学位論文要旨



No 116894
著者(漢字) 小川,佳子
著者(英字)
著者(カナ) オガワ,ヨシコ
標題(和) 火星の凍土融解過程に関する研究 : 表層地形への影響
標題(洋) Evaluation of melting process of the permafrost on Mars : its implication for surface features
報告番号 116894
報告番号 甲16894
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4157号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 佐々木,晶
 東京大学 教授 栗田,敬
 東京大学 教授 水谷,仁
 東京大学 助教授 小口,高
 東京大学 助教授 阿部,豊
内容要旨 要旨を表示する

 火星では水による侵食地形と思われる特徴的な地形が数多く観測されている。特にoutfow channelはその地質学的な証拠から、地表面を液体の水が大量に流れて形成された「大洪水地形」であると考えられている。しかし、現在の火星は寒冷・乾燥の環境下にあり、液体の水が安定に存在することは難しい。過去においては温暖・湿潤であったとする考え方もあるが、降水を可能にする程の気候であったかどうか不明であり、また仮に全球規模の降水が実現されたとしても局在化した流水地形(outflow channelを含めて)の分布がうまく説明できず、問題点が多い。

 では、降水以外で大量の水がどのように供給された(る)のか、そして流れ得た(る)のか。観測される流水地形の形成機構は謎のまま残されている。本研究では前者の問題の、大量の液体の水の供給過程について焦点を当てる。

 水の供給過程のアイディアとしては降水以外に主に2つある。1つは地下帯水層の水の解放、もう1つは地下凍土層の融解である。帯水層の水の解放では期待される体積が限られ、観測される地形から必要とされる量に不十分と思われる。その一方、凍土層とマグマの相互作用では、凍土(層)の融解による大量の水の供給が可能である。Outflow channelの分布のほとんど全てが火山帯の隣接域にあたること、さらには、主なoutflow channelの上流部の行き先にあたる大峡谷帯(Vallis Marineris)のカオス地形やchasma(いずれも陥没地形)がかつて湖であった可能性が高いこと(地質学的証拠から示唆)は、凍土とマグマの相互作用の結果、液体の水が供給され、outflow channelが形成されたことを強く示唆している。これらの根拠に基づき、本研究では後者が妥当と考える。凍土層とマグマの相互作用を想定し、凍土(層)の融解による水の発生過程を数値シミュレーションにより定量的に明らかにすることを目的とする。供給された水がどのように地表面に輸送され、outflow channel及びその周辺の地形(カオス地形)形成に結びつくのか、そのメカニズムについて提案を行う。

 本研究の特徴は凍土層の融解過程におけるメルト領域内での熱対流に注目した点にある。これは従来の凍土融解モデルでは考慮されることがなかった。対流が熱輸送過程にもたらす効果として、融解速度の上昇、融解形状の変化が予測される。これらは水の発生過程を大きく特徴づけ、地表面での地形形成過程に直接的に影響を及ぼす重要な効果である。以下に本研究で取り扱った具体的な計算モデルと定式化を示す。

 凍土層を、マトリックスが岩石(土)、H2Oが空隙を満たした多孔質物質としてモデル化する。凍土層の分布を模した計算領域として長方形(アスペクト比3)のキャビティを想定する。マグマの貫入は境界での温度条件として与え、時間によらず一定(マグマの冷却は考慮しない)とする。凍土層下部を非一様加熱し、融解した部分から自然(熱)対流を起こす系での相変化過程を数値的に解く。多孔質物質における、いわゆるステファン問題と対流熱輸送の2つの結合問題を解いたことに相当する。図1にモデルをまとめる。

 融解領域での多孔質対流はダルシー則に沿うものとし、相変化はエンタルピー法により計算する。以下に主な定式化を示す。全て無次元化した量で示してあり、Uはダルシー速度、Pは圧力、τは時間、θは温度を表す。κ, Ω, Λは各々、浸透率比、熱容量比、熱伝導比に相当する。δは計算セルあたりの水の割合(体積比)を表す。この計算系を支配するのは2つの無次元数;レーリー数(Ra)とステファン数(Ste)である。レーリー数は熱対流の活発さを表し、ステファン数は相変化速度に効いてくる量である。

▽・U=0

▽P=−κU+Raθeη (eη is a normal vertical vector)

Ω ∂θ/∂τ+U・▽θ=▽・(Λ▽θ)−1/Ste ∂δ/∂τ

Ra=gβ1KL(Td−Tt)/(υ1α1)

Ste=c1(Td−Tt)/△h

g:重力,β:熱膨張係数,K:浸透率,L:凍土層の厚さ,Td-Tt:特徴的温度差,υ:動粘性率,α:熱拡散係数,c:比熱容量,△h:エンタルピー(添字1はliquid=水を表す)

 火星の凍土融解過程に関わる物理量は不確定なものが多い。浸透率、凍土層の厚さが不明なので、シミュレーションにおいてはレーリー数を〜102-103まで幅を持たせて計算を行った。また。空隙率もVikingのデータなどを参考に0.2-0.5までを想定している。マグマの貫入に関しては、その温度条件はレーリー数に、大きさは加熱領域に反映されることになる。

 結果、凍土層の融解過程において、メルト領域内の対流が系の熱輸送に徹底的な変化をもたらすことがわかった。その効果は2つに分かれる。熱輸送の局所化(集中)と効率化(促進)である。

 熱輸送の局所化は融解領域の形状に直接反映される。融解形状は、水平方向に局在化し、鉛直方向に地表面直下まで延びた形となることが示された(図2τ〜0.7での定常状態)。Ra=700において、その上部が横に広がった様子はプリュームの形状に類似している。また熱輸送の効率化は融解速度を早め、活発な融解水の生成をもたらすことも定量的に見積もられた。(図3)

 これら2つの融解過程における熱輸送の特徴は伝導モデルでは全く期待されていなかったものである。地表直下に比較的多量の融解水が存在することを示すこの新たな結果は、容易く多量の水が地上に供給される可能性を示唆しており、観測される流水地形の形成機構に関し新たな描像を描くことができる。

 各パラメーターの融解過程における影響は以下に分類して述べる。

1)Ra数の融解形状への影響

Ra数が大きいと対流が活発化し、熱輸送の局所化がより顕著に見られる。融解形状がより地表面近くにまで達し、上側の広がったプリューム形態のメルト(水+岩石)領域を形成し易くなる。Ra=100では上側での広がりが見られないが、Ra=700ではかなり上側で広がっている様子がわかる(図2)。生成される水の体積はRa数が大きい程、初期の段階で急激に増加しピークを迎え、部分的に凍りながら定常に至る。

(図3)

2)空隙率の融解速度への影響

空隙率の増加は融解面の進行に関して、相反する2つの効果をもつ。1つは、水の方が岩石より熱容量が大きいために、単位体積あたりの平均熱容量が増加し、潜熱をより多く奪い、融解を減速する効果であり、もう一つは浸透率増加の効果により、対流が活発化して、融解を促進する効果である。見かけの融解面の速度からは減速する効果が勝っていたが、実際の融解水生成量を計算してみると、図4に示される通り、促進する効果がより強く作用していることがわかる。つまり、空隙率の増加は総合的には融解の促進に働く。

3)加熱領域の影響

加熱領域の変化による温度場の時間発展の様子の違いを図5に示す。ここでは凍土層の厚さの1/2, 1, 2倍領域を過熱した結果を比較してある。同じレーリー数に対し、加熱領域の大きさに応じて、メルト領域の形のプリューム状へのなり易さが違っていることがわかる。

 上記の結果に基づき、地表で期待される地形形成について議論する。地表面直下にプリューム状の融解領域が形成されていると考えると、地上への水の輸送(供給)過程として過去に提案されたような大規模なフォルティング等以外の機構を期待することができる。メルト領域内での圧密である。

 パラメータの多少の不確定性はあるが、この系での岩石の圧密(液体水の分離)のタイムスケールは〜10-3−10-1 Myrs程度と見積もられ、マグマの冷却時間、融解時間(〜1Myr)に比べて短いといえる。よって、融解した水は十分早く岩石(土)から分離を起こして上昇し、メルト領域上部に水のみの、水たまり(プール)領域を形成する。すると、周圧と静水圧の差によって、自噴することが期待される。噴出のイベントは地表面の崩壊を伴い、水を地表面に解放する。

 最初に述べた、outflow channelの上流部に観測されているカオス地形は破砕の特徴を示しており、このイベントによる地表面崩壊に相当している可能性が高い。その地形のスケールは噴出規模を反映しており、かつての地表下の融解領域の形状と面積の広さに対応していると考えられる。計算結果によればレーリー数〜数102で融解領域上面(プリュームの広がり)が凍土層の厚さと同じオーダーになるので、直上の〜数kmの地表面が崩壊されることになり、観測される典型的サイズの10kmに及ばない。しかし、周囲を巻き込んで崩壊する効果、レーリー数に1乗で効く浸透率を始めとする火星の物性の不確定性、さらにカオス地形が複数のの噴出イベントによって形成された可能性を考えると、その痕跡として最終的に観測される崩壊地形は実際はもっと広がる可能性がある。貫入マグマの規模も大きく効く。間隙率が低い程プリュームがより横に広がることもわかっている。本研究では凍土の融解に伴う自噴のイベントがカオス地形を形成した可能性が十分高いと考える。そして解放された水は一度ためられた後、一気に流されoutflow channelを形成すると期待される。考え得る一連のシナリオを図6にまとめる。

図1.凍土(層)融解過程のモデル

図2.(左)対流と伝導のみの場合の比較(温度場の時間発展)

対流を考慮することで、鉛直方向への熱輸送が行われ、伝導のみの場合と全く異なる融解形状が発生する。

図3.(右)対流と伝導のみの場合の比較(生成水量の時間発展)

対流を考慮することで、熱輸送が活発化し、生成水量は増加し、定常に至るまでの時間が短縮される。

図4.空隙率の融解速度への影響(左)

図5.加熱領域の影響(右上)

図6.outflow channelとカオス地形形成のシナリオ(右下)

審査要旨 要旨を表示する

 現在の火星は水が無く冷たく乾燥しているが、火星表面には水による侵食地形が多く観測されている。特にアウトフロウチャンネルは、地表面を液体の水が大量に流れて形成された「大洪水地形」とされている。火星の過去が温暖・湿潤であったために流水地形が形成されたという考えもあるが、アウトフロウチャンネルの分布は局在していて、何らかの内部熱源による可能性が高い。しかし、これまで大量の水の供給を伴うアウトフロウチャンネルの形成機構、特に、その源のカオス地形の形成機構は明らかにされていなかった。本研究は、地下凍土層の融解による水の発生を熱輸送の数値シミュレーションで解くことで、加熱・水の供給過程を明らかにした。特に、融解過程での熱対流が重要な役割を果たすことを本研究ははじめて示すことができた。

 本論文は、6章から構成されている。まず第1章では、過去の研究をまとめて紹介するとともに、地下凍土層の融解の問題について、熱伝導のみを取り扱ったMcKenzie and Nimmo(1999)との比較で、熱対流までを取り入れた本研究の位置づけを明確に議論している。

 第2章では、凍土層、地形、推定水量、火山活動に関する過去の研究をまとめるとともに、溶岩の貫入にともなう地下凍土層の融解という本研究の状況設定についての物理条件を説明している。

 第3章では、本研究で使用した計算手法について説明している。地下凍土層は、多孔質層として取り扱い、液体の水は浸透流の方程式に従って運動する。融解を取り扱うステファン問題と対流熱輸送を同時に解く方法を構築した。融解はエントロピー法という潜熱を比熱として狭い温度範囲に分散させる方法を用いた。この計算系は、2つの無次元数:熱対流の活発さの指標となるレーリー数、相変化速度に効くステファン数によって支配されることを示した。

 第4章では、数値計算の結果を紹介・議論している。浸透率や凍土層の厚さの不確定性を考えてレーリー数は100-1000の幅をもたせた。また、空隙率は0.2-0.5の範囲を想定した。この結果、融解した液体の水による熱対流が系の熱輸送の局在化、効率化を生むことが明らかになった。最終的な融解形状は、熱源付近では水平方向に広がり、鉛直方向には局在化して地表面直下まで伸びるようになる。はじめは上昇プリュームが複数存在しても、最終的には集中して局在化する。とくにレーリー数が大きな場合は、熱輸送の局在化が顕著になり、地表近くでも水平方向に広がった頭部を持つようになる。水の生成量はレーリー数が大きいほど、初期段階で増加してピークに達する。

 第5章では、数値計算の結果に基づき、表面の地形形成過程を議論した。地表面直下にプリューム状の融解領域が存在する条件で、その領域内の圧密の時間スケールを見積もった。結果として、これは、1000-100000年で、マグマの冷却・融解時間1000000年よりも十分短い。そのため、融解した水は短い時間で分離して地表面へ噴出することが予想される。本研究で得られたプリューム頭部の規模は、アウトフロウチャンネルの源部のカオス地形に対応する。そのため、凍土層の融解に伴う大量の水の自噴がカオス地形を形成して、アウトフロウチャンネルの水源となったと考えることができる。

 第6章では本論文の結論がまとめられている。

 本研究では、火星の地下凍土層の融解により大量の水が供給されアウトフロウチャンネル形成される、という問題において、熱対流を考慮すると、熱輸送が促進され、しかも局在化するということを明らかにした。これは、特筆すべき結果であり、本論文の成果は博士(理学)を与えるに十分な内容であると認められる。

 なお、本論文は栗田敬、山岸保子との共同研究であるが、論文提出者が主体となって計算・解析・考察を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。よって、博士(理学)を授与できると認める。

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