学位論文要旨



No 116886
著者(漢字) 上村,彩
著者(英字)
著者(カナ) カミムラ,アヤ
標題(和) 伊豆・小笠原沈み込み帯における地震波速度構造の研究
標題(洋) A study of the seismic velocity structure at the Izu-Bonin subduction zone
報告番号 116886
報告番号 甲16886
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4149号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩崎,貴哉
 東京大学 教授 瀬野,徹三
 東京大学 教授 鳥海,光弘
 東京大学 助教授 篠原,雅尚
 東京大学 教授 笠原,順三
内容要旨 要旨を表示する

1.はじめに

 沈み込みプレート境界ではしばしば巨大地震が発生するので、プレート境界の物理状態を理解することはきわめて重要なことである。以下に本研究の観測・実験領域である伊豆・小笠原沈み込み帯の特徴を記す。

 第一に、沈み込み角度が他の沈み込み帯と比べて大きい。第二に、海溝軸の西数十kmの陸側斜面に蛇紋岩海山が点々と連なって存在している。この蛇紋岩海山は現在のところ、世界でも伊豆・小笠原−マリアナ前弧域でしか確認されていない。この蛇紋岩海山の性質を知るため、国際深海掘削計画(ODP)Leg 125で鳥島蛇紋岩前弧海山(TSFS)の掘削が行われ、海山上の掘削点では蛇紋岩化した橄欖岩が見つかった。第三に、沈み込みに沿った地震活動の不均質性がある。気象庁震源を見ると、400km以深で巨大深発地震がたくさん起きているのに対し、100km以浅ではM7を超える地震はほとんど起きていないことがわかる。第四に、海溝斜面に東西方向の走向を持ったいくつもの海底谷が見られる。以上のような伊豆・小笠原沈み込み帯の特徴を地球物理学的に理解するため、海底地震計(OBS)と制御震源を用いた屈折/反射法地震探査を行った。

 本研究の目的は、1.伊豆・小笠原沈み込み帯のプレート境界型地震発生の仕組みを理解する:なぜ浅部でプレート境界型・巨大地震がほとんど起きないのか、2.蛇紋岩海山と地震波速度構造の関係を調べる、3.海底谷と地震波速度構造の関係を調べること、である。

2.観測概要

 1998年秋に、伊豆・小笠原沈み込み帯において地震波速度構造探査を行った(左図・観測点分布)。測線は海溝軸に直交する向きの東西測線、海溝軸に平行な南北測線の、各々約130km長とした。OBSを23台設置し、制御震源として火薬20kgを106発(2.5km間隔)、エアガン17リットル2基を1,835発(150m間隔)、ショットした。東西測線は蛇紋岩海山(TSFS)の頂上を、南北測線は海底谷を横切るようにした。エアガンショットの間はシングルチャンネルのストリーマケーブル(SCS)で反射記録を得た。

3.データ解析

 船とOBSの位置、制御震源のショット時刻と位置を精密に求めたあと、P波速度構造を得るために、まず初期構造モデル(パラメータ:層境界面の深さ、P波速度)を作成した。堆積層(最上部層)の構造はODP Leg 125のコアデータとSCSの反射記録をもとにして決めた。それより深い構造は過去の研究の結果を参照して決めた。次にZelt and Smith (1992)の波線追跡法を用いて試行錯誤的にフォワードモデリングを行った。最後にインバージョンモデリングを行った。本研究では藤江(1999)の非線型インバージョン法を用いた。

 フォワードモデリングとインバージョンモデリングでは、まず5km以浅の構造について、エアガンショットのデータを用いてインバージョン計算をし、その結果を考慮して次に全体の構造について、火薬発破の観測波形のデータを用いてインバージョン計算をした。

 さらにS波速度構造をフォワードモデリングを行って求めた。初期モデルの作成には、前段階までに得られたP波速度構造を用いた。これは東西測線のみについて求めた。

4.結果

4.1.観測波形

 南北測線では、プレート境界と沈み込む海洋プレートのモホからの反射波が確認できた。東西測線では、マントルウェッジを通った波線と、沈み込む海洋プレートのモホの下を通った波線、プレート境界と沈み込む海洋プレートのモホからの反射波が確認できた。OBS#01から#10ではTSFSから10km以内の地震波の振幅が、大きく減衰していることが観測された。逆からのショットも同じ現象を示し、TFSFに乗っているOBS#11と#12で、OBSから40km以遠の地震波の振幅が、大きく減衰していることが観測された。

4.2.地震波速度構造

 P波速度構造モデルを次図に示す。左が南北測線、右が東西測線である。南北測線の速度構造モデルでは、第5層の速度は6.2〜6.6km/sと決まった。この第5層(プレート境界面の上に乗る薄い層)を、本研究中ではプレート境界層(PBL)と呼ぶことにする。東西測線の速度構造モデルからは、伊豆・小笠原弧の下に沈み込む太平洋プレートの様子がわかる。マントルウェッジの速度は、8.0〜6.2km/s(西から東)である。

5.議論

5.1.得られた構造モデルの妥当性

 速度の解像度は、測線の両端を除いて、東西・南北両測線ともに良く(>0.5)決まった。

 火薬インバージョンの最終RMS値は東西測線で75ミリ秒、南北測線で68ミリ秒であった。これらの値は観測誤差の約2倍程度である。したがって最終モデルはデータを十分に説明していると考える。また本研究のP波速度構造モデルは、過去の結果に矛盾しない。

5.2.PBLの低速度領域と蛇紋岩ダイアピル

 蛇紋石(岩)は橄欖石(岩)が水と反応して生成される鉱物(岩石)である。Ishii et al. (1992)によると、クロムスピネルのMg#-Cr#プロットから、TSFSの蛇紋岩化した橄欖岩はマントルウェッジ起源であることがわかっている。したがって本研究の測線上のマントルウェッジには蛇紋岩があると推定できる。

 本研究領域のPBL(マントルウェッジの東側)のP波速度は6.2-7.3km/sであり、平均的な海洋性マントルのもの(8.15-8.2km/s, Woollard, 1975)より遅いが、蛇紋岩の速度範囲内に入っている。我々はTSFS下を通った地震波が大きく減衰することを観測した。このことは、TSFS下の物質は周囲のものと異なっていることを意味している。

 以上の岩石学的証拠を考え合わせて以下のモデルを提案する(左図)。まずPBLの橄欖岩が沈み込むプレートのもたらした水により蛇紋岩化した。次にその蛇紋岩化した橄欖岩がプレート境界に沿って東上方へ移動し、ダイアピル的にTSFSの中へ上昇した、というものである。この上昇は蛇紋岩化した物質が周囲より低密度であることから生じる浮力によって説明できる。東西測線のS波構造モデルでは橄欖岩〜蛇紋岩の速度で矛盾なく説明することができたが、橄欖岩と蛇紋岩との区別をつけることはできなかった。

5.3.プレート境界上の蛇紋岩と地震活動

 蛇紋岩は温度圧力条件によってリザーダイト、クリソタイル、アンチゴライトの3つの相があるが、本研究領域の蛇紋岩海山から過去に得られた蛇紋岩は、主にクリソタイルであった。プレート境界に存在するクリソタイル(低温型蛇紋岩・左図参照)は重要な役目を果たす。Moore et al. (1997)は断層ガウジの実験で、3種類の蛇紋石に対して200℃で断層ガウジの実験を行い、摩擦係数がクリソタイルでは0.2、高温相では0.4以上になり、クリソタイルが低摩擦係数を持ち安定滑りするとの結果を得た。つまり、もしプレート境界にクリソタイルがあれば潤滑剤のような役割を果たし、伊豆・小笠原沈み込み帯の浅部で大地震が起きないという、地震学的性質を支持する。

6.結論

 伊豆・小笠原沈み込み帯においてOBSと制御震源を用いた実験を行い、P波速度構造とS波速度構造を求めた。南北測線は海溝軸に平行な測線で、海底谷を横切る。東西測線は海溝軸に直交する向きの測線で、測線の東端でTSFSを横切る。南北測線のP波速度構造では地殻の厚さは約5kmで、沈み込む海洋プレートの地殻の厚さは約8kmと求まった。東西測線のP波速度構造では沈み込むスラブがわかり、プレート境界と沈み込む海洋プレートのモホからの反射波が確認できた。マントルウェッジの東側の速度は6.2-7.3km/sである。この低速度は、沈み込むスラブによってもたらされた水によって蛇紋石化した橄欖岩であると解釈できる。蛇紋石化した橄欖岩は密度が低くなり浮力を持つから、これがプレート境界に沿って移動し、TSFSの内部へダイアピル的に上昇したというモデルを提唱する。東西測線のS波構造モデルでは橄欖岩〜蛇紋岩の速度で矛盾なく説明することができたが、橄欖岩と蛇紋岩との区別をつけることはできなかった。もしマントルウェッジの東側に蛇紋石化した橄欖石(クリソタイル)があれば、摩擦係数が低いためにプレート境界で潤滑剤のような役割を果たし、伊豆・小笠原沈み込み帯の浅部で大地震がほとんど起きないという地震学的性質を説明することができる。

審査要旨 要旨を表示する

 伊豆・小笠原沈み込み帯は,沈み込み角度が他の沈み込み帯に比べて大きく,しかも海溝軸の西数10kmの陸側斜面に蛇紋岩海山が転々と連なって存在している.更にこの沈み込み帯では,400km以深では大地震が発生しているのに対して,100km以浅ではM7を超える地震が殆ど発生していない.また,海溝斜面に東西方向の走向を持ったいくつもの海底谷が見られる.このような伊豆・小笠原沈み込み帯の特異性を解明することは,この海域のテクトニクスやプレート境界の物理状態を理解する上で極めて重要である.

 本論文は,上記のような伊豆・小笠原沈み込み帯の特徴を明らかにする目的で,1998年に実施された海底地震探査を扱ったものである.上村氏は,この探査当初より参加し,大量のデータを処理して本論文を作成した.本論文の研究目的は,調査海域の地震波速度構造の詳細を明らかにすることによって,伊豆・小笠原沈み込み帯のプレート境界の力学的特徴,速度構造と蛇紋岩海山の関係等を解明することである.

 本論文は,6章から構成されている.第1章は"緒言"であり,上述のような伊豆・小笠原沈み込み帯の地球科学的特徴,本研究の目的及び関連する過去の研究についてまとめられている.第2章は,この探査についての記述である.探査1998年に北緯31度,東経141.5度を中心とする海域で行われ,海溝軸に平行及び直交する130kmの測線が取られた.これらの測線上に合計23台の海底地震計(OBS)が設置され,エアガン及び火薬によるショットが行われた.尚,東西測線は蛇紋岩海山(TSFS)の頂上を通っている.

 第3章は,データ解析手法について詳細に述べられている.上村氏は,この探査で得られた膨大なデータを丁寧に処理し,構造決定に必要なデータ(ショットの位置及び時刻データ,各OBSにおける波形データ)を作り上げた.このデータから,2段階にわたる解析によって対象海域の詳細な構造を決定することとした.第1段階は,波線追跡法によるforward modellingである.この際,データの特性を十分活かし,5km以浅の構造は稠密であるエアガンデータ,より深部の構造はエネルギーの大きい火薬のデータを用いている.次にforward modellingの結果を初期モデルとしてinversion解析を行った.これにより,得られた構造モデルの解像度評価を行った.更に,OBSの水平動成分に着目してS波速度構造を求めることとした.OBSで観測されるS波は,震源からOBSまでの経路中でP波からS波に変換したものと考えられる.上村氏は,現実的な構造モデルにおいて,層境界における変換係数を理論的に計算し,観測されたS波は,海底の堆積層の下面境界におけるPS変換波であると推定した.第4章で示されるS波構造は,この堆積層下の変換波を仮定して推定されるものである.

 第4章は,解析結果について述べられている.本論文のデータで用いたエアガンデータによって,地殻浅部の構造は良い精度で求められた.また,火薬のデータではプレート境界及び沈み込む太平洋プレート内モホ面からの反射が確認された.これにより,沈み込みの形状が押さえられることとなる.また,TFFSから10km以内の地殻浅部には地震波は減衰領域が存在することがわかった.また,東西測線において,沈み込むプレート直上の層(本論文ではプレート境界層(PBL)と呼ぶ)においては,水平方向の顕著な速度変化が見られる.このPBLの西側の部分は,過去の観測も考え合わせるとマントルウェッジ最上部(即ちフィリピン海プレート下の最上部マントル)に対応するものと思われる.本論文の結果によれば,この領域の地震波速度は7.3-6.6 km/sで,マントルウェッジ部分の物質から期待される速度よりかなり低い.

 第5章では,得られた構造の信頼性に関する議論とともに,岩石学的考察を交え,探査領域におけるテクトニクス,特に蛇紋岩下した上部マントル構成岩石の移動(蛇紋岩ダイアピル)についてのモデルを提唱した.

 本論文で提出された構造モデルの解像度を評価すると,両測線ともほぼ0.5以上であった.また,火薬データのインヴァージョンで,最終的な走時残差が68-75 msecにまで向上した.実際,本論文で提出されたモデルは,エアガン及び火薬の走時を大変よく説明している.また,本研究で得られたP波速度は,過去の結果と矛盾しない.

 本研究の探査海域にあるTSFSは,地質学的調査・研究によってマントルウェッジ起源の蛇紋岩であると考えられている.一方,本研究のデータからは,TSFSから10kmの範囲に減衰域のあること,島弧側のマントルウェッジ近傍で,地震波速度が低下している可能性が高いことが明らかとなった.そこで,本論文では,以下ような蛇紋岩の流動プロセスを提案した.

(1)沈み込むプレートの脱水によるマントルウェッジ橄欖岩の蛇紋岩化.

(2)蛇紋岩化した橄欖岩の,プレート境界に沿って海溝軸側への移動.

(3)蛇紋岩化した橄欖岩のダイアピル的上昇によるTSFS中への移動.

 更に,このような蛇紋岩のプレート境界に沿っての移動は,プレート境界の摩擦特性の支配要因となりうる.特に蛇紋岩の移動はプレート境界の摩擦を下げる方向に作用することから,同海域で巨大プレート境界地震が発生していないという事実を説明することができる.

第6章は結論であり,本論文で得られた結果が簡潔にまとめられている.

 以上のように,本研究は伊豆・小笠原沈み込み帯で実施された海底地震探査データを詳細に解析することにより,海溝軸に平行及び直交する2方向の速度構造モデルを求めた.海溝軸に直交する測線(東西測線)の東端付近には蛇紋岩海山(TFSF)が存在することが知られている.更に,プレート境界直上においては,水平方向に顕著に速度が変化することを見つけた.一方,TSFSから10kmの範囲には,地震波減衰領域があることがわかった.これらの地震波速度構造の特徴と岩石学的考察を合わせ,マントルウェッジでプレート沈み込みよって蛇紋岩化した橄欖岩がプレート境界を移動しTFSFに達したという,移動モデルを提唱した.このモデルは,同海域における巨大地震発生の欠落もうまく説明することができる.

 本論文は,詳細な解析によって伊豆・小笠原弧の地震波速度構造モデルを提出したこと,さらにその結果について地震学的な構造の議論に留まらずに,地質学的解釈を展開したこと,その結果が同地域の地震発生様式の理解に貢献したことが評価される.尚,本論文の第2章及び第3-4章の一部は,笠原順三・金澤敏彦・篠原雅尚・塩原肇・日野亮太・藤江剛の各氏との共同研究であるが,論文提出者である上村氏が主体となってデータ収集,解析,解釈を行ったもので,同氏の寄与が十分と判断される.

 従って,博士(理学)の学位を授与できると認める.

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