学位論文要旨



No 116960
著者(漢字) 林,真人
著者(英字)
著者(カナ) ハヤシ,マサヒト
標題(和) 電気穿孔法によるクラミドモナス生細胞への外来蛋白質の導入 : 鞭毛蛋白質動態研究への応用
標題(洋) Delivery of exogenous proteins into live Chlamydomonas cells by electroporation : application for studying protein dynamics in the flagellum
報告番号 116960
報告番号 甲16960
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4223号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 神谷,律
 東京大学 教授 森澤,正昭
 東京大学 助教授 広野,雅文
 東京大学 助教授 奥野,誠
 東京大学 助教授 上村,慎治
内容要旨 要旨を表示する

 真核生物の鞭毛・繊毛は非常に複雑な構造を持つ細胞運動器官である。その内部構造である軸糸は、ほとんどの生物において2本の中心微小管を9本の周辺対微小管が取り囲む「9+2」と呼ばれる構造を持つ。周辺微小管上には外腕ダイニン、内腕ダイニン、スポークなどの蛋白質複合体が周期的に結合している。内腕・外腕ダイニンはATP加水分解エネルギーを利用して隣り合う周辺微小管の間に滑り運動を引き起こす。この滑り運動が鞭毛・繊毛の周期的な屈曲運動の原動力となる。軸糸の構造と機能に関する知見の多くは、単細胞の緑藻クラミドモナスを用いた研究を通して得られた。クラミドモナスは突然変異体が得やすく、軸糸蛋白質の欠失突然変異株が数多くとられている。また、形質転換実験を行うことができるため、ジーンタギング法やBACクローン・ライブラリーを用いた変異相補実験によって、いくつかの重要な軸糸蛋白質の同定がなされてきた。クラミドモナスにおいては、外腕ダイニンは約10種の蛋白質からなる1種類の蛋白質複合体であるが、内腕ダイニンは7種類の複合体として存在する。そのうち6種類の内腕ダイニンはアクチンを軽鎖として持ち、さらにそのうち3種類はp28、残りの3種類はセントリンと呼ばれる蛋白質を軽鎖として持つことが分かっている。しかし、これらの軽鎖が内腕ダイニンにおいて果たす役割については全く明らかにされていない。この問題に対するアプローチの一つとして、ダイニン複合体内の正常な軽鎖蛋白質を人為的に機能を改変したものと置き換えてその効果を調べるという研究が考えられる。しかし、クラミドモナスではクラミドモナス由来のゲノムDNAで形質転換することは出来ても、cDNAや他の生物由来のゲノムDNAを導入して発現する方法は確立されていない。また、クラミドモナスの細胞は直径10μm以下と小さく、マイクロインジェクション法を用いて物質を導入することも事実上不可能である。そこで本研究では電気穿孔法を用いてクラミドモナスの細胞質中に蛋白質を直接導入する方法の開発を試みた。

 第1部では、アクチンが内腕ダイニンにおいて果たす役割を明らかにするための第一歩として、アクチン欠損変異株ida5の細胞中にウサギ骨格筋アクチンを導入することによってida5の変異形質が回復するかどうかを確かめる実験を行った。ida5はアクチンをコードする遺伝子に変異を持つために、アクチン蛋白質を全く発現していない。そのために、軸糸上から内腕ダイニンの一部を欠失しており、低下した運動性を示す。一方、外腕ダイニン欠失突然変異株oda1も低下した運動性を示す。しかし、これらの変異を併せ持つ二重変異株ida5oda1の鞭毛は全く運動性を示さない。このida5oda1の細胞中に電気穿孔法を用いてウサギ骨格筋アクチンを導入したところ、導入後2-4時間で最大20%の細胞が運動性を回復した。回復の効率は印加するパルスの電圧、溶液中のアクチンの濃度、細胞に加わる電場の向きに依存した。泳ぎ出した細胞の運動性はoda1と全く同じであったので、アクチンが導入されたida5変異は完全に回復したものと結論された。この回復は導入されたアクチンが内腕複合体に組み込まれることによって、欠失していた内腕が軸糸上に結合できるようになったことによると考えられる。そこで、アクチンが実際に軸糸内に導入されていることを確認するために、蛍光標識したアクチンを用いた実験を行ったところ、運動性を回復した細胞の鞭毛は蛍光を示し、その分布は軸糸上の内腕の局在と一致した。除膜した軸糸でも同様の局在を示すことから、導入されたアクチンが確かに軸糸中に組み込まれていることが分かった。以上の結果から、電気穿孔法がクラミドモナス細胞中への蛋白質導入法として有効であること、および、ウサギ骨格筋アクチンがクラミドモナス細胞内で内腕ダイニン軽鎖としての機能を果たしうることが明らかとなった。

 第2部では、第1部で開発した方法の応用として、まず組換え蛋白質の導入法の確立を試みた。そのために大腸菌で発現させた組換えp28(以下rp28)をクラミドモナスのp28欠失突然変異株ida4の細胞内に導入する事によってida4変異を回復できるかどうかを確認する実験を行なった。rp28は第1部でアクチンの導入に用いた溶液中では不溶性であったため、実験条件の再検討を行った。その結果、軸糸や軸糸蛋白質の研究に広く用いられている溶液とよく似た組成の溶液を用いることによって、効率よく蛋白質が導入できることが明らかとなった。この際、溶液中に1mM程度のCa2+が含まれていることが細胞の生存率を高め、効率よく物質導入を行うために重要であった。この溶液を用いてrp28をida4oda6(全く運動性を持たない)細胞中に導入したところ、導入後2-3時間で最大25%の細胞がoda6と同程度の運動性を示すようになった。蛍光標識したrp28(以下rp28*)を用いて実験を行ったところ、rp28*の蛍光は軸糸上に確認されたが、それだけでなくしばしば基底小体においても観察された。これは鞭毛内に輸送される直前の内腕ダイニンの局在を示していると考えられる。これらの結果から、rp28*は内腕ダイニン軽鎖としての活性を保持していると考えられ、軸糸内へのダイニン内腕の輸送過程を直視する研究に有効であると結論できる。

 第3部では本方法のもう一つの応用として、軸糸構成蛋白質の交換過程の観察を試みた。鞭毛・繊毛は複雑で規則的な軸糸構造を持ち、常に一定の長さを保ちつつ屈曲運動を続けているため、物質交換のない安定した構造である考えがちである。しかし、最近の研究によって、鞭毛の長さが一定である定常期であってもチューブリンやダイニン重鎖をはじめ多くの鞭毛構成蛋白質が頻繁に交換されていることが明らかになってきた。特にダイニンは鞭毛運動による力学的ストレスに常に曝されているため、定期的な交換が必要なのだと考えられる。しかし、どの種類のダイニンがどの程度の頻度で交換されているのかは明らかではない。この点を明らかにするために、蛍光アクチンを取り込ませた軸糸に収束させたレーザー光を照射して蛍光を部分的に退色させ、その回復を観察する実験を行った。その結果、ダイニン軽鎖であるアクチンが常に交換されているという直接的な証拠を得ることが出来た。アクチン交換の半減期は約160分であった。これは内腕ダイニンが常に交換されていることを示唆している。

 以上に示したように、本研究で開発した方法によって様々な物質をクラミドモナスの生細胞中に導入する道が開けた。アクチンはこれまでに最も良く研究された細胞骨格蛋白質のひとつであり、化学修飾を用いた人為的な機能改変法について多くの蓄積がある。これらの方法と本法とを組み合わせることによって、アクチンのどのような性質がダイニン軽鎖としての機能するために重要であるかを明らかにすることができると期待される。また、組換え蛋白質の活性を検定することが可能になったことは、軸糸蛋白質の機能部位の特定に威力を発揮すると考えられる。さらに、蛍光標識した蛋白質を導入して、その蛍光退色回復過程を解析する方法は、鞭毛の構造形成・構造維持の動的メカニズムを研究する上で重要な方法となるにちがいない。

審査要旨 要旨を表示する

 真核生物の鞭毛繊毛は,その形成機構,動作機構ともに,多くのことが未解明で残されている.本論文では,鞭毛・繊毛の動態研究の新たな方法として,緑藻クラミドモナスの細胞中に電気穿孔法を用いて外来蛋白質を直接導入する方法が有効であることを示すとともに,その応用について論じたものである.

 クラミドモナスでは鞭毛構造に異常を持つ突然変異株が多数単離され、遺伝学的・分子生物学的実験方法を用いて,重要な軸糸蛋白質が同定されてきた。鞭毛の機能と構造の研究にとって,この生物は無くてはならない存在であると言える.しかし、クラミドモナスではcDNAから蛋白質を発現させること困難であり,さらに細胞体が小さくマイクロインジェクション法によって蛋白質を導入することもできないという,重要な制約がある.このことにより,構造を改変した蛋白質を細胞内に導入してその機能を調べるという研究を行うことが,この生物ではむずかしい.外部から細胞内に蛋白質を導入することが容易にできるようになれば,この生物を用いた鞭毛運動の研究は更に発展すると思われる.そこで本研究では,これまでDNAの導入に用いられてきた電気穿孔法を蛋白質の導入に用いる可能性を検討し,実際,それが有効であることを示した.

 本論文は三部からなる。

 まず第一部では,アクチン欠損変異株ida5の細胞中にウサギ骨格筋アクチンを導入する実験を行った。ida5はダイニン内腕のサブユニットであるアクチンを全く発現していないために、内腕ダイニンの一部を欠失しており、運動性が低下している。この細胞中に電気穿孔法を用いてウサギ骨格筋アクチンを導入したところ、導入後2-4時間で最大20%の細胞が運動性を回復した。さらに,蛍光ラベルしたアクチンを導入すると、鞭毛軸糸は蛍光を示した。これらのことから、電気穿孔法がクラミドモナス細胞中への蛋白質導入法として有効であること、および、ウサギ骨格筋アクチンがクラミドモナス細胞内で内腕ダイニン軽鎖としての機能を果たしうることが明らかとなった。

 第二部では,低イオン強度溶液を用いた第一部の実験条件を改良し,生理的塩濃度の溶液条件下で組換え蛋白質を導入する方法を確立した。ダイニン内腕の軽鎖p28を大腸菌で発現させ,それを欠損した変異株ida4に導入して、変異を回復させることに成功した。蛍光ラベルしたp28を導入すると、蛍光は軸糸に局在したが,しばしば基底小体においても観察された。これは鞭毛内に輸送される直前の内腕ダイニンの局在を示していると考えられる。これらの結果から、本法は組み換え蛋白質の機能の検定と,軸糸内へのダイニン内腕の輸送過程を直視する研究に有効であることが示された。

 第三部では本法のもう一つの応用として、軸糸蛋白質の動的な交換過程の観察が試みられた。最近の研究により、鞭毛内の多くの蛋白質は,鞭毛が完全長の状態で保持されている間も,頻繁に交換されていることが,明らかになってきた。しかし、その交換過程が直接観察されたことは無く,交換の様式など,不明のことが多く残されていた。そこで本研究では,蛍光アクチンを取り込ませた鞭毛の蛍光を部分的に退色させ、その回復を観察することによってアクチンの交換過程を直接観察する試みを行った.その結果,アクチンは160分でその半分が交換するという結果が得られた.またこの観察から,軸糸内のチューブリンは先端で重合して基部で脱重合するという"トレッドミリング"説は否定された.

 以上のように,本研究はクラミドモナスにおける革新的な研究法を開発したものである.特に鞭毛研究においては,構造形成・構造維持の動的メカニズムの研究に威力を発揮するものと考えられる.その方法を提示し,基礎的実験を記述した本論文は,博士学位論文としての十分な内容を持つものである.なお,論文の第1部は広野雅文氏、神谷律氏との共同研究、第2部は柳澤春明氏、広野雅文氏、神谷律氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験および解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって,申請者に博士(理学)の学位を授与できると認める。

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