学位論文要旨



No 116922
著者(漢字) 門,毅
著者(英字)
著者(カナ) メン,イイ
標題(和) ビフェロセンとフェニルアゾフェロセンの自己集合単分子膜の創製とその物理的及び化学的機能
標題(洋) Synthesis of Biferrocene and Phenylazoferrocene SAMs and Their Physical and Chemical Functions
報告番号 116922
報告番号 甲16922
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4185号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西原,寛
 東京大学 教授 塩谷,光彦
 東京大学 教授 下井,守
 東京大学 教授 野津,憲治
 東京大学 講師 近藤,寛
内容要旨 要旨を表示する

 自己集合単分子膜(SAM)の形成はナノ技術の一つとして、特別な機能を持つ新しい材料、たとえば、単電子素子、メモリディバイス、バイオセンサーなどの開発に利用されている。本研究では光化学的および電気化学的機能性を有する超薄膜を構築するのにこの方法を用いた。電気信号および光信号に特に敏感に応答するビフェロセンとフェニルアゾフェロセン誘導体を表面修飾剤として用いた。

1.ビフェロセンジチオールとジスルフィドの合成とそれらの自己集合膜の電気化学的挙動

 ビフェロセンは熱力学的に安定な混合原子価状態を形成し、可逆な二段階の一電子酸化還元反応を受けるので、電極表面に固定化したとき電荷移動反応についてユニークなメディエーターになりうる。二つの新規ビフェロセン誘導体、Bfc'S2とBfc'(SH)2を合成し、それらを用いたSAMを金表面に構築し(Fig.1)、SAMの構造と酸化還元挙動の検討を行った。どちらのSAMのサイクリックボルタモグラムもフェロセンサイトの数と同じ二段の可逆な酸化還元ピークが確認できた。酸化還元電位はほぼ同じであるが、酸化波と還元波のピーク電位差(ΔE=Ep,a-Ep,c)は異なることがわかった。Bfc'(SH)2SAMのピーク電位差はBfc'S2 SAMのよりも大きくなっている(Fig.2)。これはSAMの構造の違いに起因する電子移動速度の差を示唆している。Bfc'(SH)2 SAMでは電子は一本のアルキル鎖を通してSAM表面から電極に到達するのに対して、Bfc'S2 SAMの場合は二本のアルキル鎖を通ることから、Bfc'S2 SAMの方が電極と表面の間でより速い電子移動が起きていると考えられる。

 Bfc'S2およびBfc'(SH)2SAMそれぞれの表面被覆率は2.1×10-10 mol cm-2と9.1×10-10 mol cm-2であった。Bfc'(SH)2SAMの値は最密状態のときの表面被覆率とほぼ等しく、SAMのビフェロセン同士は金基板上で極端に密集したパターンに構築されていると考えるのが妥当である。Fig.2bに示したように、ピーク電流は二回目の電位掃引で大きく減少した。Bfc'(SH)2 SAMのビフェロセンは十分に近づいておりお互いに相互作用するため、二段目の酸化のときの正電荷間の斥力により分解するものと考えられる。

 金属クラスターはレドックス化学種との結合による単電子デバイスとして期待されている。そのような金クラスターをBfc'(SH)2をリンカとして金電極表面に固定することを試みた。Bfc'(SH)2 SAMではBfc'(SH)2分子の一端だけを金電極表面上につけて、余剰のチオール基を金クラスターと結合させる。オクタンチオールで保護されたコア直径約2.6nmの金クラスターのトルエン溶液に浸漬したBfc'(SH)2 SAMのSTM像にはSAM上に金ナノ粒子が配列していることがはっきりと現れていた(Fig.3)。

2.フェロセニルアゾフェノールの光化学反応

 フェロセニルアゾフェノール(FAP)は、可逆なcis-trans光異性化を示すアゾベンゼン類の、酸化還元活性金属錯体部位をもつ最も単純な化合物の一つである。しかしこれについての光化学的応答については我々の知る限り報告がなされていない。そこで、フェニルアゾフェロセンSAMの研究に先立って、フェニルアゾフェロセン誘導体であるFAPの光化学的挙動について検討を行った。Fig.4にFAPのORTEPイメージを示した。シクロペンタジエニル(Cp)環、アゾ基、そしてフェニル基は平面上にはなく、それぞれ7.0°と14.2°のねじれ角をもつ。おそらく、N2原子と隣接分子の水酸基のH原子との間の水素結合の形成が、三つの部分がπ共役によるコプラナー構造を形成するのを妨げていると思われる。

アセトニトリル中におけるtrans-FAPの紫外可視吸収スペクトルは、340nmおよび520nmにそれぞれアゾ基のπ-π*遷移とFe(II)のd軌道から配位子Cp-N=N-Phのπ*軌道へのd-π*遷移(MLCT)による強い吸収帯をもつ。Fig.5で示すように、窒素雰囲気下の乾燥アセトニトリル中で520nmのMLCT帯を光励起したときπ-π*吸収帯とd-π*吸収帯の吸収は減少し、315nmと370nm付近に新しい吸収帯が現れて強度が増加した。370nm付近の新しい吸収帯は光生成したcis体のn-π*遷移に帰属される。アセトニトリルを脱水しなかった場合、光反応はFig.6のように違ったスペクトル変化を示すが、これは異なった光化学生成物の形成を示唆している。この溶液から新しい化合物(PHP)を単離し、その構造を1H-NMR、IR、XPSスペクトルにより同定した。Scheme1で示したように、cis-FAPは痕跡量の水と反応してFe(II)部位には溶媒分子が配位して離脱した光生成物を生じる。

3.8−(4−フェロセニルアゾフェノキシ)オクタンチオール(FAPT)SAMの光応答

 FAPT SAM(Fig.7)とFAPT/オクタンチオール混合SAMを、それぞれFAPTまたはFAPT/オクタンチオール混合物のエタノール溶液に金電極を浸して調製した。窒素雰囲気下における乾燥FAPT SAMの光応答は乾燥アセトニトリル中と同様の変化を示し、特にFig.8に示したように光照射(λmax=546 nm)によって出現した315 nmの新しいピークが大きくなった。FAPT/オクタンチオール混合SAMはより速い光変化を示した。FAPT/オクタンチオール混合膜ではアゾフェロセン同士は純粋なFAPT SAMの場合よりも疎なためにその構造が変化するのに十分なスペースをもつため、異性化しやすいが、FAPT SAMでは構造が密なため変化が遅いと考えられた。

Fig.9に示したように、FAPT/オクタンチオール混合SAMのBu4NClO4エタノール溶液中でのサイクリックボルタモグラムは、光照射(λmax=546 nm)によるフェロセン/フェロセニウム酸化還元対のピークの減少を示した。エタノール(あるいは水)の存在でScheme.1示したようなFAPTの変化が起こり、Fe(II)イオン脱離により酸化還元電流が減少したと考えられた。

以上の結果をまとめると

1.金クラスターのついたビフェロセンジチオールSAMの作製に成功し、そのレドックス挙動や表面の粒子の配列を明らかにした。

2.FAPは、MLCT(電荷移動遷移)による光反応か起こることが分かった。この光反応には水が強く関与するが、水がない場合には異性化が起こると示唆された。

3.アゾフェロセンの自己集合膜とその光反応の解析にはじめて成功した。

Fig.1 The schematic illustration of the structure of the SAMs of Bfc'S2 (a) and Bfc'(SH)2 (b) on a gold substrate.

Fig.2 Cyclic voltammograms of the Bfc'S2 SAM (a) and the Bfc'(SH)2 SAM (b) at Au (111) in 0.1 M Bu4NPF6-CH2Cl2 for consecutive potential scans (the number of scans is 1, 2, 5, 10, 15, and 20 from outside) at 0.1 Vs-1

Fig.3 An STM image of the Aun-Bfc'(SH)2 SAM. Bias voltage was 0.5 V, and set point current was 0.3 nA.

Fig.4 The ORTEP drawing of FAP with 50% probability.

Fig.5 UV-vis spectral change of FAP (9.8×10-5 M) in dried MeCN at intervals of photo-irradiation (λmax=546 nm) for 10, 20, 40, 60, 80 and 100 min.

Fig.6 UV-vis spectral change of FAP (2.6×10-5 M) in MeCN at intervals of the photo-irradiation (λmax=546 nm) for 10 min.

Scheme 1

Fig.7 The schematic illustration of photo-induced structural change of the SAM of FAPT on a gold substrate.

Fig.8 UV-vis absorption differential spectral change of FAPT SAM on the gold electrode under a nitrogen atmosphere upon photo-irradiation (λmax=546 nm) of 5, 10, 20, 30, 70 and 150min.

Fig.9 Change in cyclic voltammogram of the FAPT/octanethiol mixed-SAM in 0.1 M Bu4NClO4-ethanol upon photo-irradiation (λmax=546 nm) for 8 min between the potential scan.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は6章からなり、第1章は研究の背景と目的、第2章は実験、第3章はビフェロセンジチオールとジスルフィドの合成と自己集合単分子膜(SAM)の電気化学挙動、第4章はフェロセニルアゾフェノール(FAP)の光化学反応、第5章は8−(4−フェロセニルアゾフェノキシ)オクタンチオール(FAPT)SAMの光応答、第6章は研究成果のまとめと展望について述べられている。以下に各章の概要を記す。

 第1章では研究の背景として、ナノ材料の創製に用いられている自己集合単分子膜(SAM)についてのこれまでの研究を総括し、本研究の目的はこの方法を利用して、電気および光信号に敏感に応答するビフェロセンとフェニルアゾフェロセン誘導体から光化学的および電気化学的機能性を有する超薄膜を構築することであると述べている。

 第2章では、新規化合物の合成と同定、各SAMおよび化学修飾金クラスターの作製、電気化学や光化学の実験について記している。

 第3章では、ユニークな二段階電子移動メディエーターであるビフェロセン(Bfc)に焦点をあて、二つの新規Bfc誘導体、Bfc'S2とBfc'(SH)2を用いたSAMを金表面に構築し、SAMの構造と酸化還元挙動の検討、およびBfc'(SH)2 SAM上に金クラスター単層膜作製を行った研究を記述している。どちらのSAMもほぼ同じ電位で二段の可逆なレドックス応答をするが、酸化波と還元波のピーク電位差、レドックス挙動の繰り返し安定性、Bfcサイト表面被覆率は著しく異なっている。これらの結果を総合し、Bfc'(SH)2 SAMではアルキルチオール鎖1本で金基板と結合しているのに対して、Bfc'S2 SAMの場合は二本のアルキルチオール鎖で金基板に固定されていることを明らかにしている。さらにBfc'(SH)2 SAMではフリーのチオール基が存在するので、それをリンカーとして単電子デバイス材料となり得る金クラスターを金電極表面に固定することに成功し、STMおよび電気化学測定によりSAM上の金ナノ粒子配列を実証している。

 第4章では、可逆なcis-trans光異性化を示すアゾベンゼンと類似構造でレドックス錯体部位をもつFAPの光化学反応を解析している。FAPのX線結晶構造解析より、シクロペンタジエニル(Cp)環、アゾ基、フェニル基の非平面配置、N原子と隣接分子の水酸基のH原子との間の水素結合の形成を示している。アセトニトリル中でtrans-FAPは、340nmおよび520nmにそれぞれアゾ基のπ-π*遷移とFe(II)から配位子Cp-N=N-Phへのd-π*遷移(MLCT)による強い吸収帯をもち、窒素下、乾燥アセトニトリル中でMLCT帯を光励起したとき、cis体のn-π*遷移に帰属される新しい吸収帯が370nm付近に現れることを見いだしている。一方、非脱水アセトニトリル中での光反応は違ったスペクトル変化を示し、異なる光化学反応の存在を示唆している。この溶液から新化合物を単離し、その構造を同定した結果に基づき、光異性化で生じたcis-FAPは痕跡量の水と反応してFe(II)部位が脱離する反応機構を提案している。

 第5章では、新規合成したFAPTのSAMとFAPT/オクタンチオール混合SAMを調製し、その光反応について解析した研究を述べている。窒素下でのSAMの光応答は乾燥アセトニトリル中と同様の変化を示し、緑色光照射によって出現した315 nmの新しいピークが大きくなることから、cis体への異性化であると考察している。一方FAPT/オクタンチオール混合SAMのBu4NClO4エタノール溶液中の電気化学応答は、光照射によるフェロセン/フェロセニウム酸化還元対のピークの減少を示したことから、エタノール(あるいは水)の存在で、第4章で示したのと同様な光照射とプロトンの付加によるFAPTの変化が起り、Fe(II)イオン脱離により酸化還元電流が減少したと考察している。

 第6章では結論として、本研究結果の、機能分子界面の化学における位置付けを行い、分子エレクトロニクスへの展望を述べている。

 以上、本論文は、論文提出者が新規合成したレドックス、光機能性錯体ならびにそれらを用いて作製した自己集合単分子の構造および物性、光化学反応性について様々な手法で解析することにより興味深い挙動を見いだし、機能界面化学、錯体化学の開発研究におおきなインパクトを与えたオリジナルな研究として評価できる。なお、本論文第2-5章は西原 寛、久保謙哉、栗原正人との共同研究であり、一部は既に学術雑誌として出版されたものであるが、論文提出者が主体となって実験および解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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