学位論文要旨



No 116923
著者(漢字) 元木,創平
著者(英字)
著者(カナ) モトキ,ソウヘイ
標題(和) 二原子分子・直線三原子分子の内殻光電離における形状共鳴ダイナミクスの研究
標題(洋)
報告番号 116923
報告番号 甲16923
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4186号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 柳下,明
 東京大学 助教授 紫藤,貴文
 東京大学 教授 山内,薫
 東京大学 教授 太田,俊明
 東京大学 教授 高塚,和夫
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は全10章で構成されている。第1章は序論である。第2章から第4章では、本研究で用いる解析のための定式化・実験手法・解析法が記述してある。第5章から第9章までが本論である。第10章にまとめをもうけてある。

 まず、第1章の序論では本博士学位論文の研究目的と共に内殻光電離および励起の諸過程をまとめた。また、形状共鳴に対して現在までに与えられている解釈を散乱理論と分子軌道理論の立場からまとめてある。第2章において光電子の角度分布の定式化を行う。Dillにより導出された式は汎用的なものであり、励起光がどのような偏光特性を持っていても適用することができる。しかし、彼自身は様々な偏光特性の光を用いることの利点について探求していない。配向分子について光電子の角度分布を測定することで、角度分布における円二色性(Circular Dichroism in Angular Distribution; CDAD)および線二色性(Linear Dichroism in Angular Distribution; LDAD)を明らかにすることができる。この様な実状にあわせ、あらためて直線偏光および円偏光により放出される配向分子からの光電子の角度分布の定式をまとめた。第3章では実験装置および光電子−光イオン同時計測による配向分子からの光電子の角度分布の測定原理を述べる。第4章では電気双極子遷移行列要素と位相差を配向分子からの光電子の角度分布から得るための解析手法を述べる。本論である第5章から第9章の概要を以下にまとめる。

[第5章N2分子の2σg光電離における形状共鳴メカニズム]

 この研究では、N2分子の2σg光電離における形状共鳴メカニズムの解明を目的に、l=1,3を用いて記述するという近似の範囲において完全実験を行った。

 まず、σu*形状共鳴を含む幾つかのエネルギーに入射光をチューンして、配向N2分子の2σg軌道からの光電子の角度分布を、直線偏光(入射光と分子軸が垂直になる条件)と右回りおよび左回り楕円偏光を用いて測定した。楕円偏光による測定結果を解析し、εpσu,εfσu,εpπu,εfπuの4つの連続チャンネルに対応する電気双極子遷移行列要素の8つの候補を導出した。これら8つの電気双極子遷移行列要素と位相差のうち、直線偏光モードでの角度分布データを再現するのは2セットだった。この2セットは電気双極子遷移行列要素は同じ値であるが、位相が異なっている。位相を決定するために、RPA (Random Phase Approximation)計算とRCHF (relaxed core Hartree Fock)計算を援用した。求めた電気双極子遷移行列要素を部分断面積の実測値に対して規格化することにより、絶対値を与えた。結果は、光電離断面積に現れる吸収増大に主な寄与を示すのはfσu部分波であり、その領域の前後において位相差(δfσ-δpσ)が約πrad.だけ増大することを示した。つまり、N2の2σg光電離領域に現れる形状共鳴はfσu部分波のシングルチャンネルによるものであることがわかった。このことは、σ*形状共鳴の一般的な理論による描像を、初めて実験的に確認したことになる。

[第6章CO分子の内殻光電離に関する完全実験]

 分子の内殻光電離の完全実験(電気双極子遷移行列要素と位相差を実験的に求める)の初めての試みとして行った配向CO分子からの1s光電子の角度分布に関する研究を述べる。

 σ*形状共鳴を含む幾つかのエネルギーに入射光をチューンして、配向CO分子からの炭素および酸素K殻からの光電子の角度分布を、入射光と分子軸が平行および垂直になる条件で測定した。C1s光電子の角度分布は幾つかの部分波の干渉に起因する豊かな構造を示した。COの形状共鳴は分子軌道理論では6σ*擬非占分子軌道に帰属される。C1s光電子の角度分布は形状共鳴で6σ*非占分子軌道と同じ3つの節をもった構造になり、入射光のエネルギーを高くして測定を行うと徐々に分子軸方向に強度を持つεpσ的な形状へと推移する傾向を示した。また、O1sの角度分布もC1sと同じように入射光のエネルギーに依存して変化するが、形状は両者で異なるものになった。例えば、形状共鳴位置でのC1sの角度分布では酸素原子の方向に光電子が強く放出されるのに対して、O1sの角度分布では炭素原子の方向に光電子を強く放出する。これらのデータからRCHF計算を援用して光電離過程を記述するダイナミカルパラメータを導出した。すなわち、光電子の角度分布を解析して、酸素K殻について18個のダイナミカルパラメータ(10個の行列要素と8個の位相差)を、また、炭素K殻について16個のダイナミカルパラメータ(9個の行列要素と7個の位相差)を導き出した。また、求めた電気双極子遷移行列要素を部分断面積の計算値に対して規格化することにより絶対値を与えた。結果、C1s→εlσおよびO1s→εlσに現れる形状共鳴は、l=3部分波以外の成分(C1s→εlσではl=1,2,3、O1s→εlσではl=0,1,2,3)も共鳴に大きく寄与していることがわかった。N2の光電離と比較した場合、COは反転対称性がないので偶の角運動量に対応する光電離チャンネルが生まれる。そこで、形状共鳴ではl=3部分波が共鳴を起こすが、チャンネル間の結合が起こりl=3以外のチャンネルも形状共鳴で増大すると考えられる。また、Cooper極小が、C1s→εsσ遷移とC1s→εfσ遷移、およびO1s→εdσ遷移について現れることを明らかにした。

[第7章CO2分子のC1s光電離におけるσu形状共鳴メカニズムの解明]

 第7章では、直線3原子分子の形状共鳴ダイナミクス解明のための行ったCO2分子の2σg (C1s)→εlσu遷移過程に関する研究を述べる。

 CO2とN2分子を比較すると、両者はD∞h点群に属し形状共鳴は同じσu対称性を有している。故に、CO2とN2分子の形状共鳴メカニズムの相違があるならば、それは分子構造および電子構造の相違に他ならない。また、CO2のC1s軌道の対称性はgeradeであるため選択則により終状態はungarade対称性をもった部分波(εpσ,εfσ,εhσ…)への遷移に限定される。そこで、電気双極子遷移行列要素と位相差を求める「完全実験」の対象として扱いやすい。以上から、CO2分子を直線3原子分子の形状共鳴ダイナミクス解明のためのプロトタイプに選んだ。

 σu*形状共鳴を含む幾つかのエネルギーに入射光をチューンして、配向CO2分子からの炭素1s光電子の角度分布を、入射光と分子軸が平行になる条件で測定した。形状共鳴領域でのC1s光電子の角度分布には、形状共鳴に帰属される非占分子軌道6σ*uの節構造に関する類似は認められなかった。これらの角度分布データを解析によって、l=5部分波まで考慮に入れて電気双極子遷移行列要素と位相差の導出を試みた。この手続きで4つのダイナミカルパラメータの候補があらわれた。二つの電気双極子遷移行列要素と、それらに対して二セットの位相差である。電気双極子遷移行列要素について、P.M. Dittman等の理論的研究を援用して一つのセットを選択した。電気双極子遷移行列要素をσ→σ遷移の部分断面積に規格化し、部分波毎の部分断面積の形で表現した。

 結果、はεfσが形状共鳴のエネルギー位置で増大しており、εpσも比較的大きな強度をもつことを示した。光電子が感じる有効ポテンシャル障壁の高さを見積もったところ、σu*形状共鳴ではl=5部分波が共鳴を起こす。つまり、分子軌道と同じような五つの節をもつεhσ部分波が強調されるものと予想される。対称性が同じN2分子の結果と比較すると、CO2は分子サイズが大きくなるので、形状共鳴状態を保持する部分波はより大きな角運動量を必要とする。つまり、CO2のC1s→εlσuにおける形状共鳴はl=5部分波が共鳴を起こす。しかし、断熱的に見た場合には、複数のイオン化チャンネル間で結合が引き起こされる。結果的に、形状共鳴領域でf部分波の部分断面積が強調されるものと考えられる。

[第8章OCS分子のC1s光電離におけるσ形状共鳴の原子効果]

 第8章では、分子サイズ・構成要素に依存した形状共鳴メカニズムを解明することを目的としたOCS分子の内殻光電離に関する研究を述べる。

 σ*形状共鳴を含む幾つかのエネルギーに入射光をチューンして、配向OCS分子からのC1s光電子の角度分布測定を行い、C1s→εlσ光電離のダイナミカルパラメータを求めた。二原子分子ではl=3が、CO2ではl=5部分波が形状共鳴を起こしていた。OCSのC1s光電離過程における形状共鳴では、高い軌道角運動量成分の寄与が小さく、l=2部分波が重要である結果を得た。本博士論文での研究で最も分子サイズが大きいOCSは、光電子の有効ポテンシャル障壁の大きさを見積もったところ、l=6部分波が形状共鳴を起こすと考えられる。しかし、大きなクーロン引力と電気陰性度の高いS原子によって、l=2部分波が局所的にトラップされると解釈した。

[第9章OCSの炭素、酸素および硫黄K殻対称性分離光吸収スペクトル]

 OCS分子の1s励起スペクトルに完全な解釈を与えることを目的として、高分解能対称性分離1s光吸収スペクトル測定およびab initio SCF計算を行った。

 高分解能対称性分離1s光吸収スペクトルは、C,OおよびS1sの光電離領域でπ*遷移によるピーク形状が異なった。これはab initio SCF計算からRenner-Teller分裂によるOCS分子の屈曲の大きさを反映していることを示した。また、C,OおよびS1sの光電離のRydberg領域のピーク幅の違いがRydberg-valence混合による解離性の大きさを反映していることを明らかにした。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は10章で構成されている。第1章から第4章は、それに続く章の共通事項について述べられている。すなわち、第1章では序論として分子の内殻光電離過程研究の歴史的背景と現状および研究目的が、第2章では配向分子からの光電子の角度分布の理論が、第3章では実験方法が、そして第4章では実験データの解析方法が述べられている。第5章から第9章は、研究課題毎にその研究成果が述べられている。そして、第10章には研究成果全体の要約がまとめられている。以下に研究成果の概要を記す。

 第5章:N2分子の2σg光電離における形状共鳴メカニズムを解明するために、左右楕円および直線偏光放射光を使い、形状共鳴のエネルギー領域で、配向N2分子からの2σg光電子の角度分布測定を行なった。角度分布の実験データを解析することによって、光電離チャンネルに寄与するpσ,fσ,pπ,fπ部分波に対する遷移行列要素とそれらの位相差をユニークに決定した。その結果、形状共鳴領域ではfσ部分波に対する遷移行列要素が増大すると同時に、fσとpσの部分波の位相差が約πラジアン増大することを発見した。すなわち、2σg光電離における形状共鳴は、fσ部分波のシングル・チャンネルの共鳴である明確な実験結果を初めて示した。

 第6章:CO分子のC1sおよびO1sの光電離チャンネルに現れる形状共鳴メカニズムを解明するために、直線偏光放射光を使い、形状共鳴のエネルギー領域で、放射光の電気ベクトルに対して平行及び垂直に配向したCO分子からのC1sおよびO1s光電子の角度分布測定を行なった。角度分布の実験データを解析することによって、lσ部分波に対する遷移行列要素とそれらの位相差、およびlπ部分波に対する遷移行列要素とそれらの位相差を決定した。その結果、C1sの光電離では、共鳴領域でdσ,fσ部分波に対する遷移行列要素が増大し、O1s光電離では、共鳴領域でsσ,pσ,dσ,fσ部分波に対する遷移行列要素が増大することを発見した。この実験結果により、CO分子の形状共鳴は、多チャンネルの共鳴であることを解明した。また、Cooper極小を、いくつかのチャンネルに明確に見出すことに初めて成功した。

 第7章:二原子分子と三原子分子の形状共鳴メカニズムの違いを解明することを目的として、放射光の電気ベクトルに対して平行に配向したCO2分子からのC1s光電子の角度分布測定を行なった。角度分布の実験データを解析することによって、lσu部分波に対する遷移行列要素とそれらの位相差を決定した。CO2分子の形状共鳴に強度を与える4σu非占有分子軌道のSCF計算の結果、hσu部分波に対する有効ポテンシャルの形状および多重散乱理論の計算結果から、C1sの形状共鳴のメカニズムを次のように解釈した。hσu部分波がポテンシャル障壁よって分子領域にトラップされるが、部分波の間の強いカップリングに誘起され、pσuとfσu部分波がポテンシャル障壁から逃げ出し、それらが遠方での光電子の波動函数を形成する。

 第8章:重原子が含まれた分子の形状共鳴のメカニズムを解明するために、第7章と同様な実験をOCS分子のC1s光電離過程について行なった。ここでは、多くの部分波が光電離のチャンネルに寄与するために、遷移行列要素と位相差の解のセットは多数得られた。そこで、遷移行列要素のエネルギー依存性が最もなめらかになるものを正しい解とした。その結果は、dσ部分波の遷移行列要素が共鳴領域で増大するものとなった。12σ非占有分子軌道のSCF計算の結果、およびiσ部分波に対する有効ポテンシャルの形状から、C1sの形状共鳴は、iσ部分波が分子領域にトラップされるが、部分波の間の強いカップリングにより、S原子サイトの局在した領域にdσ部分波がトラップされるものと解釈した。

 第9章:OCS分子のそれぞれのK-edge吸収端で、対称性分離光吸収スペクトルを測定した。SCF計算を行い、スペクトルの吸収構造を同定した。その結果、価電子軌道とリドベルク軌道の混成が強く起こっていることを発見した。

 なお、本論文第5章は、足立・伊藤・石井・副島・柳下・Semenov・Cherepkovとの共同研究であり、第6章は、足立・彦坂・伊藤・佐野・副島・柳下・Raseev・Cherepkovとの共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験及び解析を行なったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。また、投稿予定となっている本論文第7章・第8章・第9章も共同研究の成果であるが、論文提出者が主体となって実験及び解析を行なったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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