学位論文要旨



No 116912
著者(漢字) 猿橋,康一郎
著者(英字)
著者(カナ) サルハシ,コウイチロウ
標題(和) 高配位ケイ素の特性を活用した新規な超分子型ナノスケール分子構築法の開発
標題(洋)
報告番号 116912
報告番号 甲16912
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4175号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川島,隆幸
 東京大学 教授 奈良坂,紘一
 東京大学 教授 中村,栄一
 東京大学 教授 西原,寛
 東京大学 助教授 尾中,篤
内容要旨 要旨を表示する

 近年、種々の非共有結合性相互作用により構成ユニットを会合させて超分子錯体を形成させる研究が大きな進展を見せており、共有結合に基づく分子では実現困難な特性をもつ種々の分子システムが開発されている。超分子の合成には、一般に結合の形成と開裂が可逆的に起こることが必要であり、これまでに疎水性相互作用、水素結合、金属イオン−配位子相互作用などが駆動力として用いられてきた。一方、第三周期以降の典型元素は容易に高配位状態をとり、超原子価結合と呼ばれる通常の共有結合よりも弱い結合を形成することが知られている。従って、超分子形成の駆動力として高配位典型元素化合物の超原子価結合相互作用を活用すれば、新規な超分子の合成が可能になると考えられる。また、超分子形成の駆動力として働く相互作用は、強度が適当であるだけでなく、ユニットの会合の仕方を規定するような方向性をもつ必要がある。ここで、6配位ケイ素化合物と5配位ケイ素化合物は、それぞれ八面体構造と三方両錐構造を有することが知られており、結合の方向性についての条件を満たすことが期待される。筆者は博士課程において、高配位ケイ素化合物の超原子価結合の特性を活用することにより、新規なロタキサン型錯体の合成、およびナノメートルサイズの大環状分子の構築を検討した。

1.6配位ケイ素化合物の超原子価結合を活用したロタキサン型錯体の合成

 ロタキサンは環状分子と軸分子が機械的に組合わさった分子であり、分子シャトルや分子チューブなど、機能性分子としての期待から、近年精力的に研究が行われている。筆者は、6配位ケイ素化合物形成の際のケイ素原子と窒素原子間に生じる超原子価結合相互作用を駆動力とする、新規なロタキサン型錯体の合成を検討した。具体的には、軸ユニットにフルオロシラン誘導体1、環状配位子にフェナントロリン部位を組み込んだ環状ポリエーテル2を用いることにより、擬ロタキサン型錯体3の合成について検討した(Scheme 1)。

 フルオロシラン誘導体1の重クロロホルム溶液に、室温で環状配位子2を2モル当量加えたところ、反応溶液は速やかに黄色へと変化した。この反応混合物の1H NMRスペクトルを測定したところ、2の大部分の芳香族プロトンは、混合前よりも高磁場に観測された。29Si NMRにおいても、わずかながら高磁場シフトが観測され、四重線であったシグナルが幅広い一重線に変化した。これは、ケイ素の高配位化を支持している。また、1に対する2の当量を0.3モル当量から5モル当量まで変化させたところ、2の当量が増加するにつれて2のシグナルのブロードニングが緩和された。一方、フルオロシラン1については、SiF3基のオルト位のプロトンの化学シフトがメタ位のそれに比べて配位子2の濃度に大きく依存し、2の当量が増加するにつれて高磁場シフトすることが明らかとなった。さらに19F NMRでは2の濃度上昇とともに、低磁場シフトとブロードニングが観測された。これらの現象は、擬ロタキサン型錯体3の生成と合致している。系中に水が存在する場合の副生成物ではないことも確認しており、NMRのタイムスケールでは速い解離平衡が存在するものの、擬ロタキサン型錯体3の生成が示唆された。

2.5配位ケイ素化合物の超原子価結合を活用したナノスケール大環状化合物の合成

 大環状化合物の合成には、通常、適当な鋳型が必要であったり、希薄条件においても副生成物としてポリマーが生じてしまうという問題点がある。筆者は、八員環での渡環相互作用を有する5配位ケイ素化合物4の超原子価結合を活用した、新規なナノスケール大環状化合物の合成について検討した。一般に、5配位ケイ素化合物は三方両錐構造を有し、その軸方向の結合(アピカル結合)は通常の共有結合よりも弱い3中心4電子結合となり、条件によっては結合の可逆的形成が可能である。また、4のケイ素原子におけるアピカル結合とエクアトリアル結合との間の角度は90°に近い値に規定されると考えられ、超分子型のナノスケール大環状化合物の構築に適している。4を用いた超分子の合成を行うにあたり、まずモノシラン5(X=H,OR)の構造および反応性について検討し、窒素原子の渡環相互作用によってSi-Xアピカル結合が効果的に活性化されていることを実験的に検証した。温度可変NMRおよびNOE実験より、ヒドロシラン5aは、溶液中で水素原子がアピカルに位置する配座(H-ap)がエクアトリアルに位置する配座(H-eq)よりも優勢であることが明らかとなった(Scheme 2)。また、結晶中でSi原子は5配位状態をとり、水素原子がアピカルに位置していることが判明した(Figure 1)。次に、ヒドロシラン5aと水、エタノールおよびフェノールとの反応を検討したところ、容易にSi-H結合の開裂が生じ、水素の発生とともに、対応する置換生成物5b-dを与えた。さらに5cおよび5dに、フェノールまたはエタノールを過剰量添加すると、定量的に交換反応が起こった。このような現象は、分子内配位のないPh3SiHでは観測されず、5において窒素原子の分子内相互作用によってSi-H結合およびSi-O結合が効果的に活性化されていることが示された。

 次に、5配位ケイ素を2個含む化合物4と種々のジオールおよびトリオールを反応させることにより、新規なナノスケール大環状化合物の合成を検討した。4と1モル当量の1,4-ブタンジオールを重クロロホルム中で3日間加熱還流したところ、単離収率77%でスクエア型分子7が得られた(Scheme 3)。また、その生成過程を、1H NMRおよびGPCで追跡したところ、まず速度論的生成物として高分子量のポリマーが生じ、そのポリマーが閉環分解することによって、スクエア型分子7を与えることが判明した。すなわち、スクエア型分子は熱力学支配によって生成することがわかった。ジオールとして剛直な構造を有する1,4-ベンゼンジオールあるいは4,4'−ビフェニルジオールを用いた場合は、重クロロホルム還流条件では熱力学支配にならず、速度論的生成物としてポリマーとともに、スクエア型分子8および9が得られた。生じたポリマーはさらにキシレンを溶媒として脱気封管中、180℃という高温条件にすると熱力学支配が達成され、スクエア型分子に収束する。スクエア型分子7-9はX線構造解析によってその構造を決定した。スクエア型分子9の結晶構造についてFigure 2に示す。Siまわりはやや歪んだTBP構造をとっており、9は1.1 nm×1.2 nmの空孔を有するほぼ長方形型の分子であることが明らかとなった。また、4に対して2/3モル当量の1,3,5-ベンゼントリオールを反応させたところ、三次元構造をもつプリズム型分子10が得られた。一方、4に対して1モル当量のベンゼントリオールを反応させた場合、スクエア型分子11が主生成物として得られた(Scheme 4)。11についてもX線構造解析により構造を決定した。また、スクエア型分子7に4,4'−ビフェニルジオールを添加したところスクエア型分子9の生成が観測されており、このようなスペーサー部位の交換反応が可能であることも明らかにした。

 このように、高配位ケイ素化合物の特性を活用することにより、中性の原料2種を混合し加熱するだけで、ナノメートルサイズの大環状化合物を簡便かつ高収率で合成することに成功した。この系では、スペーサー部分の原料としての含ヒドロキシ化合物を種々かえることにより、さまざまな空孔サイズのスクエア型分子が構築可能である。

 以上、高配位ケイ素化合物の超原子価結合の特性を活用することにより、新規な駆動力を用いたロタキサン型錯体の合成および熱力学支配によるナノメートルサイズの大環状分子の構築に成功した。

Figure 1. ORTEP drawing of 5a.

Figure 2. ORTEP drawing of 9.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は三章からなり、第一章は序論、第二章は6配位ケイ素を活用した擬ロタキサン合成の検討、第三章は5配位ケイ素を活用した大環状化合物の合成について述べられている。

 第一章では、近年めざましい進展を見せている超分子について、その基本的な定義から応用例までを、現在脚光を浴びつつあるナノテクノロジーにも関連づけて紹介するとともに、本研究で活用した高配位ケイ素を構造と反応性の面から解説し、その特性が超分子型ナノスケール分子構築に極めて有効であることを明確にしている。

 第二章では、6配位ケイ素化合物形成の際のケイ素原子と窒素原子間に生じる超原子価結合相互作用を駆動力とする、新規なロタキサン型錯体の合成について検討した結果を述べている。前半は、ロタキサンについての最近の研究例を紹介するとともに、擬[2]ロタキサンの合成を検討し、その結果アセトニトリル溶液中でロタキサンが生成していることを示唆する結果を得ている。これをふまえて後半で軸分子を伸長させた擬[3]ロタキサンの合成を検討している。具体的には、軸ユニットにフルオロシラン誘導体1、環状配位子にフェナントロリン部位を組み込んだ環状ポリエーテル2を用いることにより、擬ロタキサン型錯体3の合成について検討している(Scheme 1)。フルオロシラン誘導体1の重クロロホルム溶液に、室温で環状配位子2を2当量加えることで、反応溶液の色が速やかに黄色くなることを観察している。この反応混合物の1H NMRスペクトルを測定し、2の大部分の芳香族プロトンの高磁場シフトを観測している。29Si NMRにおいても、わずかながら高磁場シフトと四重線であったシグナルの幅広い一重線への変化を観測し、ケイ素の高配位化を支持する結果を得ている。また、1に対する2の濃度を0.3当量から5当量まで変化させ、2の当量の増加に基づく2のシグナルのブロードニングの緩和を観測している。一方、フルオロシラン1については、SiF3基のオルト位のプロトンの化学シフトがメタ位のそれに比べて配位子2の濃度に大きく依存し、2の当量が増加するにつれて高磁場シフトすることを明らかにしている。さらに19F NMRでは2の濃度上昇とともに、低磁場シフトとブロードニングを観測している。これらの現象は、擬ロタキサン型錯体3の生成と合致している。系中に水が存在する場合の副生成物ではないことも確認しており、NMRのタイムスケールでは速い解離平衡が存在するものの、擬ロタキサン型錯体3の生成が示唆される結果を得ている。

 第三章では、5配位ケイ素化合物の超原子価結合を活用したナノスケール大環状化合物を合成し、その構造を明らかにするとともに生成機構の解明についても詳細に検討を行なっている。本研究で用いた高配位ケイ素は、分子内N→Si配位を有する5配位ケイ素化合物4である。一般に、5配位ケイ素化合物は三方両錐構造を有し、その軸方向の結合(アピカル結合)は通常の共有結合よりも弱い3中心4電子結合となり、条件によっては結合の可逆的形成が可能である。また、4のケイ素原子におけるアピカル結合とエクアトリアル結合との間の角度は90°に近い値に規定されると考えられ、スクエア型分子の構築に適している。4を用いた大環状化合物の合成を行うにあたり、まずモノシラン5(X=H,OR)の構造および反応性について検討し、窒素原子の分子内配位によってSi-Xアピカル結合が効果的に活性化されていることを実験的に検証している。ヒドロシラン5aは、各種VTNMRおよびNOE実験より溶液中では水素原子がアピカルに位置する配座(H-ap)とエクアトリアルに位置する配座(H-eq)があり、前者が優勢であることを明らかにしている(Scheme 2)。ヒドロシラン5aのX線結晶構造解析の結果、結晶中でSi原子は5配位状態をとり、Si-Nの原子間距離は2.516(2)Aとvan der Waals半径の和3.65Aよりも1A以上短いことを見い出している。また、水素原子がアピカルに位置していることも明らかにし、水素原子がアピカルに位置しているモノヒドロシランとしての初めての例を示している。このことは、溶液中において水素原子がアピカルに位置する配座が優勢に観測された結果と合致しており、芳香環の間の立体反発によるものと推定している。ヒドロシラン4のX線構造解析においても、ほぼ同様の結果を得ている。次に、ヒドロシラン5aと水、エタノールおよびフェノールとの反応では、対応する置換生成物5b-dを得、5aのSi-H結合の開裂のしやすさを明らかにしている。さらに5cおよび5dに、それぞれフェノールおよびエタノールを過剰量添加することで、定量的な交換反応が起こることを見い出している。このような現象は、分子内配位のないPh3SiHでは観測されないことから、5において窒素原子の分子内配位によってSi-H結合およびSi-O結合が効果的に活性化されていることを示す結果を得ている。

 次に、5配位ケイ素を2個含む化合物4と種々のジオールおよびトリオールを反応させることにより、新規なナノスケール大環状化合物の合成を検討している。4と1当量の1,4-ブタンジオールを重クロロホルム中で3日間加熱還流し、単離収率77%でスクエア型分子6を得ている(Scheme 3)。また1H NMRおよびGPCによる反応追跡の結果、6が生成する際には速度支配によって一旦ポリマーが形成された後に、ポリマーが閉環分解を繰り返すことで、熱力学支配によって6に収束していることを明らかにしている。ジオールとしてビフェニル−4,4'−ジオールを用いた場合にも、ポリマーの生成とともに、対応するスクエア型分子7を約30%の収率で得ている。7の単結晶について、X線構造解析を行ない、Siまわりはやや歪んだTBP構造をとっていること、11A×12Aの内部空孔を有するほぼ長方形型の分子であることを明らかにしている。また、4に対して2/3当量の1,3,5-ベンゼントリオールを反応させ、三次元構造をもつプリズム型の分子を得ている。一方、4に対して1当量のベンゼントリオールを反応させた場合には、スクエア型分子を主生成物として得ている。さらに、スクエア型分子6にビフェニル-4,4'-ジオールを添加することによるスクエア型分子7の生成から、スペーサー部位の交換反応も可能であることを明らかにしている。このように、高配位ケイ素化合物の特性を活用することにより、中性の原料2種を混合し加熱するだけで、ナノメートルサイズの大環状化合物を簡便かつ高収率で合成することに成功している。この系では、スペーサー部分の原料としての含ヒドロキシ化合物を種々かえることにより、さまざまな形状の分子が構築可能である。また、生成したスクエア型分子は速度論的な安定性を有するにもかかわらず生成過程は熱力学的支配によるという新しい範疇のものであることを示している。

 以上、高配位ケイ素化合物の超原子価結合の特性を活用することにより、新規な駆動力を用いたロタキサン型錯体およびナノメートルサイズの大環状分子の合成に成功している。

 なお、本論文の第二章と第三章については川島隆幸教授・後藤敬講師との共同研究であるが、論文提出者が主体となって、実験および解析を行ったのもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク