学位論文要旨



No 116865
著者(漢字) 松岡,英一
著者(英字)
著者(カナ) マツオカ,エイイチ
標題(和) DyPd3S4における四重極相互作用とその異方性に関する研究
標題(洋) Study of the Quadrupolar Interaction and its Anisotropy in DyPd3S4
報告番号 116865
報告番号 甲16865
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4128号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 榊原,俊郎
 東京大学 教授 後藤,恒昭
 東京大学 教授 辛,埴
 東京大学 教授 藤井,保彦
 東京大学 助教授 福山,寛
内容要旨 要旨を表示する

 近年、電子の持つ内部自由度の一つである、軌道自由度に注目が集まっている。ペロブスカイト型Mn酸化物において見られる、A型反強磁性や、巨大磁気抵抗効果等の物性は、Mnの3d電子が軌道自由度を持ち、その軌道状態が自発的に整列する軌道秩序を示すことが原因の一つと考えられている。一方、f電子系化合物においても、軌道自由度は重要な役割を果たしている。d電子系化合物と異なるのは、軌道自由度は、四重極モーメントの自由度として表現されることである。この四重極モーメントが自発的に整列する現象が四重極秩序である。四重極モーメントが反平行に秩序化する、反強的四重極秩序を示す典型物質であるCeB6では、長年に亘る研究によって明らかになった特異な磁気相図は、その理論的解釈が最近行われた。一方で新たに見出された八極子自由度や、他の物質においても同様な磁気相図の解釈が成り立つのかどうか等、新たな問題も認識され、より多くの物質における四重極秩序の研究が望まれている。

 本論文では、反強的四重極秩序を示していると考えられる新たな物質、DyPd3S4に注目し、単結晶を用いて磁場中における諸物理量の振る舞いを調べることで磁気相図を作成し、さらに、CeB6において提唱されている磁気相図の解釈との比較検討を行うことを目的とする。

 本論文は七章から構成され、第一章では、d電子系における軌道秩序やf電子系の四重極秩序について、その定式化及び典型物質の示す物性について述べる。特にCeB6については、磁気相図の解釈に関する実験的、理論的な研究成果について重点的に述べる。

 本研究では、多結晶、及び単結晶の試料作成を行い、その基礎物性を磁化、比熱(磁場中測定を含む)、電気抵抗、及び熱膨張の測定、さらに粉末中性子回折により明らかにした。

 第二章では、実験方法について述べる。

 第三章では、多結晶試料の物性について述べる。幾つかの試料作成法を試みることで試料の純良化を行った。X線回折と比熱測定結果との比較から、これまでに四重極秩序と報告されていた5Kの相転移が、不純物として含まれるDy2O2Sの磁気転移によるものであったことを明らかにした。一方、図1(a)に示すように比熱には大きなλ型のピークが3.4Kに新たに見出されたにも関わらず、帯磁率測定では3.4Kに大きな異常は見出されない。比熱にはTM1=0.7K及びTM2=0.9Kにもピークが現れた。TM1及びTM2では帯磁率もピークを持ち、また磁化の磁場依存性の測定では、これらの温度以下で弱い自発磁化とヒステリシスが観測されたことから、TM1及びTM2では強磁性的な磁気秩序が生じていると考えられる。図1(b)に示す磁気エントロピーの計算結果ではTM2、及び3.4Kの転移でそれぞれRln2のエントロピーが開放されている。このことから、Dy3+のf電子結晶場基底状態は、軌道自由度を有する四重項であると考えられ、従って3.4Kの転移は四重極秩序転移点TQである可能性がある。磁場中での比熱測定では、磁場印加によるTQの顕著な増加が観測された。またTM1及びTM2も磁場により高温側に移動した。これは強磁性的な磁気転移として矛盾のない振る舞いである。図2の破線は、磁場中での比熱測定結果から作成した、磁場−温度相図(H-T相図)である。磁場印加によりTQが増加する特異な磁気相図は、反強的四重極秩序(AFQ)を示す物質でしばしば見られ、DyPd3S4における四重極秩序も反強的であると予測される。また、常磁性温度領域(PM)において微分帯磁率、及び微分磁化に見られる小さな異常は、PM-AFQの相境界に対応していることが明らかとなった。さらに、微分磁化にはこれとは別の異常が常磁性領域で観測され、この異常をH-T相図にプロットすることで、AFQ相はAFQ1相とAFQ2相の2相に分けられることも見出した。磁気転移については、最近粉末中性子回折による磁気構造決定が他のグループにより行われ、伝播ベクトルk=(1,0,0)で表される反強磁性構造が提唱された。これは、本研究における結果と矛盾するようであるが、AFQ秩序下ではしばしば磁気モーメントの向きが制限を受けることを考慮すると、k=(1,0,0)の反強磁性構造から磁気モーメントがわずかに傾くことで自発磁化が生じる、弱強磁性が実現している可能性が高い。熱膨張の測定結果では、TQにおけるΔl/lの変化量が10-5程度とわずかであり、格子歪みを伴わないAFQ秩序として矛盾はない。さらに、TQの上下の温度で行った粉末中性子回折の結果から、TQ以下で磁気散乱や、格子歪みによる超格子散乱は出現せず、格子定数も実験精度内で変化しないことが明らかとなった。これはTQ以下でAFQ秩序が生じている有力な証拠である。

 第四章では、単結晶試料の物性について述べる。単結晶試料は、ヨウ化カリウムを輸送媒体とした、化学輸送法で作成された。作成された単結晶のTQは2.7Kと、多結晶のそれより幾分低い。磁場中で比熱に見られるTQの振る舞いは、[100]軸方向に磁場を印加した場合、多結晶試料でのそれと3T以上では大きく異なる。すなわち多結晶試料では、3T以上でTQは飽和し、8Tの磁場下でもその痕跡が観測されたが、単結晶試料では3T以上の磁場で急速にTQが消失した。それに伴い微分磁化には、多結晶試料では観測されなかった異常が新たに出現した。[110]及び[111]軸方向の微分磁化にも同様の新たな異常が観測され、その出現する磁場は、磁場印加方向によりかなり異方的であることが明らかとなった。また、磁化の磁場依存性も、これら3軸方向で異方的であり、磁場に対して直線的に増加するなどの、結晶場効果のみでは説明できない振る舞いも観測された。図2に、磁場中での比熱のTQピーク、及び微分磁化の異常から作成したH-T相図を示す。磁場印加方向による異方性は大きく、TQ[111]<TQ[100]<TQ[110]という関係にある。これに対し、磁化値の異方性はM[111]<M[110]<M[100]であり、上述のTQの異方性とは対応しない。また、AFQ秩序相において、[100]と[110]の磁化異方性が8T以上で逆転した。この現象は、CeB6においても見られ、低磁場の磁化がAFQ秩序下で生じる磁場誘起反強磁性相互作用により抑えられている、として理解されている。このことから、DyPd3S4においても、AFQ秩序の安定に磁場誘起反強磁性相互作用が関わっていることが示唆された。

 第五章では、Yによる希釈系DyxY1-xPd3S4の物性について述べる。TQ及びTM2はいずれもY希釈により直線的に減少し、それぞれx=0.29, x=0.35で消失すると予測された。このことから、CexLa1-xB6のx=0.75付近で現れる、IV相のような新たな相は出現しないことが明らかとなった。一方、Y希釈により格子定数は変化せず、磁気比熱に現れるショットキーピークの位置も変化しなかった。これはY希釈による結晶場分裂幅の変化がないことを意味する。さらに、磁化の磁場依存性測定からは、Dy濃度が増加するにつれて磁化値が系統的に減少し、またx=0.2付近の単結晶の磁化測定では非希釈系と磁気異方性が逆転することを見出した。これは、Y希釈系では四重極子間相互作用が弱められ、結晶場効果のみが磁化の振る舞いに関与するようになるためであると考えられる。

 第六章では、第五章で示したY希釈系の磁化の振る舞いを考慮することで、結晶場分裂幅の見積もりが行われた。初めに、Dyの受ける結晶場が、これまであまり報告のない点群Thで表される立方対称性を持つことを述べ、通常見られるOh対称性結晶場の場合の準位分裂との相違点について述べる。続いて、磁気エントロピー、及びY希釈系の磁化を再現するような結晶場パラメーターの推定が行われた結果、四重項Γ67(1)が基底状態であり、第一励起状態が二重項Γ5(2)の30K、そして全分裂幅はΓ67(3)の104Kであると推定された。この結晶場準位を用い、O20型の四重極モーメントを秩序変数とする反強的四重極秩序を仮定し、TQ=2.7Kを再現するように全四重極秩序相互作用定数を計算したところ、Gγ=-3.6mKと見積もられた。このGγを用いて、分子場近似により[100]方向のH-T相図を計算したところ、TQが磁場で上昇する振る舞いは再現できなかった。そこでCeB6で提唱されているように、磁場誘起反強磁性相互作用を分子場近似で取り込んだところ、反強磁性相互作用定数としてK=-0.17Kを仮定することでTQの上昇を定性的に説明することが出来た。従って、DyPd3S4のH-T相図の理解にもCeB6同様な磁場誘起反強磁性相互作用が重要であることが推測される。

 第七章では、上述の結果をまとめるとともに、今後の課題として、(1)単結晶試料の大型化、(2)中性子非弾性散乱による、より直接的な結晶場準位の決定、さらに、(3)弾性定数測定や、磁場中中性子回折による四重極秩序変数、及び構造の決定、を挙げた。

(左)図1:(a)DyPd3S4の比熱、及び交流帯磁率の温度依存性。

(b)磁気エントロピーの温度依存性。

(右)図2:DyPd3S4の磁気相図。

審査要旨 要旨を表示する

 高対称な結晶中では磁性イオンの基底状態に軌道縮退が残る場合がある。この縮退は軌道間の相互作用によって軌道整列を引き起こすことがある。強いスピン・軌道相互作用を有するf電子系の場合には軌道自由度は電気四重極モーメントとして表現されるため、f電子系における軌道整列現象は四重極転移と呼ばれる。磁気転移と同様、一様な四重極整列は四重極転移、交替的な四重極配列は反強四重極転移と呼ばれている。反四重極秩序ではその磁場−温度相図が特有の特徴を示すことなどから注目されているが、反四重極秩序を示す化合物はまだ数において少なく、新たな物質開発が望まれている。本研究は立方晶DyPd3S4の良質な多結晶・単結晶試料作成、および詳細な物性測定によって、この化合物が反強四重極転移を起こすことを明らかにしたものである。

 本論文は7章から構成されている。第1章は序章で研究背景が簡潔に記述されている。第2章は試料作成および実験方法について書かれてある。第3章は多結晶試料の実験結果である。まず異なる原料・手順により作成された3種類の試料の評価を行った結果、DyPd3S4では不純物相が混入しやすいことがわかった。さらに従来の報告で1K付近の磁気転移に加えて5K付近に比熱の異常があり四重極転移ではないかと予想されていたが、詳しい実験の結果、これが不純物相Dy2O2Sによる反強磁性転移であることが明らかになった。一方、注意深く作成した良質のDyPd3S4を用いた測定の結果、1K付近の転移に加えて3.4Kにおいて大きな比熱の異常を伴う相転移を新たに見出した。磁化測定から1Kの転移は強磁性成分を伴うことが示された。一方、3.4Kの転移では磁化率の異常が小さいことから四重極転移の可能性が高いことがわかった。さらに磁場中比熱の測定から3.4Kの相転移は磁場とともに転移温度が上昇することが明らかになった。これは反強四重極転移系においてよく見られる特徴であり、3.4Kの転移が反強四重極転移である可能性が高いことを示している。なお、比熱測定からエントロピーを評価した結果、これら2段の逐次転移に関与しているエントロピーがほぼRln4であることがわかり、Dyイオンの結晶場基底状態が4重縮退準位であることが予想される。粉末中性子散乱実験を行った結果、3.4Kの転移に伴う格子歪みが無いこと、磁気ブラッグ反射が現れないことがわかった。以上の結果は3.4Kの転移が反強四重極転移を強く支持している。

 第4章では化学輸送法によって作成された単結晶試料による比熱・磁化測定の結果が述べられている。単結晶による測定の結果、四重極転移温度の磁場依存性には強い異方性があることがわかった。この異方性のために多結晶試料では不明確であった磁場中転移温度が、[100], [110], [111]の各方向について低温までほぼ決定することができた。

 第5章ではDyを非磁性のYで希釈した試料についての比熱・磁化測定結果が報告されてあり、相転移温度の組成依存性が求められている。希釈系の測定結果を基にしたDyイオンの結晶場分裂については第6章で考察されている。この化合物は立方晶Th群に属するため通常よりも結晶場パラメータの数が多いが、磁化曲線や低温エントロピーを再現させるためには実はあまり自由度がなく、予想どおり基底状態はほぼΓ674重項であることがわかった。

 第6章ではさらに簡単なモデルを仮定して磁場温度相図や磁化曲線の説明を試みている。四重極秩序変数はまだ確定していないので、ここでは最も扱いやすいO20(2Jz2-Jx2-Jy2)を仮定し、反強四重極相互作用、反強磁性相互作用およびゼーマン項を考慮した平均場ハミルトニアンを数値的に解いた。その結果、四重極転移温度の磁場による上昇を再現するは、磁場によって誘起される反強磁性モーメント間の相互作用が重要であることがわかった。これは他の反強四重極転移系の結果とも一致する結論である。

 以上のように、本研究ではDyPd3S4の良質結晶を作成し、この系が反強四重極転移系であることを明らかにした。ただし温度によっては反強四重極転移の異常が弱く転移点がやや曖昧となっていること、四重極秩序変数が未確定であることなど未解決の点が残っているが、得られた単結晶試料がまだ小さいことによる実験上の制約もあり、これらの点は今後の課題であろう。この系をCeB6やTmTeなど他の反強四重極転移系と比較した場合の特徴は、磁場中相図が全方向に対して閉じた形で求まったことである。CeB6やTmTeなどでは転移磁場が高すぎること等の理由によって相図が完全な形では求まっていない。従ってDyPd3S4において相図の全貌が得られたことは大変意義があるものと考えられる。本研究では中性子散乱実験や比熱測定、磁化測定の一部に他者との共同研究による部分があるが、論文提出者は本質的な寄与をしていると認められる。

 以上をもって審査員一同は、本論文が博士(理学)の学位を授与するにふさわしいものであると認定した。

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