学位論文要旨



No 116946
著者(漢字) 清水,裕子
著者(英字)
著者(カナ) シミズ,ユウコ
標題(和) マカク細胞の加齢に関する研究
標題(洋) Study on in vitro cellular aging among macaques
報告番号 116946
報告番号 甲16946
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4209号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 石田,貴文
 東京大学 教授 平井,百樹
 東京大学 教授 木村,賛
 東京大学 教授 千田,和広
 京都大学 教授 景山,節
内容要旨 要旨を表示する

 ヒト正常線維芽細胞、ヒト正常上皮細胞はin vitroにおいて無限に分裂するわけではなく、一定回数の分裂を行った後、分裂を停止する。この分裂限界は細胞老化あるいはM1期(mortality stage 1)と呼ばれている。様々な研究により、in vivoにおける個体老化とin vitroにおける細胞老化の相関が示唆されており、現在では細胞分裂ごとに短小化する染色体末端部のテロメアが、細胞の分裂回数を数える分裂時計であると考えられている。腫瘍細胞は、テロメアを延長させるテロメラーゼの発現、あるいはALT(alternative lengthening of telomeres)と呼ばれる相同組換えをおこないテロメアを維持することにより、無限増殖能を獲得していることが判明している。また、腫瘍細胞は、癌遺伝子や癌抑制遺伝子などの遺伝子上に変異を蓄積することにより形質転換を起こし、後成的な性質を獲得していることが知られている。しかし、ヒト細胞はin vitroでは細胞老化により分裂を停止し、自然発生的に無限増殖、形質転換に至ることは非常にまれである。これに対し、げっ歯類(マウス、ラット)の細胞はin vitroにおいて高頻度に無限増殖、また形質転換に至るといわれている。ヒトとげっ歯類においては、細胞加齢において異なる点が多々あることから、細胞加齢を制御する機構が異なるとの指摘もある。このため、細胞加齢研究におけるヒトのモデル動物として、げっ歯類は適当ではなく、よりヒトに近縁な動物がモデルとして必要とされている。また、ヒトに至る加齢メカニズムの系統進化を明らかにするために、この2種の差を補完する種の細胞加齢に関する研究が求められている。本研究はヒトに近縁なマカクを材料とし、細胞加齢における細胞変化を明らかにし、マカクのヒトに対するモデル動物としての適正を検討し、細胞寿命とそのメカニズムを進化の観点から論じることを目的とした。

 さまざまな年齢群のマカク(ニホンザル、カニクイザル、ボンネットザル、アカゲザル)から、肺、腎臓、皮膚を採取、材料とし、あわせて35の付着系細胞系列を分裂停止に至るまで培養した。35細胞系列のうち31細胞系列は41代までに、ヒト細胞同様に細胞老化を示し分裂を停止した。31細胞系列全てにおいて、加齢に伴い、細胞の増大、一定面積における細胞数の減少、分裂間隔の伸長、テロメア長の減少がみられた。また、明らかなテロメラーゼ活性は検出されなかった。これらの系列は、M1期で分裂を停止するヒト正常線維芽細胞が示す加齢変化に類似した細胞変化を示した。35細胞系列のうち3系列は、培養途中でいったん細胞老化の様相を示したものの分裂停止には至らず、さらに数十代ほど分裂を続け、最終的に79代から106代で分裂を停止した。これら3系列では加齢に伴うテロメア長の減少がみられ、明らかなテロメラーゼ活性は検出されなかった。これらは、癌遺伝子としての機能を持つsimian virus 40(SV40)のT抗原によりM1期を超え分裂を続け、crisisあるいはM2期(mortality stage 2)まで延命するヒト細胞が示す加齢変化に類似していた。この延命ヒト細胞との類似性により、3つのマカク細胞系列はM1期を超えM2期まで至ったと考えられる。1細胞系列(J3K)は足場依存性の消失、接触性成長阻止の消失など形質転換の様子がみられ、また150代を超え分裂を続けた。この細胞系列は102代以降、明らかなテロメラーゼ活性を示し、それに伴うテロメアの維持が観察された。これらはげっ歯類細胞とヒト腫瘍細胞でみられる特徴に類似していた。

 以上のように、培養した35の付着系細胞系列はさまざまな長さの分裂寿命を示したが、培養過程でみられた細胞学的・分子生物学的変化により3種類のグループに分類された。すなわち、ヒト細胞に類似した加齢変化を示したグループ、SV40による延命ヒト細胞に類似した加齢変化を示したグループ、げっ歯類細胞・ヒト腫瘍細胞に類似した特徴を示したグループである。マカク細胞は、2つの分裂限界(M1期、M2期)を示したことから、ヒト細胞に類似した特性を持つことが示唆されるが、一方でヒト細胞に比べ分裂限界を超えやすくまた形質転換を示すものが得られたことから、げっ歯類細胞に類似した特性をも持つことが示唆された。この研究により、マカク細胞は総体としてヒト細胞とげっ歯類細胞の中間的性質を有することが判明した。

 次にM1期を超え延命したマカク細胞系列に注目し、M1期を超えるための分子背景について検索した。ヒトの線維芽細胞では、M1期における分裂停止にはp53タンパク質が関係していると考えられている。ほとんどのヒトの腫瘍ではp53遺伝子上に異常がみつかっており、またp53遺伝子は腫瘍細胞でもっとも頻繁に異常がみつかる遺伝子でもある。p53タンパク質の本来の機能は、異常がおきた細胞を細胞周期の主にG1期で停止させ、細胞修復、あるいは細胞死へ向かわせることである。2つのマカクの延命細胞系列(EM2L、F21S)でp53遺伝子について解析した。EM2Lでは、p53cDNAのコード領域に1塩基置換によるストップコドンの導入がみつかった。この1塩基置換は、DNA上でも確認された。RFLP解析により、このストップコドンは、培養過程で細胞に導入されたものであることがわかった。野生型の遺伝子は培養途中から検出されず、このことからヘテロ接合性の消失が予想された。培養初期にはヘテロ接合性で検出されるp53遺伝子内の1塩基多型が、培養後期には一方の塩基は検出されないことから、ヘテロ接合性の消失は確認された。これにより、EM2L細胞では、培養途中で1塩基置換によるストップコドン導入とヘテロ接合性の消失を起こし、p53機能を喪失したことが示唆された。もう一方のF21S系列では、p53cDNAのコード領域に12塩基欠失がみつかった。この欠失は培養過程で導入されたものであった。DNA上で確認したところ、12塩基欠失はみつからず、1塩基置換が明らかとなった。このcDNA上とDNA上でみつかった異常の不一致は、DNA上の本来のスプライスドナーサイトであるイントロン7の開始位置より12塩基上流に、1塩基置換により新たなスプライスドナーサイトが創出され、スプライス異常が起き、cDNA上では12塩基欠失が起きたと考えることで説明できる。さらに、培養後期において、DNA上では変異型と野生型のヘテロ接合性として検出されるのに対し、cDNA上では野生型が検出されないことから一方の対立遺伝子ではサイレンシングが起きている可能性が示唆された。DNA上ではヘテロ接合性で検出されるp53遺伝子内の1塩基多型が、cDNA上においては一方の塩基は検出されないことから、一方の対立遺伝子のサイレンシングは確認された。F21S細胞系列では、4アミノ酸欠失とサイレンシングにより、p53機能を喪失したと考えられる。

 M1期を超えM2期まで至った2つの細胞系列において、培養過程でのp53機能喪失の導入がみつかったということは、マカクにおいても、ヒト同様、p53がM1機構へ強く関与していることが示唆された。あるげっ歯類細胞はp53機能喪失により無限増殖能を獲得するが、ヒト細胞はp53機能喪失によりM1期を超えるがM2期で分裂限界を迎えるということがわかっており、マカク細胞にはヒト細胞に類似した性質を有するものが存在することが明らかとなった。

 他の34系列とは異なる様相を示す細胞系列、J3K、の性質について詳細に検索した。この細胞系列は、接触性成長阻止、足場依存性といった付着系細胞にみられる本来の性質を失っており、形質転換の様相を示した。また、現在でも分裂を続けており(450代以上)、不死化細胞であるとみなされる。これまでに報告されている旧世界ザルの樹立細胞株は、SV40、またはSV40のT抗原が関与したものであるが、J3KにSV40のT抗原の存在は確認されなかったため、この系列はSV40とは無関係に不死化したと考えられる。ヒト細胞の場合、細胞の種類により分裂限界が異なるといわれている。ヒト正常線維芽細胞では、自然発生的にM1期を超えることはないが、ヒト正常上皮細胞では自然発生的に後成的な変化を起こしM1期を超えることがある。マカクにおいても、細胞の種類により分裂限界が異なるのかどうかを明らかにするためにJ3K細胞の種類を同定した。J3K細胞では、線維芽細胞のマーカーであるプロリン水酸化酵素は検出されなかったが、上皮細胞のマーカーであるサイトケラチン18が検出された。よってこの細胞系列は上皮細胞の特徴を有していることが明らかとなった。マカク細胞においてもヒト細胞同様に、上皮細胞は後成的な変化により分裂限界を超えることが示唆された。

 以上より、マカク細胞はヒト細胞より分裂限界を超えやすいが、げっ歯類細胞より分裂限界における制御が厳しいことが明らかとなった。一方で、個体寿命が長い動物細胞ほど、分裂を厳しく制御していると考えられ、げっ歯類細胞と異なり、ヒト同様に2つの分裂限界(M1期、M2期)を示したマカク細胞は、ヒトのモデル動物としてより適当であることが示唆された。また、自然発生的に分裂限界を超え、異なる分裂寿命を示す細胞系列が得られるということから、マカク細胞は同一生物を用いた分裂限界の比較研究を可能とし、研究材料として適しているといえる。マカク細胞は加齢研究、さらには癌研究のよい材料となることが示された。

審査要旨 要旨を表示する

 個体としての老化・寿命は、生物界で幅広く見られる現象であるが、細胞レベルでの老化、それに引き続いて起こる分裂停止は、共通して見られる現象とはいえない。例えば、ヒトと同じ哺乳類に分類されるげっ歯類は、その扱いやすさから、生物学・医学など多分野でヒトに対するモデル実験動物として用いられ、詳しく研究されているが、in vitroでの細胞の加齢においてはヒトと異なる面をもつ。ヒト細胞の加齢モデルとなり得る動物が現在求められている所以である。また、哺乳類の中ではヒトとげっ歯類以外の種における細胞加齢についての知見は非常に少なく、げっ歯類とヒトの間を補完する生物における研究は重要であり、必要とされている。これらの問題点を解決するために、ヒトと同じ霊長類のマカクを対象とし、in vitroでの細胞加齢を研究したのが本論文である。

 本論文は4章から構成されている。第1章で研究全体の背景の説明と位置づけがなされている。第2章は、さまざまな年齢群のマカク(ニホンザル、カニクイザル、ボンネットザル、アカゲザル)から、肺、腎臓、皮膚を採取、材料とし、あわせて35の付着系細胞系列を分裂停止に至るまで培養し経時的に細胞の特徴を調べている。培養した35の付着系細胞系列はさまざまな長さの分裂寿命を示したが、培養過程でみられた細胞学的・分子生物学的変化により3種類のグループに分類されることが示された。すなわち、ヒト細胞に類似した加齢変化を示したグループ、SV40による延命ヒト細胞に類似した加齢変化を示したグループ、げっ歯類細胞・ヒト腫瘍細胞に類似した特徴を示したグループである。マカク細胞は、2つの分裂限界(M1期、M2期)を示したことから、ヒト細胞に類似した特性を持つことが示唆されるが、一方でヒト細胞に比べ分裂限界を超えやすくまた形質転換を示すものが得られたことから、げっ歯類細胞に類似した特性をも持つことが示唆された。この研究により、マカク細胞は総体としてヒト細胞とげっ歯類細胞の中間的性質を有することが判明したことは高く評価される。

 第3章では、第2章の成果をもとに、M1期を超え延命したマカク細胞2系列に注目し、M1期を超えるための分子背景について検索している。ヒトの線維芽細胞では、M1期における分裂停止にはp53タンパク質が関係していると考えられている。1系列では、培養途中でp53遺伝子に1塩基置換によるストップコドン導入と、ヘテロ接合性の消失を起こし、p53機能を喪失したことが示唆された。もう一方の系列では、1塩基置換によりスプライス異常が起き4アミノ酸の欠失が起きたこと、また正常型遺伝子はサイレンシングを受け、細胞のp53機能が喪失していることを示唆した。M1期を超えM2期まで至った2つの細胞系列において、培養過程でのp53機能喪失の導入がみつかったということは、マカクにおいても、ヒト同様、p53がM1機構へ強く関与していることが示唆され、マカク細胞にはヒト細胞に類似した性質を有するものが存在することを示した。

 第4章では、他の細胞系列とは異なる様相を示す1細胞系列の性質について詳細に検索している。この細胞系列は、接触性成長阻止、足場依存性といった付着系細胞にみられる本来の性質を失っており、形質転換の様相を示し、現在でも分裂を続けている不死化細胞とみなされるものである。これまでに報告されている旧世界ザルの樹立細胞株は、SV40、またはSV40のT抗原が関与したものであるが、この系列はSV40の関与が無いことを示した。ヒト細胞の場合、細胞の種類により分裂限界が異なるといわれており、マカクにおいても、細胞の種類により分裂限界が異なるのかを検討するために細胞の種類を同定した。この細胞は上皮細胞の特徴を有し、マカク細胞においてもヒト細胞同様に、上皮細胞は後成的な変化により分裂限界を超えることを示した。

 以上より、本論文では、マカク細胞のin vitroでの加齢パタンをまず把握し、その成果をもとに背景となる分子基盤・細胞特性について詳細な検討を加え多くの知見をもたらした。また、自然発生的に分裂限界を超え、異なる分裂寿命を示す細胞系列を得たことは、マカク細胞が同一生物を用いた分裂限界の比較研究を可能とし、加齢研究、さらには癌研究へ多大な貢献をするものと考えられ、マカク細胞のヒトのモデルとしての有用性を示したことは高く評価できるものである。

 本論文の第2章は、鈴木樹理・寺尾恵治・石田貴文との、3・4章は石田貴文との共著であるが、石田は指導教員として、鈴木・寺尾は材料提供者としてであり、本論文の実験・解析は論文提出者が終始主体となっておこないその論文への寄与は十分と判断される。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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