学位論文要旨



No 116898
著者(漢字) 長澤,真樹
著者(英字)
著者(カナ) ナガサワ,マキ
標題(和) 北太平洋深層での拡散混合過程に供給される内部波エネルギーの空間分布に関する研究
標題(洋) Spatial distribution of the internal wave energy available for deep water mixing in the North Pacific
報告番号 116898
報告番号 甲16898
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4161号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山形,俊男
 東京大学 教授 平,啓介
 東京大学 教授 日比谷,紀之
 東京大学 助教授 新野,宏
 東京大学 助教授 安田,一郎
内容要旨 要旨を表示する

 数値モデルで再現される海洋深層大循環のパターンやその強さが、モデル内で仮定される乱流拡散パラメータの値に依存して大きく変化してしまうことが指摘されている。特に深層を循環してきた海水が最終的に湧昇すると考えられる北太平洋での循環の様相は乱流拡散パラメータの値に鋭敏に依存する。このため海洋深層大循環モデルの高精度化には乱流拡散率のグローバルな時空間分布の解明が不可欠となる。しかしながら、従来の乱流の直接観測は、主に、東部北太平洋で集中して行われているにすぎない。乱流混合を引き起こすエネルギーは、潮汐と海底地形との相互作用あるいは大気擾乱によって励起された鉛直低波数の内部波のエネルギーが、海洋深層の内部波スペクトル内をカスケードダウンすることによって供給されている。したがって、鉛直低波数の外力の時空間分布とカスケードダウンの物理機構の情報とをあわせることによって、乱流拡散率のグローバルな時空間分布を明らかにすることができるものと期待される。

 本研究ではまず、現実的な密度成層、海底地形を考慮した3次元レベルモデルに、気象庁発行の客観解析データから得られる北太平洋の風応力を時々刻々、外力として与えることにより、海洋深層の内部波スペクトルに供給される鉛直低波数の内部波エネルギーの時空間分布を明らかにした。図1に鉛直低波数の内部波エネルギーを季節ごとに平均した空間分布を示す。秋季には熱帯低気圧の発達する北太平洋西部の低緯度、冬季には中緯度ストームの通過する中緯度帯で、高いエネルギーレベルを示している。一方、秋季・冬季に比べて風応力が弱くなる春季・夏季には内部波のエネルギーレベルは非常に低くなっていることがわかる。

 次に、北太平洋における現実の海底地形や密度成層を考慮し、モデルの境界で主要4分潮(M2、S2、K1、O1)のそれぞれについてMatsumoto et al. (1995)によるバロトロピックな潮汐流を与えることにより、内部潮汐波エネルギーの空間分布を明らかにした。図2に全水深にわたり鉛直積分した各分潮の内部潮汐波エネルギーを加えあわせた空間分布を示す。海底地形の分布を反映して、東シナ海の陸棚斜面域や、伊豆−小笠原海嶺、ハワイ海嶺、さらに、アリューシャン海嶺で高いエネルギーレベルを示していることがわかる。

 さらに、こうして供給された鉛直低波数の内部波エネルギーが、どのような物理機構のもとに乱流スケールへとカスケードダウンしていくのかを調べた。一例として、顕著な内部潮汐波エネルギーの供給が予想されるアリューシャン海域、ハワイ海域を想定して、数値的に再現した内部波の準平衡スペクトルに、鉛直第1モードのM2成分の内部潮汐波に対応するエネルギースパイクを与え、その後のスペクトルの時間発展を調べた。図3はエネルギースパイクを与えた後の8慣性周期にわたるスペクトルの時間変化を示す。ハワイ海域を想定した場合には、時間が経つにつれて、アリューシャン海域では見られなかった水平スケール10km、鉛直スケール数10m程度の強い鉛直シアーが発達し、それに伴って、高波数域でのエネルギーレベルが次第に高くなってくる様子がわかる。ハワイ海域に対応する緯度27°Nでは、与えられたM2成分の内部潮汐波の周波数は2.08f(fは局所的な慣性周波数)に相当する。鉛直低波数・周波数2.08fから、鉛直高波数・近慣性周波数へのエネルギー輸送は、parametric subharmonic instability(PSI)によるものと考えられる。これに対してアリューシャン海域(49°N)ではM2成分の内部潮汐波の周波数は1.28fとなり、2fを下回るためこの機構は働かない。このことから、乱流混合の空間分布を考える際にも外力のエネルギーの分布そのものというよりは、むしろ、PSIの機構によって高波数域へと輸送され得る、慣性周波数の2倍の周波数(倍慣性周波数)をもつ内部波のエネルギーがどのような空間分布をもつかが重要となることが推察される。

 最後に、数値実験で再現されたようなカスケードダウン機構の緯度依存性が、現実の海洋においても存在しているのかどうかを確かめるため、北海道大学のおしょろ丸(図4の航路A:平成12年7-8月および平成13年7-8月、図4の航路C:平成13年6-7月、図4の航路D:平成13年11月)および北星丸(図4の航路B:平成13年2-3月)による練習航海に参加し、北太平洋における合計72地点でXCP(投棄式流速計)およびXCTD(投棄式電気伝導度・水温・水深計)を落下させることにより、海面下、約1.5kmまでの水平流速、密度の鉛直構造を観測した。得られた各観測点での鉛直プロファイルは200mの小区間に分割し、それぞれに対してフルードスペクトルを計算した。こうして求めたフルードスペクトルを鉛直波長25mまで積分して得た値をGregg(1989)の経験式に代入することによって各観測点における第一次近似的な鉛直拡散係数の深度分布を求めた。 図5は各観測点における解析結果を倍慣性周波数の内部波エネルギーの空間分布の計算結果に重ねたものである。鉛直拡散係数の分布は、倍慣性周波数の内部波エネルギーの空間分布と非常によく対応している様子が分かる。

 以上の数値実験、観測の結果から、乱流混合の分布は、外力の強弱とともに、PSIの機構の有無によって決められ、その結果、著しい空間分布を持つことが推察された。本研究の結果はPSIを通じて拡散混合過程に供給される倍慣性周波数の内部波エネルギーの分布に基づけば、数値実験から乱流拡散の「ホットスポット」のグローバルな空間分布を予測できる可能性を初めて示したものである。こうして乱流拡散の「ホットスポット」の空間分布をあらかじめ数値的におさえ、そこで集中的に乱流の直接観測を行うことによって、海洋深層大循環モデルの解明に不可欠な乱流拡散率のグローバルなマッピングが可能になるものと思われる。

図1 大気擾乱により励起される鉛直低波数の内部波エネルギーの各季節毎の空間分布。

図2 主要4分潮の内部波エネルギーの空間分布。

図3 内部波平衡スペクトルに鉛直第1モード・M2周波数の内部潮汐波に対応するエネルギースパイクを与えた後、8慣性周期にわたる2次元波数スペクトルの時間変化。

上段は緯度49°Nの場合、下段は緯度27°Nの場合。

図4 XCP観測を行った航路を海底地形の分布(等値線間隔は1000m)に重ねてある(本文参照)。

図5 大気擾乱および主要4分潮の潮汐流によって励起された倍慣性周波数の内部波エネルギーの空間分布の計算結果に、Gregg(1989)の実験式により見積もられた各観測点の深さ950-1450mにおける鉛直拡散係数の平均値を重ねてある。

星印は、現在までの乱流観測によって、鉛直拡散係数の見積もりが行われてきた地点を示す。

審査要旨 要旨を表示する

 海洋大循環モデルで再現される深層循環のパターンやその強さは、モデルで用いる密度乱流拡散パラメータの値に大きく依存している。従って、海洋深層大循環モデルをより高度化するには乱流拡散率のグローバルな時空間分布を知ることが不可欠である。しかしながら、これまで乱流の直接観測は、主に、東部北太平洋に集中して行われて来たに過ぎない。乱流混合を引き起こすエネルギーは、潮汐と海底地形との相互作用あるいは大気擾乱によって励起された鉛直低波数の内部波のエネルギーが、海洋深層の波数スペクトル内をカスケードダウンすることによって供給されている。従って、鉛直低波数の外力の時空間分布とカスケードダウンの物理機構の情報を併せ用いれば、乱流拡散率のグローバルな時空間分布を明らかすることができるであろう。本論文はこのような主題に挑戦したものである。

 まず序章では海洋深層における密度混合過程の海洋大循環における重要性と混合過程を生み出す内部波の励起源についての考察が述べられている。第2章においては現実的な密度成層、海底地形を考慮した3次元モデルに、客観解析データから得られた北太平洋の風応力を外力として与えることにより、海洋中の鉛直低波数の内部波エネルギーの時空間分布を明らかにした。秋季には熱帯低気圧の発達する北太平洋西部の低緯度において、冬季にはストームの通過する中緯度帯において、高いエネルギーレベルを示すこと、一方、風が弱まる春季・夏季にはエネルギーレベルは非常に低くなることがわかった。さらにこの章では、北太平洋における現実の海底地形や密度成層を考慮し、モデルの境界で順圧的な潮汐流を与えることにより、内部潮汐波エネルギーの空間分布を明らかにしている。鉛直積分した各分潮の内部潮汐波エネルギーの空間分布から、東シナ海の大陸棚斜面域、伊豆−小笠原海嶺、ハワイ海嶺、さらに、アリューシャン海嶺で、海底地形の分布を反映した高いエネルギーレベルを示すことがわかった。

 第3章では、こうして供給された鉛直低波数域の内部波エネルギーが、どのようにカスケードダウンしていくのかを詳しく考察している。特に、内部潮汐波エネルギーが顕著に供給されることが予想されるアリューシャン海域、ハワイ海域を選び、数値的に再現した内部波の準平衡スペクトルに、鉛直第1モードのM2成分の内部潮汐波に対応するエネルギースパイクを与え、そのスペクトルの時間発展を調べている。スペクトルの時間変化を追うことによって、ハワイ海域ではアリューシャン海域とは違って水平スケール10km、鉛直スケール 数10m程度の強い鉛直シアーが発達し、それに伴って、高波数域でのエネルギーレベルが高くなる様子が明らかになった。ハワイ海域に対応する緯度27°Nでは、与えられたM2成分の内部潮汐波の周波数は2.08f(fは局所的な慣性周波数)に相当する。鉛直低波数・周波数2.08fから、鉛直高波数・近慣性周波数へのエネルギー輸送は、parametric subharmonic instability(PSI)によるものと考えられる。これに対してアリューシャン海域(49°N)ではM2成分の内部潮汐波の周波数は1.28fとなり、2fを下回るためこの機構は働かない。このことから、乱流混合の空間分布を考える際には、外力のエネルギーの分布そのものというよりは、PSIの機構によって高波数域へと輸送され得る、慣性周波数の2倍の周波数(倍慣性周波数)をもつ内部波のエネルギーの空間分布が重要になる。

 ところで第2章で議論した北太平洋の大気擾乱起源の内部波はほとんど慣性周波数付近のものである。第4章では、この内部波が南方へ伝播するために、低緯度で倍慣性周波数の内部波エネルギーを高くしていることを数値実験により明らかにした。

 このようなカスケードダウン機構の緯度依存性が、現実の海洋においても存在するのかどうかを検証すべく、北太平洋における合計72地点でXCP(投棄式流速計)およびXCTD(投棄式電気伝導度・水温・水深計)を投下することにより、海面下、約1.5kmまでの水平流速、密度の鉛直構造を観測した。その結果が第5章で述べられている。得られた各観測点での鉛直プロファイルから鉛直拡散係数の深度分布を求めたところ、倍慣性周波数の内部波エネルギーの空間分布と非常によく対応している様子が分かった。

 以上、申請者は数値実験、および観測結果に基づいて、密度場の乱流混合の分布が外力の強弱とともにPSIの機構の有無によって決定されること、その結果、著しい空間分布を持つことを初めて指摘している。本論文は、数値実験から倍慣性周波数の内部波エネルギーの分布を求めることによって、乱流拡散の「ホットスポット」のグローバルな空間分布を予測できる可能性を初めて示したものであり、この分野における画期的な貢献をしたものといえる。

 したがって、審査員一同は申請者が博士(理学)の学位を授与されるに十分な資格があることを認める。

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