学位論文要旨



No 116884
著者(漢字) 井口,博貴
著者(英字)
著者(カナ) イグチ,ヒロキ
標題(和) 中部日本の高山地域における温暖化による植生変化の実験的研究
標題(洋) Experimental Research on Vegetation Changes due to Climate Warming at a High Mountain, Central Japan
報告番号 116884
報告番号 甲16884
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4147号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 多田,隆治
 東京大学 教授 大森,博雄
 東京大学 教授 中島,映至
 東京大学 教授 鈴木,和夫
 東京大学 助教授 須貝,俊彦
内容要旨 要旨を表示する

 20世紀後半は飛躍的な科学技術の発達とともに工業化が急速に進み、多くの環境破壊が生み出されていった。そしてそれらは地域環境にとどまらず地球環境全体へと今もなお着実に進行している。地球温暖化はこれらの地球環境問題の一つであり、過去150年で約1℃の上昇が観測されている。その上昇曲線は大気中のCO2濃度の上昇と類似しており、温暖化防止対策として、CO2削減が国際的に取り組まれている。また一方では,気候変動の予測の研究や温暖化に起因する海面上昇による海岸線等の変化の研究等は積極的に行われている。しかし温暖化が生物、特に植物界にどのような影響を及ぼしているのかの調査研究は必ずしも多くはなく、植生変化に関する研究は貧弱であると言える。すなわち1960年代から北欧を中心として温暖化による植生変化の研究が進められ、1990年に入ってITEX(The International Tundra Experiment)が開始されたが、もっとも人口が集中している中緯度地域での実験・研究は殆ど行われていない。中緯度地域の研究は主として日本において行われているが、これらを含めて実験・研究の殆どは植物季節変化(Phenology)にとどまり、成長量の種間の差異や、植物群落としての植物現存量および植物群落の遷移の研究は未開拓の分野である。本研究では中緯度地方において、植物群落の一部を人為的に温暖化させ、(1)成長量(Vegetation growth)(2)植物季節(Phenology)(3)植物現存量(Biomass)(4)植物群落(Plant community)の変化をみようとした。実験は日本の中部山岳の乗鞍岳の高山域(2,780m)で4年間にわたって行った。実験方法,実験結果及び得られた知見は以下のようにまとめられる。

1.実験方法

 高山植物を実験対象とした。これは樹高及び草丈は矮少ではあるが、植物社会としての成熟した群落を成立させていること、さらに小型の昇温設備ですみ、かつ、測定が容易である、などの利点からである.。昇温設備はプラスチック製の天蓋のない小型温室(OTC : Open Top Chamber-ITEX規格)とし、これを5基、対象植物群落上に設置、それぞれに近接した場所に対照区(CTRL)5ヶ所を設定した(Fig 1)。測定項目は主として1.植物高気温及び地温2.成長量(Vegetation growth)3.植物季節変化(Phenology)4.植物現存量(Biomass)5.植物群落(Plant community)の変化とし、OTCとCTRLとの差異を分析した。実験・計測は雪明け(6月上旬)から初雪(9月下旬)の植生の生育期間に行った。

2.OTCの昇温

 OTC及びCTRL内でそれぞれ植生高気温(地上5cm)、地温(地下3cm)を測定した。4年間の昇温の平均値は植生高気温で0.65℃、地温で0.28℃であった。北極圏で行われている温暖化実験と比較して、昇温量が小さい。これは夏期間の北極地方の昼間時間が中緯度地方より長いこと、北極圏での実験場所は多くが低地の草原、沼沢地及び半砂漠地帯であること、さらに、夏季の天候が良いことなどに帰因すると推察される。

3.植生成長量(Vegetation growth)

 植生成長量は木本3種、草本1種の合計4種について計測した。選定した種はミヤマアシボソスゲ(Carex scita/落葉性多年草)、ガンコウラン(Empetrum nigrum/常緑性小低木)、ミネズオウ(Loiseleruia procumbens/常緑性小低木)、コケモモ(Vaccinium vitis-idaea/常緑性小低木)で、これらは植物群落構成上の優占種である。測定は3ないし4週間おきに行い種ごとに数本から15本測定し、その平均値を用いてOTCとCTRLの比較を行った。その結果、

 1.昇温による効果は早春から夏にかけて顕著であった。

 2.成長に対する昇温効果は種によって異なった。すなわち草本であるミヤマアシボソスゲは昇温により大きな成長量を示した。木本ではミネズオウが顕著に成長量を増加させ、次いでガンコウランであった。また、コケモモは昇温に対して顕著な反応を示さず、対照区の成長量がOTCでの成長量を上回る場合も見られた。これによりコケモモは昇温に対して不安定な反応を示す種と考えられる。

4.植物季節変化(Phenology)

 Phenologyについては成長量を測定した種に加えチングル(Sieversia pentapetara/落葉性多年草)およびコイワカガミ(Schizocodon soldane-lloides f. alpinus/落葉性小低木)をも観測した。その結果、1℃以下の昇温でもほぼ全種を通し植物の活性化が見られ、紅葉期が遅れることが観測された。即ち一部の例外をのぞき昇温効果は光合成機能を高めることによって紅葉期を遅らせる効果があると考えられる。

5.植物現存量(Biomass)

 植物現存量(乾燥重量)はOTCとCTRLの間で有意な差は見られなかった。貧栄養状態の土地では、一定面積の植生の全成長量は土地の栄養状態によって規定されていることが知られている。当該実験地においては,自然状態(CTRL)において、各植物は土地の栄養状態に対応した極相の状態にあると判断される。優占種であるミネズオウやガンコウランそしてミヤマアシボソスゲがOTCでより大きい成長量を示したのは、特定の種への栄養が集中した為と推定される。

6.植物群落(Plant community)変化

 優占種であるミネズオウとガンコウランの内、ミネズオウは群落を拡大したが、ガンコウランは群落を縮小した(Fig 2)。すなわちミネズオウは成長量が大きく、かつ、匍匐性が高く、結果として、樹冠の拡大が顕著であった。これに対してガンコウランは1997-1999年の間はOTC内での成長量がCTRLでの成長量を上回ったが、2000年にはCTRLとの間で有意な差が見られなかった。この結果から、ミネズオウのように昇温により成長が加速され、かつ、樹冠を拡大させる形で成長する樹種が繁茂する形で植生変化が進行すると予測される。

7.今後の課題

 当研究では人為的昇温による植生の変化を要素別に計測・観測した。昇温に対する植物の反応は種によって異なり、特定の種が繁茂・拡大していくことが明らかとなった。しかし、どのような性格をもった種が生理活性を高めるか、及びその生理活性の特徴については今後の課題として残された。特に群落構造の変化の研究のように長期間を必要とするものもあり明確な結論を得る為には、今後も同様な実験を継続する必要があると考える。

Fig 1 OTC(Open Top Chamber)

Fig 2 Change of a plant community (OTC-B)(2,780 a. s. l. Japan)

審査要旨 要旨を表示する

 巨大科学技術の実践が地球規模で展開されるようになった20世紀後半においては、多くの環境問題が発生し、それらは地域環境問題にとどまらず、全球規模で広がる地球環境問題として、その解決が国際的政治の課題になるまで重大化し、現在もなお、着実に進行している。地球温暖化はこれらの地球環境問題の一つであるが、未だ未解明の課題も多い。特に、地球温暖化が植物生態系に与える影響に関しては、農業、林業のみならず自然環境問題としても重要な課題であるが、その実証的研究は貧弱で、温暖化によって植生がどのように変化するかのプロセスに関しては、憶測すらなしえ得ない状態にある。本研究は「温暖化によって植生がどのように変化するのか、特に、自然の中で行われている競合関係の中で、異なった植物種が生長量、季節変化、分布をどのように変化させるかを明らかにすることを目的」として行われた。本研究は、中緯度高山地域において、4年間にわたり、ミニ温室を用いて温暖化実験を行い、気候及び植生の観測・計測結果に基づき、昇温区と対照区における成長量およびフェノォジーの季節変化、さらに、植物現存量の相違等が毎年同様に生じることを確認するとともに、競合関係にある植物社会の中で、どのような性格を持つ植物が繁茂し、植生の変化をもたらすかを明らかにしたものである。

 本論文は7章からなる。第1章:Historical analysis of the studies into the vegetative and phenologocal changes due to climate warmingでは、1960年代以降に行われている極地域の温暖化実験を等を検討し、発芽、開花、結実、紅葉等を中心にした植物季節変化の研究に偏っていること、また、人口集中地域である中緯度地域の研究は極めて貧弱であること等を指摘し、本研究の意義を位置づけ、調査・実験項目等の検討を行っている。

 第2章:Methodology for experimentalstudies on vegetationでは、自然状態での競合関係の中で、植物種ごとに温暖化に対する植生の変化か異なること、その違いが植生変化を引き起こすと考えられることから、野外実験地を採用したこと、また、高山では、木本植生をも含めて小型の植物群が樹木・草本を含めて群落(植物社会)を形成しており、小型の設備・施設で温暖化効果を実験できることから、実験地として高山地域を選定したこと、実験地の地形、気候等の概要、実験施設・設備の説明、及び、実験の計測項目とその作業過程を説明している。実験はミニ温室5基を用い、それぞれ側近に対照区を設定したこと、ミニ温室と対照区において、それぞれ気温、地温、降水量等の気候要素は機器による毎時観測、及び、植物の成長量、季節変化、現存量、群落分布等の植生要素は3〜4週間ごとに現地計測によって行ったことが述べられている。

 第3章:Meteorological measurement at the siteでは、気候要素の観測結果をまとめている。ミニ温室(OTC)では、植生高気温(地上5cm)、地温(地下3cm)がそれぞれ、4年間平均で、0.65℃、0.28℃、昇温したことが述べられている。なお、極域では1〜3℃の昇温が報告されており、昇温量が小さいことを指摘し、これは、低地と高地、および、日照時間の長短が関係していると考察している。

 第4章:Vegetation growthでは、種ごとに15個体を採り上げ、ミヤマアシボソスゲ(Carex scita)、ガンコウラン(Empetrum nigrum)、ミネズオウ(Loiseleruia procumbens)、コケモモ(Vaccinium vitis-idaea)の成長量の計測結果を示し、対照区と比較検討し、早春から夏にかけての昇温が成長量促進に効果的であること、成長量は種ごとに異なり、ミヤマアシボソスゲ、ミネズオウは顕著な成長量を示すこと、ガンコウランがそれに次ぐが、コケモモは昇温に対しては不安定な反応を示すことを指摘している。

 第5章:Plant phenologyでは、成長量測定種に加え、チングルマ(Sieversia pentapetara)、コイワカガミ(Schizocodonsoldanelloides f. alpinus)の観察を行い、全種を通して植物の活性化が見られ、紅葉期が遅延することを指摘している。

 第6章:Continuous research in 2000では、1997年〜1999年の3年間の結果に基づき、追加調査・実験を行い、実験・調査結果の普遍性の再確認を行っている。

 第7章:Summary and future policy implicationでは、第3章〜第6章での結論を整理するとともに、植物現存量および4年間にわたる観察の結果認識可能となった植物群落の分布の動向を分析している。植物現存量に関しては、4年間の各年次において、ミニ温室と対照区とでは顕著な差異が見られないことを示し、植生の全成長量は土地の栄養状態に規定されていること等を指摘している。また、植物群落の動向に関して、優占種2種の内、ミネズオウが群落を拡大し、ガンコウランは群落を縮小したことを明らかにし、成長量及び生育形の検討から、昇温により成長が加速され、かつ、樹冠を拡大するように生育する樹種が分布域を拡大・繁茂する形で植生の変化が進行するとの結果を得るとともに、植生の変化プロセスをより詳細に明らかにするにはなお長期の観察が必要であると結んでいる。

 以上のように、本研究は地球温暖化に伴う植生変化に関して、長期にわたって実験し、多面的に検討・考察し、植生変化の方向性を明らかにしたものであり、地球惑星科学、特に、自然地理学の発展に大きく貢献し、また、農学、林学、或いは、環境学の発展にも多大な寄与をするものと評価される。したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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