子に存在しない(φ=0)のであればyCP=yであり、これはよい近似と考えられている。

 2000年、米国のFOCUS実験はyCP=0.0342±0.0139±0.0074という実験結果を発表した。これはゼロから約2.2σずれており、φ〜0のもとで予想以上の大きなD0-〓混合が存在することを示唆する。しかも、新しい物理、例えばSUSY(超対称性)粒子や4世代目のクォークが存在すれば、xが観測できる程度に大きくなり得ることが分かっているがyはこれらの新しい物理が存在しても大きくならないことが分かっている。したがって、この実験結果がもし正しいとするならば、標準理論とその拡張である新しい物理の破綻か、予想以上の大きさのCPの破れがチャーム中間子に存在することを意味する。しかし、測定精度がまだ十分でないのでこれらの最終的な結論は、より精密な観測結果を必要とする。

 本論文では、高エネルギー加速器研究機構のBファクトリーBelle実験で1999年10月から2001年7月までに収集されたデータの一部を用いて、チャーム中間子(D0,D+,D+s)の寿命(11.1 fb-1)とD0-〓混合パラメータyCP(23.4fb-1)の精密測定を行った。Belle実験は、非対称型のe+e-衝突加速器KEKBで生成される大量の物理イベントをシリコン崩壊点検出器SVDや中央荷電粒子再構成チェンバーCDC等の検出器を用いて再構成する実験である。これらの精密測定は、粒子の崩壊点の位置を正確に測定できるSVDや優れた粒子識別の能力を持つ測定器の特性を利用して行われる。この物理イベントにはB〓イベントだけではなく、チャーム中間子ペア(c〓)を含むイベントも大量に含まれ、この後者を測定に用いた。

 チャーム中間子の寿命は、〓の崩壊モードを、また、D0-〓混合パラメーターyCPは、〓の崩壊モードを用いて測定を行った。

 チャーム中間子の寿命測定では、約1.4×107個のc〓イベント(11.1fb-1)のデータからそれぞれ90806±380D0→K-π+, 6950±99D+→K-π+π+, 1130±37D+→φπ+, 3747±64D+s→φπ+, 2179±65D+s→〓*0K+の数、また、yCPの測定では、約3.0×107個のc〓イベント(23.4fb-1)のデータからそれぞれ214260±562D0→K-π+, 18306±189 D0→K-K+の数のチャーム中間子のシグナル候補を再構成した。図1及び図2の(A)がそれぞれの質量分布である。ただし、図1(A)では横軸は世界平均(PDG)の質量を基準にした。これらは2つのGaussianと直線の組み合わせでフィットした。点がデータ、実線がフィット結果、破線がフィット結果から見積もられたバックグラウンドを表す。

 寿命を求めるためには、ます崩壊長〓を測定する必要がある。そのためチャーム中間子の生成点と崩壊点の位置を測定する。例えばD0→K-π+の場合、運動学的なフィットの中でK-とπ+は「同一点から崩壊した」という制限を課すことでD0の崩壊点を求める。そして、D0は「加速器のe+e-衝突点から生成された」という制限を課すことでD0の生成点を求める。この2点から崩壊長を算出し、チャーム中間子の運動量を用いて崩壊時間t(=〓/(βγc))に変換する。

 この崩壊時間の分布、例えば、図1(B)をUnbinned Maximum Likelihood Fitting Methodを用いてフィットすることでチャーム中間子の寿命とD0-〓ミキシングパラメーターyCPを測定した。2つの崩壊を利用して測定するD+, D+sの寿命とyCPの測定に関しては、相関のある系統誤差を適切に見積もるための工夫を行った。

 図1及び図2の(B)(C)は崩壊時間の分布図にこのフィットの結果を合わせて表示してある。点がデータ、実線がフィット結果、破線がフィット結果から見積もられたバックグラウンドを表す。各図の(B)はシグナルが大部分を占める領域の結果で、各図の(C)はバックグラウンドが大部分を占める領域の結果である。したがって、各図の(B)からフィットが全領域でうまく行なわれていることが分かり、各図の(C)からバックグラウンドのモデル化が適切に行われていることが分かる。

 これらの測定では統計誤差が小さいため系統誤差の見積りは重要であり、そのため様々なテストを行った。例えば、崩壊長の測定に関する不定性は、崩壊長がゼロとなるべき2γ→4πイベントを用いてテストを行い、既知の多重散乱による影響程度のずれのみを観測し、大きなバイアスは存在しないことが分かった。また、大きな統計量のモンテカルロサンプルを生成して、再構成の方法やフィットの方法のテストを行なった。バックグラウンドの存在に起因する若干のバイアス等が見られたので、このテストに基づいて測定値を修正した。この修正に関する不定性は、このサンプルの統計的な不定性のみならず、粒子識別の基準を変更することでより適切に求めた。

 以上の方法によって、3つのチャーム中間子D0, D+, D+sの寿命〓D0, 〓D+, 〓D+s及びそれらの比とD0-〓混合パラメーターyCPに関して、〓を得た。このすべての測定は、既存のどの実験グループより精度の高い結果である。D0-〓混合に関しては標準理論に矛盾しない結果であり、我々の結果と既存のすべての実験グループの平均を求めるとyCP=0.006±0.008となり、これも標準理論に矛盾しない結果を示唆している。また、D0とD+sの寿命の比に関しては我々の1実験グループだけで1から7.5σ以上違うことが示されており、新しい理論モデルの必要性を示唆している。D0の寿命に関しては系統誤差が統計誤差を上回っているため、検出器の位置精度やフィットの方法の改善を行い統計誤差を小さくする必要がある。また、D+とD+sの寿命とyCPに関しては今後も蓄積されるBelle実験の大量のデータを用いてより精密な測定が期待できる。特に、yCPの精密測定は新しい物理の探索のために重要である。

図1:チャーム中間子の寿命測定における(A)質量分布、(B)シグナル領域の崩壊時間分布、及び、(C)バックグラウンド領域の崩壊時間分布。

点がデータ、実線がフィット結果、破線がフィット結果から見積もられたバックグラウンドを表し、質量に関しては世界平均(PDG)の質量を基準にしている。

図2:yCPの測定における(A)質量分布、(B)シグナル領域の崩壊時間分布、及び、(C)バックグラウンド領域の崩壊時間分布。

点がデータ、実線がフィット結果、破線がフィット結果から見積もられたバックグラウンドを表す。

審査要旨 要旨を表示する

 提出された論文は、つくばの高エネルギー加速器研究機構の加速器KEKBを用いたBelle実験で1999年10月から2001年7月までに収集されたデータの一部を用いて行なった、チャーム中間子(D0, D+, D+s)の寿命とD0-〓混合パラメータyCPの精密測定について述べたものである。

 チャーム中間子の寿命を計算するモデルにおいてはまだ不定性が大きく、たとえばD+sとD0の寿命の比は、既存の理論ではほとんど1に等しい値が予想されるが、実験では約1.2と測定されている。チャーム中間子の寿命を精密に測定することにより、理論の構築に大きな制限を与えることができる。また、標準理論においてD0-〓混合の大きさは10-3と非常に小さいと予想されている。したがって、それ以上の大きさでD0-〓混合が確認できれば、標準理論を越える新しい物理の存在を示唆することになる。2000年米国のFOCUS実験が、0から2.2σずれたyCPの結果を発表したが、より精密な測定をしてこれが正しいかどうかをチェックする必要がある。

 本論文においては、チャーム中間子の寿命を求めるために、まず崩壊後の粒子から運動学的なフィットを行なって崩壊点の位置を測定し、次にチャーム中間子の生成点を求め、以上2点から崩壊長を算出し、チャーム中間子の運動量を用いて崩壊時間に変換する。この崩壊時間の分布をunbinned maximum likelihood fitting methodを用いてフィットすることにより、チャーム中間子(D0, D+, D+s)の寿命とyCPを求める。

 Likelihoodフィットにおいては、検出器のresolutionとバックグラウンドを考慮に入れるための方法にいろいろな工夫を凝らし、最終結果の算出においては、系統誤差を様々な方法で詳細に調べ、それを小さく押える努力を行なっている。

 そして以下のような測定結果を得ている。〓ただし、最初の誤差は統計誤差、2番目の誤差は系統誤差を表す。

 このすべての測定は、既存のどの実験グループよりも精度の高い結果である。D0-〓混合パラメータyCPについては、標準理論に矛盾しない結果である。D+sとD0の寿命の比については、1から7.5σ以上離れており、新しい理論モデルの必要性を示唆している。

 BELLE実験自体は、国内外の多数の研究者との共同実験であるが、本論文の研究については、論文提出者が自ら解析の方針と手法を考え、実際の解析作業もすべて本人が主体となって行なったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。D0の寿命測定では、敢えてバックグラウンドも多いが統計量が多いD*タグなしのモードを用いて、他の実験よりも統計精度を上げたことも特筆に値する。本論文の解析に用いられている、トラック・ファインディング、運動学的フィットのプログラムなどの基礎的ツールも論文提出者が作成・保守・改善を行なってきたものであり、Belle実験全体で使われる標準ソフトウェアとなっている。

 以上の理由で、論文提出者に博士(理学)の学位を授与できるものと認める。

 審査委員:

 真下哲郎(主査)、杉本章二郎、櫻井博儀、松尾泰、徳宿克夫

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