学位論文要旨



No 116940
著者(漢字) 中川,和博
著者(英字)
著者(カナ) ナカガワ,カズヒロ
標題(和) カルパインの活性化に伴う構造変化とその生理的意義
標題(洋)
報告番号 116940
報告番号 甲16940
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4203号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 教授 宮島,篤
 東京大学 教授 豊島,近
 東京大学 助教授 榎森,康文
 東京大学 助教授 反町,洋之
内容要旨 要旨を表示する

 カルパインは細胞質内に存在するCa2+要求性システインプロテアーゼであり、特定の基質タンパク質の限定分解を通じ、細胞の機能、性質を調節するモジュレーター分子である。しかしその詳細は明確でなく、カルパイン分子種として最も報告の数が多いm−、μ−カルパインについても、最重要点である生理的基質や活性化機構についての知見が乏しい。

 in vitroにおいてカルパインは多くの分子を基質とするが、その基質特異性のメカニズムに関しては不明で、生理的基質に関してほとんど知見がない。in vivoにおいてカルパインが多くの分子を同時に基質にすることは、細胞にとって危険であると思われ、基質を選別する機構が存在するはずである。

 活性化機構に関しては、これまで多くの報告が存在し、統一的理解には至ってはいなものの、良く議論されてきた。しかし、基質選別機構に関してはほとんど報告がなく、本研究ではカルパイン基質選別機構を明らかとすることを目的とした。

 m−、μ−カルパインは活性サブユニット(80K; mCL,μCL)と調節サブユニット(30K)のヘテロダイマーから成る。80Kは自己消化を受けるドメインI、システインプロテアーゼ領域であるドメインII、C2ドメイン様構造をしたドメインIII、5つのEF-handモチーフを有するドメインIVから成り、30KはGlyに富んだ疎水性領域であるドメインV、ドメインIVと相同な5EF-hand領域であるドメインVIから成る(図1)。

 カルパインがin vitroで基質を切断するためには、m−カルパインで数百μM、μ−カルパインで数十μMレベルのCa2+濃度を必要とする。これらの濃度は生体内のCa2+濃度に比べると高すぎるため、カルパインの活性化機構の少なくとも一段階目は、そのCa2+要求性を低下させるメカニズムであると考えられている。

 これまで、Ca2+要求性を低下させる活性化機構として、80KN末端の自己消化や両サブユニットの解離等が提案された。しかし、それらが活性化に必要ないとの報告も存在し、活性化との関係は未だ明確でない。

 本研究では、カルパイン活性化に対して自己消化等の必要性が異なっていたのは、用いた基質が報告により異なっていたためである可能性を考えた。つまり、基質によって自己消化の要求性が異なるというモデルを考えたわけである。そこで本研究では、自己消化や解離といった構造変化は、カルパイン活性化機構に関わっているというよりは、むしろ基質選択に関わっているという作業仮説をもとに研究を進めた。

 具体的には、自己消化やサブユニット解離といった構造変化の、カルパイン活性化への必要性を明らかとし、それら構造変化によってプロテアーゼとしての性質が変化するか検討を行った。

 サブユニット解離に関しては、活性中心の変異により活性を失った変異体m−カルパインが、サブユニットに解離しないという報告も存在し、どういった条件下で解離が起こるのか明らかでなかったため、まずサブユニット解離が起こる条件を検討した。

 カルパイン構造変化と、カルパイン活性化機構、また基質選別機構の関係が明らかにならないなか、私たちは共同研究からm−カルパインのCa2+非存在下での結晶構造を明らかとした。このm−カルパインの立体構造から、m−カルパインがCa2+非存在下で活性が存在しないのは、活性中心が形成されていないためであることが示された。活性ドメインが2つのサブドメインに分かれており、活性中心を形成するCysとAsn、Hisが離れていることが明らかとなった。Ca2+存在下では2つのサブドメインが接近し、活性中心を形成すると考えられる。

 また、自己消化を受けるmCLN末端(ドメインI)は、活性中心を覆っているプロドメインとも考えられていたが、そのような位置にはなく30Kと相互作用していることが明らかとなった。ドメインIが30Kと相互作用しているということは、自己消化によるドメインIの切断が、30Kとのヘテロダイマー形成に影響を与えることが予想された。ドメインIの自己消化がサブユニット解離に関係していることが予想されたわけである。

 ドメインIと30Kとの相互作用の詳細をみると、Lys7L(mCLの残基をこのように表記)と30K EF-2のループ領域に存在するAsp154S(30Kの残基をこのように表記)、また、Arg12Lと30K EF-5のα−ヘリックス中のGlu260Sが、それぞれ塩橋を形成していた。m−カルパインの場合、ドメインIの自己消化は第一段階としてAla9LとLys10Lとの間で起こり、第二段階としてGly19LとSer20Lとの間で起こることから、第一段階の自己消化によりLys7Lと30K EF-2との塩橋を失い、第二段階の自己消化によってArg12Lと30K EF-5との塩橋を失うこととなる。そこで、実際にドメインIの自己消化がヘテロダイマー形成、つまりサブユニット解離に影響を与えるかどうかを明らかとするため、自己消化型と同様にドメインI末端を削った自己消化型変異体mCL : Δ9、mCL : Δ19を作成した。更に、上述した塩橋がドメインIと30Kとの相互作用に重要であるかどうかを解析するために、30Kとの塩橋を形成しているアミノ酸残基Lys7L、Arg12Lを電荷のないアミノ酸Leuに置換した、相互作用部位変異体mCL : K7L、mCL : R12L、mCL : K7L : R12Lも作成した。

 まず、活性中心を変異させた不活性型変異体mC105Sについて、サブユニットに解離するか検討したところ、mC105SはCa2+存在下でも解離しないことが確認された。そこで、ドメインIの自己消化が、サブユニット解離に必要であるか明らかとするため、自己消化型変異体の不活性型二重変異体を用いて解析を行った。その結果、mC105S : Δ9は安定にヘテロダイマーを形成し、Ca2+存在下においてもサブユニットに解離しないことが明らかとなった。一方、mC105S : Δ19はCa2+依存的なサブユニット解離は検出されなかったが、Ca2+非存在下においても安定にヘテロダイマーを形成できなかった。また、mC105S : K7LはmC105S : Δ9と同じ結果、mC105S : K7L : R12LはmC105S : Δ19と同じ結果が得られた。以上の結果から、ドメインIと30Kの間の2つの塩橋が、これらドメインの相互作用、更にはヘテロダイマー形成に重要であることが明らかとなった。mC105S : R12Lを用いた場合は興味深い結果が得られ、mC105S : R12LはCa2+依存的にサブユニットに解離した。mC105S : R12Lでは、Lys7Lと30K EF-2との塩橋が残っているが、EF-2にCa2+が結合することによって、Lys7Lと30K EF-2との塩橋が破壊されると考えられる。mC105S : R12Lは、Ca2+存在下では2つの塩橋を失うため、安定にヘテロダイマーを形成できなくなり、サブユニットに解離したと考えられる。一方、EF-5にはCa2+が結合しないため、mC105S : K7LはCa2+存在下においても安定にヘテロダイマーを形成したと考えられる。以上の結果から、m−カルパインはドメインIが19アミノ酸まで自己消化し、2つの塩橋が失われるとサブユニットに解離することが明らかとなった。

 次に、m−カルパインのドメインI変異体の、プロテアーゼ活性発現に必要なCa2+要求性を解析した。その結果、Lys7Lと30K EF-2との塩橋が失われた全ての変異体で、Ca2+要求性が低下していた。しかし、Ca2+依存的にサブユニットに解離する変異体mR12LのCa2+要求性は、野生型m−カルパインと完全に一致した。以上の結果からサブユニット解離は、カルパイン活性化には必要ないことが明らかとなった。

 更に、ドメインIの自己消化や、それに続くサブユニット解離によって、基質への反応性が変化するか明らかとするため、自己消化型変異体や、自己消化部位に変異を導入し切断を抑えた変異体を用いて解析した。その結果、ドメインIの各段階の自己消化や、続くサブユニット解離によって、特定の基質に対する反応性が変化することが明らかとなった。また、ドメインIの2段階の自己消化を共に抑えた変異体においても自己消化活性が存在し、ドメインIの自己消化もカルパイン活性発現には必ずしも必要ないことが明らかとなった。以上の結果から、ドメインIの自己消化やサブユニット解離といった構造変化は、活性発現に必要なく、これらはむしろ特定の基質への反応性を変化させる事が示された。

 カルパインは、自己消化やサブユニット解離等の構造変化だけでなく、酸化によっても活性制御を受けることが明らかとなった。還元剤非存在下でカルパインを精製すると、酸化により特定の基質への活性を失うが、自己消化活性は保持していた。細胞内でカルパインを酸化し得るものとして一酸化窒素(NO)が考えられたが、還元剤存在下でNOを加えても、酸化条件下のカルパインと同じ性質を示した。また、NO存在下では、カルパインによるフォドリン切断は影響を受けないが、PKCの分解は抑制された。以上の結果から、カルパインはNOにより影響を受け、基質が制限されることが示された。

 本研究により、自己消化、サブユニット解離、酸化による構造変化は、カルパイン基質選別機構の一端を担っていることが明らかとなった。in vivoにおいても、カルパインには複数の活性化状態が存在し、これらの構造変化によって基質を選択していると考えられる。

図1 m−、μ−カルパインのドメイン構造

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は全六章からなる。第一章は序論であり、本論文の研究対象であるタンパク質分解酵素カルパインについてのこれまでの知見と、本研究の目的が述べられている。第二章には本論文で用いられた実験材料、第三章には実験方法が記述されている。第四章では本論文の結果が述べられており、カルパインの活性化と自己消化やサブユニット解離といった構造変化の起こる順序を明らかとし、自己消化やサブユニット解離によるプロテアーゼとしての性質の変化について解析が行われている。第五章では本研究の結果をもとに、細胞内におけるカルパインの活性化機構と基質選別機構について考察されている。第六章には、引用された論文が記述されている。

 カルパインはCa2+によって活性化される細胞質内プロテアーゼであり、基質の機能・寿命を調節するモジュレーター分子である。しかしその詳細は明確でなく、カルパイン分子種として最も研究されているm−、μ−カルパインについても、活性化機構についての知見が乏しく、また、基質特異性のメカニズムは不明で、生理的基質に関してもほとんど知見がない。

 m−、μ−カルパインは活性サブユニット(80K)と調節サブユニット(30K)のヘテロダイマーからなり、80K N末端の自己消化や両サブユニットの解離等が活性化機構として提案されていたが、それらが活性化に必要ないとの報告も存在し、活性化との関係は未だ明確でなかった。本論文ではカルパインの活性化と自己消化やサブユニット解離といった構造変化の起こる順序と、自己消化やサブユニット解離によるプロテアーゼとしての性質の変化について解析が行われている。

 カルパインの活性化に伴う構造変化を解析するにあたり、m−カルパインのCa2+非存在下での結晶構造が既に明らかとされていた。このm−カルパインの立体構造から、m−カルパインがCa2+非存在下で活性が存在しないのは、活性中心が形成されていないためであることが示された。活性ドメインが2つのサブドメインに分かれており、活性中心を形成するCysとAsn、Hisが離れていることが明らかとされた。Ca2+存在下では2つのサブドメインが接近し、活性中心を形成すると予想された。また、自己消化を受ける80K N末端(ドメインI)は、30Kと相互作用していることが明らかとされた。ドメインIが30Kと相互作用していることから、自己消化によるドメインIの切断が、30Kとのヘテロダイマー形成、更にはサブユニット解離に影響を与えることが予想された。

 第四章では、ドメインIの自己消化とサブユニット解離、更にはカルパイン活性化との関係を明らかとするため、自己消化型と同様にm−カルパインのドメインIを9アミノ酸残基または19アミノ酸残基欠失させた自己消化型変異体mΔ9、mΔ19と、30Kとの相互作用に重要であると考えられたアミノ酸残基に変異を導入した相互作用部位変異体を作製し、それらの性質を解析している。m−カルパインのCa2+非存在下での結晶構造から、ドメインIのLys7とArg12がそれぞれ、30Kが5つ持つCa2+結合モチーフEF−ハンドに存在するAsp154とGlu260と塩橋を形成していることが示唆されたため、Lys7やArg12をLeuに置換したmK7L、mR12L、mK7L : R12Lを相互作用部位変異体として作製している。

 サブユニット解離に関する解析では、活性中心のCysをSerに置換した不活性型変異との二重変異体を用いて解析を行っている。その結果、mΔ9とmK7Lは安定にヘテロダイマーを形成し、Ca2+存在下でもサブユニットに解離せず、mΔ19とmK7L : R12LはCa2+非存在下においても安定にヘテロダイマーを形成できないことが明らかとなった。m−カルパインはドメインIが19アミノ酸残基まで自己消化し、ドメインIと30K間の塩橋が共に失われると、安定にヘテロダイマーを形成できずサブユニットに解離することが示唆された。また、mR12LはCa2+非存在下では安定にヘテロダイマーを形成したが、Ca2+依存的にサブユニットに解離したことから、ドメインI Lys7と30K EF−ハンド間の塩橋はEF−ハンドにCa2+が結合することで破壊されることが示唆された。

 次に、ドメインIの自己消化やサブユニット解離のカルパイン活性化への関与を明らかとするため、ドメインI変異体のプロテアーゼ活性発現に必要なCa2+要求性を解析している。結果は、mΔ9やmK7Lでは野生型に比べるとCa2+要求性が低下していたが、mΔ19やmK7L : R12LではmΔ9やmK7Lから更なるCa2+要求性の低下は見られなかった。また、Ca2+依存的にサブユニットに解離するmR12LのCa2+要求性は野生型と完全に一致したことから、サブユニット解離によりCa2+要求性は低下せず、サブユニット解離は活性化には関与しないことが示唆された。また、Ca2+要求性が低下する変異体は全てLys7と30Kとの塩橋が失われた変異体であることから、ドメインI Lys7と30Kとの塩橋はm−カルパインの活性中心形成を阻害しており、EF−ハンドにCa2+が結合し塩橋が破壊されることで活性中心形成に関与し、ドメインIの自己消化はm−カルパインの活性化の後に起こることが示唆された。

 ドメインIの自己消化やサブユニット解離が活性化の後に起こることが示唆されたため、これらの構造変化によりプロテアーゼとしての性質が変化するかどうかについて、上記の変異体に加え、自己消化部位に変異を導入しドメインIの自己消化のみを抑えた変異体を用いて解析を行っている。これらの変異体の様々な基質への反応性を比較したところ、特定の基質への反応性が異なっていることが明らかとなった。ドメインIの自己消化やサブユニット解離は、m−カルパインの活性化には必要不可欠でないが、これらの構造変化によってプロテアーゼとしての性質が変化することが示唆された。

 また、カルパインの内在性の阻害因子であるカルパスタチンが、カルパイン活性を阻害する機能とは独立にm−カルパインのサブユニット解離を阻害する機能を有していることを明らかとし、カルパスタチンがカルパインの構造変化を制御することで、細胞内においてカルパインの基質特異性決定に関与するというモデルを提案している。

 第五章では、本研究から得られた知見とこれまでの知見を総合して、カルパインの活性化機構とそれに伴う構造変化、また、細胞内における基質選別機構について考察がなされている。

 なお、本論文の内容は、益本創、反町洋之、鈴木紘一との共同研究であるが、学位申請者である中川和博がその研究を中心的に進めており、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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