学位論文要旨



No 116897
著者(漢字) 高田,陽一郎
著者(英字)
著者(カナ) タカダ,ヨウイチロウ
標題(和) インドーユーラシア衝突帯の地殻の変形運動に関する理論的研究
標題(洋) Theoretical Studies on Crustal Deformation in the India-Eurasia Collision Zone
報告番号 116897
報告番号 甲16897
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4160号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 池田,安隆
 東京大学 教授 井田,喜明
 東京大学 教授 加藤,照之
 東京大学 教授 木村,学
 東京大学 教授 松浦,充宏
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

 ヒマラヤ山脈からチベット高原に及ぶ地域は、現在でも活発な地殻変動を続けている大規模な大陸衝突型造山帯である。地球史上に何度も生じた大陸衝突に伴う造山運動のメカニズムを解明する上で、チベット−ヒマラヤ地域の研究は非常に重要である。

 インドはユーラシアと衝突して以降も50Myr以上にわたって収束運動を続け、その結果ヒマラヤ山脈を形成した。インドーユーラシアの現在の収束速度は約50mm/yrで、その内の約20mm/yrはインドプレートの沈み込み運動によって解消されている。

 ヒマラヤの地形発達にはMCT(Main Central Thrust)およびMBT(Main Boundary Thrust)という2つの分岐衝上断層の運動が特に大きく関与したことが分かっている。MCTは約30Maから15Maまで活動して巨大な山体を形成したと考えられている。MBTについては不明確ながら10Ma前後に活動を開始したとされており、現在では一部の地域でのみ活動している。主断層(デタッチメント)上の大構造としては、高ヒマラヤ下のランプ構造が挙げられる。今までヒマラヤ構造発達史の理解は主にこうした事実の記載を中心に進められてきた。しかし構造の発達メカニズムの理解が、地形発達史を理解する上では不可欠である。本研究の目的はヒマラヤの構造発達および地形発達メカニズムを明らかにすることにある。

 構造発達プロセスは「構造が変形を規定し、変形は構造を改変する」という言葉に集約される。即ち、内部構造(大断層・プレート境界断層)が地殻変動(内部変形運動)を規定し、同時に内部変形運動もまた地下の構造を改変する。この概念に基いて構造発達の物理モデルを構築した。プレートの沈み込み運動は連続体中の変位の食い違い運動として自然に表現され、それ自体が変形を駆動するダブルカップルの力源と等価である。これがモデルの駆動原理である。この考えに基づき、インドプレート上面に沿って変位の食い違いを与えることにより、媒質の変形を計算できる。媒質は弾性的リソスフェアと粘弾性的アセノスフェアの半無限二層構造を用いた。

現在のヒマラヤの隆起・沈降運動

 まずインド−ユーラシア衝突帯の現在の定常的な隆起・沈降運動を計算したところ、フリーエア重力異常、河岸段丘から推定した隆起速度場、水準測量データから推定した隆起速度場などの観測量と調和的な計算結果を得た。さらに、ヒマラヤの内部変形速度場を計算した結果、高ヒマラヤ地下のランプ構造に沿ったすべり運動が周囲の媒質を激しく変形させ、その結果として高ヒマラヤの激しい隆起運動が駆動されていることが明らかになった。この計算により、現在の内部構造が現在の変形運動を規定するメカニズムが解明された。それと同時に、こうした内部変形運動は内部境界面である断層面の形状を必然的に変化させることも明らかになった。

断層面形状の時間発展に関するケーススタディ

 次にこのモデルを発展させて断層形状の進化を計算した。具体的な計算方法としては、まず或る時間ステップでの断層面全体のすべり運動が作る断層面上の各点での変位場を計算し、変位後の座標をスプライン補間することで次の時間ステップでの断層面の位置を得る。この操作を繰り返すことで、断層面形状の時間発展を計算することが可能となった。このモデルを用いて、円弧・ランプ・分岐断層の3つについて断層形状発達のケーススタディを行った。

 円弧に沿った沈み込みに伴う隆起速度およびその空間変化はともに小さい。従って円弧型断層は10Myr経過しても殆ど形状を変えなかった。

 次にランプ構造について計算した結果、その形状は時間と共に著しく変化した(図2)。形状進化の特徴は2つある。1、ランプ全体としての落差が時間とともに減少する。これはランプの落ち口が沈降して立ち上がりが隆起する為に生じる(図1)。2、上盤側から見た系においてランプがプレート相対運動速度の半分で上盤側深部へ移動する。変形の駆動源であるダブルカップルが内力である為に上盤と下盤が等しい速度で収束運動をして系全体の重心を保とうとすることが原因である。さらに形状進化を考慮して総隆起量の時間発展を計算した結果、時間と共に総隆起量の増加速度が遅くなることが分かった。その原因は、ランプが移動する為に隆起域が時間の経過と伴に沈降域に変化すること、及び時間と伴にランプが落差を減じて隆起駆動力が低下することである。しかし高ヒマラヤ下のランプは過去4Myrで10kmもの隆起を引き起こすので、地形発達には十分な影響を持つと言える。

 最後に分岐断層の形状進化を計算した(図4)。その結果、3つの重要な性質を明らかにした。1、分岐断層の傾斜が時間とともに増加する。内部変形速度場を見ると、分岐断層下盤の「くさび」が主断層に沿ってほぼ一様な速度で上盤側へ運動するのが分かる(図3)。この速度ベクトルと分岐断層のなす角が浅部ほど高角になる為に、浅部ほど速く押し込まれて傾斜の増加を引き起こす。傾斜が十分大きくなれば収束運動を効率的に解消できなくなり、分岐断層は活動を停止することになる。2、分岐点の深度が浅いほど早く傾斜が増加する。これは、「くさび」が同じ量だけ分岐断層を押し込んでも分岐点が浅いほど断層全体としての角度増加が大きいことが原因である。3、主断層の分岐点近傍が隆起してフラット&ランプが形成される。これは分岐断層の運動が新たな隆起駆動源を形成することを意味する。

ヒマラヤにおける構造発達・地形発達のシナリオ

 以上のケーススタディにより明らかになった断層形状進化の性質に基き、ヒマラヤにおける構造発達および地形発達について以下のシナリオを提示した。

1、30Ma〜15Ma:MCTが活動し、大山脈を形成。分岐点が深い為に傾斜の増加が遅く、大きな収束量を解消して大山脈を形成することができた。しかし、傾斜の増加に伴って次第に水平収束運動を解消することは難しくなり、やがてMCTの活動は停止した。

2、10Ma〜現在:MBTが活動。分岐点が浅い為に傾斜の増加が速く、小さな収束量しか解消できずに活動をほぼ停止。大山脈を形成するには至らなかった。この期間に、MCTが形成した大山脈は激しい侵食を受けて標高が著しく低下した。

3、現在:かつてMCTが形成した地形をランプ構造に沿ったすべり運動が再隆起させ、現在の8000m近い標高を持つヒマラヤ山脈が形成された。

 これまで、ヒマラヤにおける地形・構造発達のシナリオを提示した研究は数多くある。しかし、それらの中には物理的な裏付けを欠く物が多い。また、部分的に物理的な裏付けを持つシナリオでも、ヒマラヤの地形発達にとって本質的に重要なMCT等の分岐断層の活動が何故停止したかという大問題に対して明確な回答を提示できない物が殆どである。ここで提示したシナリオは、物理的裏付けを持つだけでなく、地質学的時間スケールを通しての断層面の形状変化メカニズムに基いて大活断層の活動履歴を合理的に提示している。さらに本研究では、断層面形状変化が地形発達に及ぼす影響を物理モデルにより定量的に見積もり、それをシナリオに組み込んだ。

プレート境界の水平形状の時間発展

 次に、3次元モデルを用いて現在のインド−ユーラシア衝突帯全体の広域的な水平変形速度場を計算した。重要な境界条件となるプレート境界面の3次元形状とすべり速度分布を、観測事実に基いて現実的に設定した。プレート境界面上でのすべり速度は、インドとユーラシアが衝突している領域で2cm/yr、それ以外の沈み込み帯では5cm/yrとなる。計算の結果得られた水平速度場は、インド大陸がユーラシア大陸にめり込み続けていることを示した。大陸衝突領域では周囲の沈み込み帯に比べてプレート境界面上でのすべり速度が小さくなっていることが、この水平変形運動の本質的原因である。このことから、この水平変形運動パターンは大陸衝突が続いている間はほぼ変化しないと考えることができる。従って、計算の結果得られた水平速度場から、インド大陸がユーラシア大陸内に押し込まれるに従って両プレートの境界面も同様にユーラシアプレート内へめり込み続けて来たことが推定できる。以上の計算から、本研究で使用したモデルはインド−ユーラシア両プレート境界面の鉛直断面における形状変化に加えて、水平断面での形状変化をも合理的に説明できることが証明された。また、この3次元計算によって得られた現在の歪速度場および応力蓄積速度場は、チベット高原周辺の現在の活断層の分布とその第四紀における運動をも良く説明することができた。

図1.高ヒマラヤ下のランプ構造に沿ったすべりが引き起こす内部変形速度場上盤側無限遠点を固定した座標系を使用。

図2.高ヒマラヤ下のランプ構造の形状時間発展上盤側無限遠点を固定した座標系を使用。

図3.分岐断層と主断層に沿ったすべりが引き起こす内部変形速度場上盤側無限遠点を固定した座標系を使用。

図4.分岐断層の形状時間発展。

収束量で時間の経過を表現上盤側無限遠点を固定した座標系を使用。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文が対象とするヒマラヤ山脈からチベット高原に及ぶ地域は,現在も活発な地殻変動が進行している大規模な大陸衝突型造山帯である.ヒマラヤでは,MCT(Main Central Thrust)やMBT(Main Boundary Thrust)などのプレート境界面から派生する大規模な衝上分岐断層が発達し,高ヒマラヤ下のプレート境界面に沿っては,大規模なランプ構造が存在する.地殻の変形はこうした断層の形状とそこでのすべりによって規定されるが,長い時間スケールの地形発達過程を理解するには,その変形運動がまた断層形状を変化させるというフィードバック・メカニズムを定量的に解明する必要がある.本論文は,プレート境界面およびそこから派生する衝上分岐断層の形状変化を支配する物理メカニズムを解明し,それがヒマラヤの地形発達過程に及ぼす影響を定量的に評価することを試みたものである.

 本論文では先ず,インドプレートの定常的な沈み込みに伴うリソスフェアの変形を記述する物理モデルを構築した.地殻およびマントルを弾性的リソスフェアと粘弾性的アセノスフェアから成る二層構造とし,隣接するプレート間の相互作用を連続体中の内部境界面に沿った変位の食い違として表現した.このプレート沈み込みモデルを用いて,インド−ユーラシア衝突帯の現在の定常的な隆起・沈降運動を計算し,フリーエア重力異常や河岸段丘或いは水準測量データから推定した隆起速度などの諸観測量が調和的に説明できることを示した.さらに,内部変形速度場を計算し,高ヒマラヤ下のランプに沿ったすべりが強い力源として働き,その結果として高ヒマラヤの現在の激しい隆起運動が駆動されていることを明らかにした.

 次に,内部変形運動による断層面形状の時間発展を数値シミュレーションした.その結果,(1)滑らかな形状のプレート境界の場合,その形状変化は10Myr経過後でも殆ど無視できるほど小さいこと,および(2)プレート境界がランプ構造を持つ場合は,断層面形状が顕著に変化することの2点が明らかになった.断層形状の変化を考慮して総隆起量の時間発展を計算した結果,時間と共に総隆起量の増加率が小さくなることが分かった.その原因は,ランプがユーラシア側へと移動するため,元の隆起域が時間の経過とともに沈降域に変わってしまうこと,また時間とともにランプの落差が減少し,地殻の隆起運動を駆動する力が低下することにある.それでも,高ヒマラヤ下のランプの場合,過去4Myrで10km程度の隆起を引き起こすので,地形発達には十分な影響を及ぼす.

 最後に,プレート境界から分岐する衝上断層の形状変化を計算した.その結果,以下のような三つの重要な性質が明らかになった.(1)分岐断層の平均傾斜角は時間とともに増加する.(2)分岐点の位置が浅いほど速く平均傾斜角が増加する.(3)主断層の分岐点近傍が隆起して,フラット&ランプ構造が形成される.これは,分岐断層の運動が新たな隆起駆動源を形成することを意味しているという点で,重要な発見である.

 以上のシミュレーションを通じて明らかになった断層形状変化の定量的特性を踏まえ,以下のような三つのステージから成るヒマラヤの地形・構造発達のシナリオを提示した.先ず,30Maから15Ma頃にかけてMCTが活動し,大山脈を形成した.MCTは分岐点が深いためにその平均傾斜角の増加が遅く,従って大きな収束量を解消して大山脈を形成することができた.平均傾斜角の増加に伴ってMCT上において水平収束運動を解消することが難しくなった結果,MCTに代わりMBTが10Ma頃から活動を開始した.MBTの分岐点は浅いので,その傾斜角の増加は速かった.そのために,MBTは小さな収束量しか解消できず大山脈を形成するには至らなかった.MBTの活動期間中,MCTの活動によって形成された大山脈は激しい侵食を受け,その標高は著しく低下した.現在,MCT起源の大山脈が侵食された後に,ランプ構造に沿ったすべり運動を駆動力として,8000m近い標高を持つヒマラヤ山脈が形成されるに至った.このシナリオは,地質学的な観測事実とおおむね調和している.

 以上のように,本論文は,地質学的時間スケールでおこるプレート境界面の形状変化によってヒマラヤの地形と地質構造発達史が説明できることを示した点に独創性がある.

 なお,本論文の一部は松浦充宏との共同研究であるが,論文提出者が主体となって解析および検証を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

 したがって,博士(理学)の学位を授与できると認める.

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