学位論文要旨



No 116888
著者(漢字) 高谷,康太郎
著者(英字)
著者(カナ) タカヤ,コウタロウ
標題(和) シベリア高気圧の増幅過程と変動 : 定常ロスビー波と地表傾圧性との相互作用
標題(洋) Amplification mechanisms and variations of the Siberian High : Interaction of stationary Rossby waves with surface baroclinicity
報告番号 116888
報告番号 甲16888
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4151号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 松田,佳久
 東京大学 助教授 中村,尚
 東京大学 教授 山形,俊男
 東京大学 教授 木村,龍治
 東京大学 教授 木本,昌秀
内容要旨 要旨を表示する

1.はじめに

冬季ユーラシア大陸上に存在する地表のシベリア高気圧の強弱は、東アジア付近への寒気の吹き出しなど、冬季東アジアモンスーンの強弱と密接な関連があることが知られている。モンスーン活動に伴い、寒冷で乾燥した季節風が大陸から黒潮系の暖かい海面上に吹き出すため、海面での蒸発が活発化し、北西太平洋上で大量の熱と淡水が大気に供給される。こうした大気・海洋間の熱及び淡水の交換を通じた冬季モンスーンの影響は、北太平洋の大気−海洋結合系の振舞いを制御する重要な要素といえよう。また、モンスーンの変動が海洋上の移動性高低気圧の活動に与える影響も示唆されている(Nakamura et. al., 2001)。このように、東アジアから北太平洋域の気候システムを考える上でもシベリア高気圧の研究は重要である。

 シベリア高気圧の研究は、主にその変動に注目して行われてきた。それらの研究の大部分は、中緯度への寒気の吹き出しという視点から、対流圏下層の循環に注目したものである(Ding and Krishnamuruti 1987など)。対流圏上層の循環とシベリア高気圧の変動との関連については、わが国の冬の長期予報を左右する要因として、経験的な知識が蓄積されてきており、そこからは上層の波動の寄与が示唆される。また、Joung and Hitchman (1982), Hsu and Wallace (1985), Hsu (1987)のように、上空の循環変動と地上の寒気の吹き出しとの関連性について言及した論文もあるが、その力学的なメカニズムは明らかにされていない。

 そこで本研究では、現在までに蓄積されたデータの解析により、まずシベリア高気圧の季節内変動に伴う増幅過程とその力学を明らかにする事を目的とする。そこでは、対流圏上層の循環と、シベリア高気圧に伴う地表付近の循環との相互作用が重要であることが示される。また、それにより得られた知見により、経年変動などの変動がどのように解釈できるかについても言及する1。

2.解析方法

本研究では、惑星波の存在により東西非一様に分布する西風中を、定常Rossby波がどの様に伝播するかを把握することが重要となる。その波束伝播を表すために、時間平均等をとらずとも位相依存性を持たず、かつ局所的な群速度に平行な波の活動度fluxを開発した。シベリア高気圧の変動に伴う準停滞性の波動のための表式は次の様になる(Takaya and Nakamura; 1997, 2001)2。

一方、対流圏上層の循環偏差が地表付近に与える影響、及びその逆の影響を調べるため、渦位(PV)のinversion手法を用いる。PV inversionにおいては、温度風平衡の条件と適切な境界条件のもと、力学的な保存量であるPVの偏差の分布を与えると、その周りの流れの場が一意に決まる性質が用いられる。この手法により、地表のシベリア高気圧及びそれに伴う寒気の発達に、観測された対流圏上層の循環変動がどのような影響を及ぼし得るかが評価できる。この際、従来使われていた地表の境界条件を吟味し直し、人為的に設定した地表の境界条件が上層からの影響の評価に悪影響を及ぼさないよう工夫した。また、地表では、南北温度勾配のもと、温位偏差がPV偏差として振る舞う性質を利用して、形成された寒気が逆にどのような影響を対流圏上層の循環変動に及ぼし得るかについても調査した。

3.結果

季節内変動に伴う増幅過程の結果を以下に示す。ここでは、NCEP/NCAR再解析データを用いて解析を行う。期間は、1958-1998年で、11月16日からの150日間を冬とした。シベリア高気圧の特に強まったeventを特定するため、各地点の周囲で、過去40年間で地上の高気圧性偏差の特に強まったeventを強い方から各々20例選びだし、その循環(偏差)場の合成図を作成した。その結果、その増幅が上空のブロッキング高気圧の形成に伴うこと、またその形成過程が、極渦に伴う極東上空の気圧の谷に相対的な位置関係によって2種に大別されることが判明した(図は省略)。1つは、北太平洋上に存在した高気圧性偏差が西へ発展し、シベリア東部にまで達する場合である(「太平洋型」)。もう1つは、北大西洋・ヨーロッパ方面から定常ロスビー波束が上空を東へ伝播し、西シベリア付近の対流圏上層に強いブロッキングを形成する場合である(「波束伝播型」)。波束伝播型の例を、図1に示す。図1(a)は、バイカル湖付近(47°N, 90°E)を中心とする1000-hPaの高気圧性偏差の最盛期における合成図である。シベリア付近に中心を持つ高気圧性偏差が東アジア一帯に張り出している。高気圧性偏差の東側と南側部分とには強い寒気偏差が重なっている。図1(b)は、最盛期4日前における250-hPa高度場偏差の合成図で、対流圏上層にてヨーロッパ方面からの波束伝播が明瞭に認識される。一般的に、西シベリアの地表付近に高気圧性偏差が発達するときには、対流圏上層でこのような波束伝播が見られる。シベリア上層の高気圧性偏差は、地表付近にもともと存在していた寒気偏差の西側に発達するのが特徴である。寒気偏差が自らの周りに励起しようとする循環を図2(a)に示す。自らが作り出す温度移流の効果により、寒気偏差は東に移動・拡大しようとしている。これはシベリア南部の地表に形成されて温度勾配に沿って東進する、いわば熱的なロスビー波と観る事ができる。一方、上層の波束伝播に伴う上層のPV偏差が地表付近に引き起こそうとする循環は、地上の寒気偏差の東方への移動を抑え、かつ地上の寒気を一層強めようと働く事が分かる(図2(b))。このように、上空のブロッキングに伴うPV偏差の影響によって、大陸上の寒気偏差が発達するのである。一方、こうして強化された地上の寒気が対流圏上層に引き起こそうとする循環は、今度は、ヨーロッパ方面から伝播してきた上層の波束を維持、強化する事がわかる(図2(c))。このように、定常ロスビー波束伝播に伴う対流圏上層の循環と、地表の傾圧性との相互作用により、地表の寒気が強化されるメカニズムが、シベリア高気圧の増幅過程として重要である事が初めて指摘された。波動力学の見地からは、圏界面を導波管とし伝播してきた外部波としての定常ロスビー波が、熱的減衰の効く大陸地表面付近の強い温度傾度との相互作用を通じ不安定化して局所的に再強制され、地表付近にも著しい気温と循環の変動をもたらしたものと解釈できる。地上の寒気偏差中心付近で起こる南北熱輸送は、波の活動度fluxの上向き成分を通じて、下流側の上層低気圧性偏差を再強制しようとする。これは、地上付近の寒気が上層の波束を強化しようとする効果(図2(c))と合致する。エネルギー論の観点からは、熱的減衰のもとで地上に生ずる、波動による南北熱輸送によって、下層の傾圧性に伴う有効位置エネルギーが波動に変換された結果、循環偏差の増幅がもたらされたという解釈が可能である。こうしたメカニズムは理論的には示されていたものの、現実の現象で起こることを指摘した例は過去にほとんどない。

 一方、オホーツク海の北(67°N, 140°E)を中心として高気圧性偏差が発達する場合(太平洋型)においても(図3(a))、東アジア付近に高気圧性偏差が張り出し、地上には寒気偏差の南下が見られる。ところが、最盛期2日前の上層の高度場偏差においては(図3(b))、東方からの波束伝播は見られない。この高気圧偏差は、日付変更線付近の偏差が西へ発展してきたもので、それに伴って地上で励起される北東風偏差が寒気を移流し、地表の温度減衰の状況下で寒気が強化される。その寒気は、チベット高原の北東の縁まで達すると、東側の斜面にそって東アジアに南下する。このように、上層のブロッキング高気圧の成因が異なっても、北東シベリア大陸上で形成される気候平均場の寒気をチベット高原の北東の縁へ南下させるような地上風を引き起こせば、東アジアへの寒気の吹き出しが起こることが確認できる。

4.考察

本研究では、シベリア高気圧の増幅過程が、上空の惑星波の谷に対する位置関係に依って2種類に大別されることを示した。すなわち、上流からの波束伝播に伴う場合と、太平洋から高気圧偏差が西へ発展する場合とである。いずれの場合も、対流圏上層の循環と地表付近の傾圧性の相互作用により、地表付近の寒気が強化形成される。もし、上空のブロッキングの形成の直前までに、何らかの理由により予め強い寒気が地表付近に形成されていた場合には、シベリア高気圧の著しい増幅がみられる。これは、この予め存在していた寒気に伴う地表付近の著しい傾圧性により、上層のブロッキングとの相互作用が強化されるためと解釈できる。

 さらに、このような季節内のシベリア高気圧の増幅過程と同様に、同高気圧の経年変動においても、上層の循環偏差と地表の寒気や気圧の偏差とが、互いを維持・強化しあうように働く事も示された。本研究の成果は、対流圏の冬季の長期予報を左右する重要な一要因であるシベリア高気圧の変動のメカニズムを初めて明らかにしただけでなく、将来の温暖化した気候状態における冬の気候を予測する上においても重要な手がかりを与え得るものである。

 1シベリア高気圧は、伝統的に地表付近の放射冷却により形成されるといわれてきたが、しかし、高橋(1955)等ですでに触れられているように、対流圏上層の循環の影響も無視できない。このように、シベリア高気圧の生成のメカニズムの理解も重要であるが、本研究では直接には取り上げない。

 2 Takaya and Nakamura (2001)は、準停滞性擾乱のみならず、移動性擾乱の瞬間的な波の伝播を表す波の活動度fluxの導出にも成功した。また、波から基本場への、瞬間的なフィードバックを表す定式化にも世界で初めて成功した。

図1(a)シベリア付近を中心とした高気圧偏差増幅時の1000-hPa高度場合成図。

等値線はピーク時における高度場で20mから40m毎。影は、地表付近における温度偏差で、濃いものは負。2Kより4K毎。(b)上のevent時の250-hPa,ピーク四日前の高度場偏差とwave-activity flux (Takaya and Nakamura, JAS, 2001)。等値線は高度場偏差で50m毎。

図2シベリア付近を中心とした高気圧偏差増幅時の1000-hPa高度場合成図。

それぞれピーク2日前において:(a)矢印;地上付近において観測された温位偏差が地上付近に引き起こそうとする風の場。等値線;地上付近で観測された温度のtotal場。10K毎、太線は273K。影;地上付近で観測された温度偏差。濃いものが負。2Kより4K毎。(b)矢印;300-hPaにおいて観測されたPV偏差が、地上付近に引き起こそうとする風の場。等値線;地上付近で観測された温度のtotal場。10K毎、太線は273K。影;地上付近で観測された温度偏差。濃いものが負。2Kより4K毎。(c)矢印;地上付近において観測された温位偏差が、300-hPaに引き起こそうとする風の場。等値線;330K(対流圏上層)で観測されたPVのtotal場。1PVU毎、太線は5PVU。影;300-hPaで観測された高度場偏差。濃いものが負。50mより100m毎。

図3(a), (b)それぞれFig.1と同様、ただしオホーツク北部を中心とするevent合成図。

また(b)はピーク二日前。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、冬期にユーラシア大陸上に現れるシベリア高気圧の変動を、定常ロスビー波の視点から研究したものである。従来、平均的なシベリア高気圧の原因として、放射冷却や山岳の効果が考えられてきた。また、変動の原因として上空の擾乱を想定した研究者もいたが、力学的メカニズムは解明されていなかった。

 先ず、第1章の序論で今までの研究と本研究の目的を述べている。

 第2章において、本研究で使われた解析方法について議論されている。東西非一様な西風の中を定常ロスビー波の伝播を定量的に表示する手法が考案されている。従来用いられていたエリアッセン・パームフラックスを拡張して、東西非一様な基本場、非定常な場合にも適用できる波の活動のフラックスを考案した。このフラックスは、本研究のみならず、他の研究においても広く活用されている。

 第3章においては、本研究で使ったデータと解析方法が簡潔に述べられている。

 第4章及び第5章は本論文の中心部分であり、シベリア高気圧の変動をデータ解析に基づき力学的に説明しようと試みている。過去40年間から選び出した地上の高気圧偏差の大きな20例の合成図から、シベリア高気圧の変動の原因を議論している。先ず、シベリア高気圧の増幅が上空のブロッキング高気圧の形成に伴うことが示されている。そして、その形成過程が2つに大別されている。第1の場合は北太平洋上に存在した高気圧性偏差が西へ発展し、シベリア東部に達する「太平洋型」である。第2の場合は、ヨーロッパの方から定常ロスビー波の波列が伝播してきて、西シベリア付近でブロッキングを形成する「波束伝播型」である。

 「波束伝播型」では、対流圏上層でヨーロッパからロスビー波が伝播してきた数日後に西シベリアの地表付近に高気圧偏差の発達が見られる。その際、上空の高気圧偏差は、地表付近に元々存在していた寒気偏差の西側で発達する。地上の寒気偏差は自分の温度移流効果により東に遷移しよとするが、上層のポテンシャル渦度偏差が地上に作り出す循環がこの遷移を抑制し、寒気を強めようとする傾向があることが示された。他方、地上の寒気も上層のロスビー波列を強化すると主張されている。つまり、上層のロスビー波列と地上付近の寒気との力学的相互作用により、シベリア高気圧が増幅することが示されている。

 次に、「太平洋型」においても、地上付近の寒気と上空の高気圧偏差の力学的相互作用で問題が捉えられている。この上空の高気圧偏差は、日付変更線付近の偏差が西へ発展してきたもので、それに伴って、地上で励起される偏東風偏差が寒気を移流し、寒気を強化する。

 第6章においては、シベリア高気圧の年々変動が、やはり上空の偏差と地表付近の寒気の相互作用の観点から議論されている。

 以上述べたように、本研究は今まで研究されていなかった上空のロスビー波列と地表の寒気の力学的相互作用の観点から、シベリア高気圧の増幅を調べた、全く斬新な研究である。今までこのような観点から、本格的にこの問題を扱った研究は皆無であった。平均的なシベリア高気圧を形成すると思われる放射冷却の効果や山岳の効果の議論を直接行っていないが、シベリア高気圧の変動に着目した本研究の成果だけでも、十分興味深い結果であり、気象学に対する重要な寄与と考えられる。

 なお、本論文は、中村尚氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 よって、審査委員会は全員の一致した意見により、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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