学位論文要旨



No 116852
著者(漢字) 富田,卓朗
著者(英字)
著者(カナ) トミタ,タクロウ
標題(和) SiCにおける電子・格子系の分光学的手法による研究
標題(洋)
報告番号 116852
報告番号 甲16852
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4115号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 山本,智
 東京大学 助教授 秋山,英文
 東京大学 助教授 小森,文夫
 東京大学 教授 三浦,登
 東京大学 助教授 岡本,博
内容要旨 要旨を表示する

 本論文ではワイドバンドギャップ半導体であるシリコンカーバイド(SiC)の電子系、格子系及び電子−格子相互作用について分光学的手法を用いて行った研究について述べている。

 SiCは数多くの積層多形をもつワイドバンドギャップ半導体である。SiCは飽和電子速度や絶縁破壊強度がシリコンなどの従来の半導体に比べて数倍以上高いことから、次世代の半導体材料として期待されている物質である。さらに、SiCの積層多形による天然超格子構造は、半導体における電子系、格子系およびそれらの間の相互作用について系統的な研究を可能にする系でもある。このような観点からSiCについての基礎物性を分光学的手法によって明らかにした。

 第1章では初めにSiCの特徴、及びこれまでのSiCにおける研究及び開発の歴史について簡単に述べた。次に、種々の積層多形(ポリタイプ)の存在などSiCの特徴についてふれた。

 第2章では、本研究を理解する上で必要な物理的背景について説明を行った。はじめに、LOフォノンプラズモン結合モードについて説明を行った。次に、折り返しフォノンモードの概念やボンドラマン分極率モデルを用いて解析する上で必要となる一次元鎖モデルについて述べた。さらに、超高速時間分解分光を行う際に用いた伝導帯間遷移による吸収帯(Biedermannバンド)の偏光特性とバンド計算に基づく理論解析について解説を行った。

 第3章では本研究に用いた実験装置について述べた。前半では、ラマン散乱の実験について共鳴ラマン散乱の実験配置を中心として説明した。後半では、ポンプープローブ法を用いた過渡吸収実験について述べた。まず、1kHzチタンサファイア再生増幅システムについて述べた。次に、自己位相変調を用いて生成した白色光を検索光とした過渡吸収実験を基本波励起の場合と波長可変光源(Optical Parametric Amplifier, OPA)を用いた場合とに分けて解説した。さらに、作製した光学系の特性評価についても述べた。

 第4章ではSiCにおけるラマンスペクトルについての実験及び解析について述べた。まず、非共鳴条件下で縦波フォノンモードのラマン散乱強度の測定を行い、ボンドラマン分極率モデルで解析を行った。実験には4H-SiC、6H-SiC、15R-SiCの3つの試料を用いた。この解析において、c軸と平行にシリコンと炭素が結合している面内のボンドをcubic stacking (ec)とhexagonal stacking (eh)に属するものの2つに分類し、面間のボンド(a)と併せた3つのボンドラマン分極率の比(ec/a、eh/a)をパラメータとして用いて計算を行った。それにより、これまで再現できなかった横波フォノンモードと比べて強度の弱い縦波フォノンモードの強度を再現することに成功した。さらに、可視領域から紫外領域にかけての7つの波長(514.5nm、488.0nm、457.9nm、442.0nm、325.0nm、302.0nm、266.0nm)でラマン散乱の測定を行った。その結果、共鳴領域において折り返された縦波フォノンモードのラマン散乱強度が折り返されないモードと比べて一桁以上も選択的に増大する現象を見いだした。6H-SiCのラマンスペクトルにおいてラマン散乱強度が選択的に増大した結果を図1に示す。この図から266.0nm励起でFLO (4/6)のモードやFLA (4/6)のモードがFLO (0)のモードに対して選択的に数十倍増大していることが分かる。この折り返された縦波フォノンモードの選択的共鳴現象をボンドラマン分極率に波長依存性を導入することによって解析し、実験結果をよく再現する結果が得られた。さらに、折り返された縦波フォノンモードの強度は面内のボンドラマン分極率(ec、eh)の差が大きいほど増大することが示された。従って、共鳴領域における折り返し縦波フォノンモードの選択的増大現象は、共鳴領域においてこれらのボンド分極率が大きな波長依存性を持つことでその差が大きくなるために起こると理解された。これらの結果は、これまでボンドラマン分極率に波長依存性を適用した例がほとんどないことから、微視的な立場からラマン散乱強度の波長依存性を理解する上で非常に興味深い結果であると考えられる。最後に、6H-SiCの試料において、光励起キャリアによるLOフォノンプラズモン結合モード(LOPC)から決定される実際に試料中に存在するキャリア密度が光励起密度から見積もられるキャリア密度より2桁程度小さいことを明らかにし、光励起キャリアによるLOフォノンプラズモン結合モード(LOPC)を初めて観測した結果について述べた。その原因の一つとして考えられる拡散の効果について見積りを行い、1桁は拡散の効果であることを示した。残りの1桁はキャリアの寿命か表面再結合の効果であると予想される。さらに、折り返されたLOフォノンモードがプラズモンと結合しないことを明らかにし、この結果も一次元鎖モデルに基づき微視的な立場から解釈を行った。

 第5章ではBiedermannバンドとして知られている伝導帯間の吸収を用いて、SiCにおける超高速の電子ダイナミクスを明らかにした。この方法は、価電子帯から伝導帯へ電子を光励起する必要がないので、ワイドバンドギャップ半導体の超高速キャリアダイナミクスを知る上で有用な手段である。再生増幅器からの基本波を励起光に用い、検索光にはサファイア結晶で自己位相変調によって生成された白色光を用いてポンプープローブ法で6H-SiCの試料の測定を行った。励起光は800nmで偏光は試料のc軸に平行にした。実験に用いた試料はn-typeの6H-SiCでドーピングレベルは1.2×1018cm-3である。図2に検索光の偏光がc軸に平行な条件(Epr‖c)で測定した結果を示す。検索光の偏光がc軸に平行な場合では520nmから低エネルギー側に向かって、1.25psの時定数を持ったブリーチが強くなっていく傾向が観測された。一方、検索光の偏光がc軸に垂直な場合では同じ1.25psの時定数を持ったブリーチが観測されたがブリーチの強度はc軸に平行な場合と異なり580nmで最大になった。図2において時間原点付近に見られる強いピークは2光子吸収によるものと考えられるので詳しくは議論しない。時間分解吸収スペクトルの検索光に対する偏光依存性と定常吸収スペクトルの比較から明らかになった6H-SiCにおける電子ダイナミクスは以下の通りである。窒素不純物ドナーから生じて伝導帯の一番下のc1バンドに存在する電子は励起光によって更に上の伝導帯であるc4バンドに励起される。ここで、伝導帯のエネルギーバンドを低エネルギー側からそれぞれc1、c2、c3、c4バンドと呼んでいる。c4バンドに励起された電子は励起直後の時間分解能以内に電子−電子散乱によってc3、c4バンド内で熱平衡化する。熱平衡化したc3、c4バンド内の電子は電子−格子相互作用によってc1バンドの高エネルギー側に散乱される。c1バンドの高エネルギー側に散乱された電子はc1バンドに残っている電子と電子−電子散乱をし、熱平衡化した後、電子−格子相互作用によってバンド内で緩和し初期状態に戻る。観測された1.25psの時定数はフォノンを介した谷間散乱に対応するものと結論づけられ、6H-SiCにおける谷間変形ポテンシャルの値はD0(6H)=0.96×108(eV/cm)と求められた。

 第6章ではOptical Parametric Amplifier (OPA)を用いて励起した、4H-SiCにおける時間分解吸収実験について述べた。励起光にはシグナルの2倍波(600nm)を用い、励起光の偏光は試料のc軸に平行にした。実験に用いた試料はn-typeの4H-SiCでドーピングレベルは1.0×1018cm-3である。図3に検索光の偏光がc軸に平行な場合(Epr‖c)の測定結果を示している。時定数630fsの誘導吸収が680nmから640nmで観測された。また、560nmから520nmでブリーチを観測することができた。500nmにおいて時間原点付近に見られる弱いピークは6H-SiCの場合と同じく二光子吸収によるものと考えられるので詳しくは議論しない。吸収変調のスペクトルは解析によって0.86%のブリーチ、1.43meVの低エネルギーシフト、0.82%のブロードニングの成分に分離された。これらの結果と5章の6H-SiCにおける結果との対応関係を考えると630fsの時定数は4H-SiCにおける谷間の電子−格子散乱に対応すると結論された。さらに、この時定数から、谷間散乱の変形ポテンシャルが計算され、D0(4H)=1.23×108(eV/cm)であると求められた。さらに、谷間変形ポテンシャルのポリタイプ依存性についての考察を行い、谷間変形ポテンシャルと結晶構造との関係について議論した。

図1:6H-SiCにおけるラマンスペクトル

図2:6H-SiCにおけるEpr‖c偏光配置での時間分解吸収スペクトル

図3:4H-SiCにおけるEpr‖c偏光配置での時間分解吸収スペクトル

審査要旨 要旨を表示する

 本論文はワイドギャップ半導体であるSiCの光物性に関するものである。SiCは結晶成長技術の進歩により応用面、とくに低損失変電圧素子としての応用などにも注目が集まっている物質で、基礎的な物性研究の進展が望まれている。本論文では、SiCのラマン散乱の励起波長依存性の起源を解明するとともに、時間分解過渡吸収の測定から伝導帯間の超高速緩和過程を明らかにしたものである。SiCは多くの結晶多形を持つ物質であるが、そのことを積極的に利用して情報を増やすことにより、結晶多形に共通する物理的性質を導き出していることが特徴である。

 本論文は全体で7章からなる。第1章では研究の背景や用いた試料について述べ、第2章ではラマン散乱や伝導帯間吸収の理論的背景について概説している。第3章は実験に用いた装置の説明で、とくにポンププローブ法による時間分解過渡吸収光学系の作成および評価では論文提出者の創意工夫が盛り込まれている。第4章はラマン散乱における励起波長および励起強度依存性に関する研究で、折り返し縦波フォノンモードに著しい励起波長依存性を見出したものである。第5章および第6章は伝導帯間超高速緩和過程を2つの結晶多形について調べたもので、ピコ秒スケールで光学フォノンの散乱が起きていることを明らかにした。第7章においては上記の研究の総括を行っている。

 本研究の第一の成果は、ラマン散乱において折り返し縦波フォノンモードに著しい励起波長依存性が見られることを見出し、それをボンドラマン分極率の波長依存性として理解したことである。論文提出者は3つのSiCの結晶多形について、266nmから515nmまでの7つの波長で励起した場合のラマンスペクトルを測定した。その結果、266nmで励起した場合に、折り返し縦波フォノンモードに起因するラマン散乱強度が著しく増加することを明らかにした。これら3つの結晶多形に共通する力の定数、およびボンドラマン分極率を求めたところ、266nmの励起波長において、2つのボンドラマン分極率の差が非常に大きくなっていることを突き止めた。これは共鳴領域においてボンドラマン分極率が大きな波長依存性を持ち、それらが僅かに異なるためであると解釈された。

 本研究の第二の成果は、ポンププローブ法による時間分解過渡吸収分光で、伝導帯間の高速緩和過程を調べたことである。6H-SiCにおいては1.25ps、4H-SiCにおいては630fsの時定数の緩和が観測された。これらは最低の伝導帯からエネルギーの高い別の伝導帯に励起された電子が熱平衡化の後に電子−格子相互作用によって最低伝導帯の高エネルギー側に散乱される過程を見ているものと考えられる。観測された時定数はフォノンを介した谷間散乱に対応するものと結論され、谷間変形ポテンシャルの値が2つの結晶多形について求められた。求められた谷間変形ポテンシャルの値は電気伝導度の測定から導かれるもとの絶対値は1桁程度異なるが、多形間の比はよく一致していることがわかった。

 このように本論文では基本的物質SiCの光学的性質に関して、数多くの新しい知見を得、それらを結晶多形に共通する物理的概念で説明することに成功している。その意味で、博士論文に要求される独創性を十分備えていると判断される。また、本論文の研究は、論文提出者が指導教官および研究協力者の助言と援助を受けながら、自ら着想し実行したものである。したがって、論文提出者、富田卓朗氏は博士(理学)の学位を授与するにふさわしいと判断する。

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