学位論文要旨



No 116964
著者(漢字) 安彦,行人
著者(英字)
著者(カナ) ヤスヒコ,ユクト
標題(和) 左右非対称性の形成に関わる遺伝子invのアフリカツメガエル胚における機能
標題(洋) Functions of inv (inversion of embryonic turning), the Gene Involved in the Establishment of Left-right Asymmetry of Vertebrates, in Xenopus Embryos
報告番号 116964
報告番号 甲16964
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4227号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 浅島,誠
 東京大学 教授 守,隆夫
 東京大学 教授 神谷,律
 東京大学 教授 武田,洋幸
 東京大学 教授 久保,健雄
内容要旨 要旨を表示する

 脊椎動物の体は外見的には左右相称であるが、体内の器官の形態、配置には左右非対称性が見られる。近年、nodalなど、発生過程において胚の左右で異なる発現を示し、左右非対称な形態形成に関わる遺伝子が数多く発見されてきている。しかしながら、これらの遺伝子の左右非対称な発現をもたらす最初期の機構はいまだ解明されていない。また現在までに明らかになった左右非対称性形成の初期過程には、生物種間で様々な違いがあることも知られている。左右非対称性の形成において、背腹軸、前後軸の形成と同じく生物種を超えて保存された機構が存在するのかは興味のある課題である。

 マウスinv変異体は、ホモ接合体のほぼ100%で内臓逆位が観察され、nodalなどの遺伝子発現部位も左から右へと逆転することが知られている。このことからinv遺伝子は、左右非対称な発現を示す遺伝子群の上流で働くことが示唆される。マウスinv変異の原因遺伝子invはすでにクローニングされているが、その機能は不明である。遺伝子の左右非対称な発現をもたらす機構を解明するうえで、inv遺伝子産物の上流/下流の分子的仕組みを明らかにすることは有効な戦略のひとつと考えられる。またマウスinv変異体においては、左右非対称性の逆転に加えて腎臓に嚢胞が生じて腎機能が阻害されることも知られており、inv遺伝子産物の機能や左右非対称性形成の初期過程とのかかわりを考える上で興味深い。

 すでにマウスおよびヒトにおいてinv遺伝子がクローニングされているが、私はアフリカツメガエルのinv関連遺伝子をクローニングした。得られたアフリカツメガエルinv遺伝子の塩基配列をもとにmorpholino oligonucleotideを合成し、そのmicroinjectionによる機能阻害実験を行った。また、アフリカツメガエル初期胚に対しinv mRNAのmicroinjectionを行い、invの下流で働く分子的仕組みを明らかにすることを試みた。さらに、Yeast two hybrid screeningおよびGel overlay assayにより、Invタンパク質にcalmodulinが結合することを示し、Invタンパク質の活性がcalmodulinを経由してCa2+により制御されていることを示唆する結果を得た。

 アフリカツメガエルcDNAライブラリーから、2種類のinv関連遺伝子(Xinv-1, Xinv-2)を単離した(Chapter I)。アフリカツメガエルinv(Xinv)とマウスinvの推定アミノ酸配列を比較した結果、15個のアンキリンリピートと呼ばれるmotifに加え数カ所、相同性の高い領域が見出された。これらのうち2ケ所は、IQ motifと呼ばれるcalmodulin結合配列に約70%のsimilarityを持ち、calmodulin結合に必須とされるイソロイシン−グルタミン(IQ)配列も保存されていた。さらに、mouse Invタンパク質を用いて、これらの領域が実際にcalmodulinとの結合活性を持つことをYeast two hybrid assay、Gel overlay assayにより確認した(Capter IV)。さらに、IQ motifに隣接して塩基性のアミノ酸残基、疎水性アミノ酸残基が集合した領域が種を超えて保存されていることが判明したが、この領域の生物学的な機能は現在のところ不明である。

 RT-PCRによる解析の結果、アフリカツメガエル初期胚においてXinv-1 mRNAは受精卵からすでに存在し、発生過程で大きな量的変動なく存在し続けることが示された。また、Whole mount in situ hybridizationにより、Xinv mRNAは卵割期から孵化にいたるまで、Xnr-1(nodalのアフリカツメガエルホモログ)などと異なり左右に均等に発現していることが観察された。これらの結果はマウスinvで既に得られていた結果と矛盾しない。また、RT-PCRによる解析ではXinv-2の発現はXinv-1に比べて非常に弱いことが示唆された。

 近年アフリカツメガエルにおいて、morpholino antisense oligonucleotideを用いて遺伝子特異的な翻訳阻害が可能であることが示されている。私はXinv-1、Xinv-2の3'非翻訳領域に相補な配列を持つmorpholino oligonucleotideをアフリカツメガエル2細胞期胚に注入した(Chapter II)。その結果、注入胚は外見上正常に発生し孵化するものの、遊泳オタマジャクシ期に至って頭部および胴部に浮腫を生じ、大きく膨らんだ外見を呈した。これらの胚の血流は正常であり、浮腫は水分の排出に関わる循環器系、おそらく腎臓の異常によるものと推定された。光学および電子顕微鏡による切片の観察の結果、Xinv morpholino注入胚の腎臓細胞中には、正常胚では見られない未消化の卵黄顆粒が大量に残存していた。このことから、細胞が正常に分化を完了できず、腎細胞が機能していないことが示唆された。以上の結果はマウスinv変異体で腎臓形成に異常が見られることと一致し、アフリカツメガエルにおいてもXinv遺伝子産物が腎臓の形成に関与していることを示唆する。

 しかし、Xinv morpholino注入胚においては、マウスinv変異体に見られる左右非対称性の逆転はほとんど見られなかった。アフリカツメガエルにおいてXinvが母性因子として存在することを考慮すると、左右非対称性の形成という早期の過程には卵内に蓄積されたXinvタンパク質が主に利用され、新たに合成されるXinvタンパク質は主に腎臓形成など、後期の発生過程で働く可能性が示唆される。

 Xinv遺伝子のクローニングおよび機能阻害実験と並行して、主にマウスinvを用いて、Invタンパク質の過剰発現がアフリカツメガエルの発生におよぼす影響を調べた。マウスinv cDNAからin vitro転写により合成したmRNAをアフリカツメガエル2細胞期胚に微量注入したところ、将来の右側となる割球に注入を受けた胚は左右が形態的に、また遺伝子発現パターンにおいてもrandomになることを見出した(Chapter III)。この効果はC末端側のIQ motif(IQ2)を欠損させると失われた(Chapter IV)。これに対し、アフリカツメガエルのinv関連遺伝子(Xinv)から合成したmRNAを、アフリカツメガエル初期胚に注入しても左右のrandomizeは見られなかった(Chapter III)。しかしIQ motifを改変したXinv mRNAは、アフリカツメガエル2細胞期胚への注入により、マウスinv mRNAと同じく左右のrandomizeを引き起こした(Chapter IV)。

 以上の結果は、inv遺伝子がアフリカツメガエルにおいても保存されており、Nodal関連遺伝子等の上流に位置して左右非対称性の形成の最初期の機構に関わることを示唆する。また、Invタンパク質の活性制御にcalmodulinの結合が関与していることが推測される。

 過去の研究において、遺伝子の左右非対称な発現に先立つ左右非対称性形成の初期過程には、細胞骨格やイオンチャンネル、ギャップ結合を介した物質移動、繊毛運動など、細胞生物学的な現象が関わっていることを示す様々な所見が集積されている。しかしこれらの所見には、生物種を超えて一貫して観察されるものはなく、現在までのところ断片的な記載に留まっている。今回、inv遺伝子が種を超えて保存されており、かつ腎細胞の形成と左右非対称性の形成の両方に関わっていることが示唆された。今後、invのさらなる解析が、左右非対称性形成の初期過程に関わる過去の知見を相互に関連づけ、カルシウムシグナル、細胞内輸送など細胞生物学的な現象と、左右非対称性の形成という個体レベルのパターン形成との関係を明らかにすることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は4章からなり、第一章はツメガエルのinv(Xinv)の遺伝子のクローニングとその発現パターン、第二章はXinvのアンチセンスのモルフォリーノオリゴを使っての機能阻害実験、第三章はマウスのinvの過剰発現によって生じるツメガエル胚の左右非対称性の効果、第四章はinvの蛋白質がカルモジュリンに結合することについて述べられている。脊椎動物の体は外見的には左右相称であるが、体内の器官の形態、配置には左右非対称性が見られる。これらの遺伝子の左右非対称な発現をもたらす最初期の機構はいまだ解明されていない。その中にあってマウスinv変異体は、ホモ接合体のほぼ100%で内臓逆位が観察され、nodalなどの遺伝子発現部位も左から右へと逆転することが知られている。このことからinv遺伝子は、左右非対称な発現を示す遺伝子群の上流で働くことが示唆される。すでにマウスおよびヒトにおいてinv遺伝子がクローニングされているが、安彦氏はアフリカツメガエルのinv関連遺伝子をクローニングした。アフリカツメガエルcDNAライブラリーから、2種類のinv関連遺伝子(Xinv-1,Xinv-2)を単離した。アフリカツメガエルinv(Xinv)とマウスinvのアミノ酸配列を比較した結果、15個のアンキリンリピートと呼ばれるモチーフに加え数カ所、相同性の高い領域が見出された。これらのうち2ケ所は、IQモチーフと呼ばれるカルモジュリン結合配列に約70%の相同性を持ち、カルモジュリン結合に必須とされるイソロイシン−グルタミン(IQ)配列も保存されていることを明らかにした。更にRT-PCRによる解析の結果、アフリカツメガエル初期胚においてXinv-1 mRNAは受精卵からすでに存在し、発生過程で大きな量的変動なく存在し続けることが示された。また、Whole mount in situ hybridizationにより、Xinv mRNAは卵割期から孵化にいたるまで、Xnr-1などと異なり左右に均等に発現していることが観察された。次にmorpholino antisense oligonucleotideを用いてXinv-1、Xinv-2の遺伝子特異的な翻訳阻害を行った。morpholino oligonucleotideをアフリカツメガエル2細胞期胚に注入した。その結果、注入胚は外見上正常に発生し孵化するものの、遊泳オタマジャクシ期に至って頭部および胴部に浮腫を生じ、大きく膨らんだ外見を呈した。光学および電子顕微鏡による切片の観察の結果、Xinv morpholino注入胚の腎臓細胞中には、正常胚では見られない未消化の卵黄顆粒が大量に残存していた。このことから、細胞が正常に分化を完了できず、腎細胞が機能していないことが示唆された。更にXinv遺伝子のクローニングおよび機能阻害実験と並行して、主にマウスinvを用いて、Invタンパク質の過剰発現がアフリカツメガエルの発生におよぼす影響を調べた。マウスinv cDNAからin vitro転写により合成したmRNAをアフリカツメガエル2細胞期胚に微量注入したところ、将来の右側となる割球に注入を受けた胚は左右が形態的に、また遺伝子発現パターンにおいてもランダムになることを見出した。この効果はC末端側のIQモチーフ(IQ2)を欠損させると失われた。これに対し、アフリカツメガエルのinv関連遺伝子(Xinv)から合成したmRNAを、アフリカツメガエル初期胚に注入しても左右の逆転は見られなかった。しかしIQモチーフを改変したXinv mRNAは、アフリカツメガエル2細胞期胚への注入により、マウスinv mRNAと同じく左右の逆転を引き起こした。

以上の結果は、inv遺伝子がアフリカツメガエルにおいても保存されており、Nodal関連遺伝子等の上流に位置して左右非対称性の形成の最初期の機構に関わることを示しており、このInvタンパク質の活性の制御にカルモジュリンの結合が関与していることを初めて明らかにした意義は大きい。このように安彦氏はツメガエルで初めてinv遺伝子のクローニングと解析に成功し、それらをマウスのinv遺伝子と比較するなどしてinv遺伝子の新しい機能ドメインを見つけた。またこのinv遺伝子がカルモジュリン結合に関与していることを示した。

 なお、この本論文は今井文康氏ら5名との共同研究であるが、論文提出者が主体となってツメガエルのinvのクローニングと解析、マウスinvの機能解析を行い、更にinvタンパク質の活性制御にカルモジュリン結合があることを見いだしたもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると思われる。

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