学位論文要旨



No 116902
著者(漢字) 守屋,和佳
著者(英字)
著者(カナ) モリヤ,カズヨシ
標題(和) 酸素同位体比から推測される後期白亜紀アンモナイト類の生活様式と生息環境
標題(洋) Mode of life and habitat of Late Cretaceous ammonoids inferred from oxygen isotopic records
報告番号 116902
報告番号 甲16902
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4165号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松本,良
 早稲田大学 教授 平野,弘道
 九州大学 助教授 西,弘嗣
 東京大学 助教授 大路,樹生
 東京大学 教授 棚部,一成
内容要旨 要旨を表示する

 アンモナイト類はシルル期後期から白亜期末まで,3億年以上の間,浅海から外洋で最も繁栄した生物の一種である.化石記録が豊富であることや形態的にも多様化していたことから,生物進化と海洋環境変動の関係を理解する上でも有用な生物と考えられる.そのためには,アンモナイト類の生息場所や生活様式などの古生態学的な情報を知る必要がある.これまでアンモナイト類の古生態は,殻形態や化石の産状から推定されてきたが,この生物がオウムガイのように,浮遊性もしくは遊泳するような生活様式をもっていたのか,あるいは底生なのかに関しては,未だに統一した見解は得られていない.そこで本研究では,大陸棚で堆積した地層から産出した浮遊性有孔虫化石,底生有孔虫化石,および底生軟体動物化石の殻の酸素同位体比を測定し,水塊の鉛直温度スケールを作成した.この温度スケールをもとにアンモナイト類の殻体の形成温度,すなわち生息深度を推定した.その結果,本研究で用いたすべての後期白亜紀アンモナイト類は,海底付近にのみ生息していたことが明らかとなり,従来考えられていたような浮遊性・遊泳性生物ではなく,底層遊泳性の生物であったことがわかった.

 北海道北西部の羽幌地域には,白亜系蝦夷累層群が広く分布する.蝦夷累層群は,ユーラシア大陸東縁に位置していた前弧海盆の堆積物で,バレミアンからカンパニアン階にわたる長い時間幅をもつだけでなく,浅海から半深海までの様々な堆積環境の地層からなる.特にサントニアン〜カンパニアン階の地層は,泥質の堆積物からなるため微化石も豊富に産出し,さらに,初生的なアラゴナイト殻体を残した多様な軟体動物化石が産出する.そこで,本研究ではここから産出したアンモナイト類9種,底生二枚貝(Acila hokkaidoensis),腹足類(Margarites sp.),浮遊性有孔虫4種,および底生有孔虫3種を用いて酸素同位体比分析を行った.

 酸素同位体比分析を行う前に,殻体が続成変質を被っていないことを確認するために,X線回折による鉱物組成の同定,EPMAによる殻体中の元素分析,およびルミノスコープ,電子顕微鏡を用いた殻体構造の観察を行った.酸素同位体比測定では,浮遊性有孔虫はそれぞれ17〜36個体を1サンプルとして,底生有孔虫は2〜11個体を1サンプルとして測定した.Acila hokkaidoensisの2個体については殻片のバルクサンプルを,その他のA. hokkaidoensisおよびMargarite sp.は成長方向に沿って約2mm間隔で50〜100μgのサンプルを削りだし測定した.アンモナイト類は成長方向に沿って2〜5mm間隔で50〜100μgのサンプルを削りだし測定した.アラゴナイト殻をもつ軟体動物化石のX線回折による鉱物組成の同定,カルサイト殻の有孔虫化石のEPMAによる元素分析(Fe,Mn含有量)とカソードルミネッセンス像の観察,および殻体微細構造の観察などから,酸素同位体比分析に用いた標本は続成による変質がなく,初生的な殻体を保持していることが確認された(図1).

続成変質や殻体形成時の温度の他に,殻の酸素同位体比に影響を与える因子として,海水の同位体比(塩分),海水中の重炭酸イオン濃度(pH), vital effectが考えられる.たとえば,全球規模の水塊表層塩分の緯度勾配を考慮した場合,低緯度地域の同位体比から算出される水温は約1.7℃低く見積もられている可能性がある.さらに,白亜紀で推定される高い二酸化炭素分圧による影響を考慮した場合にも,算出される温度は約3.0℃低く見積もられる.但し,この効果が表層水のみに影響するものであるか,水塊全体に影響するものであるかは現時点では定かではない.軟体動物の酸素同位体比には,ほとんどvital effectによる変化は認められないが,現生の浮遊性有孔虫のごく一部ではその影響が確認され,最大約3.0℃算出水温を引き下げる効果がある.しかし,調査地域では蒸発岩の堆積はなく,300mくらいの深度にあったため,局所的な塩分の変化による同位体比への影響はない.それ以外の影響に関しては不明確であるが,仮にこれらの効果があった場合,その鉛直温度差は低く見積もられていることになる.本研究では,いずれの補正も行っていないので,算出された水温は少なくも最も低く見積もられた場合の水温を示しているとみなしてよい.

 測定した試料には,カルサイトとアラゴナイト殻が存在するが,両者の鉱物では形成時の海水の同位体比との分別係数が異なることから,値そのものを直接に比較することはできない.そこで,それぞれの値から形成時の海水温を算出し比較検討を行った.本地域の浮遊性有孔虫に関しては,Archaeoglobigerinaから推定される水温はGlobotruncanaより高い水温を示す.深海底コア堆積物を用いたこれまでの研究でもArchaeoglobigerinaはGlobotruncanaより高い値を示し,さらに,Archaeoglobigerinaより高い値を示す有孔虫はほとんど存在しないことから,この属は水塊の表層付近に生息していたと考えることができる.Archaeoglobigerinaから算出された平均表層水温は26.3℃である.これに対して,底生有孔虫3属の同位体比から算出された平均底層水温は18.8℃である(図2).また,底層水の時系列的な温度変化を調べるため,同一の露頭から産出した底生二枚貝類(Ah 4,5)や腹足類(Msp 5,6)の殻を成長線ごとに採取し測定した.その結果,底層水温の変動幅は約5.5℃となった(図2).

 現在の北西太平洋で,このような水温の水塊が発達しているのは台湾沖である.本地域の底層水温は,大陸棚上の温度であり,深海底のものと直接比較することはできないかもしれない.しかし,本研究で推定された26.3℃という水温は,北海道(約北緯40〜50度)と同じような中緯度の南半球深海底堆積物から算出された表層水温(およそ16℃)と大きく異なり,赤道地域の表層水温(およそ17℃)よりも高い値である(図3).さらに,表層塩分の緯度勾配や高い二酸化炭素分圧を考慮した場合には,本地域の表層水温はおよそ28.0〜31.0℃となる.低緯度より今回の水温が高く見積もられた原因としては,低緯度の深海底堆積物に含まれる浮遊性有孔虫化石の保存にむしろ問題がある.近年,低緯度の試料は一見すると保存のよい状態にみえても,結晶粒子レベルでは続成を被っていることが指摘されており,その影響が同位体比を軽い方へシフトさせたのかもしれない.

 アンモナイト類の酸素同位体比から復元された古水温は,上記の鉛直温度スケールからみると,巻貝などの底生動物の値と一致し,浮遊性有孔虫とは明らかに異なる.一つの解釈として,種によっては,海底に定着しているときにしか殻体を形成しないものがあるかもしれない.しかし,本研究で用いたアンモナイト類には殻体形成の休止期間がほとんどなく連続的な成長をしており,しかもその殻から極微量サンプルを採取し分析している.そのため,同位体比は非常に短期間の値を示すと考えられ,ある特定の時期の値を示しているとは考えられない.実際,本研究に用いたサンプリング法を適用し,現生オウムガイ殻体の酸素同位体比分析を行った結果では鉛直方向の移動履歴が検出された.以上の結果から,本研究に用いたアンモナイト類はほぼ底層に生息し,鉛直運動も行わなかったと考えた方が妥当である(図4).

 一方,蝦夷累層群から産出するアンモナイト類は,属のレベルでは,古地理的な分布に明瞭な偏りがみられる.より陸側に近い岩相ではBaculites, Eupachydiscus, Polyptychoceras属,それよりも沖合を示す岩相にはPhyllopachycerasとYokoyamaoceras属,広範に分布するグループはDamesites, Gaudryceras, Hypophylloceras, Tetragonites属からなり,3つの群集に区分できる.本研究ではBaculites属を除いて,すべての種類のアンモナイトの同位体比を測定したが,いずれも底生の値を示すことは既に述べたとおりである.これらの群集による産状の偏りも,アンモナイト類が底生の生活をしていたとする結論と矛盾しない.これまで,進化学研究や古環境学研究において,盲目的に浮遊・遊泳性であるとされてきたアンモナイト類の生態は必ずしも正しいとはいえない.化石生物の生態は,現生生物の形態学的類似などからの斉一論的比較だけでなく,物理化学的な側面からも検討する必要がある.

 後期白亜紀のアンモナイト類に関して今回明らかになった,nektobenthosないし,mobile benthosの生態は必ずしもすべてのアンモナイト類に適用できるとは限らない.ジュラ紀のアンモナイト類Kosmocerasの酸素同位体比分析からは,浮遊性ないし遊泳性の生態が予想されている.但し,Kosmocerasを含むStephanoceras超科のアンモナイト類はジュラ紀後期に絶滅した系統である.一方,本研究に用いたアンモナイト類は白亜紀中期以降に多様化した分類群であり,本来は浮遊性として適用していたものが,底生生活という新たな生息域に進出したのかもしれない.このようにアンモナイト類は,環境に対する耐性だけでなく,その生活様式も多様に進化させることによって,古生代から中生代にわたる長期間,海洋で繁栄することができたと考えることができる.

図1.a.アンモナイト類(Eupachydiscus sp.; 1)および浮遊性有孔虫(Archaeoglobigerina blowi; 2)殻体の電子顕微鏡写真.殻体の溶解・再結晶作用は見られない.b.底生有孔虫(Lenticulina sp.)の透過顕微鏡写真.矢印は透明な殻体が保存されていることを示す.c.オウムガイ(アラゴナイト)と続成変質を被ったアンモナイト類化石(カルサイト)から作成した,アラゴナイト/カルサイト比の検量線(黒丸と曲線)と酸素同位体比分析に用いたアラゴナイト化石(アンモナイト類)のアラゴナイト含有量(白抜き四角).96Wt%のアラゴナイトが保存されている.

図2.a.浮遊性有孔虫および底生生物(有孔虫,二枚貝類,腹足類)の酸素同位体比.軟体動物化石(アラゴナイト)はAh1およびAh2を除いて,成長方向に沿った酸素同位体比の変動を示し,有孔虫類(カルサイト)は複数個体からなる平均値を示す.線で結ばれた各々のプロットの左側が成長後期を示す.Ah1およびAh2は殻体のバルクサンプルを用いた.アラゴナイト温度スケールはGrossman and Ku(1986)に,カルサイト温度スケールはErez and Luz(1983)に基づく.海水の酸素同位体比は-1‰vs. SMOWとした.略号:Ah; Acila hokkaidoensis, Msp; Margarites sp., Na; Nodogenerina alexanderi, Lspp; Lenticulina spp., Gsp.; Gyroidinoides sp., Ab; Archaeoglobigerina blowi, Ac; A. cretacea, Ga; Glob otruncana arca, Gl; G. linneiana, Hs; Hypophylloceras subramosum, Pe; Phyllopachyceras ezoense, Tg; Tetragonites glabrus, Gt; Gaudryceras tenuiliratum, Dd; Damesites damesi, Ha; Hauericeras angustum, Yi; Yokoyamaoceras is hikawai, Esp; Eupachydiscus sp., Pp; Polyptychoceras pseudogaultinum. b.アンモナイト類の成長方向に沿った酸素同位体比変動.線で結ばれた各々のプロットの左側が成長後期を示す.アラゴナイト温度スケールはGrossman and Ku (1986)に基づく.

図3.サントニアン期から前期カンパニアン期における緯度方向の表層および底層平均水温勾配.

図中の数字はDSDPないしODPサイトを示す.白抜きのプロットはZhacos et al.(1994)による表層塩分濃度の緯度勾配を補正した値.

図4.浮遊性有孔虫,底生有孔虫,二枚貝類,腹足類およびアンモナイト類の殻体形成温度分布.

アンモナイト類は1個体の分布を,その他は各々の種類全体の分布を示す.略号:BF; Benthic foraminifera, PF; Planktonic foraminifera.その他の略号は図2を参照.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、酸素同位体比の分析に基づいて、白亜紀後期における北西太平洋の陸棚性海洋の温度構造と、そこに生息したアンモナイト類(軟体動物頭足類)の生活様式と生息環境を論じたものである。研究の結果、アンモナイト類と共産した浮遊性生物および底生生物の殻の酸素同位体比の分析から白亜紀後期における北西太平洋域陸棚海の水塊の鉛直温度構造が明示されるとともに、そこにアンモナイト類の殻の酸素同位体比から求められた殻体形成温度を重ねた結果、すべての種が海底付近に生息し、鉛直移動もしなかったことが明らかになった。

 アンモナイト類は白亜紀を通じて陸棚海域で多様な種に分化し繁栄を遂げた。その古生態については、これまで殻の耐水圧強度や浮力計算などから、浮遊性ないし遊泳性であり、気室内の海水の量を調節して水中を垂直移動していたとする考えが有力であった。しかし、この考えでは、従来から報告のあるアンモナイト化石群集の自生的な産状や堆積相に依存した種の分布様式を合理的に説明することができなかった。そこで論文提出者は、陸棚性海洋の上層および低層に生息したことが確実な浮遊性および底生動物の殻の酸素同位体比分析に基づき水塊の鉛直温度スケールを作成し、この温度スケールとアンモナイト類の殻形成温度を比較することによって、アンモナイト類の生息環境を推定するという新しい着想を考えついた。さらに、酸素同位体比から予想される古生態モデルを、実際の化石の産状や分布のデータと比較検討することにより、モデルの妥当性の検証を試みた。このような着想と研究手法は、これまで誰も試みなかったもので、きわめて独創性が高い視点であるといえる。

 上記の着想を具体化するために、北海道羽幌地域に分布する陸棚性堆積体である上部蝦夷層群を対象に地質調査を行い、上部サントニアン階から下部カンパニアン階にかけての層準から保存のよい浮遊性有孔虫・底生有孔虫・軟体動物化石を含む泥岩試料を多数採集した。抽出された化石は分類上の位置を決定した後、粉末X線回折による鉱物種の同定、X線マイクロアナライザーによる元素分析、カソードルミネッセンス像の観察、および殻体の微細構造の観察などによって続成による変質の有無を検討し、未変質の試料のみについて酸素同位体比の分析を行った。このようにして、良好な試料に基づいて信頼できる一次データを得ることに成功したことは、そこから展開される議論の精度を高めている。

 初生的に方解石からなる浮遊性および底生有孔虫殻体の酸素同位体比の分析結果を現生種で確立された酸素同位体比と水温との関係式に導入し、殻体の形成水温を算出した。その結果、後期サントニアン期から前期カンパニアン期における上部蝦夷層群を堆積させた北西太平洋(古緯度北緯40°)大陸棚の表層水温、低層水温の平均値は、それぞれ26.3℃、18.8℃であり、鉛直方向で約7.4℃の温度差が認められた。また、アラレ石殻体を持つ底生二枚貝・巻貝の酸素同位体比の成長に伴う変動から得られた低層水温の時系列変動幅は約5.5℃であることが示された。さらに、同産地から産したアンモナイト類のアラレ石殻体の酸素同位体比から求められた水温は種によって大差がなく、水温の時系列変動幅とその平均値は底生生物から得られた値とほぼ一致することがわかった。すなわち、酸素同位体比の分析結果からは、アンモナイト類は海底付近に生息し、同位体比の大幅な変動をもたらすような鉛直移動はなかったことが明らかになった。この考えは、調査地域での殻口を残し、顎をしばしば伴うアンモナイト化石の自生的な産状からも裏付けられた。

 本論文は、これまで類推に基づいて議論されてきたアンモナイト類の生息環境と生活様式について、酸素同位体比分析という新たな手法を導入して考究し、化石群集の解析結果と合わせて、信頼できる結論を導いた点で高く評価できる。本論文で示された後期白亜紀における中緯度域の平均表層水温26.3℃という値は、理論計算から推察されている当時の温暖な海洋環境を裏付けるもので、これまで続成変質を受けた疑いのある海洋底コア化石試料から得られていた異常に低い温度(約17℃)とは明らかに異なる。このように、陸域での未変質浮遊性有孔虫化石試料から、後期白亜紀の北西太平洋海域の表層水温に関して世界で初めて具体的資料を提示した点で、古海洋学分野への貢献も大きい。

 なお、本論文は西 弘嗣、棚部一成との共同研究であるが、いずれも論文提出者が主体となり野外調査、室内実験、得られた結果の考察を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 上記の点を鑑みて、審査委員全員は本論文が地球惑星科学とくに地球生命圏科学の新しい発展に寄与する傑出した内容であると判断し、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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