学位論文要旨



No 116943
著者(漢字) 深井,周也
著者(英字)
著者(カナ) フカイ,シュウヤ
標題(和) 高度好熱菌由来バリルtRNA合成酵素の機能・構造解析
標題(洋)
報告番号 116943
報告番号 甲16943
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4206号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 黒田,玲子
 東京大学 教授 豊島,近
 東京大学 教授 横山,茂之
 東京大学 助教授 堀越,正美
 東京工業大学 助教授 竹中,章郎
内容要旨 要旨を表示する

 アミノアシルtRNA合成酵素(aaRS)は,アミノ酸を対応するtRNAに特異的に結合させる反応(アミノアシル化反応)を触媒する酵素群である.アミノアシル化反応は,アミノ酸とアデノシン3リン酸(ATP)からアミノアシルアデニル酸(aa-AMP)とピロリン酸を生成する反応と,aa-AMPのアミノアシル部分を,tRNAの3'末端のアデノシン(A76)に転移させる反応の二つの反応からなる.aaRSは,各アミノ酸に対応して20種類存在し,触媒ドメインの違いに基づいて,クラスIおよびIIの二つのクラスに大別されている.正確なタンパク質合成は,アミノ酸およびtRNAの二つの基質に対するaaRSの高い特異性によって保証されている.

 aaRSは,アミノ酸結合ポケットへの親和性の差によって,目的のアミノ酸とそれ以外のアミノ酸とを識別する.ところが,大きさの似たアミノ酸同士では,親和性の差が一段階の識別には不充分である.代表的な例は,イソロイシンとバリンであり,その差はCH3基一つである.そのため,イソロイシルtRNA合成酵素(IleRS)のアミノアシル化触媒部位は,本来の基質であるイソロイシンだけでなくバリンも認識してしまい,バリルアデニル酸(Val-AMP)やバリルtRNAIle (Val-tRNAIle)を間違って生成してしまう.しかし,この誤りは,IleRSがVal-AMPおよびVal-tRNAIleだけを,tRNAIleの結合に依存して加水分解することによって訂正される.この校正反応は,「(amino acid) editing」と呼ばれる.アミノアシル化反応における大まかなアミノ酸認識を「目の粗いふるい(coarse sieve)」,校正反応における緻密なアミノ酸認識を「目の細かいふるい(fine sieve)」に例えて,二段階のアミノ酸識別機構は「二重ふるい選択(double-sieve selection)」と呼ばれる.アミノ酸の「二重ふるい選択」は,IleRSと近縁の酵素であるバリルtRNA合成酵素(ValRS)でも行われる.ValRSが校正反応で排除するのは,バリンと大きさが同じであるが,一方のγ位にCH3基ではなくOH基を持つトレオニンである.そのため,ValRSの第二のふるいは,「大きさ」で見分けるふるいではなく,「側鎖の化学的性質(親水性・疎水性)」を見分けるふるいである(図1).

 一方,aaRSは,「アイデンティティー決定因子」と呼ばれる特定のヌクレオチド残基を認識して,tRNAを識別する.tRNAValの主要なアイデンティティー決定因子は,アンチコドン2文字目と3文字目にあたるA35とC36である.本研究では,ValRS・tRNAVal・Val-AMPアナログ三重複合体のX線結晶構造解析を行い,「ValRSによるアミノ酸の二重ふるい選択機構」および「tRNAValの主要アイデンティティー決定因子A35, C36の認識機構」を立体構造に基づいて明らかにした.さらに,ValRSのC末端のcoiled coilドメインとtRNAValのDループ・TΨCループとの相互作用の重要性を示すために,coiled coilドメインとtRNAValの両方について立体構造に基づく変異体解析を行った.

 熱安定で結晶化に有利であり,また横山研究室で早くから研究が進められていたことから,結晶化には高度好熱菌Thermus thermophilusのValRSを用いることにした.まず,T.thermophilus HB8株から精製されたValRSのN末端のアミノ酸配列に基づいて,PCRプライマーを設計し,T.thermophilus ValRS遺伝子断片を含むDNA断片を調製した.そのDNA断片を最初のプローブにして,サザンブロット解析によってT.thermophilus ValRS遺伝子の単離を行った.遺伝子の全塩基配列を決定した結果,T.thermophilus ValRSは862アミノ酸残基からなり分子量は98,774であった.次に,T.thermophilus ValRSの遺伝子を,T7プロモーターを用いた発現ベクターにつなぎ,大腸菌内で大量発現させた.大量発現させたValRSは,熱処理と2段階のカラムクロマトグラフィーにより精製した.一方で,横山研究室の関根により単離されたT.thermophilus tRNAVal(CAC)遺伝子を用いて,T7 RNAポリメラーゼを用いた試験管内転写系を確立し,転写産物をカラムクロマトグラフィーにより精製した.基質存在下および非存在下でT.thermophilus ValRSの結晶化を試みた結果,tRNAVal(CAC)とVal-AMPアナログ(N-[L-valyl]-N'-adenosyldiaminosulfone, Val-AMS)存在下で,良質の結晶を得た.大型放射光施設SPring-8のBL41XUにおける低温(100K)での回折測定では,最高2.5A分解能までの回折を観測することができた.この結晶の空間群はP42212であり,格子定数は,a=b=411.8A, c=81.97Aであった.K2PtCl4およびNaAuCl4誘導体を用いた重原子同形置換法により位相を決定し,30-2.9A分解能の回折を用いてValRS・tRNAVal・Val-AMS複合体の構造を精密化した(Rwork=25.1%, Rfree=28.3%).一方,基質非存在下でもValRSの結晶を得て,SPring-8のBL44XUにおける低温(100K)での回折測定で,4.0A分解能までの回折データを収集した.複合体でのValRSの構造をサーチモデルとして分子置換法による位相決定を行い,ある程度の質の電子密度を得たが,構造の精密化までには至らなかった.

 決定したT.thermophilus ValRS・tRNAVal・Val-AMS複合体の結晶構造(図2)では,Val-AMSは,「第一のふるい」として機能するアミノアシル化ドメインに結合していた.IleRSと比較することによって,イソロイシンに特徴的なδ-CH3の位置する場所に,ValRSではPro残基(Pro41)の側鎖が突き出していて,イソロイシンを排除していることが明らかになった(図3).一方,「第二のふるい」として機能する校正反応ドメインには,tRNAValの3'末端のアデノシンが特異的に認識されていた.IleRSとValRSの校正反応ドメインは,うまく重ね合わせることができ,IleRS・バリン複合体の結晶構造とあわせて,post-transfer editing(aa-tRNAの加水分解)の状態のモデルを構築し,アミノアシル部分が結合するポケットを突き止めた.ValRSでは,アミノアシル部分が結合するポケットは親水性の残基が集まっており,トレオニンに特徴的なOγHを認識していることが強く示唆された(図4).さらに,T.thermophilus IleRSおよびS.aureus IleRS・E.coli tRNAIle・mupirocin複合体の結晶構造との比較から,間違ってtRNAに結合したアミノ酸をアミノアシル化ドメインから校正反応ドメインに運ぶ時に,tRNAの3'アクセプターストランドの構造が変化するだけでなく,その動きに伴って校正反応ドメインの配向が変化することを指摘した.

 tRNAValの認識に関しては,tRNAValのアンチコドンループは大きくほどけてhelix bundleドメインに結合し,A35では6-NH2基とN7原子が,C36では2-CO基,N3原子および4-NH2基が,それぞれ水素結合を介してValRSに認識されていた(図5).helix bundleドメインに続くドメインは,アンチコドンステムのマイナーグルーブ側と相互作用していた.さらに,ValRSに特徴的なC末端の領域は,coiled coilを形成しており,tRNAValのDループとTΨCループの二つのループと相互作用して,二つのループ間の相互作用を安定化していることが考えられた.そこで,まずValRSについて,coiled coilドメインを欠失した変異体(Δ[795-862])と,tRNAValのリン酸基と水素結合している二つのアルギニン残基をアラニン残基に置換した変異体(R818A・R843A)の速度論的解析を行った.R818A・R843A変異体では,tRNAに対するKM値が30倍に上昇したのに対して,Δ[795-862]変異体では,KM値が同様に上昇しただけではなく,kcat値も1/20に低下した.その結果,二つのアルギニン残基が,ValRS・tRNAVal複合体の安定化に寄与していることが明らかとなり,それ以外の部分,特にtRNAValのG19・C56塩基対とvan der Waals相互作用している部分が,例えばCCA末端のアミノアシル化触媒部位でのポジショニングのような,触媒作用に関係する動きに寄与していることが示唆された.また,tRNAValのL字型を壊すように設計した変異体G18U,G19CおよびG18U・G19Cにおいてもアミノアシル化活性の低下が認められ,L字型の維持が活性に必要であることが明らかとなった.特に,G18U・G19C二重変異体のアミノアシル化活性の低下は,ValRSのcoiled coilドメインを欠失した時の活性の低下と同程度であることから,coiled coilドメインがDループとTΨCループのループ間相互作用を安定化していることを支持する結果となった.

図1.ValRSによるアミノ酸の二重ふるい選択機構

図2.T.thermophilus ValRS・tRNAVal(CAC)・Val-AMS複合体の結晶構造

図3.「第一のふるい」として機能するValRSのアミノアシル化触媒部位

図4.「第二のふるい」として機能するValRSの校正反応触媒部位

図5.ValRSによるtRNAValのアンチコドンループの認識

審査要旨 要旨を表示する

 tRNAのアミノアシル化反応は,タンパク質合成の最初の過程であり,各アミノ酸に対応して存在する20種類のアミノアシルtRNA合成酵素(aaRS)によって行われる.aaRSは,基質であるアミノ酸およびtRNAを厳密に識別することによって,正確なタンパク質合成を保証している.

 aaRSは,アミノ酸結合ポケットへの親和性の差によって,アミノ酸を識別する.ところが,大きさの似たアミノ酸同士では,親和性の差が一段階の識別には不充分である.そのため,aaRSのなかには,アミノアシル化反応で誤って生成したアミノアシルアデニル酸,あるいはアミノアシルtRNA (aa-tRNA)を,加水分解によって排除して誤りを訂正する(editing)ものが存在する.アミノアシル化反応とeditingでの二段階のアミノ酸選択は,「二重ふるい」選択と呼ばれる.バリルtRNA合成酵素(ValRS)は,アミノ酸の二重ふるい選択を行うaaRSの一つである.ValRSは,アミノアシル化反応で,バリンとイソロイシンを識別することができるが,同じ大きさのバリンとトレオニンとを識別できない.トレオニンは,editingによって排除される.ValRSと近縁のイソロイシルtRNA合成酵素(IleRS)も,アミノ酸の二重ふるい選択を行う.一方,aaRSは,「アイデンティティー決定因子」と呼ばれる特定のヌクレオチド残基を認識して,tRNAを識別する.tRNAValの主要なアイデンティティー決定因子は,A35とC36である.

 論文提出者は,高度好熱菌ValRS・tRNAVal・Val-AMPアナログ(Val-AMS)複合体のX線結晶構造解析によって,「アミノ酸の二重ふるい選択機構」と「tRNAValの識別機構」の研究を行った.本論文では,その研究の成果が述べられている.

 本論文は4章からなる.第1章は,研究の背景と概要について述べられている.第2章は,ValRS・tRNAVal・Val-AMS複合体の結晶構造決定までの過程について述べられている.論文提出者は,まず,高度好熱菌ValRS遺伝子の単離を行い,大腸菌を用いた大量発現系を構築した後,発現させたValRS組換え体を結晶化に適する純度に精製している.一方で,in vitroでのtRNAValの大量調製系を構築し,tRNAVal転写物を結晶化に適する純度に精製している.次に,結晶化を試み,ValRS・tRNAVal・Val-AMS複合体の結晶を得た後,PtおよびAuを使った重原子同形置換法によって,ValRS・tRNAVal・Val-AMS複合体の結晶構造を2.9A分解能で決定することに成功している.

 第3章は,ValRS・tRNAVal・Val-AMS複合体の結晶構造に基づいて,「アミノ酸の二重ふるい選択機構」と「tRNAValの識別機構」について述べている.決定した結晶構造では,アミノアシル化ドメインにVal-AMSが結合していた.論文提出者は,IleRSと比較することによって,イソロイシンに特徴的なCδ原子の位置に,ValRSではPro残基の側鎖が突き出してイソロイシンを排除することを示している.一方,editingドメインには,tRNAValのA76が結合していた.論文提出者は,IleRS・バリン複合体との重ね合わせを行い,Thr-tRNAValの加水分解の状態のモデルを構築することで,トレオニンとバリンを識別するポケットを同定し,識別機構を示唆している.さらに,IleRSおよびIleRS・tRNAIle複合体との比較から,アミノ酸の二重ふるい選択の際に,tRNAの3'端周辺の構造だけでなく,editingドメインの配向も変化することを指摘している.一方,tRNAの識別機構に関して,helix bundleドメインによるA35とC36の認識機構を明らかにし,さらに,ValRSに特徴的なC末端の領域がcoiled coilを形成しており,tRNAValのDおよびTΨCループと相互作用していることを示している.この結果から,論文提出者は,coiled coilドメインが二つのループ同士の相互作用を安定化している可能性を考え,それを示すためにValRSおよびtRNAVal変異体の反応速度論的解析を行っている.その結果は第4章に述べられている.

 なお,本論文は,東京大学の横山茂之教授,濡木理助手,嶋田睦博士(現・マックスプランク研究所),理研播磨研究所の関根俊一研究員,Dmitry G.Vassylyev副主任研究員,Cubist PharmaceuticalsのJianshi Tao博士との共同研究であるが,論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

 したがって,博士(理学)の学位を授与できると認める.

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