学位論文要旨



No 116859
著者(漢字) 林,岳
著者(英字)
著者(カナ) ハヤシ,タカシ
標題(和) III−V族希薄磁性半導体の磁性と伝導
標題(洋)
報告番号 116859
報告番号 甲16859
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4122号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 岡本,徹
 東京大学 教授 藤森,淳
 東京大学 教授 小谷,章雄
 東京大学 助教授 久保田,実
 東京大学 助教授 上床,美也
内容要旨 要旨を表示する

 本論文はIII-V族希薄磁性半導体の金属絶縁体転移の実験的研究について述べたものである。本研究の目指す物理的な課題は、大きく分けると次の3つである。

 1.III-V族希薄磁性半導体における2種類の金属絶縁体転移はどのような機構により発生しているのか。

 2.III-V族希薄磁性半導体の強磁性はどのような機構により発生しているのか。

 3.不純物半導体におけるAnderson転移に、磁性などの電子相関が絡んだ場合、転移の性質はどのように変化するのか。

III-V族希薄磁性半導体である(Ga, Mn)Asや(In, Mn)Asは、キャリア(ホール)によって強磁性転移を起こす、キャリア誘起強磁性の物質として知られている。しかし、その強磁性の起源となる機構は明らかになっていない。また、これらの物質はMn濃度により絶縁体−金属−絶縁体というリエントラントな金属絶縁体転移を起こすが,この転移と強磁性との関係も明らかにされていない.

 本研究では、この問題に対し、次の4つの実験を行い考察した。

 A.技術磁化の磁気抵抗に与える影響。

 B.低温アニールによる性質の変化。

 C.赤外分光による光学伝導度。

 D.磁場による金属絶縁体転移。

Aの目的は、磁区や磁壁など直接電子相関とは関係のない、マクロなレベルでの技術磁化の磁気抵抗に与える影響の大きさを見積もるためである。強磁性金属はマクロなレベルでの静磁エネルギーをできるだけ低くするため磁区を形成する。磁壁による散乱の効果が大きければ、磁区のランダムネスによって金属絶縁体転移に大きな影響を及ぼす可能性がある。我々は、まず金属的な伝導を示す(Ga, Mn)Asを使い、磁気抵抗の中の磁区の効果を測定した。

 この結果、低磁場領域の磁気抵抗にゼロ磁場に対して対称な構造が見られることを発見した。しかし、技術磁化の効果は低磁場領域に限られ、その大きさも抵抗の絶対値に対して0.1%程度であることが見積もられた。これにより、技術磁化による磁気抵抗は金属絶縁体転移に影響を与えるほど大きくないが、逆に技術磁化を観察することに磁気抵抗の測定が使えるということが示された。

 第二の実験は、試料作成の問題についてである。III-V族希薄磁性半導体はMBEでの低温成長で作成するのが一般的であるが、成長中の非平衡性が非常に高いため成長条件敏感性が非常に高く、物性実験での系統的な測定が難しいということが問題になっていた。我々はこの問題に対し、成長後のIII-V族希薄磁性半導体を窒素雰囲気中で成長温度程度に加熱(低温アニール法)することによって、キャリア濃度が上昇し抵抗率を下げることに成功した。

 図1はMn濃度5%の(Ga, Mn)Asにおける低温アニール効果をまとめたものである。アニール時間は15分間に固定してある。(Ga, Mn)Asでは、260℃付近までキャリア濃度が増え、強磁性転移温度が上がっている。また、(In, Mn)Asにおいても同様の効果が得られることがわかった。この効果は、低温成長時に結晶に取り込まれている過剰Asの蒸発による効果だと考えられる。(Ga, Mn)AsではMnがGaサイトを置換しアクセプタとして働くことでホールを出しているが、過剰Asはホールを補償する働きがあると考えられている。キャリアの増大は低温アニールによるAsの蒸発によって補償されたキャリアが再び活性化するためであると考えられる。この現象の発見により狙った試料の作成が容易になり、磁場による金属絶縁体転移の実験を行うことが可能となった。

 次に、赤外分光による吸収係数の測定を行った。吸収係数は、光学伝導度と同じ傾向を示す物理量である。光学伝導度の測定は、半導体のキャリアの様子を知るための手法として有効であり、金属絶縁体転移の実験を行う上でキャリアの状態を知っておくことは重要である。

 図2はリエントラントな金属絶縁体転移のMn濃度の濃い側の両側の金属的伝導を示す(Ga, Mn)As(sample#1)と絶縁体的伝導を示す(Ga, Mn)As(sample#2)の吸収係数のスペクトルである。このスペクトルの特徴として、200meV付近になだらかなピーク構造があることと、金属のようなドルーデ的な構造がほとんど見られないことが上げられる。赤外分光による応答は、その周波数内で移動できるキャリアの応答を示していると考えられるため、200meV付近のピークは局在しているキャリアをあらわしているといえる。さらにこのピークは、金属的試料と絶縁体的試料の両方で同じような位置にあることが指摘される。これは、局在しているキャリアが両試料とも同じ程度の空間的な束縛を受けていることを意味する。また,(Ga, Mn)AsのTcの高い金属的な試料において、Tc以下で,400meVを固定点として高波数側から低波数側へのスペクトル重みの移送現象が見られた.

 (In, Mn)Asではスペクトルはドルーデ的傾向を示し、(Ga, Mn)Asに比べると金属的であると考えられる。しかし、200meV付近にやはりピークが見られる。(In, Mn)Asにおいてもキャリアの状態は(Ga, Mn)As的な2つの局在長を持つものであると考えられるが、スペクトルからはより金属的であることが示唆される。

 (Ga, Mn)Asの磁場による金属絶縁体転移の実験は、成長条件敏感性によって困難であったが、低温アニール効果の発見により可能になった。本論文では、2つの金属絶縁体転移(Mn濃度の薄い側の転移をMIT1、濃い側をMIT2とする。)の両方の試料を用意し、磁場により系統的に両転移での振舞いを観測し、温度を含む2パラメータスケーリング法によって解析を行った。

 図4はMIT1での2パラメータスケーリング解析の結果である。この転移では領域をかなり制限しなくてはこの解析を適用することはできなかった。図5はMIT2での2パラメータスケーリング解析の結果である。MIT2では測定したすべての範囲でうまくフィットすることができた。

 不規則性による転移を扱うことのできるスケーリング解析では、系のどの領域での不規則性も同じであり、系の無次元化したコンダクタンスは、局在長ξと温度により決定される長さLTの比によってのみ決まっているという前提があった。MIT1とMIT2の違いは、この前提が成立する範囲の違いであると考えられる。

 通常、不純物半導体でキャリアが局在している場合には、指数関数的に波動関数が減衰し、その減衰する長さを局在長ξとする。しかし、(Ga, Mn)Asの場合、金属側でも絶縁体側でも局在しているキャリアは存在している。このことから、(Ga, Mn)AsではキャリアはMn付近の狭い領域に局在しているが、その裾は指数関数的な局在に比べずっと広がっていると考えられる。このキャリアを指数関数で表そうとすると、2つの局在長を持っているように見える。(図3)これをそれぞれξ1とξ2とおく。ピークの応答はξ1による局在傾向を示し、ξ2は広がっているためMn濃度の濃い側の金属絶縁体転移に重要だと考えられる。このようなキャリアを仮定すると、上のように「前提の成立する範囲」が異なることを説明することができる.

 (Ga, Mn)Asの強磁性はMIT1よりほんの少しMn濃度の薄い状態からみられ、MIT1の直上ではTcの変化は非常に大きい。それに対し、MIT2の上ではTcの変化はあまり大きくない。

 MIT1上では、キャリアの増大によってMn近傍のキャリアの状態密度が上昇する。そのことにより、ξ1、ξ2ともに大きく変化する。この時、2パラメータスケーリング解析は二つのξが大きく変化するために前提条件が破綻し、あまり広い範囲での適用ができなくなる。

 一方、MIT2上ではキャリアはすでに十分多く、Mn近傍に局在しているキャリアの局在長はあまり変化していない。これは赤外分光の測定からもわかっている。一方、キャリアの裾はMnの導入による不規則性の変化によって局在傾向が強くなる。つまり、ξ1はあまり変化しないが、ξ2の変化量が大きい。この時、変化の大きいξ2とLTによってのみ系の無次元コンダクタンスが決まっているため,2パラメータスケーリングが成立する。

(上)図1:(Ga, Mn)Asによる低温アニール効果

(右)図2:(Ga, Mn)Asの吸収係数

(左)図3:キャリアの局在の概念図

(左下)図4:MIT1における2パラメータスケーリング解析の結果

(下)図5:MIT2における2パラメータスケーリング解析の結果

審査要旨 要旨を表示する

 本論文では、III-V族化合物半導体であるGaAsおよびInAsに数%のMnを混入させた希薄磁性半導体(Ga, Mn)As、(In, Mn)Asの試料を作製して、磁性と電気伝導を実験的に研究した.いずれの系も強磁性を示し、Mn濃度の増加に伴い絶縁体から金属、そして再び絶縁体へと転移する(それぞれMIT1、MIT2と定義されている).金属絶縁体転移および強磁性の機構に対する知見を得るために、電気伝導、磁化および赤外分光の測定が行われた.

 磁性半導体は、磁性と伝導が密接に関連することによって生まれる新しい物理現象とその工学的応用が、大きく期待されている系である.本論文でのIII-V族希薄磁性半導体の作製では、MnAsの析出を防ぐために、成長温度を200℃から300℃に抑えた低温分子線エピタキシー法(LTMBE法)が用いられている.この方法により高いMn濃度の試料が作られるが、その物性は成長条件に対して非常に敏感であるため、狙い通りの試料を作ることが難しく、系統的なパラメータ制御を要する金属絶縁体転移の研究などは困難であった.本論文では、低温アニール効果によってキャリア濃度等の物理量を系統的に制御できることが見い出されている.また、適当なアニール条件において、従来のものよりも伝導性が向上し、強磁性転移温度が高くなることもわかった.低温アニール効果の発見は、この分野の研究に対する大きな技術的な知見を与えるものである.すべて論文提出者本人の創意工夫によるものであり、高く評価できる.低温アニール効果による伝導性の向上の原因としては、LTMBEにおいて過剰に取り込まれ、Mnと複合欠陥を形成しているAsが、熱処理によって大気に放出されるとの解釈がなされている.また、X線吸収分光測定の結果より、(Ga, Mn)AsのMnの電子配置はd5であると結論している.

 金属的な直流伝導特性を示すMn濃度4.0%の(Ga, Mn)Asと絶縁的な直流伝導特性を示すMn濃度5.2%の(Ga, Mn)Asに対して、赤外光の吸収係数スペクトルの測定が行われた.両試料で200meV付近に吸収係数(光伝導度)のピークが観測され、直流伝導特性が金属的な試料でも電子状態は局在的であることを示唆するものとして解釈された.また、吸収係数のピーク位置から見積もられた局在長は、両試料とも数nmであった.また、二重交換相互作用強磁性体で観測されるものに類似した強磁性転移温度以下での吸収係数スペクトル重みの移送が見られた.一方、(In, Mn)As試料においては、通常金属に近いスペクトルが得られた.

 低温アニールによってMIT1、MIT2それぞれの近傍にパラメータ制御された2つの(Ga, Mn)As試料を用いて、磁場誘起金属絶縁体転移の実験が行われた.極低温領域で抵抗率の温度依存性をさまざまな磁場に対して測定し、2パラメータスケーリングによる解析を行ったところ、MIT2においては広い範囲でスケーリング解析が適用できるのに対して、MIT1ではスケーリング解析の適用範囲は狭かった.この結果に、赤外分光、XASの実験結果を併せて、(Ga, Mn)Asにおけるキャリアの空間分布のモデルが提起された.このモデルでは、2種類の局在長が考慮されており、金属絶縁体転移の実験結果に対して一応の説明を与えている.

 強磁性体においては、磁気抵抗効果に磁壁での散乱の寄与がある.マクロな磁性、すなわち技術磁化からの寄与と、本論文の主題であるミクロスコピックな機構からの寄与とを分離するために、磁場により技術磁化を制御しつつ、磁気抵抗効果やホール抵抗の履歴構造を詳細に調べた.磁区構造を考察する上での手がかりとなるような知見も得られたが、磁気抵抗効果における技術磁化の寄与は、低磁場領域に限られ、またその大きさもミクロスコピックな機構からの寄与に比べて十分に小さいことが確認された.

 以上、本論文では、低温分子線エピタキシー法と独自に開発した低温アニール法を組み合わせて作製されたIII-V族希薄磁性半導体の電気伝導、磁化および赤外分光の詳細な測定を行い、低温アニール効果、赤外光学伝導度、磁場誘起金属絶縁体転移、技術磁化効果の振る舞いを明らかにした.得られた実験結果は新しいものであり、重要な知見が得られた.同時に、多くの理論的課題および今後の実験への貴重なステップも提供している.

 また、本論文は、勝本信吾助教授、家泰弘教授などとの共同研究であり、共著の形で一部すでに公表されているが、論文提出者が主体となって研究計画の立案、試料作成および物性測定の遂行、実験結果の解析・考察を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する.

 しがたって、審査委員全員一致で、博士(理学)の学位を授与できると認める.

 以上

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