学位論文要旨



No 116932
著者(漢字) 伊藤,晋敏
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,ノブトシ
標題(和) 真核型DNAプライマーゼの構造生物学的研究
標題(洋)
報告番号 116932
報告番号 甲16932
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4195号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 堀越,正美
 東京大学 教授 西郷,薫
 東京大学 教授 横山,茂之
 東京大学 助教授 室伏,擴
 大阪大学 教授 花岡,文雄
 お茶の水女子大学 教授 今野,美智子
内容要旨 要旨を表示する

 DNAは遺伝情報を担う分子であり、細胞分裂の際その情報は正確に維持されなければならない。すなわちあらゆる生物にとってDNA複製は、遺伝情報の子孫への伝達という観点から最も重要な現象である。したがってDNA複製機構の解明は、発生、分化、癌化、老化など多くの生命現象を理解する上で必要不可欠である。

 新生DNA鎖の合成は、DNAポリメラーゼが鋳型DNA上にプライマー分子が存在することで初めてDNA合成を行うことができる。原核及び真核細胞の染色体DNA複製では新生RNA鎖からなるプライマーを利用している。この新生RNA鎖はDNAプライマーゼが1本鎖DNAを鋳型、2つのヌクレオチド5'-3リン酸(NTP)を基質として最初のジヌクレオチドから合成を開始するが、その長さはおよそ7から10塩基程度である。

 近年の研究の進展によりDNA/RNAポリメラーゼやDNAプライマーゼの立体構造については、非常に数多くの知見が得られている。とりわけDNAポリメラーゼに関しては、プライマー/鋳型DNA及び基質との複合体の構造解析などから触媒反応機構の理解が進んでいる。しかしそれに対してプライマーゼは、原核型(ref 1,2)及び真核型(ref 3)の酵素単体の立体構造が報告されているのみである。従って、ポリメラーゼがプライマーの存在無しにDNA合成を行えないのに対し、なぜプライマーゼが最初の2つのヌクレオチドからプライマーRNAの合成を開始できるのかという問題は未だ残されたままである。そこで本研究の目的は、プライマーゼによるプライマーRNAの合成開始機構を原子レベルで明らかにすることである。

 本研究を行うにあたり、耐熱性に優れ結晶化に有利であることから超好熱性古細菌P. horikoshii由来の真核型DNAプライマーゼホモログを用い立体構造解析を行った。

 まずP. horikoshii DNAプライマーゼ組換えタンパク質を大腸菌内で発現させるために遺伝子のクローニング及び発現系の構築を行った。組換えタンパク質は2段階のカラムクロマトグラフィーで高度に精製し、活性測定を行った後に結晶化を行った。結晶はPEG8000を沈殿剤として得られ、その空間群はP3221に属し、結晶格子はおよそa=b=79A、c=129Aであった(ref. 4)。立体構造決定は、セレノメチオニン(SeMet)置換体結晶を用い、多波長異常分散(MAD)法により行った。MADデータ収集は、シンクロトロン放射光施設SPring-8BL41XUにおいてX線蛍光スペクトルを測定し、セレンの吸収端の波長を決定した後に4波長での回折データを収集した。この回折データを用い位相計算を行った結果、解釈可能な電子密度図を得た。この電子密度図を基にSeMet置換体の構造モデルを構築及び精密化し(2.2A;信頼度因子Rcryst/free=19.0/28.0%)、さらにNative結晶の高分解能データに対して、構造モデルを精密化した(1.8A;Rcryst/free=22.2/25.8%)。

 P. horikoshii由来のDNAプライマーゼは、ドイツの研究グループにより先に報告されたP. furiosus(ref. 3)と同様に、触媒ドメイン及びヘリカルドメインから成っていた(図1)。この触媒ドメインが、触媒反応に必須と思われる酸性残基や保存されたアミノ酸がポケットを形成していることは既に推測されていたが、直接的な証拠はなかった。

 そこでNTPの結合様式及び触媒反応機構を明らかにするために、Native結晶にUTP溶液を浸潤させる事で基質複合体を得て、その構造を2.7Aで決定した(Rcryst/free=20.4/26.8%)。その結果UTPの3リン酸部分は、保存されたアミノ酸残基で形成された触媒部位に結合していた(図2)。すなわち必須の触媒残基であるAsp95及びAsp97が金属を介して3リン酸部分と結合し、その近傍にあるAsp280と共にヌクレオチド転位反応を行うことが考えられた(図2及び3)。従って,これまでDNAポリメラーゼの触媒機構で見られる3つの酸性残基と金属イオンに依存したヌクレオチド転移反応機構が、真核型プライマーゼでも行われていることが示唆された。このことはプライマーゼの3つの触媒残基の空間的な配置が、DNAポリメラーゼβ(pol β)での配置に最も近いことからも支持される(図5)。さらにArg148もUTPの3リン酸部分と相互作用しており、マウスのプライマーゼでのArg148に相当する残基をAlaに置換すると、ヌクレオチドへのKm値が上昇するという結果を解釈できる(図3)。すなわちArg148もまたヌクレオチドの結合及び触媒反応に重要な役割を持つことが明らかとなった。

 さらに、なぜプライマーゼが最初のジヌクレオチド合成を行うことができ、そのためにどのような構造的な特徴があるのかを考察した。様々なポリメラーゼとプライマーゼの触媒部位の立体構造を比較したところ、両者には興味深い構造的な違いが存在していた。ポリメラーゼではプライマーの3'-OH末端を触媒部位に引き込むために、プライマー末端のリン酸骨格の酸素原子を、触媒残基の近くに位置するアミノ酸残基により認識している。このアミノ酸残基については必ずしも普遍性はないが、その多くはアルギニンやリジンといった塩基性側鎖やチロシンといった芳香環側鎖を持つアミノ酸残基である。例えば、pol βではArg254がプライマー末端のリン酸骨格の酸素と相互作用し、かつ触媒残基の近くに存在している(図5)。一方NTPがこの近くに来る場合、アルギニンの側鎖とNTPのβ-及びγ-位のリン酸基が立体障害を起こすことが考えられる。しかしプライマーゼではこのArg254に対応する部分にはアミノ酸の側鎖は向いておらず窪みを形成している(図5)。従ってこの窪みがプライマー合成開始の際に、5'末端側のNTPの3リン酸部分を許容するポケットであることが考えられた。しかしこのポケットでのNTPの結合は、触媒部位での結合と異なり緊密に相互作用している可能性は少ない。またNTPのリボースや塩基部分については、pol βやその他のポリメラーゼでは見られないヘリックス構造により安定に保持されている可能性も示唆された(図5)。従って開始反応の際には、プライマーゼに特徴的なヘリックスやNTPの3リン酸部分を許容するスペースが5'末端側のNTP分子を保持することでジヌクレオチド合成を行なっていることが示唆された(図6)。

 このように5'末端側の3リン酸を許容することで開始反応が行われる機構は、RNAポリメラーゼでも観察され、開始反応を行うことの普遍的な機構であることが強く支持される。

 本研究では、真核型プライマーゼとそのNTP複合体の構造解析からプライマー合成開始の触媒機構についてのモデルを提案することができた。これらは真核細胞DNA複製機構のみならず、プライマー合成開始機構についての理解をより一層深めるものであると期待される。

参考文献

1 Keck, J. L. et al., (2000) Science, 287 2482-2486

2 Podobnik, M. et al., (2000) J. Mol. Biol., 300 353-362

3 Augustin, M. A. et al., (2001) Nature Struct. Biol., 8 57-61

4 Ito, N. et al., (2001) J. Biochem (Tokyo). 130 727-730

図1 P. horikoshii DNAプライマーゼの立体構造

図2 触媒部位に結合したNTPのFo-Fcオミット電子密度図

図3 プライマーゼ触媒部位でのNTP認識機構

図4 プライマーゼの表面電荷図とNTP結合ポケットの位置

図5 プライマーゼ(左)及びpolβ(右)の触媒中心付近の2次構造と触媒残基

図6 プライマー合成開始反応のモデル

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は4章からなり、第1章は序論、第2章は材料と方法、第3章は結果と考察、第4章は総合討論について述べられている。

 論文提出者はまず第1章において、DNA複製におけるプライマーゼの役割についてこれまでの研究背景を概説している。原核及び真核細胞の染色体DNA複製では、DNAポリメラーゼはRNA鎖からなるプライマーを利用し新生DNA合成を行っている。このRNA鎖はおよそ7から10塩基の長さから成り、DNAプライマーゼによって1本鎖DNAを鋳型として2つのヌクレオチド5'-3リン酸(NTP)から合成される。DNAプライマーゼについては長年に渡り、生化学的及び遺伝学的な手法により機能解析が進められてきたが、その立体構造や触媒機構については不明であった。そこで論文提出者はプライマーゼによるプライマーRNAの合成開始機構を原子レベルで明らかにすることを目的に本研究を行った。

 第2章及び第3章で実験方法、結果及び考察について述べている。まず超好熱性古細菌P. horikoshii DNAプライマーゼのクローニング及び発現系を構築した。次に組換えタンパク質を2段階のカラムクロマトグラフィーで高度に精製し、活性測定を行った後に結晶化を行った。結晶はPEG8000を沈殿剤として得られ、その空間群はP3221に属し、結晶格子はおよそa=b=79A、c=129Aであった。立体構造決定はセレノメチオニン(SeMet)置換体結晶を用い、多波長異常分散(MAD)法により行った。SeMet置換体の構造モデルを構築及び精密化し(2.2A;信頼度因子Rcryst/free=19.0/28.0%)、さらにNative結晶の高分解能データに対して、構造モデルを精密化した(1.8A;Rcryst/free=22.2/25.8%)。P. horikoshii由来のDNAプライマーゼは、触媒及びヘリカルドメインで構成されていた。この触媒ドメインが触媒反応に必須の保存されたアミノ酸ポケットを形成していることは既に推測されていたが、直接的な証拠はなかった。そこでNTPの結合様式及び触媒反応機構を明らかにするために、UTP複合体の構造を2.7Aで決定した(Rcryst/free=20.4/26.8%)。その結果、UTPの3リン酸部分は保存されたアミノ酸残基で形成された触媒部位に結合していたことが明らかとなった。これらの結果から、DNAポリメラーゼの触媒機構で見られる3つの酸性残基と金属イオンに依存したヌクレオチド転移反応機構が、真核型プライマーゼでも行われていることが示唆された。

 第4章ではDNAポリメラーゼとプライマーゼの触媒部位の立体構造を比較することで、なぜプライマーゼが最初の2つのヌクレオチドからプライマー合成を開始できDNAポリメラーゼにはできないのかという問題について考察している。その結果、DNAポリメラーゼではプライマーの3'-OH末端を触媒部位に引き込むために、プライマーのリン酸骨格を認識するアミノ酸残基が存在するが、プライマーゼでは対応する部分にはアミノ酸の側鎖は向いておらず窪みを形成していることを見いだした。その結果プライマー合成開始の際、この窪みにNTPの5'末端側3リン酸部分が許容されるモデルを提案している。この3リン酸を許容し開始反応が行われる機構モデルはRNAポリメラーゼにも当てはまることができることから普遍的なモデルであることが期待される。

 論文提出者による真核型プライマーゼとそのNTP複合体の構造解析からプライマー合成開始の触媒機構についてのモデルを提案することができた。これらはプライマー合成開始機構のみならず、真核細胞DNA複製機構についての理解をより一層深めるものであると期待される。

 なお本論文は、濡木 理、白水美香子、横山茂之、花岡文雄との共同研究であるが、論文提出者が主体となって行った研究であり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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