学位論文要旨



No 116861
著者(漢字) 福嶋,健二
著者(英字)
著者(カナ) フクシマ,ケンジ
標題(和) 中心対称性の動的クォークへの拡張
標題(洋) Center Symmetry in the Presence of Dynamical Quarks
報告番号 116861
報告番号 甲16861
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4124号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 初田,哲男
 東京大学 教授 松井,哲男
 東京大学 教授 大塚,孝治
 東京大学 助教授 相原,博昭
 東京大学 教授 酒井,英行
内容要旨 要旨を表示する

 量子色力学(Quantum-Chromo-Dynamics)は強い相互作用の基本理論として広く受け入れられているが、理論自身が非線型性を持っているうえに強い相互作用を非摂動的に取り扱う必要があるため、量子色力学を直接用いて現実の物理系を記述することはたいへん難しい問題である。しかしまたこれらの非線型性や非摂動的側面が、「色」の閉じ込め・chiral対称性の自発的破れ・漸近的自由性といった興味深い物理的内容をもたらすことも知られている。量子色力学の基本的自由度であるquark及びgluonが実験的に観測されていないのは、色自由度が閉じ込められているためだと考えられており、また、chiral対称性の自発的破れに伴う南部−Goldstone粒子が、π中間子やK中間子などの軽い粒子に対応することが明らかにされている。漸近的自由性は強い相互作用の結合定数が高エネルギーの反応で有効的に小さくなることを示しており、運動量移行の大きい領域での実験結果を摂動的手法によって解析することを可能にしている。

 量子色力学によって記述される物理系は、系の温度を上げていくとchiral相転移および非閉じ込め相転移を起こすことが理論的に予言されている。即ち、高温状態のもとではquarkの持つchiral対称性が回復し、また、色の自由度が解放されることによってquarkとgluonのプラズマ状態(Quark-Gluon-Plasma)が実現されるものと考えられている。近年の粒子加速器技術の発展に伴い人工的にQuark-Gluon-Plasmaを作り出すことが可能になりつつある現在、有限温度あるいは有限密度における量子色力学の理論的解析に、より多くの関心が寄せられてきている。

 興味深い問題のひとつとして、chiral相転移と非閉じ込め相転移との関係について様々な議論がなされてきた。chiral対称性の破れも色の閉じ込めも、どちらも量子色力学の強い非線型性に起源を持っているため、何らかの物理的な相互関係があることは容易に想像される。ところがこれらの間の相互関係を調べることは、次のような事由により非常に難しい問題となる。まず一方で、chiral対称性はquarkの質量を無視できる極限で見られる性質であり、chiral相転移を明確に定義するためにはquarkの質量をゼロにする極限を考えねばならない。他方、非閉じ込め相転移を明確に定義する方法は、quarkのない仮想的な世界においてのみ、つまりquarkの質量を無限大にする極限においてのみ知られている。このようにchiral相転移と非閉じ込め相転移とはquarkの質量に関して正反対の極限において初めて特徴付けられるため、これらを同時に取り扱うことは著しく困難なのである。

 しかし動的なquarkを含む系に対しても、相を明確に定義する方法が知られていないとはいえ、閉じ込め相−非閉じ込め相を区別することは原理的には可能なはずである。quarkを含まない理論ではPolyakov loopと呼ばれる物理量が、非閉じ込め相転移を特徴付ける物理量として用いられる。Polyakov loopは直接実験的に観測され得る物理量ではないが、格子上の数値実験においては最も重要な実験結果のひとつとして測定される量である。理論にquarkが含まれるとPolyakov loopは常に非閉じ込め的な振る舞いを示すようになり、それは格子上の数値実験でも検証されている。この振る舞いはquarkの対生成・対消滅による遮蔽効果の結果であり、非閉じ込め相で色自由度が解放されることにより引き起こされる遮蔽効果と明確には区別され得ない。このことが動的quarkを含む系における相の定義を不明確にしてしまうのである。

 我々はまず、量子色力学の強結合極限および多次元極限を取ることで、非閉じ込め相転移の指標であるPolyakov loopとchiral相転移の指標であるscalar meson condensateの振る舞いを同時に記述する有効作用を導出した。この有効作用自体は既に知られているものではあるが、これまでの研究においては不適切な近似を用いた解析しかなされていなかった。そこで我々は計算の方法を適切なものに改めて、物理量を再評価してみた。以下がその結果である。

 図中の<TrcL>/NcがPolyakov loopを表しており、λがscalar condensateである。比較のためにquarkを含まない理論におけるPolyakov loopの振る舞いを点線で示してある。chiral相転移がPolyakov loopの振る舞いに支配的な影響を及ぼすという考えや、閉じ込めとchiral対称性とを結び付ける普遍的なアイデアなども有効模型の範囲内で具体的に検証した。その結果、有効模型自体の簡単さにもかかわらず、全体的な性質がよく再現されていることが分かった。

 次に我々は、動的quarkが存在する系での非閉じ込め相転移の意味を明瞭にするために、quarkの励起に対して物理的制限を課したcanonical ensembleを導入した。ところがcanonical ensembleへの射影は熱力学的極限のもとで無効になってしまうのである。この不具合の理由と解決法を詳らかにするために、我々は簡単な有効模型としてIsing模型を採用し、Ising模型の熱力学的性質を解析的および数値的に調べることによって発見法的に、必要とされる拘束条件を見付けることに成功した。ここで得られた成果を、Polyakov loopとscalar condensateの有効模型に用いた結果が以下の図である。

 ここで注目すべきことは、canonical ensembleを採ったことによりchiral相転移が見られなくなってしまったことである。有効作用の構造を詳細に調べることによって、その理由は次のように明らかにされた。この模型において、温度依存性はquarkの温度揺らぎとして取り入れられている。しかしそのようなquarkの自由な揺らぎはcanonical ensembleでは許されない。そのためquarkは常に3つの組として励起されねばならず、1つのquarkあたりの温度は有効的に1/3倍されることになる。ところがもしも温度依存性をπ中間子の温度揺らぎとして取り入れていれば、中間子はcanonical ensembleへの射影のもとで大きな修正を受けないと考えられるので、chiral相転移に対する大きな影響はあり得ないはずである。通常NJL模型などquarkを基本的な自由度として持つ有効模型ではquarkの温度揺らぎをそのまま扱っているが、ここで我々の得た結果は、NJL模型などの有限温度系への適用に対して、一般的に、本質的な疑問を投げ掛けるものであり、見過ごされてきた問題点を浮き彫りにする顕著な例として興味深いものである。また中間子の温度揺らぎはPolyakov loopに対しては大きな修正を与えないと考えられるので、ここで我々の得た結果のうちPolyakov loopの振る舞いについては、正当性を期待することができる。上図から明らかなように、canonical ensembleでのPolyakov loopの振る舞いはquarkが含まれない場合での振る舞いとほぼ一致しており、それに伴い相転移温度が高くなるものと推論される。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は5章からなる。第1章では、有限温度の量子色力学におけるZ(3)中心対称性とそのカラー閉じ込め現象との関係がまとめられている。第2章では、動的クォークが存在し、あらわにZ(3)対称性が破れた状況で、ポリアコフループの振るまいが格子量子色力学の強結合展開を用いて考察されている。第3章では、動的クォークが存在しても、カラー閉じ込め−非閉じ込め相転移を記述できると考えられていた従来の方法が、熱力学極限をとる事で破綻する事が示されている。第4章では、従来のものに代わるわる新たな方法として、系に大局的拘束をおく方法が提案され、強結合展開を用いてその有効性が議論されている。第5章では、結果のまとめと今後の展望が述べられている。

 有限温度の量子色力学においては、系の温度上昇につれてカイラル対称性の回復と非閉じ込め相への移行という2つの相変化があることが、格子量子色力学の数値シミュレーションで分かっている。しかし、この2つの相変化の関係や、動的クォークが存在する場合の閉じ込め−非閉じ込め転移の定義など、いまだ理論的に明らかでない問題が存在する。

 本論文で、著者はこれらの問題を中心対称性という観点から考察し、新しい大局的拘束を課す事により、これらの問題が解決できる可能性を示した。

 著者は、まず従来の格子量子色力学の数値シミュレーションで、なぜポリアコフループとクォーク凝縮がほぼ同じ転移温度付近で変化するかの物理的理由を探るため、格子量子色力学の強結合展開で得られる有効作用を用いた解析をおこなった。その結果、低温(高温)ではクォークの有効質量が重い(軽い)ために、ポリアコフループへの遮蔽効果が小さく(大きく)、このためにポリアコフループの温度変化がクォーク凝縮の変化を直接的に反映している事が示された。従来の方法では、動的クォークの存在でZ(3)対称性があらわに破れているため、ポリアコフループは正確な秩序変数の意味を持たないのに加えて、上で示されたようにポリアコフループの温度変化の物理的意味も、閉じ込め−非閉じ込め相変化というよりはカイラル転移を反映してものになっている。

 動的クォークがあっても、閉じ込め−非閉じ込め相転移を記述できるような、新たな秩序変数として、ゼロ中心電荷への射影演算子を利用する方法が従来提案されてきたが、著者はこの方法で系の体積を大きくした熱力学極限をとると、射影演算子の効果が寄与しなくなり、この方法が破綻する事を、モンテカルロ数値シミュレーションを用いて具体的に示した。

 更に著者は、閉じ込め−非閉じ込め相転移を記述できる新たな方法として、系全体の中心電荷を厳密にゼロにおくような大局的拘束条件を置く方法を提案した。格子量子色力学の強結合展開で得られる有効作用にこの拘束を課す事で、確かにポリアコフループが秩序変数となり、動的クォークがあっても閉じ込め−非閉じ込めの1次相転移が記述できる事が示された。更に、従来の方法と異なり、ポリアコフループの変化とクォーク凝縮の変化は連動していない事が示された。

 本論文は、量子色力学における有限温度相転移の理論的解析に新しい物理的観点と新しい方法を導入しており、この分野の今後の研究を大いに促すと考えられる。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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