学位論文要旨



No 116965
著者(漢字) 房安,貴弘
著者(英字)
著者(カナ) フサヤス,タカヒロ
標題(和) 116965f01.GIF=318GeVにおけるe±p荷電流深非弾性散乱の研究
標題(洋) Study of Charged-Current e±p Deep Inelastic Scattering at 116965f01.GIF=318 GeV
報告番号 116965
報告番号 甲16965
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4228号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 駒宮,幸男
 東京大学 教授 蓑輪,眞
 東京大学 助教授 榎本,良治
 高エネルギー加速器研究機構 助教授 永江,知文
 東京大学 教授 福島,正己
内容要旨 要旨を表示する

 レプトン・ビームを標的に照射し,散乱されたレプトンのエネルギーや角度分布を測定することで,標的の構造を知ることができる。特に,標的の核子が壊れるような高エネルギーの実験を深非弾性散乱と呼び,核子の構造を調べるのに用いられる。HERAは,世界初の電子・陽子衝突型加速器である。運動量移行の自乗Q2は,約100,000 GeV2まで達することができる。これは,不確定性原理により,〓程度の位置分解能に相当する。本研究では,1998-2000年のZEUSデータを用いて,深非弾性散乱のうち,特に荷電流反応〓について,散乱断面積の測定を行った。重心系エネルギー〓は318 GeVであり,積算ルミノシティーは,e-pデータが16.41 pb-1,e+pデータが60.80 pb-1であった。測定はQ2>200 GeV2の領域に対して行った。

 荷電流深非弾性散乱の断面積は,次のように表せる:

ここで,GFはフェルミ定数,MWはW±ボソンの質量,xはBjorken変数,yは非弾性度,Y±=1±(1−y)2,FiW±(i=2,3,L)は弱相互作用における陽子の構造関数である。クォーク・パートン・モデル(QPM)では,構造関数はパートン密度関数(PDF)によって表せ,従って断面積は次のように書くことができる:

即ち,e-p衝突ではuクォークが,e+p衝突ではdクォークが主に寄与しており,両者の断面積は大きく異なる。

 荷電流反応においては,終状態レプトンはニュートリノであり,本実験では検出することができない。そのため,運動量変数は全て,終状態ハドロンを用いて計算される。事象の選別においては,ニュートリノによる大きな運動量欠損(〓T)があることが,鍵となる。これに加え,中性流反応等のep衝突からのバックグラウンドや,宇宙線ミューオン等のep衝突以外のバックグラウンドの除去を行った。特に,e-p衝突では,e+p衝突の場合よりもビーム・ガス反応事象の影響が大きくなるため、その効率良い除去のために,新たな方法を導入した。図1(a),(b)は,軌跡検出器を用いて測定したNtrk(トラックの数)とNgoodtrk(衝突点を通り,PT>0.2 GeV,15°<θ<164°であるトラックの数。θは陽子入射方向からの天頂角。)との平面上での分布である。ハドロン系の散乱角度(γ0)が0.4 rad.より大きく,〓T<30 GeVである事象に対してプロットした。また,ビーム・ガスが多くなるように,〓T等のカットを緩めてある。(a)データと(b)CCモンテカルロとの比較から,図の右下の領域,すなわちNtrkが大きくNgoodtrkが小さい領域にバックグラウンドがあることが分かり,実線で示されるようなカットを加えた。(c)は,この平面上でのカット線までの距離である。左側((a),(b)の右下側に対応)にバックグラウンドのピークが見られ,右方まで広がっている様子が分かる。(d)では,この図上でのカット以外の全てのカットが加えられており,縦線で示されるトラッキング・カットが妥当であることが分かる。荷電流反応を選別するための全てのカットを加えた後,655のe-p事象と1463のe+p事象が残った。

 選別された事象を用いて,微分断面積dσ/dQ2,dσ/dx,dσ/dy及び二階微分断面積d2σ/dxdQ2,そして積算断面積の測定を行った。図2にdσ/dQ2の測定結果を示す。e-p(e+p)衝突における統計誤差は20%(10%)以下である。系統的誤差は,e-p衝突の場合は低いQ2において最大約40%で,主な要因はビーム・ガス事象に対するトラッキングカットである。e+p衝突の場合は,高いQ2で最大約35%で,エネルギー・スケールの不定性,及びパートン・シャワーの理論不定性が,主な要因である。両断面積とも,以前よりも高精度な結果を得ることができた。また,測定結果は標準理論による予測値と一致した。図に見られるように,e-p衝突の断面積はe+p衝突よりも大きく,高いQ2ほど,その差は広がっている。これは,陽子中のuクォークがdクォークよりも多いことと,dクォーク分布に対してヘリシティー要素(1−y)2が掛かっているためである。

 ここで,5桁にも及ぶ断面積のQ2依存性には,(1)式に見られるように,MWの大きさが関与している。従って,MWを自由パラメータとして理論曲線を測定値にフィットすることで,MWの値を得ることができる。e-p及びe+pの両データを用いて得られた結果は,MW=78.85±1.43(stat)+1.34-1.57(syst)+1.57-1.49(pdf)GeVであり,LEP及びTevatronによるsチャンネル測定の結果と一致する。

 また,構造関数F2Wを〓と定義すると,これは二階微分断面積(1)式を用いて,次式のように得ることができる:

ここでΔ(xF3,FL)は,xF3及びFLに関する補正項で,理論計算値を用いる。得られたF2Wを,より低いQ2におけるv-Fe実験であるCCFRの測定値と比較し,Q2発展の連続性を確認した。

 次に,荷電流反応のサンプルを用いて,標準理論の枠を越える現象の探索を行った。HERAでは,電子とクォークに結合する共鳴状態として,スカラーまたはベクターのボソンを生成できる可能性がある。このような共鳴状態を探索するには,終状態のニュートリノとジェットとの不変質量を測定し,その分布にピークが無いか調べれば良い。本研究では,ニュートリノの運動量は,ハドロン系の運動量から再構成する。得られた質量分布には,標準理論の予測と比較して,有意な超過は見られなかった。そこで,スカラー及びベクターの共鳴状態に対してそれぞれ,生成断面積の上限値を計算した。

 HERAでのeq共鳴状態を記述する理論の一つとして,レプトクォーク(LQ)がある。レプトクォークは14種類考えられているが,その内,vq状態に崩壊できるものはS0L,S1L(スカラー)そしてV0L,V1L(ベクター)の4種類である。S0LとS1L,V0LとV1Lは,それぞれ同じ生成・崩壊モードと同じ結合定数を持つので,ここではS0L,V0Lの2種類について,結合定数の上限値を求めた。狭共鳴幅近似(NWA)を用いるとLQ生成断面積は次の式で表される:

ここでJはレプトクォークのスピン,λは結合定数,q(x0,M2LQ)はx0=M2LQ/s及びQ2=M2LQにおいて得られるクォーク密度である。MLQはレプトクォークの質量を示す。先に得た断面積の上限値から,(5)式を用いて,結合定数の上限値を得る。図3にS0Lの結果を示す。e-p衝突ではuクォークに結合できるのに対し,e+p衝突ではuへの結合であるため,e-p衝突からの結果の方が低い上限値を与えている。LEPやTevatronからの結果と比較すると,204<MLQ<290 GeVにおいて,本研究から新しい上限値を得られたことになる。

図1:(a)データ及び(b)CCモンテカルロに対する,γ0>0.4,〓T<30 GeVでの,Ntrk対Ngoodtrkの分布。ビーム・ガスが多くなるように,カットを緩めてある。実線はこの平面上でのカット。(c)カットの線までの距離。(d)この図上でのカット以外の全てのカットを加えた後,(c)を再プロットしたもの。

図2:荷電流深非弾性散乱の断面積dσ/dQ2の測定結果。

黒丸はe-pデータ,白丸はe+pデータ。曲線はCTEQ5DをPDFに用いて計算した標準理論の値。

図3:vqおよびvq終状態から得られたSL0の結合定数に対する95%C.L.上限値。塗り潰された部分が本研究により排除された領域である。比較の為に,LEPおよびTevatronからの結果と,〓の値を示してある。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は10章からなり、第1章はIntroduction、第2章はDeepinelastic Scattering at HERA、第3章はExperimental Devices、第4章はEvent Simulation、第5章はReconstruction of Kinematic Variables、第6章はSelection of CC DIS Events、第7章はCross Section Measurement、第8章はCross Section Results、第9章はDiscussions based on the CC Sample、について述べられている。第10章には結論が述べられている。

 電子または陽電子を標的である陽子に衝突させ、高エネルギーでの陽子の構造を知ることができる。ドイツ電子シンクロトロン研究所(DESY)のHERAは電子または陽電子と陽子の世界で唯一の衝突型加速器(コライダー)である。ここでは通常の固定標的実験に比べて運動量移行が何桁も大きな事象を観測することが出来、陽子の構造関数をこの領域で測定し、高エネルギー陽子内部でのクォークやグルーオンの運動量分布を知ることが出来る。衝突エネルギーが非常に高く運動量移行がHERAよりも一層高いLHCなどでの実験の予測をする上でこのデータは極めて重要である。ここでの国際協同実験ZEUSで、論文提出者は荷電流深非弾性散乱の測定を行なった。

 荷電流深非弾性散乱はWボゾンが媒介する過程なので、通常の光子が媒介する深非弾性散乱と比べて稀な事象である。又、終状態に散乱電子または陽電子を含まず、ニュートリノがでるので終状態粒子の測定から事象の再構成をすることが難しい。特に陽子ビームの方向近くの測定器が覆っていないビームパイプの領域に多くの粒子が逃げていることが考えられる。これらの困難を避けるために、論文提出者はJacquet-Blondelの方法と呼ばれるビーム方向に逃げた粒子の持っていった運動量に寄らない事象の再構成を行なった。中性深非弾性散乱は終状態に散乱された電子または陽電子を含むのでDouble Angle Methodと呼ばれる事象最構成の方法がより有効である。論文提出者は中性深非弾性散乱事象を用いてJacquet-Blondelの方法をDouble Angle Methodと比較してその有効性を評価した。

 e-p衝突の方がe+p衝突よりも電子軌道に正イオンが溜り安いのでビームと残留イオンの衝突から来るバックグラウンドが大きい。論文提出者は、これらのバックグラウンド事象を除去するために、様々な工夫を凝らし、かつ残ったバックグラウンド事象数の評価を行なって、荷電流深非弾性散乱の構造関数の測定がこれらのバックグラウンドに寄らないことを示した。

 これらを踏まえて、荷電流深非弾性散乱の微分断面積(dσ/dx、dσ/dQ2)および構造関数F2W(x,Q2)を今だかつてない大きな運動量移行の領域(Q2〓3×104 GeV2)において精度良く測定した。測定されたQ2分布は、Wボゾンが媒介する場合の予想と良くあっており、分布をフィットしてWボゾンの質量を導出すると、LEPで精密に測られた値と良く一致している。

 更に、大統一理論などでその存在が予言されるLepto-quarkがe-pまたはe+p衝突で生成され、ニュートリノとクォークに崩壊する事象の探索を行なった。これらの事象は荷電流深非弾性散乱事象と非常に似ている。探索の結果、Lepto-quark生成と考えられる事象を発見することは出来なかったが、Lepto-quarkの生成断面積の上限を求め、その結合定数の上限を求めた。

 論文提出者はデータ解析ばかりでなく、ZEUS実験に2000年に搭載されたシリコン・バーテックス検出器のADCモジュールの開発を行った。アナログで転送されてくる信号を処理するため、このモジュールは主に、アナログ・デジタル変換器(ADC)とデジタル信号処理部により構成されるが、主にデジタル処理部の開発を重点的に行った。これは検出器からのデータから、荷電粒子の通過位置の情報を残して適切にデータを縮小し、次段の処理系に出力するための回路であり、プログラマブル・チップを用いて設計した。設計した回路のロジックをテストするため、PCを用いて任意のパターンを発生させられるような、簡易なパターン・ジェネレータを作成した。これにより、あらゆるパターンに対する自動試験を行うことができた。その後、プロトタイプ・ボード、最終版のボード、の各製作段階において、VMEバスを用いたテストを行った。このように実験に対する貢献も十分である。

 なお、本論文の第3章は、ZEUS実験グループの協同研究であるが、論文提出者が主体となって解析および検証を行なったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 従って、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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