学位論文要旨



No 116942
著者(漢字) 平尾(木本),路子
著者(英字)
著者(カナ) ヒラオ(キモト),ミチコ
標題(和) タンパク質間相互作用を制御する核酸分子および非天然型塩基をもつ核酸分子の創製
標題(洋)
報告番号 116942
報告番号 甲16942
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4205号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西郷,薫
 東京大学 助教授 小林,一三
 東京大学 教授 伊庭,英夫
 東京大学 教授 多比良,和誠
 東京大学 教授 横山,茂之
内容要旨 要旨を表示する

 遺伝情報分子である核酸は,生体内で遺伝情報を塩基配列の形で記録するだけでなく,核酸・核酸間,ならびに,核酸・タンパク質間相互作用を介して遺伝情報を複製・伝達することができる.また,核酸は二本鎖構造以外にも多様な高次構造を形成して,生体分子を特異的に認識する機能や核酸分子の切断反応・連結反応等を触媒する酵素としての機能も発揮する.近年確立されたin vitroセレクション法により,新しい機能をもつ核酸分子がこれまでにも多数報告され,人工的に得られた核酸分子を生体分子間相互作用の人為的制御分子として活用することも可能となってきた.

 その制御の対象となる相互作用の一つに,細胞情報伝達におけるタンパク質間相互作用がある.数多くのタンパク質間相互作用によって統合された細胞情報伝達経路において,特定の相互作用のみを人為的に制御することは,特定経路の役割解明につながり,非常に入り組んだ複雑な伝達機構を理解するのに役立つ.そこで本研究では,タンパク質間相互作用を制御する新規核酸分子の創製を目的とし,細胞の増殖・分化を制御する分子スイッチとして機能しているRasタンパク質とその標的タンパク質の一つであるRaf-1キナーゼの相互作用を制御する新規RNA分子の創製に取り組んだ(第I部).

 一方,核酸分子による遺伝情報の複製・伝達を可能としているのは,排他的な塩基対形成(A・T/U, C・G)のルールであり,「遺伝情報分子」としての特性の多くは塩基の性質に起因している.しかし,20種類のアミノ酸からなるタンパク質に比べて,天然の核酸には4種類の塩基(2種類の塩基対)しかないという事実は,核酸分子の化学的・物理的多様性に限界を与えている.もし,既存の塩基対に加えて新たな非天然型塩基対が創製できれば,複製・転写・翻訳のすべての過程における遺伝情報の拡張に直接つながり,また,新規機能性核酸分子の開発への道も開ける.さらに,核酸合成酵素による非天然型塩基対の核酸分子への導入の解析は,今まで天然型塩基だけではわからなかった核酸合成酵素の基質認識機構や核酸生合成の機構に関する新たな知見を得ることも可能とする.そこで本研究では,非天然型塩基が位置選択的に導入された核酸分子の創製を目的とし,既存の塩基対に加えて新たな人工塩基対を組み込み,核酸合成酵素を用いて非天然型塩基を核酸分子へ導入する手法の開発を行った(第II部).

第I部 タンパク質間相互作用を制御する核酸分子の創製

 細胞情報伝達におけるRaf-1・Ras相互作用を選択的に制御する新規RNA分子を創製するため,in vitroセレクション法によりRaf-1のRas結合ドメイン(RBD)に特異的に結合するRNA(アプタマー)を単離した.60残基のランダム配列を含むRNAプールから得られたアプタマーは,Raf-1 RBDとRasの相互作用を阻害することがわかり,ターゲットとしてRaf-1 RBDを用いた本手法が妥当であることが示された.しかし,このアプタマーの阻害能は弱く,Rasに対して大過剰のRNAが阻害に必要となった.そこでセレクション法を一部改良し,新たにデザインした45残基のランダム配列を含むRNAプールから,さらに阻害能の高い二種類のアプタマー(9A, 9B)が得られた(図1).阻害能の高かった9Aは,RasおよびRaf-1を発現させたSf9細胞の膜画分およびHEK293細胞の細胞質画分を用いた無細胞系で,RasによるRaf-1の活性化を強く阻害し(図2),人為的制御分子として機能することがわかった.

 また,9Aは,Raf-1のアイソザイムであるB-RafのRBDに結合するにも関わらず,B-Raf RBDとRasの相互作用は阻害せず,Raf-1・Ras相互作用に対する阻害が特異的であることがわかった(図1).そして,RNaseによる限定分解と化学修飾によるRNAの二次構造解析と9Aを切り詰めたRNAバリアントでの解析結果から,9Aはシュードノット構造を形成することが示唆された(図3).また,化学修飾を用いたフットプリント法によりRaf-1 RBDと相互作用する9Aの領域を調べた結果,特定のループ部分がRaf-1 RBDとの結合表面に位置することが示唆された(図3).

第II部 非天然型塩基をもつ核酸分子の創製

 天然型塩基のAとT,GとCは水素結合を介して互いに排他的な塩基対を形成する.この水素結合が塩基対に重要であることは,これまで当然のように思われていた.ところが,水素結合をなくした疎水性塩基対が大腸菌由来DNAポリメラーゼIのKlenowフラグメント(KF)によってDNA中に取り込まれることが,最近アメリカのグループから報告された.そこで本研究では,新しい塩基対をデザインするための基礎となる概念をつくるために,まず最初に,核酸合成酵素の取り込みにおける塩基対間の水素結合の重要性を調べた.非天然型塩基6-メトキシプリン(M),シュードイソシトシン(PIC),2-アミノプリン(AP)と天然型塩基の組み合わせによる,いろいろな数の水素結合をもつ人工塩基対を用いて,KFによる取り込み反応の速度論的解析を行った.その結果,水素結合の数が多いほど人工塩基対の取り込み効率が高いこと,しかし,対合する塩基同士の形が完全にフィットした(シェイプフィッティングした)場合には,水素結合の数が一つぐらい違うだけでは取り込み効率の差が小さいことがわかった.この結果は,水素結合が塩基対形成に重要であるが,水素結合の数の違いだけで塩基対に選択性を持たせることは難しいことを示していた.

 そこで,天然型塩基対と異なる水素結合様式をもち,さらに立体障害によって天然型塩基との対合を排除できるような塩基対を創出することにした.そして,プリンの6位にかさ高い置換基を導入した2−アミノ−6−ジメチルアミノプリン(x)と2−アミノ−6−チエニルプリン(s),そしてそのかさ高い置換基に相補する部位に水素原子をもったピリドン−2−オン(y)をデザインし(図4),このx・y, s・y塩基対形成をKFによるDNA中への取り込み効率により調べた.その結果,鋳型中のxに対するyの取り込みは低い選択性しか示さなかったが,sに対するyの取り込みの選択性は高く,効率も良いことがわかった.

 またRNA転写においては,xやsを含むDNAを鋳型としてT7RNAポリメラーゼを用いた転写反応により,yを高い選択性で位置選択的に導入できることが示された.そこで本研究では,s・y塩基対を用いて,5位に置換基を導入したyの誘導体をRNA中に位置選択的に導入し,新たな機能をもつRNAの創製に取り組んだ.5位にヨウ素原子をもつ5−ヨード−ピリドン−2−オン(5Iy)は,ハロゲンを置換基にもつピリミジン誘導体と同様の光反応性が期待され,RNA間相互作用,タンパク質・RNA間相互作用の解析等に有用であると考えられる.そこで,本研究で単離されたanti-(Raf-1)アプタマー(RNA9A)に5Iyを位置選択的に導入して,ターゲットタンパク質(Raf-1 RBD)の存在下で架橋反応を行い,この非天然型塩基の有用性を調べた.RNA9A中の5Iyの導入部位として,RNAの高次構造の変化やピリミジンダイマー等の形成を出来る限り避けるため,RBDとの相互作用に重要でないとわかっている3'末端側の領域のうち,プリン塩基に挟まれたC84, C87, A92を選んだ(図3).そして,それぞれの位置に5Iyが選択的に導入された各RNAとN末端にGSTを融合させたRaf-1 RBD(GST-RBD)の存在下で光照射による架橋反応を行った.その結果,84又は87残基に5Iyを含むRNAは,架橋反応によりRNA同士の二量体を形成することがわかった.GSTタンパク質は溶液中で二量体を形成することから,GST-RBDも溶液中で二量体を形成し,RNA 9AがRaf-1 RBDに結合して5Iyを含む配列部分がうまく近接したときに,RNA分子間の架橋反応が進行したと考えられる.この結果は,5IyがRNA間相互作用の解析に利用できることを示唆している.

 さらに本研究では,水素結合をもたないAの類似体である疎水性塩基,9−メチル−1−Hイミダゾ[(4,5)-b]ピリジン(Q)に対して,塩基の形をフィットさせた5員環のピロール−2−アルデヒド(Pa)をデザインした(図4).そして,ピリミジンのケト基の代わりにアルデヒド基を持った塩基PaとQの非天然型塩基対が,KF及びAMV逆転写合成酵素酵素によって認識されてDNA中に取り込まれるかを調べた.その結果,鋳型中のQに対してPaが,また逆に鋳型中のPaに対してQが,それぞれ相補的に効率よく取り込まれることがわかった.そして,Q・Pa塩基対が形成されて取り込まれた後も,効率よく伸長反応が進行することが明らかとなった.この結果から,Paが酵素との相互作用に必要な要素やシェイプフィッティングの要素を満たしていることや疎水性の5員環の塩基も酵素の基質となることがわかり,今後の新規塩基対開発に有用な知見を得ることができた.

図1.Raf-1 RBD(aとb)またはB-Raf RBD(c)とRasの結合に対する各アプタマーの阻害効果.

樹脂に固定化したGST-RBDに,Rasと種々の濃度のRNAを混合し,RBDと結合して樹脂と共沈したRasを抗Ras抗体で検出した.21.01は60残基のランダム配列を含むRNAプールから,9Aと9Bは45残基のランダム配列を含むRNAプールから,それぞれ単離されたアプタマー.T:GTPγS結合型Ras, D:GDP結合型Ras.

図2.無細胞系でのRasによるRaf-1活性化はアプタマーの存在下で阻害される.

0C : Raf-1 RBDに結合しないRNA(コントロール)白棒:Raf-1を発現させたHEK293細胞の細胞質画分のみの場合.黒棒:Raf-1を発現させたHEK293細胞の細胞質画分とRasを発現させたSf9細胞の膜画分をインキュベートした場合.

図3.RNA 9Aの二次構造予測.

45残基のランダム配列部分を大文字で示した.81-100残基部分を削ったRNAバリアントでも,RBDに結合して,Ras・Raf相互作用を阻害する.非天然型塩基51yの導入部位とした部分を矢印(↓)で示した.

図4.非天然型塩基対:x・yとs・yとQ・Pa

審査要旨 要旨を表示する

 本論文では,核酸が遺伝情報分子としての機能に加えて多様な高次構造を形成することでいろいろな機能を発揮することができるという特性に着目し,タンパク質間相互作用を制御する核酸分子および非天然型塩基をもつ核酸分子の創製についてII部形式で論じている.

 第I部では,細胞情報伝達におけるRasとRaf-1キナーゼの相互作用を選択的に制御する新規RNA分子の創製をめざし,Raf-1のRas結合ドメイン(RBD)に結合するアプタマーのin vitroセレクションについて述べられている.60残基のランダム配列を含むプールから得られたアプタマーは,Raf-1 RBD・Ras相互作用を阻害し,ターゲット分子としてRaf-1 RBDを用いた手法が妥当であることが示されている.そして,この結果を元にセレクション法を一部改良し,新たにデザインした45残基のランダム配列を含むプールからさらに阻害能の高い2種類のアプタマー(9Aと9B)を単離し,このアプタマーが無細胞系でRasによるRaf-1活性化を阻害することを明らかにしている.

 阻害能が高かった9Aは,Raf-1のアイソフォームであるB-RafのRBDとRasの相互作用は阻害せず,Raf-1・Ras相互作用に対する阻害が特異的であることが示されている.また,RNaseによる限定分解等の二次構造解析結果から,9Aはシュードノット構造を形成することが示唆されている.化学修飾を用いたフットプリント法からは,9A中の特定のループ部分がRaf-1 RBDとの結合表面に位置することが示唆されている.

 第II部では,天然の核酸には2種類の特異的な塩基対(A・T/U, G・C)だけしか存在せず核酸分子の化学的・物理的多様性に限界があることに言及し,核酸分子のさらなる機能拡張を念頭に,新規人工塩基対の評価及びその塩基対を利用した酵素反応の取り込みによる非天然型塩基をもつ核酸分子の創製について論じている.

 A・T, G・C塩基対の大きな特徴はその塩基対間の水素結合様式にあるが,水素結合が関与しない疎水性塩基対をKlenowフラグメントが取り込むという最近の報告をうけ,種々の水素結合様式をもつ非天然型塩基対のDNA中への取り込み効率を調べ,複製反応における塩基対間の水素結合の重要性の再評価を行っている.その結果,塩基間水素結合がDNAの複製反応における塩基対形成に関与していること,そして水素結合と同様に塩基間のシェイプフィッティングも複製反応において重要な因子であることを明らかにしている.この結果をもとにデザインされた人工塩基対s・yについては,複製反応における塩基対の選択性を調べるためにDNA中への取り込み実験を行い,鋳型中のsに対してyは相補的に取り込まれ,その取り込み効率はどの天然型塩基よりも高いことが示されている.

 RNA合成では,sを含むDNAを鋳型としてT7転写反応を行うことにより,第I部で得られたアプタマー9A中にヨウ素原子を置換基として導入したyの誘導体(5Iy)を位置選択的に導入できることが示されている.そして,5Iyを位置選択的に含む9AとN末端にGSTを融合させたRBDの存在下で光照射による架橋反応を行うことにより,RBDへの結合能を保持したまま9Aの二量体が形成されることが示されている.この結果は,5Iyの導入によりアプタマーに光架橋反応性を付与できることを示しているだけでなく,5Iyを分子間相互作用の解析等に応用できることを示唆している.

 以上の研究において,第I部のin vitroセレクションによるアプタマーの単離,各アプタマーの調製,アプタマーのRas・RBD相互作用に対する阻害実験と無細胞系でのRasによるRaf-1活性化に対する阻害実験,アプタマーの二次構造解析とフットプリンティング解析,第II部の非天然型塩基のDNA中への取り込み反応の速度論的解析,DNAシークエンシングや伸長反応による定性的な解析,人工塩基対s・yを利用したy誘導体(5Iy)のT7転写反応による位置選択的な導入,それらの転写産物の塩基組成分析と光架橋反応は全て論文提出者が主体となって行ったものである.

 なお,本論文第I部は,東京大学の横山茂之教授,坂本健作助手,理化学研究所の白水美香子博士,科学技術振興事業団(JST)の平尾一郎博士,東京工業大学の上代淑人教授,小出寛博士,水谷伸博士との共同研究であり,本論文第II部は,横山茂之教授,平尾一郎博士,JSTの石川正英博士,藤原健志博士,三井雅雄博士,理化学研究所の大槻高史博士,東京医科歯科大学の杉山弘教授との共同研究であるが,論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

 したがって,審査委員会は本論文提出者に博士(理学)の学位を授与できると認める.

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