学位論文要旨



No 116924
著者(漢字) 山本,貴
著者(英字)
著者(カナ) ヤマモト,タカシ
標題(和) 分子性導体へのキャリアドーピング効果の研究
標題(洋) Studies on carrier-injection effect in molecular conductor
報告番号 116924
報告番号 甲16924
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4187号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 田島,裕之
 東京大学 教授 太田,俊明
 東京大学 教授 濱口,宏夫
 東京大学 教授 小林,昭子
 東京大学 教授 上田,寛
内容要旨 要旨を表示する

第1章 序

 1/4フィルドで擬一次元系の分子性導体の一部には、室温付近で比較的高い電気伝導度を示し、室温直下で金属的伝導挙動から半導体的伝導挙動へと変化する現象(抵抗極小)がしばしば観測される。この現象には、磁化率や結晶構造に大きな変化は必ずしも伴わないため、電子−格子相互作用だけでは説明しきれない。最も奇妙な現象は、金属的伝導を示す室温でさえ、反射スペクトルが、金属物質に典型的なDrude型を示さないことである。その代わりに、中赤外領域に強い遷移が観測される(中赤外遷移)。更には、熱起電力は、物質に関係なく室温付近で約±60 μV/Kという値に飽和する。以上の現象の解釈には、電子−電子相互作用(電子相関)の導入が必要であると考えられる。そこで、以上の物性を示す物質において実現している電子相関・電子状態・伝導性とは何か、を求めることが必要となる。

 強い電子相関に対する解釈として、Mott-Hubbard絶縁体からSpin-Peierls転移というモデルがよく知られている。ところが、金属的伝導を示すには、何らかの形でキャリアが存在している必要がある。そこで、積極的にキャリア密度を変化させることで、いかなる形態でキャリアが注入されるのかを調べる手法は有効である。但し、分子性導体では電荷移動量を制御できる例は限られている。以下の特徴から、DCNQI系電荷移動錯体(図1)は例外的に優れたモデル化合物である。「(1)外場や置換基を導入する必要がない。(2)金属カチオン(Li+とCu〜+1.33)のみを置換することにより、キャリア濃度を制御できる。(3)結晶構造が同系。(4)ユニフォームな積層。(5)強い一次元性を保つ領域内でも、細かなドーピングができる。」。この理想的なモデル化合物(Me2DCNQI)2Li1-xCuxを用いて徹底的な物性測定を行った。

第2章 単結晶作成と混晶比の算出

 分子性導体の単結晶試料は一般的に電解法あるいは拡散法で作成される。筆者は、一種類の対カチオンが一方的に結晶に取り込まれることが無いように、還元剤添加による促成法も併用した。X線構造解析の結果、結晶構造はI41/aで同系であった(図1)。同時に混晶比も算出した。混晶比は反射スペクトルの解析からも推定可能であることを見出した。

第3章 抵抗率の温度依存性

 図2左に抵抗率の温度依存性から得た相図を示す。抵抗極小は領域AとBに観測された。但し、x=0塩はサンプル依存性が大きく、純度の高い試薬を用いた拡散法による試料では、室温から半導体的挙動を示した。サンプル依存性は、不純物の影響によると考えられる。領域AとBの違いは、図2右に示すように、約60Kで半導体S1から半導体S2への転移が観測されるか、されないかである。領域Aの半導体相S1の活性化エネルギーはおよそΔ/kB=270Kという値で小さく、ほとんどxに依存しない。一方、領域Cはヘリウム温度まで金属的挙動を示す。

第4章 室温の反射スペクトル

 x=1塩はpπ-d系であり、三次元的金属であることが知られている。筆者が最も注目している領域は、一次元性が強い領域であるので、あらかじめ次元性を調べておかねばならない。そこで、積層軸に対して垂直偏光の反射スペクトルを測定した結果、領域AとBでは一次元性が強いことが判明した。一方領域Cでは、低波数側にDrude型の分散が観測され、三次元塩へと変化していることが判明した。

 次に、積層軸に平行偏光の反射スペクトルを解析した結果、領域AとBでは単純なDrude型ではないことが判明した。一次元系に特有の中赤外遷移は領域Aで約3000cm-1の一定値を示し、Bでは約2500cm-1の一定値を示した。ユニフォームな積層をしている物質に中赤外遷移が観測されたので、中赤外遷移は二量化ギャップが主因ではなく、電子相関による遷移である。この中赤外遷移はサイト内(クーロン)相互作用だけではなく、最近接相互作用が有効な場合に現れるという理論計算とも一致する。この場合、各サイトにおける電荷量が異なる電子状態(電荷分離状態)が期待される。一方、領域CではDrude成分が強くなってゆく。

第5章 静磁化率の温度依存性

 まず領域Aにおける、抵抗極小の温度前後では、目立った変化は観測されず、パウリ常磁性的挙動を示した。次に、磁化率の温度依存性をキュリー成分Clocalとそれ以外の成分xiに分解した。各々のx依存性を図3に示す。まず後者の成分に関して述べる。領域Aにおいて半導体S1−半導体S2転移が観測される約60K付近から、xiは減少しゼロになる。この結果は、2kF歪みが生じたため、スピン一重項に陥ることを示唆している。一方、領域Bでは低温で減少するものの、ヘリウム温度まで有限値を保つ。この結果は、磁気的なギャップは存在しないことを意味する。

 次にClocalに関して述べる。拡散法にて作成したx=0塩のClocalは、化学的還元法で作成したx=0塩のClocalよりも小さい。これは不純物や欠陥の影響であると考えられる。x≠0の領域Aと領域BにおけるClocalは増大を示した。Clocalの増大は、強制的に追加された電荷によって、局在スピンが発生したことに対応する。

 最後に領域Cでは低温までパウリ常磁性的挙動を示した。

第6章 ラマンスペクトル

 電荷分離状態であるかどうかを実際に観測するため、ラマンスペクトルを測定した。環外C=N伸縮(v8R)を主成分とする分子内振動の波数が、電荷量の変化に非常に鋭敏であることを利用した。過去のv8Rを用いた価数評価は、周辺に他のモードが混在するため、帰属に問題が残されていた。本研究ではxを細かく変化させることにより、v8Rを追跡することができた。図4に200Kでの結果を示す。

 考えられるスペクトルの挙動は以下のように分類される。「(1)中途半端な価数に対応する一本のピークが観測される場合。(2)結晶構造あるいは格子歪みにより因子群分裂が観測される場合。(3)各分子の環境が異なるために複数のピークが観測される場合。」等である。領域Cは(2)に分類される。領域Bでは(1)が主であり、xの増加に伴い(3)から(2)への性格を併せ持つ。領域Aでは(3)に分類され、二つのピークv8RLとv8RHが存在する。一種のカチオンしか無いx=0塩でも二つのピークが観測されるので、(3)の原因は電荷分離状態による。v8Rの温度依存性を測定したところ、領域AとB共に室温から分裂しており、室温から低温までほとんど変化しない。よって、電荷分離状態は室温でも保たれている。

 v8RHとv8RLの相対強度を比較した結果、後者はxの増加に伴い増大し、前者は約x〜0.3付近でほとんど観測されなくなった。この現象は領域A・B中で、xが増加するに従って、電荷量の少ない分子が減少していることを示唆している。

第7章 熱起電力の温度依存性

 熱起電力の温度依存性を測定した結果、各領域にほぼ対応する挙動が観測された。領域AとBCでの違いは、低温で発散するか、ゼロに向かうかの違いである。この違いはギャップの有無を意味し、低温における磁化率と一致した結果である。一方、室温付近では、領域ABとC間に違いを見出した。前者は室温に向かって約S=-60 μV/Kに飽和する。後者は室温での|S|が減少する挙動を示した。図5に室温でのSを示す。

 ところで、擬一次元系・1/4フィルド塩の熱起電力Sは、室温付近で飽和し、その絶対値は約60 μV/Kをしばしば示す。これは物質に依存しない共通した挙動である。本来、熱起電力Sは高温極限で、キャリアの配置の自由度と、スピンの自由度から求められる。サイト内クーロン相互作用が大きく、1/4フィルドの場合には約-60 μV/Kを得る(large-Uモデル)。しかしながら、キャリア濃度を変化させることで、キャリアの配置の自由度を考察した例は限られている。図5から判断すると、領域AB内のx≠0において、large-Uモデルは適用できない。Sが変化しないと言うことは、キャリアの配置の自由度は極端に制限されていることを意味する。その結果、Sはスピンの自由度だけでほぼ決定される。この場合、高温極限では、電荷量に依存せず、S=-60 μV/Kが得られる。

第8章 結論

 一次元性の強い領域Aの電子相関・電子状態・伝導性に関して次のように考えれば、各測定結果を説明できる。

 サイト内クーロン相互作用だけではなく最近接相互作用も有効に働いているために、電荷分離状態が生じている。電荷量の多い分子と少ない分子が整列している場合、本質的には4kFの半導体でなければならない(例:RPRPRP....(R=charge rich,P=charge poor))。拡散法にて作成したx=0塩は最もこれに近い。この整列は、不純物・欠陥あるいは電荷を強制的に追加することにより、分断されドメインが形成される(例:RPRRPRPRP....等)。半導体相S1だけでなく、金属的伝導を示す室温付近でもドメイン構造は保たれている。このドメイン構造を分断しているドメイン壁が動くことにより、電流が輸送される。低温の半導体相S2では、ドメイン中の格子が歪み、基本的に2kF+4kFである(例:RPRP RPRP...R....等)。低温でもドメイン壁が残るために局在スピンが生じる。

 領域Bでは更に追加された電荷により、電荷の整列が破壊されつつある領域である。各分子の電荷量は均一になりつつあるが、まだ不均一性が残っている状態である。金属から半導体への変化はAnderson局在である可能性が示唆される。

 領域Cは低温に至るまで三次元的金属である。一粒子的な伝導が主となる。

図1 Me2DCNQI分子(左)と、(Me2DCNQI)2Li1-xCuxの結晶構造。

積層軸方向(c軸,中央)と、ab面(右)。

図2(Me2DCNQI)2Li1-xCuxの相図(左)と抵抗率(右)。

図3(左)10Kでの磁化率xi(10K)。

(右)キュリー成分Clocal。図中のDとRは拡散法と化学的還元法によるx=0塩に対応する。

図4 200Kでのラマンスペクトル。

図5 室温における熱起電力Sx依存性。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、代表的な低次元物質である分子性伝導体における、金属絶縁体転移機構を、化学的手法によるキャリア注入効果を調べることにより、研究した結果を、述べている。本論文は8章よりなる。

 第1章は序論であり、分子性伝導体の歴史、および分子性伝導体においてこれまでよく研究されてきた代表的な金属絶縁体転移機構が、最初に述べてある。続いて、本論文の主題である、未解決の問題であった、一次元物質でしばしば観測される室温付近での"抵抗極小"の問題について紹介している。さらに、この"抵抗極小"の問題を解決するにあたって、キャリア濃度を変えることができる一次元電子系であるという点で、(Me2DCNQI)2Li1-xCuxが優れたモデル物質系であることが述べられている。

 第2章では、第3章以下で詳述される、各種物性測定に用いた(Me2DCNQI)2Li1-xCux試料の具体的な作成方法、およびその組成決定方法に関して、述べている。単結晶作成法としては還元剤添加による促成法、および拡散法を用いている。組成決定法としては、X線構造解析による方法、合成時の組成から推定する方法、分光測定による方法を用いている。

 第3章では、(Me2DCNQI)2Li1-xCuxの電気抵抗測定の結果について述べている。実験結果に基づいた相図を提案しており、xの大きさによって、領域A(低Cu濃度)、領域B(中Cu濃度)、領域C(高Cu濃度)の3つの領域に分類できると述べている。

 第4章では、(Me2DCNQI)2Li1-xCuxの室温での反射スペクトル測定の結果について述べている。室温の反射スペクトルの解析結果から、領域A、Bでは中赤外領域の光伝導度スペクトルに一次元導体に特有の強い電子遷移が出現し、領域AからBに移ると、この電子遷移は低エネルギー側にシフトすると述べている。また領域Cでは、低波数側にDrude型の分散が現れ、3次元金属に変化していると述べている。

 第5章では、(Me2DCNQI)2Li1-xCuxの磁化率の温度依存性について述べている。得られた結果は、第3章で述べた電気抵抗温度依存性から得た相図と関連付けて解釈されている。磁化率はキューリー成分とそれ以外の部分に分離でき、後者に関して、領域Aでは低温でほぼゼロになるのに対して、領域BおよびCでは、低温で、常磁性成分が観測されると述べている。電気抵抗の温度依存性では半導体的挙動を示す領域Bで、低温で温度によらない常磁性成分が観測されることから、領域Bの低温での絶縁体的挙動はAnderson局在によると解釈している。

 第6章では(Me2DCNQI)2Li1-xCuxのラマンスペクトルの測定結果について述べている。環外C=N伸縮振動を主成分とする分子内振動の波数が、電荷量の変化に鋭敏であること、領域AおよびBにおいてはこのモードが分裂することを明らかにしており、その結果に基づいて振動モードの分裂が電荷分離に基づくと解釈している。またラマンスペクトル測定を含む一連の結果から、一次元伝導体においてはスピン分極および電荷分離を伴ったドメインが生じており、電気伝導はドメイン壁の運動によるというモデルを提案している。さらに(Me2DCNQI)2Li1-xCuxのキャリア注入による物性変化を議論している。

 第7章では(Me2DCNQI)2Li1-xCuxの熱起電力の測定結果について述べている。一次元電子系における温度によらない熱起電力に関する、既存のモデルに関して述べた後で、実験結果について議論している。低温で領域Bの熱起電力はゼロに向かっており、このことから領域Bの低温での半導体的挙動はAnderson局在によるものであると結論している。この結論は磁化率の解釈と一致している。領域A、Bの熱起電力は、xの値によらずに、室温付近でほぼ一定値(〜-60 μV/K)であることを見出しており、この実験事実に基づいてドメイン壁の運動を考慮したモデルで解釈を行っている。この解釈に基づけば、室温付近の電流はS=1/2を持つドメイン壁により運ばれていると解釈される。

 第8章は結果とまとめに関する章であり、主に領域Aの室温付近の電流はドメイン壁により運ばれており、室温付近の"抵抗極小"は熱エネルギーの減少によりドメイン壁の運動が凍結されたことによるものであると述べている。

 以上のように、本論文は強相関系物質としての、分子性伝導体の伝導機構に関して、これまで理解できなかった点を、実験的に解明した点で大きな貢献をしたものとして高く評価できる。

 なお、本論文は加藤礼三氏、賣市幹大氏、薬師久弥氏、青沼秀児氏、山浦淳一氏、花咲徳亮氏、田島裕之氏らとの共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験、解析、考察を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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