学位論文要旨



No 116878
著者(漢字) 澤田,剛士
著者(英字)
著者(カナ) サワダ,ツヨシ
標題(和) 銀河系中心における分子ガスの物理状態と構造
標題(洋) Physical Conditions and Structure of Molecular Gas in the Galactic Center
報告番号 116878
報告番号 甲16878
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4141号
研究科 理学系研究科
専攻 天文学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 祖父江,義明
 東京大学 助教授 河野,孝太郎
 東京大学 教授 井上,允
 東京大学 教授 常田,佐久
 国立天文台 助教授 関本,裕太郎
内容要旨 要旨を表示する

銀河の中心領域は、高温・高密度・強い重力場など、銀河円盤部と異なる環境下にある。このような領域における星形成について調べるには、その直接の母体となる分子ガスの性質を明らかにすることが不可欠である。また、銀河の棒状構造などによるガスの集積が星形成活動の要因となっていることも考えられる。

このような観点から、銀河系中心領域における分子ガスの大局的構造・運動および物理状態の分布に関する研究を行なった。本研究は以下の3つの部分から構成される。

●CO J=2-1広域サーベイ

分子ガスの大局的な分布と性質を調べるため、一酸化炭素COのJ=2-1輝線によるサーベイ観測を行なった。観測には、東京大学とオンサラ天文台・ヨーロッパ南天天文台(ESO)・チリ大学との国際共同研究でチリ共和国のESOラシヤ観測所に設置された口径60cm電波望遠鏡を用いた。12CO J=2-1輝線の観測範囲は-6°〓1〓6°,-2°〓b〓2°で(1,bは銀経,銀緯)、銀河系中心での1800pc×600pcに相当する。得られた積分強度図を図1に示す。13CO J=2-1輝線については、銀河面上(b=0°)の-1.5°〓1〓2°および2.75°〓1〓3.25°のデータを得た。望遠鏡のビームサイズは9'、観測グリッド間隔は0.125°で、コロンビア大学のグループにより得られた12CO J=1-0輝線のデータとそれぞれ等しい。

輝線励起のモデル計算によりガスの物理状態と輝線の強度を関連づけられる。しかし、一般に分子雲は微細なクランプ状構造を持つことが知られており、有限の分解能を持つ観測では、ビーム立体角に占める分子ガスの割合(ビームフィリングファクター)で輝線強度が低めに見積もられる。そのため、フィリングファクターの影響を比較的受けにくい輝線強度比[R2-1/1-0(12CO)≡12CO J=2-1/12CO J=1-0およびR13/12(J=2-1)≡13CO J=2-1/12CO J=2-1]を用いてガスの物理状態について議論する。3輝線のデータのビームサイズおよび観測グリッドが等しいことが正確な強度比の取得を可能にしている。

-6°〓1〓6°,-1°〓b〓1°の範囲におけるR2-1/1-0(12CO)の値は0.96±0.01であった。これは銀河円盤における典型値0.6と比較して非常に高く、ガスの物理状態の顕著な違いを示唆する。一方、0.96という値は近傍渦巻銀河の中心部における平均値0.89±0.06に近い。また、観測領域におけるR13/12(J=2-1)の値は0.10±0.01であった。この2つの輝線強度比を1ゾーンLVG(大速度勾配)モデルから計算される値と比較し、水素分子密度n(H2)=103.0-3.5cm-3を得た(LVG計算で仮定したガスの運動温度Tkに依存する)。また、こうして導かれる12CO J=1−0輝線の光学的厚さτは1程度より小さく、円盤部の巨大分子雲(τ>~10)と著しく異なる。これは高温と大きな速度幅に起因すると考えられる。

さらに、この手法を用いて、銀経−速度(1-v)図上でのガスの物理状態の分布を求めた。得られる種々の物理量のうち、ガスの熱的圧力p/k=n(H2)Tkは仮定したTkの値にほとんど依存しないことがわかった。こうして得られた圧力の1-v分布(図2a)から、中心から半径約100pcの範囲に周囲より圧力が高い領域(高圧領域;以下HPR)が存在することが明らかになった。この領域は、13CO輝線でトレースされる2本の腕状構造、および水素の再結合線でトレースされるH II領域と1-v図上で似た分布を示す(図2b,c)。

●CO輝線とOH吸収線との比較による分子ガスのフェイスオン分布の導出

水酸基OHの18cm線は星間雲において広く吸収で検出される。吸収の深さは、背景の18cm連続波強度にOHの光学的厚さτOHのファクターを掛けたものとなる。したがって、18cm連続波源である領域の手前と背後に同じτOHを持つ雲が存在している場合、手前にある雲からはより深い吸収線が検出される。この原理を用いて分子雲の位置を定量的に求める手法を開発し、銀河系中心の分子雲に対して適用した。この手法は、ガスの運動(視線速度)の情報とは全く独立に雲の位置を求めることができるという点で過去の研究と一線を画す。

雲の位置を求めるにあたり、(1)連続波放射の空間分布(2)各々の雲におけるτOH(3)OHの励起温度Tex(OH)を知る必要がある。(1)については、連続波放射が軸対称なガウシアン3つの重ねあわせで表されると仮定した。この仮定は、18cm連続波の銀経分布を非常によく再現する。(2)についてはτOHがCO J=1-0輝線の輝度温度TCOに比例する(Zを定数としてτOH=ZTCO)とした。これは、(2a)単位速度幅あたりの水素分子柱密度N(H2)/dvがTCOに比例し(2b)τOHがN(H2)/dvに比例するという、妥当と思われる2つの仮定による。(3)のTex(OH)、および(2)に導入されたZが未知数として残る。これらは(I)導かれる分子ガスの分布が中心に対してわれわれから見て前後方向に著しく非対称とならない(II)銀緯方向に広がった構造が異なる銀緯においてほぼ同じ位置に置かれる(III)吸収の深さをモデルによって再現できないことがないようにするという条件を満たすよう、試行により求められた。

こうして得られたx-y平面上の位置にCO輝線強度(水素分子の量に相当)を投影し、分子ガスのx-y分布を得た。得られた分布のうち中心から500pcの範囲を図3aに示す。大部分のガスは500pc×200pc程度の領域に集中している。この領域(中心集中;以下CC)の長軸は視線に対して約70°傾いている。また、視線速度の分布(図3b)は著しい非軸対称回転を示す。すなわち、奥側が正の視線速度を持って(われわれから遠ざかって)おり、手前側は負の速度を持っている。この傾向は棒状ポテンシャル中のガスの運動のシミュレーションや系外の棒渦巻銀河の観測にも見られており、銀河系が棒構造を持つという説を支持する。CCの端からほぼ視線に沿って伸びる構造が見られ、これは棒渦巻銀河に見られるダストレーンに似かよう。しかしこの視線方向の伸びは、データのノイズや局所的な連続波源の存在などによる見かけ上のものである可能性もある。1-v図上でCCを取り囲むように見える「膨張分子リング(以下EMR)」の幾何学的構造について考察する。EMRのうち負の視線速度を持つ成分は銀河系中心の手前に位置することが知られていたが、銀経が正の側でOHの吸収がより深いことがわかった。したがって、EMRの少なくとも手前側は軸対称でなく、銀経が正の側が手前にあるように傾いていることが示唆される。この傾向はEMRを棒状ポテンシャル中の軌道として説明する説と矛盾しない。

ここで得られた雲の位置を用いて、他のデータの1-v分布もx-y平面上に投影することができる。「CO J=2-1広域サーベイ」で述べた手法を用いて、12CO J=1-0,12CO J=2-1,13CO J=2-1輝線の間の強度比からガスの圧力の分布を得た(図3c)。中心から100pc程度に見られる圧力の高い領域(HPR)では、集積したガスが星形成を行っている。

●数値シミュレーションを用いたガスの運動の解釈

銀河系中心付近における分子・原子線の1-v図には数多くの特徴的な構造が見られる。それらには軸対称な銀河回転では説明できないもの(3kpc腕,135km/s腕,EMR,Bania's Clump 1など)や非常に大きな速度分散を持つ雲(Bania's Clump 2など)が含まれる。解析的あるいは数値的にこれらの運動を解明しようとした研究の多くは大きな(kpcオーダーの)スケールに着目しており、個別の構造に関する研究は不足している。

そこで、観測された分子輝線のデータと比較して銀河系中心付近のガスの運動を探るために、棒状ポテンシャル中におけるガスの運動の数値シミュレーションを行った。計算されたガスの中心から約3kpc以内における分布は大きく(1)楕円形、あるいは2本の渦状腕(2)棒状のガス集中に分けられる。楕円はほぼ定常的に見られるが、その内側に現れる構造(クランプ,流れ,リング等)の多くは一時的なものである。

分子・原子の輝線あるいは吸収線で観測されている「3kpc腕」と呼ばれる構造はシミュレーションにおける(1)の楕円でよく再現される。これは過去の研究と矛盾しない。(2)の棒状構造中に現れるクランプ,流れ,リング等によって、Bania's ClumpsやEMRなど多くの構造を説明することが可能である。

以上の研究から、銀河系中心における分子ガスの新しい描像を提示する(図4)。中心から約3kpc以内にあるガスはクランプ,流れ,リング等の形を取っており、棒状ポテンシャル中を運動しながら徐々に中心へと落ちている。中心から半径100pc程度の領域では集積したガスから星が形成されている。

本研究により、1-v図上に見られる種々の構造がフェイスオンでおおよそどの位置にあたるかが明らかになった。このことは各々の構造中の微細構造や物理状態・そこでの星形成に関する研究に対する大きな助けとなる。また、OH吸収線とCO輝線との比較から分子ガスのフェイスオン分布を導く手法は、系外のエッジオン銀河(M82等)におけるガスの分布・運動の解明にもつながる。

図1:12CO J=2-1輝線の積分強度図。

コントアは100,200,400,700,1000,1400 K km s-1。

図2:(a)LVG解析から導かれた圧力の1-v分布,(b)Sofue(1995)による13CO輝線の腕状構造,(c)Pauls & Mezger (1975)によるH109α再結合線の分布。

図3:(a)最大値を1に規格化したCO輝度,(b)視線速度,(c)LVG解析から導かれるガスの圧力 それぞれのフェイスオン分布。銀河北極方向から見たもので、太陽系の位置は(x,y)=(0,-8500pc)。

図4:本研究から導かれる、銀河系中心における分子ガスの模式図。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は5章よりなり、口径60cmのサブミリ波望遠鏡を用いて銀河中心部の一酸化炭素(CO)のJ=2−1回転遷移線を観測し、銀河中心における星間ガスの物理状態および分布とダイナミックスについて考察した論文である。

 第1章は序章で、銀河系中心部のガスダイナミックスと物理状態を理解する上において、一酸化炭素(CO)輝線による観測が特に有用であることを示し、従来の観測および研究の背景について述べている。

 第2章では、一酸化炭素(CO J=2−1回転遷移)の波長1.3mm輝線による広域サーベイの結果を述べている。観測は、東京大学とオンサラ天文台・ヨーロッパ南天天文台(ESO)・チリ大学との共同研究でESOラシヤ観測所に設置された口径60cm電波望遠鏡を用いて行われた。本提出者は、その維持と運用にも中心的な役割を担っている。本章ではまず、得られたデータをコロンビア大学のJ=1−0輝線データと比較し、J=2−1および1−0の輝線強度比が太陽付近における値よりも著しく高く、ガスが高い励起状態にあることを示した。つぎに13COと12CO輝線強度比の解析により水素分子密度を103から103.5cm-3と推定した。さらにCO輝線の光学的厚さは円盤部の巨大分子雲にくらべて小さく、ガスが高温で速度幅も大きいことを示した。

 第3章では、CO輝線と水酸基OH吸収線との比較により、分子ガスの銀河面上(フェイスオン)分布を導出する方法と結果を述べている。OHの18cm線は連続放射を背景にした星間雲による吸収として観測される。銀河中心域の広がった連続波源に対して手前にある雲では、反対側にある雲よりも深い吸収線が検出される。論文提出者はこの原理を用いて視線上における雲の位置を求める手法を開発し、観測された分子雲に対して適用した。この手法は、運動学的な方法とは独立に雲の視線上の位置を求めるという点で過去の研究と一線を画している。こうして決められた銀河面上の位置にCO輝線強度を投影し、分子ガスの銀河面分布を得た。その結果、大部分の分子ガスは中心のまわり500pc×200pc程度の領域に集中し、この領域の長軸は視線に対して約70度傾いており、さらに視線速度の分布からガスは非円運動をしていることがわかった。

 第4章では、観測で求められた銀河系中心付近の分子ガスの分布と運動を理解するために、棒状ポテンシャル中におけるガスの運動を数値シミュレーションを行った。計算結果は、第3章で得られたガスの銀河面分布と運動をよく再現し、棒状ポテンシャルモデルが良い近似を与えることが確認され、銀河系が棒構造を持つという説を支持している。

 第5章はまとめである。

 以上、本博士論文で提出者は、銀河系中心における分子ガスの新しい描像を提示し、中心のガスダイナミックスと形状が、棒状ポテンシャル中を運動しながら徐々に中心へ落ちているというモデルによって理解できることを示した。特に第3章において、新しい方法によって視線上の位置決定を行い、銀河系中心部ガスの銀河面分布を得ることに成功したことは重要な寄与であると考えられる。

 なお本論文は、長谷川哲夫、半田利弘、森野潤一、岡朋治氏、J.H.Cohen、幸田仁氏らとの共同研究であるが、論文提出者が主体となって観測、解析および計算を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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