学位論文要旨



No 116933
著者(漢字) 木村,暁
著者(英字)
著者(カナ) キムラ,アカツキ
標題(和) 核内蛋白質のリジン残基特異的アセチル化と染色体領域特異的な遺伝子発現制御機構の解析
標題(洋)
報告番号 116933
報告番号 甲16933
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4196号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 渡辺,嘉典
 東京大学 教授 山本,正幸
 東京大学 教授 坂野,仁
 東京大学 教授 西郷,薫
 東京大学 助教授 堀越,正美
内容要旨 要旨を表示する

 真核生物のゲノムDNAは、「長く」、「多種類の遺伝子」を含む。この特徴が多細胞生物の発生分化をはじめとする真核生物の洗練された生物機能を担っている。一方で構造面に着目すると、真核生物のゲノムDNAはヒストンタンパク質に巻き付いたヌクレオソーム構造を基本骨格とするクロマチン構造を形成している。このことが、長いDNAをコンパクトに核内に収容すると同時に、ゲノム中の発現してはいけない遺伝子を発現させないために働いていると考えられている。すなわち、真核生物のゲノムDNAの転写、複製、組み換え、修復、再編成等の「機能制御」にはクロマチンの「構造制御」が重要である。

 ヒストン蛋白質のアセチル化修飾は「基質が(染色体の主要構成成分である)ヒストンであること」「修飾が時間的・空間的に制御されていること」からクロマチンの「構造制御」に重要な役割を果たしていると考えられている。しかし、「1.アセチル化されうるリジン残基はどのように選ばれているのか?」「2.生体内ではどのようにして特定の残基だけがアセチル化されるのか?」「3.特定の残基がアセチル化されることはどのような効果をもたらすのか?」といった重要な問題については不明のままであった。本研究では、これら3点について以下のように研究を進め、更にその研究成果に基づいて、新しい研究展開の方向性を示せた。

(1) ヒストンアセチル化酵素の特異性とヒストンの被修飾残基の対応の法則化

 コアヒストン(ヒト)においてN末領域に存在する28個のリジン残基のうち、生体内でアセチル化されるのは15個である。申請者らはこの15のリジン残基が、その周辺配列の一次構造に着目すると、3つのクラス・6つのサブクラス(グループ)に分類できることを発見した。さらに、in vivoではアセチル化されないリジン残基はこの分類には属さないこと、および既知のin vitroの酵素活性とこの分類が対応していることから、ヒストンアセチル化酵素はこの分類に基づいてリジン残基を見分けているとする仮説を提唱した(表1)。特定のリジン残基のみがアセチル化されうる理論を提唱したのは本研究が初めてである。

 そこで、この仮説の妥当性を検証するために当研究室においてHAT活性を持つことが見出されたTip60がアセチル化するリジン残基を解析したところ、Tip60がこの仮説を支持し、かつ新しいタイプのリジン残基特異性を有することを示す実験結果を得た(表1)。この研究は、ヒストンの特定のリジン残基がアセチル化される機構に関する考察を加えるものであるばかりでなく、アセチル化により制御されるクロマチン関連反応の調節機構を議論するにあたり新たな視点を提示するものと考える。

(2) 生体内でのアセチル化酵素の標的の細分化

 上記(1)での解析からHAT酵素活性ドメインのin vitroにおけるリジン残基の特異性の種類は限られていることが分かった。一方で、in vivoでは多くのリジン残基が同時にアセチル化されることは修飾による多様性を生みにくい。また、同じファミリーに属するHATはin vitroで同様の特異性を有するが、生体内での機能は多様性に富んでいる。このことから、酵素活性が生体内では多様な制御を受け、同じ分類に属するリジン残基を区別して修飾ことにより、特定の機能発揮を担っていると仮定した。そこで我々の研究室でHAT活性を有することを明らかにしたMYSTファミリーに属する出芽酵母3因子(SAS2, SAS3, ESA1)が、同じファミリーに属するもののin vivoで標的となりうるリジン残基が異なるのではないかと考え検討を加えた。

 その結果、3因子の機能の違いと呼応してin vivoで標的となるリジン残基も異なることがわかった。この特異性の多様化は酵素と他の蛋白質が会合した複合体形成によって制御されていることが示唆された。すなわち、in vivoではHATの特異性が複合体形成などにより制御され、特異性が細分化されることによって多様な機能を果たしうることが明らかとなった(表2)。

(3) 生体内でのアセチル化制御とテロメア蛋白の局在・機能の制御

 特定のリジン残基のアセチル化修飾とその機能の関係を探るためには、(i)特定のリジン残基をアセチル化修飾する酵素、(ii)このリジン残基の脱アセチル化を担う酵素、(iii)このリジン残基のアセチル化状態に依存してヒストンとの結合が制御される因子、の3者の関係をin vivoで探る必要がある。しかしながらそのような研究はこれまでになかった。我々は上記(2)の研究でSAS2がin vivoにおいてヒストンH4-K16のアセチル化を特異的に担う因子であることを見出したので、in vivoにおけるこのサイトの脱アセチル化酵素と考えられていたSIR2、およびこのサイトのアセチル化によってヒストンとの結合が制御されると考えられているテロメア局在蛋白SIR3との関連づけを行った(図1)。

 第一に、野生株においてはテロメア周辺で特異的にヒストンH4-K16のアセチル化が低下していることがわかった。このことから、ヒストンH4-K16の脱アセチル化はテロメアを初めとした遺伝子サイレンシングを受ける染色体上の領域に特徴的であることが示唆された。次に、このテロメアでの脱アセチル化、および非テロメア領域でのアセチル化が、それぞれSIR2とSAS2によって担われていることを変異体解析から明らかにした。すなわち染色体においてはテロメア末端から中央領域に向かってヒストンアセチル化の勾配がSIR2とSAS2の働きにより形成されていることがわかった。このように染色体上でヒストンの化学修飾の勾配を形成する修飾酵素の組合わせを明らかにしたのは本研究が初めてである。

 さらに、この化学修飾勾配形成の生理的意義を探るためにSIR3の染色体上の局在、および全染色体の遺伝子発現状態を検討した。SIR2破壊株ではSIR3が普段局在しているテロメア領域への局在が見られなかった一方で、SAS2破壊株では普段局在していないテロメア周辺領域への局在が見られた。さらに、SAS2破壊株ではテロメア周辺領域を中心に遺伝子発現の抑制が見られた。これらの結果から、in vivoでの特定のリジン残基のアセチル化が染色体上の蛋白の局在と機能発揮に重要であるという一連の流れがありうることが示された(図2)。

 ヒストンをはじめとする蛋白質の化学修飾による制御は、ゲノム配列にその様式が直接コードされていないため、謎に包まれている部分が多く残されている。また、修飾の組み合わせを考えるとその制御する事象は膨大である。本研究のように、化学修飾を担う酵素に着目するアプローチ、事象を抽象化・単純化するアプローチはこのような問題に取り組む上で有効と考える。

(筆頭著者としての発表論文)

Kimura, A. & Horikoshi, M. How do histone acetyltransferases select lysine residues in core histones? FEBS Lett. 431, 131-133.(1998)

Kimura, A. & Horikoshi, M. Tip60 acetylates six lysines of a specific class in core histones in vitro. Genes Cells 3, 789-800.(1998)

表1.申請者らが提唱したリジン残基の分類とヒストンアセチル化酵素活性との相関

表2.出芽酵母MYSTファミリーに属するヒストンアセチル化酵素のin vivoでの標的

図1.出芽酵母遺伝子サイレンシングにおけるヒストンのアセチル化と相互作用の制御モデル

図2.テロメア末端におけるヒストンのアセチル化修飾勾配の形成とその意義に関するモデル

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は全3章からなり、第1章は「ヒストンアセチル化酵素の特異性とヒストンの被修飾残基の対応の法則化」、第2章は「生体内でのアセチル化酵素の標的の細分化」、第3章は「生体内でのアセチル化制御とテロメア蛋白の局在・機能の制御」について述べている。

 真核生物の核内に大量に存在する塩基性蛋白質であるヒストンは、酸性分子である染色体DNAを高度に凝縮させた上で複製・転写・分配を行わせるのに最も基本的な要素である。本論文は、ヒストンの化学修飾が位置特異的に起こる機構およびその生物学的意義について考察したものである。ヒストンの化学修飾をはじめとする染色体の機能と構造の研究は近年高い注目を浴びており、世界的に多くの研究者が参入している。この中にあって論文提出者は独自のアプローチに基づいて研究を展開させ、新規かつ興味深い知見を明らかにした。

第1章:ヒストンアセチル化酵素の特異性とヒストンの被修飾残基の対応の法則化

 ヒストンの化学修飾はヒストンの中でも特定の残基でのみ起こる。このことは30年来知られていたが、化学修飾される残基とされない残基がどのように違うのかについての理論が提唱されたことはなかった。論文提出者が見出したヒストン中に存在するリジン残基の分類は、生体内でアセチル化修飾される残基とされない残基を区別することができる上に、近年単離されたアセチル化修飾酵素の特異性とも一致していた。このことによって特定のリジン残基のみがアセチル化されうる理論が初めて提唱されたと同時に、アセチル化酵素のリジン残基特異性を予想することが可能になった。

 そこで、論文提出者はこの理論に基づいて新規なヒストンアセチル化酵素のリジン残基特異性を予想した上で、実験的にこの酵素の特異性が予想と一致するかを検討した。すると実験的な結果は予想と一致し、先の理論の妥当性が支持された。

 以上の研究は、ヒストンのアセチル化修飾を考える上での土台を提供するばかりでなく、そのアプローチは他の修飾反応にも応用可能であるという点で、広範な領域に影響を及ぼしうる研究であると考える。実際に、論文提出者自身も共同研究の中で上記の考え方を応用した。すなわち、ヒストン以外のアセチル化修飾の基質に対しても同様の法則を見出したほか、ヒストンを化学修飾する酵素の中に見られる共通性についても解析を行った。

第2章:生体内でのアセチル化酵素の標的の細分化

 第2章では第1章で扱った問題をさらに掘り下げ、細胞内でヒストンのアセチル化修飾がどのように制御されているかを解析した。その結果、生体内では同様のアセチル化触媒ドメインを有するアセチル化酵素群が、他の蛋白質と会合した複合体を形成することによって、リジン残基特異性が細分化されることをin vitro、in vivoの両面から示した。

 このことから、生体内でアセチル化修飾の特異性が制御される仕組みが明らかになったばかりでなく、なぜ細胞内に同様の触媒ドメインを有するアセチル化酵素が複数あるのか、といった疑問にも答えることが可能となった。

第3章:生体内でのアセチル化制御とテロメア蛋白の局在・機能の制御

 本章では、第1、2章で考察したヒストンのアセチル化修飾がリジン残基特異的に起こる機構の解析に基づいて、リジン残基特異的なヒストンのアセチル化修飾の生物学的意義について考察した。

 あるヒストンアセチル化酵素(SAS2)の変異体においてリジン残基特異的(ヒストンH4-リジン16)なヒストンのアセチル化の低下が見出された。このことと呼応して、テロメア蛋白(SIR3)がテロメア以外の領域にも異常に局在した上に、テロメアで見られる遺伝子発現の抑制が同領域で見られることを見出した。この知見は、ヒストンの特定の残基におけるアセチル化修飾が染色体領域の機能分担の目印になっていることを強く示唆するものである。

 上記の解析は、個々において新規な知見を提供することに成功している上に、「どのようにして特定の残基でアセチル化が起こるのか?そして特定の残基のアセチル化がどのような意味を持つのか?」といったように、全体の研究が一連の流れに沿って行われている。

 なお、本論文第1章の一部は安達成彦氏(科技団・ERATO・堀越ジーンセレクタープロジェクト)および武藤真祐氏(東大・院医)との、また第3章の一部は梅原崇史博士(科技団・ERATO・堀越ジーンセレクタープロジェクト)との共同研究を含んでいるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与がほとんどであると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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