学位論文要旨



No 116857
著者(漢字) 濱口,幸一
著者(英字)
著者(カナ) ハマグチ,コウイチ
標題(和) 宇宙のバリオン非対称性とニュートリノ : 超対称性理論におけるレプトン生成によるバリオン生成
標題(洋) Cosmological Baryon Asymmetry and Neutrinos : Baryogenesis via Leptogenesis in Supersymmetric Theories
報告番号 116857
報告番号 甲16857
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4120号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉村,太彦
 東京大学 教授 江口,徹
 東京大学 助教授 松尾,泰
 東京大学 教授 藤川,和男
 東京大学 助教授 須藤,靖
内容要旨 要旨を表示する

 1998年、スーパーカミオカンデは大気ニュートリノ振動の強力な証拠を報告した。スーパーカミオカンデと他の複数の実験が示している太陽ニュートリノ振動も含め、一連のニュートリノ振動は素粒子論における標準模型の確立以降なされた最大の発見と言ってよいだろう。何故なら、ニュートリノ振動が強く支持する「ニュートリノの質量」は素粒子の標準模型を越えた物理の存在を余儀なく迫るからである。(標準模型ではニュートリノは質量を持つことができない。)

 ニュートリノ振動実験が支持する非常に小さい(しかし有限な)ニュートリノの質量(mv〜10-4-10-1eV)は、標準模型に右巻きニュートリノを導入することによって自然に説明することができる(シーソー機構)。右巻きニュートリノ(N)はヒッグス場(φ)及び左巻きレプトン(l)と湯川結合を持つことが出来る上、標準模型のゲージ相互作用を持たないためマヨラナ質量項を持つことが出来る:

ここで、Mは右巻きニュートリノの質量を表す。質量項MNTNは標準模型の対称性で禁じられていないため、Mは電弱スケール(〓100GeV)に比べて非常に大きな値を持つことができる。ラグランジアン(1)から重い右巻きニュートリノNを積分した低エネルギーの有効ラグランジアンを見てみると、ニュートリノ質量がmv=h2<φ>2/M〓0.03eV×h2(1015GeV/M)で与えられ、非常に小さなニュートリノの質量が重い右巻きニュートリノの存在によって自然に説明されていることが分かる。

 さて、本論文の主題は宇宙が何故物質ばかりで出来ており反物質がほとんどないのか(宇宙の「バリオン数の非対称性」、以下簡単のために単に「バリオン数」と呼ぶことがある)を説明する機構の解明である。宇宙初期にインフレーションがあったと考えると、仮にバリオン数の非対称性が初期条件として与えられていたとしても、インフレーション中にそのような非対称性は薄められてしまう。したがって、バリオン対称な状態からバリオン非対称な状態を作り出す何らかの機構(バリオン生成機構)が必要である。

 さらに、宇宙のバリオン数はビッグバン元素合成理論の予言する軽元素の量と観測されている軽元素の量を比較することによって推測することができ、nB/s〓(0.4〜1)×10-10であることが分かっている。(nB及びsはバリオン数密度及びエントロピー密度。)したがってバリオン生成機構はこの量を説明するものでなくてはならない。

 バリオン生成機構を考える際に重要な鍵を握るのが「スファレロン」効果である。現在の宇宙ではバリオン数及びレプトン数は非常によい精度で保存しているが、宇宙の温度Tが電弱スケールより高く(T〓100GeV)、電弱対称性が回復していた頃、バリオン数とレプトン数は保存しておらず、互いに激しく変換することが出来た(スファレロン効果)。したがって、まずレプトン数が生成され、その一部が「スファレロン」効果を通してバリオン数に転換された、というシナリオ(レプトン生成によるバリオン生成)を考えることが出来る。このシナリオではレプトン数の破れが必要となる。

 ここで再びラグランジアン(1)を見てみると、右巻きニュートリノの質量項MNTNがまさにレプトン数を破っていることが見てとれる。実際、湯川結合hがCPを破っていれば、重い右巻きニュートリノの崩壊によってレプトン数の非対称性を生成することが出来る。この「レプトン生成機構」は宇宙のバリオン数とニュートリノ振動によって明らかになりつつある軽いニュートリノの物理がラグランジアン(1)を通して密接に関連しているという点で非常に興味深く、広く関心を集めている。

 一方、標準模型を越える枠組としてゲージ結合定数の見事な一致、輻射補正の相殺といった様々な理由から「超対称性」が広く考えられている。超対称性を導入すると、全く新しいレプトン生成シナリオである「LHu平坦方向を介したレプトン生成」が可能になる。このシナリオは、超対称性理論に特有なスカラーポテンシャルの平坦方向を用いたバリオン生成機構「Affleck-Dine機構」に基づいている。

 以上の点を踏まえ、本論文では超対称性理論におけるいくつかのレプトン生成機構に関して包括的で詳細な研究を行った。前半では「右巻きニュートリノの崩壊によるレプトン生成」について右巻きニュートリノの生成方法に応じて3つのシナリオについて調べ、後半では「LHu平坦方向を介したレプトン生成」について詳細な解析を行った。

 最も仮定が少なく簡潔な右巻きニュートリノの生成機構は熱的生成である。このシナリオではインフレーションの再加熱温度が非常に高く(〜1010GeV)なくてはならない。しかし一方で、超対称性、超重力を考えると、グラビティーノ問題と呼ばれる深刻な問題が生じる。再加熱温度が高すぎると、大量のグラビティーノが生成され、そのエネルギー密度が宇宙の臨界密度を超えてしまうか、あるいはその崩壊によってビッグバン元素合成で作られた軽元素の量が観測から大きくずれてしまうかもしれないのである。この問題を避けるためには、再加熱温度は十分低くなくてはならないことが分かっており、グラビティーノの質量の応じて再加熱温度に厳しい上限がついている。上述の「右巻きニュートリノの熱的生成によるレプトン生成シナリオ」が要求する再加熱温度(〜1010GeV)が観測と無矛盾であるのは限られたグラビティーノ質量の範囲だけである。

 そこで次に、右巻きニュートリノが熱的に生成されるのではなくインフラトン場(インフレーションを起こすスカラー場)の崩壊によって直接生成される場合のレプトン生成について詳しく調べた。ここでは、超対称性インフレーション模型として超対称ハイブリッドインフレーション、超対称ニューインフレーション、超対称トポロジカルインフレーションを採用し、各々のインフレーション模型に関する詳細な解析も行った。その結果、いくつかの模型では再加熱温度が低くても(〜106-108GeV)宇宙のバリオン数を十分説明出来、したがってグラビティーノ問題は広範囲のグラビティーノ質量に対して解決されることが分かった。

 さらに別の「右巻きニュートリノの崩壊によるレプトン生成」シナリオとして、宇宙のエネルギー密度が右巻きニュートリノのスカラー成分(N)のコヒーレントな振動に支配され、その後Nの崩壊によってレプトン生成が起こる、とするシナリオがある。(このシナリオは超対称性理論に特有である。)このシナリオによるレプトン生成の解析を行った結果、以下に述べるような非常に興味深い結果が得られた。まず、生成されるレプトン数(及びその一部が変換されて得られるバリオン数)が右巻きニュートリノの質量と結合定数だけで決まっていることが分かった。これは上記のインフラトンの崩壊によるシナリオにおいて生成されるレプトン数が再加熱温度やインフラトンの質量に依存しているという事実に比べると、非常に魅力的な点である。次に、このシナリオでは、インフレーションの再加熱後に生成されたグラビティーノの密度がスカラー右巻きニュートリノの崩壊によって生じるエントロピー生成によって薄められるため、再加熱温度が非常に高くても(TR≫1011GeV)グラビティーノ問題が解決される、という極めて興味深い帰結が得られた。

 論文の後半では、Affleck-Dine機構に基づいた「LHu平坦方向を介したレプトン生成」について詳細な解析を行った。このレプトン生成についてはこれまでにも研究はなされてきたが、最近になって指摘されていた平坦方向のスカラー場の運動に対する有限温度の効果をとりいれた詳しい解析はなされていなかった。そこで有限温度の効果をとりいれてこのレプトン生成の詳細な再解析を行ったところ、以下にのべるような驚くべき結果が得られた。

 まず、今まで考えられていなかった有限温度の効果を含めると、LHu平坦方向のスカラー場のポテンシャルが大きく変更され、スカラー場の振動開始時期がかなり早くなる事が分かった。最終的に生成されるレプトン数はスカラー場が振動を開始する宇宙時刻に比例しているため、これは生成されるレプトン数が従来考えられていたより少なくなることを意味している。

 最も注目すべき結果は、生成されるレプトン数(及びバリオン数)がインフレーションの再加熱温度にほとんど依存せず、最も軽いニュートリノ(第1世代のニュートリノ)の質量だけで決定される、という事実である。これは、有限温度効果によって振動開始時期が早くなる効果と、生成されたレプトン数の密度がその後再加熱が終了するまでの間に薄められる効果が相殺しているためである。(前者は再加熱温度を上げる程レプトン数を減らす働きをし、後者はその逆の働きをする。)

 図1に得られたバリオン数の再加熱温度TR及び第1世代のニュートリノの質量mv1に対する依存性を示す。ここで、太線は解析的な計算による結果、3種類の点は数値計算によってスカラー場の運動方程式を解いて得られた結果を表す。図から、バリオン数が(TR〓105GeVに対して)ほとんどmv1だけで決定されることが見てとれる。ここから、(TR〓105GeVを仮定すると、)観測されている宇宙のバリオン数(nB/s〓[0.4−1]×10-10)が第1世代のニュートリノの質量をmv1〓(0.1−3)×10-9eVの範囲に予言することが分かった。

 ここで得られた第1世代のニュートリノの質量は、ニュートリノ振動実験の結果が支持する第2第3世代のニュートリノの質量スケール(mv〜10-4−10-1eV)に比べて極端に小さい。そこで、こうした世代間のニュートリノ質量の階層性を説明する模型の提案も行った。

 また、上に述べたような軽い1世代目のニュートリノ質量を仮定すると、ニュートリノを含まない二重ベータ(Ovββ)崩壊の崩壊率が(ニュートリノ振動が示す)他の2世代の質量、混合角によって高い精度で予言される事を示した。さらに興味深い事に、最近の実験結果が示唆するように太陽ニュートリノ振動の解が大混合角MSW解であるとすると、ニュートリノを含まない二重ベータ崩壊が近い将来に観測される可能性がある事が分かった。

 論文中ではさらに、U(1)B-Lゲージ対称性を導入した際に上記の「LHu平坦方向を介したレプトン生成」がどのような影響を受けるかについても解析を行った。

図1:「LHu平坦方向を介したレプトン生成」におけるバリオン数nB/sの再加熱温度TR及び最も軽いニュートリノの質量mv1に対する依存性。

太線は解析的な計算による結果を表し、左から順にnB/s=10-12,10-11,10-10,10-9を表す。3種類の点は数値計算によってスカラー場の運動方程式を解いて得られた結果。左から順に、nB/s=(10-12−10-11),(10-11−10-10),(10-10−10-9)の領域を表す。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は4章からなり、第1章はバリオン非対称及びレプトン非対称のバリオンへの転換に関する導入的議論、第2章は右巻きニュートリノの崩壊によるレプトン生成、第3章はレプトン凝縮によるレプトン非対称生成を論じたものであり、第4章はこの論文の結論と課題を記述している。

 宇宙のバリオン非対称生成に関しては、これまでに様々な可能性が論じられてきた。最近、ニュートリノ振動が実験的に発見されたことを契機として、レプトン非対称性を最初に生成してから、これを電弱理論のスファラロン効果を利用してバリオン非対称に転換するシナリオが注目を集めている。本論文はレプトン非対称生成に焦点をあてて、その総合的理解を様々な模型で包括的かつ従来の評価を精密化して論じたものである。特に、生成されるバリオン・エントロピー比を直接観測可能なニュートリノ質量に結びつけて導出したこと、超対称性理論における困難の一つであるグラヴィティーノ生成量の抑制を実現するモデルを構築したこと、などを高く評価できる。

 なお、本論文第2章と第3章は、浅賀岳彦、川崎雅裕、柳田勉、村山斉、藤井優成、氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって計算及び解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク