学位論文要旨



No 116873
著者(漢字) 渡邉,紳一
著者(英字)
著者(カナ) ワタナベ,シンイチ
標題(和) 顕微光学測定によるリッジ型量子細線レーザーの光学特性と電子状態の研究
標題(洋)
報告番号 116873
報告番号 甲16873
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4136号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 安藤,恒也
 東京大学 教授 榊,裕之
 東京大学 教授 小林,孝嘉
 東京大学 助教授 黒田,寛人
 東京大学 教授 末元,徹
内容要旨 要旨を表示する

 半導体量子細線レーザーは、一次元電子系の状態密度に起因する温度特性の改善や発振しきい値の低下などが理論的に予測され注目を集めている。また細線形状に依存する価電子帯バンド混合により発光に偏光特性が生じるため、形状による偏光制御も可能である。

 本論文はリッジ型量子細線(QWR)レーザーについて顕微光学測定の立場からその発光・発振特性や電子状態の研究を行ったものである。測定および計算結果から一次元リッジ型QWRレーザー内部でおこる物理現象を明らかにし、結晶成長へのフィードバックを与えた。

 第2章ではリッジ型量子細線レーザーの作製方法について詳しく述べる。リッジ型量子細線レーザー構造の断面透過電子顕微鏡(TEM)写真を図1に示す。ファセット結晶成長技術を用いて先の尖った尾根(リッジ)形状の構造を作製することができる。ポテンシャルの低いGaAs薄膜層(z-方向の厚さ5nm)がAl0.2Ga0.8Asバリア層に挟まれ量子構造が形成される。量子構造としては、リッジの左右各斜面に側面量子井戸("Side-QW")が、そして二つのSide-QWの交線にあたる部分に量子細線("QWR")が形成される。QWR領域ではポテンシャルがSide-QWより低くなるために、キャリアの波動関数はQWR領域に局在化する。図1のy-z方向に二次元閉じ込めを受けたキャリアは、x-方向にのみ運動することで一次元系が実現する。さらにこれらの量子構造を、屈折率の異なるAl0.4Ga0.6Asクラッド層で挟み込むことで導波路構造とし、300μmの長さで細線両端をへき開することでレーザー共振器構造にした。

 第3章ではリッジ型量子細線レーザーの顕微光学測定による発振特性評価について述べる。パルスレーザーを用いてリッジ構造全体をストライプ状に光励起することで、リッジ型量子細線レーザーの発振を実現した。発振は低温(4.7K)から室温(290K)まですべての温度領域で確認され、その特性温度は100Kであると見積もられた。図2は温度4.7Kにおける光弱・強・最強励起下でのリッジ型量子細線レーザーへき開面からの発光・発振スペクトルおよびその顕微波長・空間分解イメージである。光弱励起下では二つの発光ピーク(a)、(b)が確認でき、顕微発光イメージからそれらの発光起源が(a)Side-QWおよび、(b)QWRであることが明らかになった。励起強度を増すと、QWRの発光ピークが徐々に高エネルギー側にシフトし0.5kW/cm2をしきい値として鋭いスペクトルピークが現れる。これはリッジ型量子細線構造からのレーザー発振光である。放出光強度の励起強度依存性や時間分解測定も発振の実現を示唆した。レーザー発振時のへき開面からの顕微放出光イメージ[図2(c)]はQWRと同様円形のパターンをしており、発振がQWR領域から放出されることが確かめられた。発振ピークがQWR弱励起発光エネルギーと比較して高エネルギー側にシフトしていることから、QWRの励起状態間の遷移を起源とした発振であることが考察された。

 第4章ではリッジ構造上部(Top-View)から同様に顕微放出光イメージを観察し、発振起源を推測すると同時に細線内部のキャリアの流れについても議論する。図3は、Top-View観察した顕微放出光イメージである。横軸のx=0μmが試料へき開面であり、x>0領域にQWRが存在する。3つのイメージは図2と同様、弱励起時の(a)Side-QWおよび(b)QWR、そして(c)レーザー発振時の発振エネルギーでのTop-Viewイメージを表している。(a)と(b)については細線に沿った発光強度プロファイルも示す。図3から以下の3つの情報(I)-(III)を得ることができた。(I)リッジ構造の構造ゆらぎについて;QWRとSide-QWの発光強度プロファイルを比較すると、QWRについてはx-軸に沿って2-3μmスケールで発光強度がゆらぐのに対し、Side-QWについてはこの測定の空間分解能である1μmスケールでゆらぐ。QWRについてはz-方向の結晶成長膜厚ゆらぎの影響が少なく、x-方向の細線に沿って2-3μm程度キャリアが移動できると考えてよい。一方でSide-QWについては実効的なポテンシャル厚みがQWRに比べて薄いため、同じ膜厚ゆらぎでも大きなポテンシャル障壁となり、x-方向へのキャリアの運動が妨げられると考えられる。(II)Side-QWからQWRへのキャリアの流れ込みについて;図3(a),(b)二つのTop-Viewイメージを比較すると、矢印領域ではQWRの発光強度が強い一方でSide-QWの発光強度は弱いという相関がある。これは体積の大きいSide-QWで光吸収され生じたキャリアがQWRへと流れ込む効率に、膜厚ゆらぎによる場所依存性があるためと考えられる。(III)レーザー発振起源について;(b)と(c)のx>0μmでのTop-Viewイメージが同一であることから発振起源がQWRであることが第3章に引き続き考察された。さらに(c)のイメージでは強いレーザー発振光がへき開面(x=0μm)で観測されるが、共振器内部(x>0μm)ではレーザー光の散乱は確認されないので、光波長スケール(μmオーダー)ではリッジ構造は一様であると考えられる。μm-スケールの構造一様性は反射Top-Viewイメージでも観察された。

 第5章では第4章のSide-QWからQWRへのキャリアの流れ込みに関する考察を深め、両者の弱励起発光強度の温度依存性を測定した。その結果、図4に示すように、35K以下の温度領域では温度上昇に伴いSide-QW(■)の発光強度が減り、QWR(●)の発光強度が増える傾向がみられた。これは温度上昇に伴いキャリアの拡散長が増え、Side-QW領域で局在発光したキャリアがQWRへと流れ込んで発光するためと考えられる。また総発光強度(▲)に変化がないことから流れ込み時のロスは少ないことが推測される。一方35Kよりも高い温度では、温度上昇に伴いSide-QW、QWRともに積分発光強度が単調に減少した。これは拡散長がさらに増えたことでQWR内部のキャリアが細線に沿って運動し、非発光中心など他の状態に流れ込む確率が大きくなるためと考えられる。

 第6章では顕微偏光発光測定系を用いリッジ型量子細線レーザー構造のへき開面から放出される発光・発振光の偏光依存性を測定した。励起強度の異なる(a)-(c)からなる図5は、リッジ構造をストライプ励起したときのへき開面からの発光・発振スペクトルとそのピーク強度の偏光角度依存性(極線プロット)である。最も弱励起のQWR基底状態間の遷移発光[図5(a)]は、へき開面内で+45度の偏光角度成分を多く持つ。励起強度を増すと、QWRピーク発光は縦偏光成分(0度)が強くなり[(b)]、さらに励起強度を増したときのレーザー発振光は+35度の直線偏光となる[(c)]。励起強度による偏光角度の変化は、遷移に寄与する電子状態がQWR基底状態から励起状態へ移り変わることが原因であると考察した。

 第7・8章では、第6章の発光・発振偏光依存性と、数値計算した電子・ホール波動関数との対応関係を考察した。第7章では準備として、電子・ホールの波動関数と、バンド間遷移の直線偏光依存性との対応を包絡線関数の重なりで表現する方法を提案した。図6のようにホールの包絡線関数はPx,Py,Pz-軌道ブロッホ関数を基底に取り、スピンアップ・ダウンを含めて6成分で表示した。例えばx-直線偏光の遷移確率を考えるときには、ホール6成分の包絡線関数のうち二つ(φvx↑、φvx↓)と電子の包絡線関数との重なり積分を考えればよい。このように包絡線関数の重なり積分を通してx-,y-,z-直線偏光遷移確率を理解できる。第7章では付録BからDと合わせてその理論的枠組を詳しく述べ、簡単なリッジポテンシャルモデルに適用した。

 第8章前半では様々なリッジ形状モデルに対して電子・ホールの波動関数を計算し、リッジ形状に依存する遷移の偏光特性を考察した。その結果、尖ったリッジ構造ではSide-QW領域にホールの波動関数がしみだし一つ異なる量子数間の遷移(e1-h2など)で縦偏光成分が強くなること、非対称なポテンシャルでは波動関数の偏りが原因で片側の井戸と平行な偏光成分が大きくなることなどがシミュレートされた。第8章後半ではTEM写真からかたどったポテンシャルの波動関数を計算し、第6章の実験で得られた遷移の偏光依存性を理解した。図7には数値計算で得られた遷移エネルギー(横軸成分)および最も振動子強度の大きい偏光角度(縦軸成分)を白丸で示している。振動子強度の大きさは白丸の面積に比例する。白丸中の数字は例えば"32"とあるものはe3-h2遷移に対応する。白丸の下の3次元等高線図は、実験で得られたへき開面点励起発光強度のエネルギー・偏光角度依存性を表している。黒実線は各発光エネルギーで最も強い偏光成分を持つ角度を示す。基底状態間の遷移(e1-h1)では波動関数の偏りが原因で偏光角度が傾くことが計算され、第6章の実験結果と一致した。また励起状態の発光については、黒実線の偏光分布と、数値計算結果で得られたe3-h2遷移など一つ異なる量子数間の遷移偏光成分が一致し、励起状態間の遷移で縦偏光を生じる理由が考察できた。

 最後に第9章で本論文をまとめる。

図1:リッジ型QWRレーザーの断面TEM写真

図2:リッジ型QWRレーザーの発光・発振スペクトルとそのへき開面からのイメージ

図3:リッジ型QWRレーザーのTop-Viewイメージ測定

図4:弱励起発光強度の温度依存性

図5:ストライプ励起時におけるQWR発光・発振強度のへき開面内偏光依存性

図6:ホール包絡線関数の6成分表示

図7:第6章のQWR発光偏光依存性(等高線図および黒実線)と第8章の数値計算(白丸)との対応

審査要旨 要旨を表示する

 半導体量子細線レーザーは,1次元電子系の状態密度に起因する温度特性の改善や発振しきい値の低下,細線形状による偏光制御などの可能性があるため,現在注目されている素子である.この論文ではリッジ型量子細線レーザーの発光・発振特性と電子状態を顕微光学測定と理論計算によって研究した.その結果,リッジ型量子細線における電子とホールの閉じこめ,細線の不均一性,発振に関与する電子とホールの状態と偏光特性について詳しい知見を得ることができ,レーザーに最適な細線構造とその結晶成長について有用な情報を与えることができた.

 リッジ型量子細線はファセット結晶成長技術を用いて量子井戸を先の尖ったリッジ形状に成長して作製する.実験に用いたのは薄いGaAs井戸層をAl0.2Ga0.8As障壁層で挟んだ構造であり,リッジの左右斜面のGaAsに側面量子井戸が,それが交差する部分のGaAsに量子細線が形成される.さらに全体をAl0.4Ga0.6Asクラッド層で挟み光導波路構造とし,細線両端をへき開することで共振器構造とした.側面量子井戸での吸収に対応したエネルギーのパルスレーザーにより励起し,低温から室温までのすべての温度範囲でレーザー発振を実現した.

 まず,へき開面からの空間分解顕微発光スペクトルにより,細線と側面量子井戸からの発光を明確に分離し,レーザー発振が細線部分で起こっていることを確認した.発振エネルギーは弱励起の発光ピークに比べて多少高エネルギー側に移動している.次に,リッジ構造上部の顕微発光スペクトルから,細線での発光強度のゆらぎが量子井戸の発光のゆらぎに比べて振幅が大きく特性距離も大きいことを示した.これから,細線部分の電子と正孔の方が井戸の部分よりも拡散しやすいことが結論できる.さらに,側面量子井戸の発光強度は温度とともに単調に減少するのに対し,細線からの発光強度は35K以下では温度とともに増大し,高温では減少することを観測した.リッジ型量子細線は線状のパターン基盤を用いて結晶成長するために,パターンのゆらぎに付随して構造ゆらぎが生じる.高温での発光強度の減少の原因として,このような構造ゆらぎに起因して生じる非発光中心へ電子とホールが流れ込む確率が増加することを可能性の一つとしてあげている.

 この論文の中心となるのは,へき開面からの顕微発光偏光スペクトルの測定とその理論解析である.偏光状態を測定するためには測定系の偏光依存性を完全に除去する必要がある.この論文では測定系の光学部品として偏光に依存しないものを利用するなど測定系そのものの偏光依存性を注意深く取り除き顕微発光の偏光測定を行った.最も弱励起の場合,細線部分の発光はリッジの成長方向からほぼ45度傾いた偏光角成分を多く持つ.励起強度を増すと上向き成分の発光が増加し,さらに励起強度を増し発振が起こったときには35度傾いた直線偏光となる.

 理論解析では,電子に対して通常の有効質量近似,ホールに対して重い正孔と軽い正孔を考慮した4行4列のLuttingerハミルトニアンを用い,有限要素法を用いて具体的な計算を行った.実際のリッジ構造は結晶成長条件から左右に多少非対称となるが,計算ではその効果も取り入れた.計算結果によると,この非対称性は電子よりも正孔に対して大きい.これは,実際の閉じこめポテンシャルの空間変化がそれほど大きくなく,また正孔の質量に異方性があるために正孔の細線への閉じこめが電子に比べて小さいためである.得られた電子と正孔の波動関数から発光の偏光方向を計算し,基底状態間の発光の偏光が垂直方向から大きくずれ,励起状態が関与すると垂直方向成分が増えることを明らかにした.これは顕微発光偏光スペクトルの観測結果と半定量的に一致する結果である.

 以上,この論文では,リッジ型量子細線レーザーの発光・発振特性と電子状態を主に顕微光学測定と理論計算により研究し,電子とホールの閉じこめ,細線の不均一性,発振に関与する電子とホールの状態と偏光について詳しい知見を得ることができ,さらに最適な細線構造とその結晶成長について貴重な情報を与えることができた.このように,本論文は博士(理学)の学位論文としてふさわしい内容をもつものとして審査員全員が合格と判定した.

 なお,本論文の主たる業績は,秋山英文助教授らとの共著の形ですでに公表され,また公表予定であるが,実際の実験の遂行や結果の解析などにおいて学位申請者の寄与が重要であると認められた.

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