学位論文要旨



No 116936
著者(漢字) 児玉,有希
著者(英字)
著者(カナ) コダマ,ユキ
標題(和) プログラム細胞死の進行と形態形成に関与する線虫cdl−1遺伝子の機能解析
標題(洋)
報告番号 116936
報告番号 甲16936
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4199号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 飯野,雄一
 東京大学 教授 中村,義一
 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 教授 多羽田,哲也
 東京大学 教授 山本,正幸
内容要旨 要旨を表示する

 本研究ではC. elegans cdl-l (cell death lethal)変異体について解析をおこなった。cdl-l変異体はそもそもプログラム細胞死(アポトーシス)関連変異体として単離されたものである。cdl-1変異体は胚性致死で、その最終表現型において特徴的な形態異常と過剰に蓄積した死細胞が観察される(図1)。

 プログラム細胞死は多細胞生物における組織形成や器官形成、また恒常性の維持等に必須の生理的な過程である。線虫C. elegansはプログラム細胞死の解析において重要な役割を果たしてきた。線虫C.elegansでは胚発生中に多くの細胞がプログラム細胞死を行う。胚発生中に生じた671個の細胞のうち113個がプログラム細胞死で失われる。プログラム細胞死による死細胞はノマルスキ顕微鏡下で平らな円盤状に観察され、隣接する細胞により速やかに取り込まれ分解される。線虫C.elegansにおいてプログラム細胞死は細胞死の決定、実行、死細胞の貪食、分解の4つの段階に分けて考えられている。細胞死の実行過程ではcaspaseのホモログであるced-3等の因子が機能しており、哺乳類まで保存された遺伝学的経路が存在している。

 cdl-1変異体の胚発生の経時的な観察を行った結果、野生型に比べ、プログラム細胞死による死細胞が胚発生初期には少なく、胚発生後期には過剰に観察されることが分かった。胚発生中のそれぞれの死細胞の挙動を追ったところ、cdl-1変異体では全体的に死細胞の出現が遅れ、さらに死細胞が長時間にわたって分解されず残存するという表現型が観察された(図2)。また、咽頭原基の開口部への移動不全、胚発生時の前後軸方向への伸長不全等の特徴的な形態形成不全が観察された。このように死細胞の出現と除去の双方に異常を示し、さらに組織特異的な形態形成不全の表現型を示すようなプログラム細胞死関連変異体はこれまで報告されておらず、cdl-1変異体の解析によりプログラム細胞死の遺伝学的経路に新たな知見を与えることが期待された。

 cdl-1変異について、まず遺伝学的な解析をおこなった。プログラム細胞死がおこらなくなる変異とcdl-1変異の二重変異体を作製したところ、死細胞は観察されなくなるが咽頭や体の伸長に関する形態形成不全また致死性については影響が見られなかった。したがって、cdl-1変異体で観察された死細胞が通常のプログラム細胞死の経路を介して生成されていること、さらに形態形成不全あるいは致死性の表現型については異常なプログラム細胞死過程の進行に依存しないことが確認された。

 続いてcdl-1変異の原因遺伝子をクローニングし、それがstem-loop binding protein(SLBP)ホモログをコードしていることを見いだした。cdl-1遺伝子は367アミノ酸からなるペプチドをコードしており、他生物由来のSLBPと、ヒストンmRNA3'UTRのstem-loop構造と特異的に結合するのに必要な領域について特に高い相同性を示した。

 ヒストンの生合成は、細胞周期にしたがって転写および転写後の2つのレベルで厳密に制御されている。転写量の増加およびmRNAの安定化により、ヒストンmRNAはG1期からS期にかけて25-30倍に増加する。哺乳類の培養細胞の系でヒストン遺伝子の転写活性はG1期とS期の境界で10倍増加する。この転写活性の変化はcyclin E/CDK2のシグナル伝達系を介して引き起こされる。転写後レベルでの発現制御に重要な役割を担っているのがヒストンmRNAの3'UTRに保存されているstem-loop構造である。ヒストンmRNAは後生動物の一般的なmRNAと違ってpoly(A)構造を持たず、かわりに3'UTRに共通のstem-loop構造を持っている。このstem-loop構造がpre-mRNAの3'端のプロセシング、核外移行、翻訳さらにはmRNAの安定性の制御といった転写後の発現制御に必要であると考えられている。stem-loop binding protein(SLBP)/hairpin-binding protein(HBP)はもともとヒストンmRNAの3'UTRのstem-loop構造に結合するタンパク質としてクローニングされたものである。生化学的な解析あるいは遺伝学的な解析からSLBPが前述したヒストンの転写後レベルの発現制御に重要な役割を果たしていることが示唆されている。

 cdl-1遺伝子がSLBPホモログをコードすることから、ヒストンの転写後の発現制御に関与している可能性が考えられた。C.elegansの大部分のコアヒストン遺伝子の3'UTR領域には34bpのstem-loop構造を形成する保存された領域が存在する。そこでCDL-1タンパク質がコアヒストンmRNAに結合してその転写後の発現制御に関わっている可能性を検討するため、yeast three-hybrid systemを用いて解析をおこなったところ、CDL-1タンパク質とコアヒストンmRNAの3'UTRに存在するstem-loop構造が相互作用することが確認された。さらに変異体型のCDL-1タンパク質はstem-loop構造への結合活性が低下していることを見いだした。そこで、コアヒストン遺伝子の発現をRNA干渉法(RNA interference,RNAi)を用いて減少させたところ、cdl-1変異体によく似た表現型が再現された。以上の結果より、CDL-1はコアヒストンmRNAに直接結合することでコアヒストンタンパク質の発現制御に寄与していると考えられた。

 cdl-1遺伝子あるいはコアヒストン遺伝子の機能をRNAi法を用いて破壊した場合、変異体で観察された表現型に加え、初期胚で発生を停止する表現型を示す個体が得られた。これらの初期胚発生停止個体における初期卵割を観察したところ、核分裂時のクロマチン凝縮および分離に異常が確認された。それらでは核分裂の際にクロマチンが十分凝縮せず、分裂した核の間にDNAが橋状に存在していた。cdl-1の機能破壊によりコアヒストンの発現量が減少し、ヌクレオソーム構造が正常に形成されないために、核分裂時のクロマチン構造の制御に異常が生じたものと考えられる。

 クロマチン構造を形成するヌクレオソームは、四種類のコアヒストンタンパク質(H2A,H2B,H3,H4)それぞれ二分子ずつからなるヒストン八量体に、およそ200bpのDNA鎖が会合して形成される。以上の結果から、cdl-1変異体ではコアヒストンの発現が不十分であるためにクロマチン構造が異常となっていると想像される。染色体のクロマチン構造は細胞周期やアポトーシスの進行、あるいは細胞の分化等に応じて大きく変化することが知られている。細胞分裂時にはクロマチンの十分な凝縮が必須である。アポトーシス細胞においてはクロマチン凝縮とヌクレオソームレベルへのDNA断片化が起こる。さらにクロマチン構造は遺伝子の発現制御にも重要な役割を果たしている。最近の研究からクロマチン構造の変化はヒストンタンパク質のリン酸化やアセチル化等の化学修飾により引き起こされているということが分かってきた。プログラム細胞死の際の死細胞の変性過程、特にクロマチン凝縮やDNA分解過程、および形態形成時の遺伝子発現制御等にはクロマチン構造が重要な役割を果たしていると考えられる。cdl-1変異体ではクロマチン構造が異常なためにその構造変換の制御が正常におこなわれず、ゆえにプログラム細胞死や形態形成に異常が観察されたものと考えられる。

図1 cdl-1変異体の最終表現型

A孵化直前の野生型胚およびB cdl-1変異体最終表現型を示した。cdl-1胚では多数の死細胞のほか体の伸長不全および咽頭(pharynx)の形態形成不全が観察された。scale bar=10mm

図2死細胞の残存時間

A野生型、B cdl-1(e2510)。それぞれ1つの胚の中に観察された死細胞について残存時間を示した。横棒それぞれが1つの死細胞に対応し、出現してから見られなくなるまでの時間が示されている。Aの野生型胚では胚が動き出す時点まで観察をおこなった。Bの変異体胚では録画が終了した時点まで観察した。

SLBPとヒストン発現制御

審査要旨 要旨を表示する

 学位申請者児玉有希は、線虫C. elegansのcdl-1(cell death lethal)変異体について解析をおこない、本研究においてその原因遺伝子を突き止めた。cdl-1変異体は胚性致死で、その最終表現型において特徴的な形態異常と過剰に蓄積した死細胞が観察されるものである。

 cdl-1変異体の胚発生につき、詳しい経時的な観察を行った結果、野生型に比べ、プログラム細胞死による死細胞が胚発生初期には少なく、胚発生後期には過剰に観察されることが分かった。胚発生中のそれぞれの死細胞の挙動を追ったところ、cdl-1変異体では全体的に死細胞の出現が遅れ、さらに死細胞が長時間にわたって分解されず残存するという表現型が観察された。また、咽頭原基の開口部への移動不全、胚発生時の前後軸方向への伸長不全等の特徴的な形態形成不全が観察された。このように死細胞の出現と除去の双方に異常を示し、さらに組織特異的な形態形成不全の表現型を示すようなプログラム細胞死関連変異体はこれまで報告されておらず、cdl-1変異体の解析によりプログラム細胞死の遺伝学的経路に新たな知見を与えることが期待された。

 突然変異の遺伝学的マッピングと、ゲノムプロジェクトから推定されたその領域の遺伝子をRNA干渉法で機能破壊することを組み合わせて、学位申請者はcdl-1変異体の原因遺伝子の同定に成功した。その結果、cdl-1遺伝子は、ヒストンmRNAの3'-UTRに存在するstem-loop構造に結合するSLBP(stem-loop binding protein)とよばれるタンパク質のホモログをコードすることが分かった。

 ヒストンの生合成は、細胞周期にしたがって転写および転写後の2つのレベルで厳密に制御されている。転写後レベルでの発現制御に重要な役割を担っているのがヒストンmRNAの3'UTRに保存されているstem-loop構造である。C.elegansの大部分のコアヒストン遺伝子の3'UTR領域には34bpのstem-loop構造を形成する保存された領域が存在する。検討したところ、CDL-1タンパク質とコアヒストンmRNAの3'UTRに存在するstem-loop構造が相互作用することが確認された。そこで、コアヒストン遺伝子の発現をRNA干渉法(RNAi)を用いて減少させたところ、cdl-1変異体によく似た表現型が再現された。以上の結果より、CDL-1はコアヒストンmRNAに直接結合することでコアヒストンタンパク質の発現制御に寄与していると考えられた。

 cdl-1遺伝子あるいはコアヒストン遺伝子の機能をRNAi法を用いて破壊した場合、変異体で観察された表現型に加え、初期胚で発生を停止する表現型を示す個体が得られた。これらの初期胚発生停止個体における初期卵割を観察したところ、核分裂時のクロマチン凝縮および分離に異常が確認された。それらでは核分裂の際にクロマチンが十分凝縮せず、分裂した核の間にDNAが橋状に存在していた。cdl-1の機能破壊によりコアヒストンの発現量が減少し、ヌクレオソーム構造が正常に形成されないために、核分裂時のクロマチン構造の制御に異常が生じたものと考えられる。

 これらの結果から、cdl-1変異体ではコアヒストンの発現が不十分であるためにクロマチン構造が異常となっていると考えられた。染色体のクロマチン構造は細胞周期やアポトーシスの進行、あるいは細胞の分化等に応じて大きく変化する。細胞分裂時にはクロマチンの十分な凝縮が必須である。アポトーシス細胞においてはクロマチン凝縮とヌクレオソームレベルへのDNA断片化が起こる。さらにクロマチン構造は遺伝子の発現制御にも重要な役割を果たしている。cdl-1変異体ではクロマチン構造が異常なためにその構造変換の制御が正常におこなわれず、ゆえにプログラム細胞死や形態形成に異常が観察されたものと考えられた。

 以上、児玉有希は細胞死に異常をきたした線虫変異体の解析からSLBPの遺伝子を同定し、変異体の示す多様な表現型が機能的コアヒストンの減少に起因することを明白に示した。この成果は、細胞死の機構という観点ならびに染色体構造と細胞機能との相関という観点から大事な知見を与えており、学位申請者の業績は博士(理学)の称号を受けるにふさわしいと審査員全員が判定した。なお本論文はJoel H. Rothman、杉本亜砂子、山本正幸との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、児玉有希に博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク