学位論文要旨



No 116963
著者(漢字) 村山,英未
著者(英字)
著者(カナ) ムラヤマ,エミ
標題(和) サケ科魚類における耳石形成の分子機構
標題(洋) Studies on molecular mechanism of otolith formation in salmonids
報告番号 116963
報告番号 甲16963
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4226号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長澤,寛道
 東京大学 教授 森澤,正昭
 東京大学 教授 武田,洋幸
 東京大学 教授 竹井,祥郎
 東京大学 助教授 渡邉,俊樹
内容要旨 要旨を表示する

 魚類の内耳小嚢に存在する耳石は、炭酸カルシウムを主成分とする硬組織であり、骨や歯と同じく生体内で作られるバイオミネラルの一例である。耳石は日々成長することが知られ、その結果として日周輪と呼ばれるリングを形成する。また、骨のように成長と吸収を繰り返す例とは異なり、非常に保存性の高い組織であることから、耳石は水産学の分野において魚類の日齢査定や履歴情報解析などに幅広く用いられてきた。このように有効利用されているにも関わらず、耳石の形成過程に焦点を当てた研究例は数少ない。

 耳石には、主成分の炭酸カルシウムの他に微量の有機物が含まれており、これが耳石形成に重要な役割を果たしていると示唆されてきた。しかしながら、これまでに行われてきた耳石における生化学的研究は、アミノ酸組成の解析や可溶性タンパク質の混合物を扱ったものなどが殆どであった。これでは個々のタンパク質がどのような一次構造をしているのか、またどのように耳石形成に関与するのか、という疑問を解くことは難しい。本研究の目的は、耳石に含まれる基質タンパク質を単離し、その構造および機能を明らかにすることによって、最終的には耳石形成の分子機構を解明することである。

 そこで、まず第1部、第2部において耳石を構成する二つの主要な基質タンパク質、OMP-1 (otolith matrix protein-1)およびotolin-1の全一次構造の決定ならびに発現解析を行い、第3部では、免疫組織化学的手法を用いて、耳石および内耳小嚢におけるこれら二つの基質タンパク質の局在を明らかにした。また、耳石が最初に出現する時期に焦点を当て、胚を用いた観察も同時に行った。最後に第4部では、耳石基質タンパク質の機能を包括的に把握するためにin vitroにおける機能解析を行った。

耳石基質タンパク質のキャラクタリゼーション(第1部、第2部)

 材料としてサケ科魚類に属するニジマスOncorhynchus mykissおよびシロサケO. ketaの耳石を用いた。耳石をEDTA溶液で脱灰すると、可溶性および不溶性の成分に分けることができる。後者は無色透明のゲル状物質で脱灰前の耳石の形をほぼ完全に保つことが特徴である。

 EDTA可溶性基質タンパク質の主要成分は分子質量約55kDaの糖タンパク質であり、OMP-1, otolith matrix protein-1と命名した。OMP-1はヒトのメラノトランスフェリン(メラノーマ細胞の表面に存在する鉄輸送タンパク質)のC末端側半分の領域と約40%の相同性を有することがわかった。また存在位置は異なるものの、両者ともに亜鉛結合モチーフを有していた。耳石、すなわち、炭酸カルシウムからなる硬組織から得られたOMP-1において、カルシウムではなく鉄または亜鉛と結合する可能性が示唆されたことは非常に興味深い。また、発現解析の結果からOMP-1 mRNAは小嚢特異的に発現しており、さらにその発現レベルは一日を通してほぼ一定であることがわかった。このことは、日周輪の形成、つまり有機物の沈着リズムを考える際にOMP-1がその制御因子である可能性は低いこと示唆している。

 一方、EDTA不溶性のゲル状物質を両性界面活性剤であるCHAPSを用いて可溶化したところ、分子質量約100kDaのコラーゲン様タンパク質の抽出に成功した。otolin-1と名付けたこのタンパク質は、meshwork-formimg collagenに分類されるタイプVIIIおよびXコラーゲンのC末端側非コラーゲン領域と非常に高い相同性を有していた。もしotolin-1が、これらタイプVIIIおよびXコラーゲンと類似の性質を有しているならば、otolin-1は3次元の編み目構造を形成することにより耳石の枠組みを形成する可能性が予想される。タイプVIIIおよびXコラーゲンは基底膜や成長軟骨に存在するコラーゲンであり、耳石のような高度に石灰化した硬組織において確認されたという報告はこれまでなされていない。また、コラーゲンは骨や歯を構成する主要なマトリックス分子であることが知られているが、これらは両者ともにリン酸カルシウムから構成されるものであり、炭酸カルシウムからなる硬組織においてコラーゲン様タンパク質が同定されたのは本研究が初めての例である。また、コラーゲンは動物の体を構成する主要な構造タンパク質である。しかしながら、otolin-1 mRNAの発現は主要なコラーゲン性組織である表皮や鱗においても認められず、小嚢においてのみ確認されたことから、otolin-1は内耳小嚢という限られた組織においてのみ存在するコラーゲン様タンパク質であることが示唆された。

OMP-1およびotolin-1の局在(第3部)

 OMP-1およびotolin-1の耳石内における微細分布を把握することは、両タンパク質の機能を推測する上で非常に重要である。そこでOMP-1およびotolin-1にそれぞれ特異的な抗体を用いて免疫組織化学を行った。その結果、OMP-1は小嚢の扁平上皮細胞に最も多く存在することがわかった。扁平上皮細胞は耳石のanti-sulcus面に位置しており、この部分の成長は遅いといわれている。一方、耳石内における反応は均一ではなかったが、日周輪に沿った免疫反応が認られる部分も存在した。また、otolin-1は感覚細胞の端に位置する限られた細胞のみに存在することがわかった。この部分は耳石の成長速度の最も早い部分に面している(図1)。つまり、otolin-1が積極的に耳石に沈着することによって新しい枠組みが提供され石灰化が促進される可能性が示唆される。

 また、魚類の耳石は発生学的に最も初期に形成される硬組織であることが知られている。胚における耳石形成の始まりはゲル状の有機物であるとされ、この有機物が結晶形成のテンプレートになると考えられる。そこで、このテンプレートに成りうる物質の同定を行うために胚を用いた免疫組織化学を行った。10℃の飼育水でニジマス卵を発生させたところ、受精後13-14で耳胞が形成され、その直後、つまり受精後14-15日において実体顕微鏡下で耳石核の存在が確認された。この時期既に、OMP-1およびotolin-1は耳石核に存在していることがわかった。発生が進むにつれ、耳石核は成長し、受精後17日目には耳石核の中心部において両抗体に反応しない部分を有する耳石核も数多く見られた。この結果は核の中心部においてOMP-1およびotolin-1以外の有機物の存在を示唆するものであるが、もう一方で、免疫反応を妨害する物質、つまり炭酸カルシウム結晶の存在も否定できない。今後、免疫電顕などを用いたより詳細な解析が必要とされる。

in vitroにおけるOMP-1およびotolin-1の機能の推定(第4部)

 耳石は炭酸カルシウムからなる硬組織であるゆえに、そこに含まれるタンパク質の機能としてはカルシウム結合能が期待される。しかしながら、OMP-1を含むEDTA可溶性基質タンパク質の構成成分は非変性条件下においてもカルシウム結合能を有していないことがわかった。これに対し、otolin-1を主成分とするEDTA不溶性のゲル状物質はカルシウムを結合することが示唆された。実際、otolin-1と相同性を有するタイプXコラーゲンはカルシウム結合能を有することが報告されている。これらのことから、耳石形成におけるotolin-1の役割は、枠組みを形成して結晶形成の場を提供し、かつ結晶形成に必要とされるカルシウムイオンを引き寄せることであると推測することが可能かもしれない。

 また、炭酸カルシウム結晶の沈殿を阻害する抗石灰化実験の結果から、OMP-1は石灰化阻害の方向に働くことが強く示唆された。このことは免疫組織化学によって得られた結果とも矛盾しないものである。このようにOMP-1およびotolin-1はそれぞれ相反する機能を持ち、これらが互いに調節しあうことによって石灰化速度が制御されているのかもしれない。

 さらに、耳石基質タンパク質がin vitroにおいて炭酸カルシウムの結晶形態を変化させることがわかった。有機物の存在しない状態の炭酸カルシウムの飽和溶液からは、菱面体形をした側面の滑らかな結晶が得られる。これに対して、EDTA不溶性成分を結晶形成のテンプレートとして加えた場合、若干角のとれた結晶が多数認められた。最も大きな形態変化はEDTA可溶性成分および不溶性成分が同時に存在した場合に認められた。角は完全に消失し、襞のよった布のような形態を示す例が多く確認された。これらのことは、複数の有機物が結晶形態に影響を与え得ることを示唆している。今後は単なる炭酸カルシウム飽和溶液を用いるのではなく、人工内リンパ液の利用など、反応溶液の組成なども考慮に入れて検討を行う必要がある。

 以上に示した一連の結果から、耳石はコラーゲン性のタンパク質をテンプレートにして石灰化が行われること、また耳石には石灰化を抑制する方向に働くOMP-1と促進する方向に働くと推測されるotolin-1が共存し、これらは互いに影響しあいながら石灰化を制御している、と考えられる。本研究は個々のタンパク質に対する具体的な機能解析を行うまでには至らなかったが、今後、より詳細な耳石タンパク質の機能解析や耳石の周辺環境を作っている内リンパ液を含めた網羅的研究などを行うことにより、耳石形成の分子機構の解明により近づけるものと期待している。

図1)耳石形成における基質タンパク質の関与。

OMP-1は耳石のanti-sulcus面(滑面)側に位置する扁平上皮細胞(SqE)で合成された後、内リンパ液中に分泌され耳石に沈着する。一方、otolin-1は耳石内において最も成長速度の速いsulcus面(凹凸面)側付近の限られた細胞群においてのみ合成され、分泌されたのち耳石および耳石膜のゼラチン層(GL)に沈着する。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は7章から成る。

 第1章では,これまでの耳石研究に関する情報をまとめ,本研究の背景を詳しく述べている。魚類の内耳小嚢に存在する耳石は,炭酸カルシウムを主成分とする硬組織であり,平衡感覚や聴覚を担う重要な組織である。耳石は日々成長し,日周輪と呼ばれる輪を形成し,生息環境をそのまま耳石に取り込むことから,魚類の日齢査定や履歴解析等に利用されてきた。耳石には,炭酸カルシウム結晶の他に微量の有機物を含み,これが結晶化および結晶成長を制御していると考えられてきたが,その有機物の構造は不明であった。論文提出者はこの有機物の実体を明らかにすることによって分子レベルで耳石形成のメカニズムに迫ろうとした。

 第2章では,ニジマスおよびシロサケを用いて,耳石をEDTAで脱灰した脱灰液中の主要なタンパク質(見かけの分子質量約55kDa, otolith matrix protein-1, OMP-1と命名)を電気泳動によって精製し,アミノ末端配列解析および酵素消化断片の配列を解析することによって複数の内部部分配列を得ている。これらの配列を基にプライマーを設計し,PCRによって増幅したcDNA断片を用いてcDNAライブラリーをスクリニーニングすることによってOMP-1のcDNAをクローニングすることに成功した。塩基配列からこのcDNAは344アミノ酸からなるタンパクをコードしており,3ヵ所にN結合型糖鎖付加共通配列を有していることがわかった。実際,エンドグリコシダーゼでこのタンパク質を消化すると分子質量が約10kDa減少したことから,糖鎖が付加しているものと考えられた。ホモロジー検索の結果,このタンパク質はヒトのメラノトランスフェリンと約40%の相同性があることがわかった。ノーザンブロット解析の結果,このタンパク質の遺伝子は耳石小嚢に限って発現していたが,その発現には1日を通して明確な日周性は認められなかった。

 第3章では,耳石の脱灰した残りのゲル状不溶物から界面活性剤で可溶化された主要なタンパク成分(見かけの分子質量約100kDa, otolin-1と命名)について,部分アミノ酸配列情報からcDNAをクローニングし,演繹アミノ酸配列を提出した。otolin-1は分子中央部にコラーゲン様の配列を有し,既知のタイプVIIIおよびタイプXコラーゲンに類似していることがわかった。したがって,otolin-1は耳石中で網目構造を形成し,耳石の枠組み形成に重要な役割を果たしていることが推定された。

 第4章では,OMP-1およびotolin-1の組織内,耳石内局在性を調べるための道具として,それぞれに対する抗体を作製するために,組み換え体を作製してその抗原とした。組み換え体は大腸菌および酵母の発現系を利用した。発現タンパクを精製した後,ウサギに免疫し,ポリクローン抗体を作製した。

 第5章では,第4章で作製した抗体を用いて,免疫染色によって両タンパク質の局在性を調べた。その結果,OMP-1は主に耳石小嚢の偏平上皮細胞で,otolin-1は感覚細胞の周辺の限られた細胞でのみ合成されていると推定された。また,いずれのタンパク質も耳石内に不均一に存在し,ある部分では日周輪に一致すると考えられる分布も見られた。さらに胚の時期の耳石形成の開始時点での両タンパク質の存在を調べた結果,両タンパク質とも極めて初期の時期から存在しており,耳石形成の核形成および結晶粒の融合,結晶成長に関わっていることが示唆された。

 第6章では,両タンパク質を含む有機基質の機能をin vitro結晶形成実験を用いて解析した。その結果,不溶物にはカルシウム結合能が,OMP-1には結晶形成阻害活性が認められ,また耳石有機基質存在下ではいびつな形をした結晶ができることがわかった。これらの結果はいずれも有機基質が結晶形成に深く関わっていることを示唆した。

 第7章では,本論文で得られた結果を基に耳石形成のメカニズムを考察している。本研究によってはじめて,2つの分子プローブを用いて耳石形成のメカニズムの一端が明らかになった。耳石研究における方法論の開発,特に分子レベルでの解析を可能にした功績は大きいと評価できる。

 なお,本論文第2章−第6章は大平剛,奥野敦朗,都木靖彰,長澤寛道との共同研究あり,また第6章の一部はDr. Mark I. GreeneおよびDr. James G. Davisとの共同研究であるが,すべてにわたって論文提出者が主体となって分析および解析を行なったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって,博士(理学)の学位を授与できると認める。

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