学位論文要旨



No 116935
著者(漢字) 栗本,一基
著者(英字)
著者(カナ) クリモト,カズキ
標題(和) ヒトAUH(AU-binding homologue of enoyl-CoA hydratase)のX線結晶構造解析
標題(洋)
報告番号 116935
報告番号 甲16935
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4198号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 講師 名川,文清
 東京大学 教授 中村,義一
 東京大学 教授 横山,茂之
 東京大学 教授 渡辺,公綱
 東京大学 講師 中迫,雅由
内容要旨 要旨を表示する

 遺伝子発現の転写後の制御は,真核細胞の生長・分化に必須である.この制御には,pre-mRNAの核内でのスプライシングやポリアデニル化,成熟mRNAの核細胞質間輸送,細胞質内での局在,安定化,分解など,mRNAへの様々な制御が関わっている.これらの全ての過程で,多くのRNA結合タンパク質が重要な働きをしている.したがってタンパク質とRNAの相互作用のメカニズムを明らかにすることが,遺伝子発現の多様な制御機構を理解するためには必要不可欠である.

 RNA結合タンパク質の中には,いくつかの保存性の高いRNA結合ドメインが知られている.これらのRNA結合ドメインに関しては研究が進んでおり,RNAと相互作用する機構が明らかにされつつある.その一方で,既知のRNA結合ドメインをもたずにRNAに結合するタンパク質も数多く知られており,タンパク質とRNAの相互作用には,まだ明らかにされていない多様な機構が存在していると考えられる.既知のRNA結合ドメインをもたないでRNAに結合するタンパク質の中には,RNAの代謝に関わりのない酵素活性を有するものが,主として哺乳類で見いだされている.これらのタンパク質は,human glyceraldehyde-3-phosphate dehydrogenase (GAPDH), mammalian thiolase, yeast NAD+-dependent isocitrate dehydrogenase, rat catalase, human dihydrofolate reductase, bovine glutamate dehydrogenaseのように,もともと知られていた酵素活性に加えて新たにRNA結合能が見いだされたタンパク質と,iron regulatory protein-1, -2 (IRP-1, IRP-2) (mammalian aconitase homologue)やAU-binding homologue of enoyl-CoA hydratase (AUH)のように,ある酵素(IRP-1, -2の場合はaconitase, AUHの場合はenoyl-CoA hydratase)のホモログであるタンパク質が知られている.

 AUHは,mRNAのAU-rich elementに結合するRNA結合タンパク質として発見された.AUHは,脂肪酸のβ酸化を触媒する酵素enoyl-CoA hydrataseと32%のアミノ酸配列上の相同性を有しており,弱い活性を持っている.また,欠失変異体の解析から,N末端付近のリジン残基に富む20アミノ酸残基(Rペプチド)がRNA結合能を持つことが報告されている.AUHのホモログであるenoyl-CoA hydrataseにはRNA結合能は見出されていないので,AUHがどのようにしてRNAに結合しているのかは非常に興味深い問題である.私はAUHがRNAに結合する機構を立体構造から明らかにするために,ヒトAUHのX線結晶構造解析をおこなった.

 AUHタンパク質はGSTとの融合タンパク質として大腸菌内で大量発現させ,プロテアーゼをもちいてGSTから切り離して調製した.沈殿剤としてPEG8000をもちいた条件で0.2mm×0.1mm×0.05mmの単結晶を得た.AUHと6ヌクレオチドのRNA,AUUUAGを混合した試料でのみ良質の結晶が現れたが,後述するように,最終的な電子密度図中にはこのRNAを見出すことはできなかった.この結晶は空間群P21に属し,格子定数はa=79.13A, b=132.07A, c=80.04A, β=108.14°であった.すでに結晶構造の解かれているrat enoyl-CoA hydrataseの6量体をサーチモデルとした分子置換法によって初期位相を決定した.初期位相から計算した電子密度では,アミノ酸配列の保存性が最も高い,活性部位の周辺に2次構造を見出すことができた.非結晶学的対称性にもとづくaveragingをおこなったdensity modificationにより,電子密度が著しく改善された.最終的に,分解能範囲30-2.2Aまでのデータをもちいて構造を精密化した(Rwork=20.7%, Rfree=25.3%).しかしながら,結晶化の際に加えたRNAの電子密度を見出すことはできなかった.

 AUHの結晶構造を図1に示す.AUHは2つの3量体からなる6量体を形成していた.個々のサブユニットの構造はenoyl-CoA hydrataseと類似しており,enoyl-CoA hydratase/isomerase superfamilyに典型的なフォールドをとっていた.すなわち,N末端から順に,Spiralドメイン,Trimerization-1 (T1)ドメイン,Connecting helices, Trimerization-2 (T2)ドメインという4つのドメイン構成をしていた(図2).Rペプチドの大部分は,Spiralドメインに属するα−ヘリックスH1に含まれていた.また,AUHの3量体はenoyl-CoA hydrataseと同様に,T1ドメインとT2ドメインの相互作用により形成されていた.

 一方で,3量体が2量体化する様式は,enoyl-CoA hydrataseとは若干異なっていた.3量体の2量体化には,どちらのタンパク質でも,T2ドメイン同士の3量体間相互作用が大きく寄与していたが,enoyl-CoA hydrataseでは,それに加えてSpiralドメインに属するα−ヘリックスH2Bが寄与していた.一方で,AUHのα−ヘリックスH2Bは3量体の2量体化には関わっていなかった.このためAUHの3量体同士の間には幅の広い溝が形成されていた(図3).また,AUHとenoyl-CoA hydrataseの表面電荷にも著しい違いがあった.Enoyl-CoA hydrataseの6量体の表面に負の電荷が分布しているのとは対照的に,AUHの6量体の表面には正の電荷が分布していた(図4).

 Rペプチドの大部分を含むα−ヘリックスH1は,3量体間に形成される溝の外縁部に位置しており,4つのリジン残基(Lys105, Lys109, Lys113, Lys119)によって正の電荷を有していた.これらのリジン残基はα−ヘリックスH1のそれぞれのターンに出現して規則正しく並ぶ特徴的な構造をしていたので,"lysine comb"と命名した(図5).また,3量体間の溝は,RNAの塩基を受け入れるのに十分な空間的余裕を持っていた.これらのことから,AUHはRNAのリン酸基をlysine combで連続的に認識し,RNAの塩基を3量体間の溝の内側で認識するのではないかと考えられた.実際,lysine combの3つのリジン残基(Lys105, Lys109, Lys113)を,enoyl-CoA hydrataseにおいて対応するアミノ酸残基(Asn63, Glu67, Gln71)に置換した変異体はRNA結合能を失った.一方で,この変異体は野生型と同程度の酵素活性を保持していた.RNAとの結合に必要なlysine combが6量体の周りを取り囲むように位置していることから,RNAはAUHの6量体に巻き付いて結合するのではないかと考えられる.

 さらに,AUHの活性ポケットの構造をenoyl-CoA hydrataseと比較した.ポケットの構造は全体としては類似しており,保存されている活性残基もよく重ね合わせることができた.一方で,脂肪酸側鎖と直接相互作用しうるポケットの底部の構造は,AUHとenoyl-CoA hydrataseで異なっていた.Enoyl-CoA hydrataseのポケットの底部は柔軟なループで形成されているのに対して,AUHのポケットの底部はしっかりした構造をもつα−ヘリックスで形成されていた(図6).

活性ポケットの構造の,enoyl-CoA hydrataseとの類似点と相違点が,どのように酵素活性に反映されているかを調べるために,AUHの酵素活性をより詳細に測定した.まず,脂肪酸側鎖の最も短いC4のenoyl-CoAについてKMとkcatを測定し,enoyl-CoA hydrataseと比較した.その結果,KMがほぼ同じ値であるのに対し,kcatはAUHの方がはるかに小さい値であることがわかった.このことからAUHの活性が弱いのは,基質との結合が弱いためではなく,ポケットに結合した基質の反応を触媒する活性が弱いためであることがわかった.

 また,enoyl-CoA hydrataseは,C4からC16にわたる多様な長さのenoyl-CoAを基質とすることが知られている.Enoyl-CoA hydrataseの活性ポケットは,最も短いC4のenoyl-CoAちょうど収まる大きさをしており,実際にC4のenoyl-CoAに対する活性が最も高い.しかし,ポケットの底部が柔軟な構造を持つため,長い脂肪酸側鎖も受け入れることができるのだと考えられている.そこで,長い脂肪酸側鎖をもつC16のenoyl-CoAに対するAUHの活性を調べたところ,これを基質としないことがわかった.AUHでは,ポケットの底部が堅い構造をしているため,長い脂肪酸側鎖をもつCoA誘導体を受け入れることができないのだと考えられる.このことから,AUHはわずかな酵素活性しか持っていないにも関わらず,enoyl-CoA hydrataseよりも高い基質選択性を有していることが明らかになった.

図1 AUHタンパク質の結晶構造.

AUHは2つの3量体からなる6量体を形成していた.

図2 AUHのサブユニットの構造(ステレオ図)

図3 相手側の3量体からの距離.

(a)AUHの3量体のリボンモデル.視点は相手の3量体の側にある.(b)AUHの表面モデル.相手の3量体からの距離に応じて色づけした.(c)enoyl-CoA hydrataseの表面モデル.

図4 AUHとenoyl-CoA hydrataseの表面電荷(a)AUHの6量体のリボンモデル.

α−ヘリックスH1を黒で示した.(b)AUHの表面モデル.正の電荷を黒で,負の電荷を白で示した.(c)enoyl-CoA hydrataseの表面モデル

図5 lysine combの構造(a)lysine combのリジン残基.

(b)3量体間の溝を挟んで向かいあう2つのlysine comb

図6 AUHとenoyl-CoA hydrataseの活性部位(ステレオ図)

審査要旨 要旨を表示する

 AUH(AU-binding homologue of enoyl-CoA hydratase)は,既知のRNA結合タンパク質とアミノ酸配列上の相同性を有さない新規RNA結合タンパク質である.一方で,AUHは脂肪酸のβ酸化を触媒する酵素enoyl-CoA hydrataseと相同性を有しており,enoyl-CoA hydratase/isomerase superfamilyに属している.AUHはenoyl-CoA hydrataseと同様の反応を触媒する弱い活性を保持している.本論文では,AUHのX線結晶構造解析を行い,AUHのRNA結合能と酵素活性に関する研究を行っている.

 第2章ではAUHのX線結晶構造解析について述べている.AUHをGSTとの融合タンパク質として大腸菌で大量発現させ,あとからGSTを切り離している.NMR法を用いて,6ヌクレオチドのRNA配列AUUUAGがAUHと相互作用することを見いだし,AUHとAUUUAG, interleukin-3由来のARE(33ヌクレオチド)との共結晶化をこころみている.AUHとAUUUAGを混合した条件で良質な結晶が現れ,構造解析に至っている.初期位相の決定は,既に報告されているenoyl-CoA hydrataseの結晶構造をサーチモデルとした分子置換法をもちいておこなっている.Non-crystallographic symmetry (NCS) averagingをもちいたdensity modificationによって電子密度が著しく改善され,2.2Aまでの分解能で構造を精密化している.しかしながら,結晶化の際に加えたRNAの電子密度を結晶構造中に見出すことはできなかった.

 第3章では,AUHの立体構造を詳細に述べている.論文提出者は,Enoyl-CoA hydratase/isomerase superfamilyに属する他のタンパク質の構造と比較して共通点と相違点を見いだしている.AUHの構造は,全体としてはenoyl-CoA hydrataseやdienoyl-CoA isomeraseと類似していたが,2つの3量体の間には,これらのタンパク質には見られない幅の広い溝が形成されていた.また,enoyl-CoA hydratase/isomerase superfamilyに属する他のすべてタンパク質で,タンパク質表面に負の電荷が分布していたのとは対照的に,AUHでは6量体表面に正の電荷が分布していた.これらの知見から,論文提出者は,AUHは3量体間の溝にRNAを挟みこみ,正の電荷によってRNAのリン酸基と静電的な相互作用をするのではないかと考察している.さらに結合に重要であると考えられるリジン残基を他のアミノ酸に置換した変異体を作成し,これらのリジン残基がRNAとの結合に必要であることを示している.

 また,論文提出者は,活性ポケットの構造をenoyl-CoA hydrataseと比較している.AUHの活性ポケットは,全体的にはenoyl-CoA hydrataseと類似していたが,enoyl-CoAの脂肪酸鎖と直接相互作用しうるポケットの底部の構造が大きく異なっていた.Enoyl-CoA hydrataseではポケットの底部は柔軟なループで形成されていたのに対し,AUHではα−ヘリックスで形成されていた.これらの知見を元に,論文提出者はポケットの構造の共通点と相違点が,AUHの酵素活性にどのように反映されているかを調べている.その結果,AUHのcrotonoyl-CoA (C4)に対するKM値はenoyl-CoA hydrataseとほぼ同じ値であったが,kcat値はenoyl-CoA hydrataseよりもはるかに小さい値であった.また,enoyl-CoA hydrataseはC4からC16までの長さの脂肪酸鎖をもつenoyl-CoAを基質とすることが知られているが,AUHはC16のenoyl-CoAに対する活性を持っていなかった.論文提出者は,AUHがC16のenoyl-CoAに対する活性を持っていないのは,ポケットの底部が堅い構造をしているために,長い脂肪酸鎖をもつenoyl-CoAを受け入れることができないからであると考察している.

 なお,本論文は,東京大学の横山茂之教授,武藤裕講師,濡木理助手,深井周也君との共同研究であるが,論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

 したがって,博士(理学)の学位を授与できると認める.

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