学位論文要旨



No 116871
著者(漢字) 吉田,鉄平
著者(英字)
著者(カナ) ヨシダ,テッペイ
標題(和) 高温超伝導体La2−xSrxCuO4の角度分解光電子分光
標題(洋) Angle-resolved photoemission study of the high-Tc superconductor La2-xSrxCuO4
報告番号 116871
報告番号 甲16871
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4134号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 今田,正俊
 東京大学 教授 瀧川,仁
 東京大学 助教授 木下,豊彦
 東京大学 助教授 松田,祐司
 東京大学 教授 辛,埴
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はじめに

BednorzとMullerによる高温超伝導体の発見以来、高温超伝導発現機構の解明を目指し膨大な数の研究が行われてきた。発見当初から、電子格子相互作用に起因する古典的な超伝導発現機構(BCS理論)を超えた新たな枠組みが必要であることが指摘され、とりわけ電子相関に起因する異常な物性が注目されてきた。銅酸化物高温超伝導体はCuO2面にホールをドープすることで反強磁性モット絶縁体から超伝導体、そして常伝導金属へと大きく物性が変わる。そのため、その背後にある電子構造がホールドープによりどのように変化していくのか理解することが、超伝導発現機構を解明する鍵となる。

 これまでの高温超伝導体の研究において、角度分解光電子分光はバンド分散を直接観測できるという強力な利点を生かし、擬ギャップ構造や超伝導ギャップのd波の異方性などの重要な観測で成功を収めてきた。しかし、ほとんどの研究がホール量の制御が難しいBi2Sr2CaCu2O8+y(Bi2212)に集中してきたため、ホール濃度依存性の系統的な研究は成されていない。そして、Bi2212特有のBiO面の変調構造や2層のCuO2面などの結晶構造の複雑さが光電子スペクトルの構造を複雑にし、解釈を難しくしてきた欠点があった。一方でLa2-xSrxCuO4(LSCO)は単純な結晶構造をもち、絶縁体から常伝導金属までホール濃度制御が可能なため、系統的な電子状態の研究に極めて適していると言える。にもかかわらずLa2-xSrxCuO4の角度分解光電子分光は、実験的困難からBi2212の研究に対して立ち遅れてきた。ヘキ開性などの実験的な困難を克服し角度分解光電子分光が可能になったのは最近の事である。本研究以前に角度分解光電子分光によるLSCOの研究からバンド分散とフェルミ面の形状が明らかになっている。LSCO特有の現象として、ブリルアン域の対角線方向のスペクトル強度が弱く、特に低ドープ領域で抑制されているという奇妙な振る舞いが指摘されていた。この結果は低ドープ領域でのストライプ構造と関連している可能性がある点で重要である一方、対角線方向で準粒子が存在することは磁場侵入長の測定などから明らかであり、その実験的観測が望まれていた。

 近年、電子エネルギー分析器の技術の進歩によりエネルギー分解能、角度分解能が向上したため、輸送現象に関連したフェルミ準位近傍の微細構造が観測できるようになった。本研究ではLSCOの角度分解光電子分光を高エネルギー分解能で行い、更に対角線方向で光電子遷移確率の高い実験条件を見出すことで、以前の観測で得られなかった、対角線方向にピーク構造をもつスペクトルやフェルミ準位付近の微細構造を観測することに成功した。対角線方向のスペクトルはCuO2面内の常伝導輸送現象を反映することから、この観測によりLSCOについて角度分解光電子分光と輸送現象を結ぶ議論が可能になった。

電子的フェルミ面とフラットバンド構造の名残の観測

 フェルミ液体的な振る舞いが期待される過剰ドープ領域(x=0.22)において、遷移行列要素の効果を利用することにより、第2ブリルアン域の対角線方向においてBi2212と同様の鋭いピーク状の構造をLSCOで初めて観測した。フェルミ準位から30meV以内のスペクトル強度を積分したものを運動量空間にマッピングし図1に示す。得られたパターンはフェルミ面の形状を反映しており、バンド計算と一致する明瞭な電子的フェルミ面を示している。強束縛近似により遷移行列要素の効果を計算し第2ブリルアン域でのスペクトル強度増大など、スペクトル強度分布の定性的な傾向を説明した。また(π,0)付近のスペクトル強度分布はバンド計算からは予想されない構造で、最適ドープ領域や過小ドープ領域で観測される「フラットバンド」と同様の分布を持つことから「フラットバンドの名残」の構造と考えられる。ストライプ揺らぎの強いNd-LSCOでも観測されるこの構造は縦型ストライプの擬一次元的電子構造を反映していると解釈できる。これらの類似性から(π,0)付近の構造とノード付近の構造のストライプ揺らぎの観点からの解釈も試みた。

希薄ドープ領域における金属的な振る舞い

電気抵抗率の温度依存性はホールドープ量の非常に少ない希薄ドープ領域においても、高温で金属的(dp/dT>0)な振る舞いが観測されており、希薄ドープ領域から過剰ドープ領域まで電子状態が連続的に変化していることが示唆されている。本研究ではx=0.03において、対角線方向で鋭い準粒子ピークがフェルミ準位を横切る様子を観測し、電気抵抗率で観測されている金属的な振る舞いと対応する電子状態を明らかにした。モット絶縁体にドープされたホールは、まず対角線方向でフェルミ準位近傍に電子状態を形成し、ホールドープに伴ってスペクトル強度を増すとともに、運動量空間で広がり、フェルミ準位上にフェルミ面の一部をアーク状に形成する。このスペクトル強度の増加はキャリアー数nがn〜xにしたがって増加するホール係数の結果を説明する。また、希薄ドープ領域の輸送現象に見られる異常な振る舞いKFI<<2πはフェルミ面が擬ギャップによって部分的に消失していることに起因することを見出した。更に、対角線方向スペクトルから得られた平均自由行程の値などを用いて電気抵抗率を見積もり、絶対値や温度変化が抵抗率の実験値の結果と一致することを示した。これらの結果は2次元モット絶縁体から超伝導体への連続的な電子状態の変化を説明し、ホール係数に見られたn〜xを説明する自然なシナリオをあたえる。

希薄ドープ領域における二成分構造の観測

以前の研究で、希薄ドープ領域における(π,0)付近のスペクトルは、下部ハバードバンドに対応する高エネルギー構造(結合エネルギー〜0.5eV)とフラットバンドを与える低エネルギー構造からなる二成分構造を持つことが分かっていた。本研究では、(π,0)付近のみではなく対角線方向にも同様に二成分構造が存在することを観測した。更に、高エネルギー構造と低エネルギー構造のエネルギー分散はともにdX2-y2波の異方性を持つことを明らかにした(図3)。高エネルギー構造のバンド分散の幅はx=0で約0.1eVで、交換相互作用J=120meVに近いがCa2CuO2Cl2の300meVに比べて小さい。これらの二成分構造の起源は明らかでないが、一つの可能性として、ストライプ構造などで期待されるような電荷不均一や電荷の揺らぎが金属的な低エネルギー成分と絶縁体的な高エネルギー成分を構成していることが考えられる。他の可能性としては電子相関によるインコヒーレント部分とコヒーレント部分が高エネルギー構造と低エネルギー構造を与えていることが考えられる。

擬ギャップと超伝導ギャップの異方性

超伝導のギャップの大きさ及び異方性は、対生成のメカニズムを調べる上で重要な情報を与える。(π,0)付近のギャップ(〜10meV)のドーピング依存性を調べ、ギャップの大きさがトンネル分光で観測されているものとほぼ一致していることが分かった。また、フラットバンドの結合エネルギーのドーピング依存性が、帯磁率のピークなどにみられる高エネルギーの擬ギャップ(〜200meV)のドーピング依存性に一致することが分かり、フラットバンドによるvan Hove特異点が高エネルギー擬ギャップを与えていることを示した。ギャップの異方性を調べるため、x=0.10についてフェルミ面上のスペクトルを測定した。その結果、(π,0)付近から対角線方向に向かって系統的にギャップが閉じることがわかり、ほぼdx2-y2波の異方性を持つことが明らかになった。Bi2212と大きく異なる点はTcより低温であるにもかかわらず(π,0)付近でコヒーレントピークを示さないことである。これは他の単層銅酸化物Bi2201と同様であるので、単層の特徴であろう。

まとめ

対角線方向でフェルミ準位を横切るピークを全ドープ領域にわたって観測できたことにより、電子構造の変化をモット絶縁体から過剰ドープ領域まで系統的、連続的に変化していることを明らかにすることができた。図4に、ホールドープによる電子状態の模式図を示す。希薄ドープ領域では二成分構造が観測され、(π/2,π/2)付近の状態が金属的伝導を起こす。さらにホールをドープすると(π,0)付近のフラットバンドがフェルミ準位に近づき、超伝導に寄与すると推測される。これらの電子状態形成の結果を踏まえて、さらにフェルミ準位付近の微細構造を調べることが、超伝導のメカニズムを明らかにする手がかりとなるであろう。

図1:(a)(c)2種類の測定配置によるフェルミ準位付近のスペクトル密度の運動量空間分布。

(b)(d)強束縛近似に基づいた遷移行列要素を考慮した(a)(c)のシミュレーション結果

図2:フェルミ準位上のスペクトル密度の運動量分布。

対角線方向に対して対称化してある。

図3:「フェルミ面」(ギャップ最小点の軌跡で定義されたもの)に沿ったバンド分散。

スペクトルの2階微分によって得られた。

図4:角度分解光電子分光から得られた電子状態の形成。

右側の図はフェルミ面の形成を表す。

審査要旨 要旨を表示する

 修士吉田鉄平提出の本論文は高温超伝導体La2-xSrxCuO4を角度分解光電子分より実験的に研究したもので、英文で8章からなる。

 高温超伝導体の発見以来、高温超伝導発現機構の解明を目ざして膨大な数の研究が行なわれてきた。機構の十分な解明は行なわれていないが、近年になって、光電子分光、特に角度分解型の実験技術の進歩によって、高温超伝導状態を引き起こす舞台となる電子状態に対する光電子分光からの知見が研究の進展に重要な役割を果たしている。実際、銅酸化物高温超伝導体では、電子が一様等方的にふるまうという単純な仮定が破れて運動量によって電子のふるまい方が全く異なっていたり、実空間で構造形成が行なわれたりする現象が近年になって頻繁に観測されており、この非一様性や不均一性の起源とメカニズムを解明することが高温超伝導機構を解明する上でも不可欠の課題であると認識されるようになってきている。一電子スペクトルについての詳細な運動量依存性を明らかにできる唯一の実験手段として、角度分解光電子分光の今までの寄与と今後への期待は大きい。

 この論文ではLa2-xSrxCuO4における電子状態の変化をドーピング濃度xの関数として詳細に追究したものである。この物質の角度分解光電子分光は今までにも多くの研究があり、ドーピング濃度の増大に伴うホール型のフェルミ面から電子型のフェルミ面への変化などが捉えられてきた。銅酸化物高温超伝導体では、Bi化合物なども含めて一般に、結晶構造上の特質から生じる2次元的な異方性に加えて、2次元面内においてもブリルアンゾーンの(π/2,π/2)方向に見られるべきフェルミ面と(π,0)方向に見られるべきフェルミ面が顕著に異なるふるまいをすることが知られている。しかしながら、このLA系物質では他の物質と異なってアンダードープ域で(π/2,π/2)方向にあるべきフェルミ面が同定できないという実験事実が蓄積し、他の銅酸化物に比べて特異であるという議論があった。一方La系化合物は絶縁体から過剰ドープ域までを同じ化合物のドーピングによって調べられるため系統的研究に適していることと、2層系Biと違って、2層のカップリングに伴う複雑さがないことなどの長所があり、徹底した系統的研究が望まれていた。この博士論文は、La2-xSrxCuO4に対して、入射光電子のエネルギーと角度についての経験と努力を積み重ねたこと、また遷移行列要素効果を有効に取り入れる工夫を行なったことなどによって、従来見い出されないか、あるいははっきりとは見えなかった(π/2,π/2)方向の分散を発見した。(π,0)方向に見られる擬ギャップや減衰の大きな構造とあわせて、幅広いドーピング濃度の範囲で初めて電子構造の変化を系統的に調べたものと位置付けられる。

 第一章の導入部に続いて、第二章ではLa2-xSrxCuO4の示す基本的な性質がレビューされている。また第三章は光電子分光の実験手法の説明が行なわれている。オリジナルな研究内容は第四章から第七章まで展開され、第八章がまとめと今後の課題に充てられている。

 第四章ではオーバードープ域がx=0,22の場合について考察されている。上述の工夫によって(π/2,π/2)方向に鋭い一粒子スペクトルピークを初めて見い出すとともに、(π,0)方向のフラット分散の名残りについて従来以上の詳細な考察を行なった。

 第五章ではアンダードープ域、x=0.03での実験結果が解析されている。このような少ないドーピング濃度にもかかわらず、論文提出者は、(π/2,π/2)方向に鋭い一粒子ピークを観測することに成功した。(π/2,π/2)方向の鋭いピークの一方で0.3eVにもおよぶ大きな擬ギャップも(π,0)方向に同時にはっきりと見られる点は注目に値する。この共存結果から、論文提出者は輸送現象を(π/2,π/2)方向の準粒子だけで説明する簡単な現象論にも言及している。絶縁体(x=0)からオーバードープ域までの電子状態の変化を系統的に追える点がLa系の特質であり、論文提出者は実際にこの利点を生かして、電子状態が絶縁体状態から、ごくわずかなドーピングの領域を経て、オーバードープ域に至る間に、(π/2,π/2)方向と、(π,0)方向の電子が著しく異なった振る舞いを示しながら変化していく様子を詳細に明らかにすることに成功している。

 第六章では光電子スペクトルが中間ドーピング領域で示している「二成分的なふるまい」が解析されている。この「二成分的」ふるまいはBi化合物で見られる一成分的なものとは対照的であることが指摘されている。

 第七章では超伝導ギャップの異方性が単純なdx2-y2の対称性に比べてノード付近の異方性が大きくなっていること、二層Bi系の実験結果と対照的に超伝導状態になっても(π,0)方向にコヒーレントピークが成長しないこと、フラット分散の束縛エネルギーがいわゆる「大きな擬ギャップ」の大きさと一致していることが議論されている。

 論文提出者は銅酸化物高温超伝導体、特にLa2-xSrxCuO4に対して従来の角度分解光電子分光の実験に比べて、29eV以下ではなく55eVという高い入射エネルギーの光を用いたこと、入射角をうまく選んだこと、遷移行列要素の違いを利用して第二ブリルアンゾーンのデータを用いたことなど、実験条件に独自の工夫を積み重ねて、質の高い実験データを得ることに成功した。この質の高さによって、La2-xSrxCuO4では従来はっきり見えていなかった(π/2,π/2)方向の一粒子スペクトルのピークをはじめてはっきり捕える事に成功し、そのドーピング依存性を詳細に明らかにした。特に3%というわずかなドーピング量のときにも(π/2,π/2)方向に明確な電子スペクトルの分散がフェルミ面を横切っていることを観測した点は注目に値する。このドーピング量の領域では、(π/2,π/2)方向に見られるフェルミ面を横切る分散が、(π,0)方向に向かうと途中で消え、(π,0)方向に見られる0.3eVもの大きさの「擬ギャップ」と共存していることが示された。これは運動量によって電子の示す性質が異なることを明確に示した実験として意義があるとともに、このときの擬ギャップが大変大きいことから、その発生機構ひいては超伝導メカニズムとの関係に対して大きな問題提起をしていると評価できる。このように本論文は銅酸化物超伝導体の光電子分光の研究分野での研究の進展に大きく寄与している。

 以上の成果について議論した結果、本論文審査委員会は全員一致で本研究が博士(理学)の学位論文として合格であると判定した。

 なお本研究は、指導教官藤森淳教授をはじめ、溝川貴司助教授、Xingjiang Zhou氏、中村元彦氏、Scot A. Keller氏、P. V. Bogdanov氏、Erdong Lu、Alessandra Lanzara氏、Zahid Hussain氏、井野明洋氏、永崎洋氏、Changyoung Kim氏、Zhi-Xun Shen氏、掛下照久氏、内田慎一氏との共同研究の部分があるが、上に述べた成果の主要部分について論文提出者が主たる寄与をなしたものであることが認められた。

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