学位論文要旨



No 116980
著者(漢字) 殷,亜峰
著者(英字)
著者(カナ) イン,ヤフン
標題(和) 道路ネットワークの信頼性評価 : モデルおよびその解法
標題(洋) Reliability Assessment of Road Networks : Models and Algorithms
報告番号 116980
報告番号 甲16980
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5121号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 家田,仁
 東京大学 教授 桑原,雅夫
 東京大学 教授 清水,英範
 東京大学 教授 柴崎,亮介
 東京大学 教授 原田,昇
 東京大学 講師 加藤,浩徳
内容要旨 要旨を表示する

 近年、防災に対する社会的関心が高まり、国民生活レベルが向上するにつれ、交通システムに高い信頼性が求められるようになった。ところが、信頼性分析は、水道事業や通信等のシステムの計画や設計、運用に広く用いられているものの、交通システムにはあまり用いられていない。また、交通システムの信頼性の特徴的な点は、交通行動とネットワーク機能の複雑な相互作用にある。それ故に、信頼性を確保する方法を見出すのみならず、交通システムの信頼性を予測、評価するための方法やツールを構築することは、交通の専門家にとって大きな課題となっている。

 本研究では、理論研究を通じて、道路ネットワークの日常の運行における信頼性を評価するためのモデルの枠組みを提案し、その信頼性を高めるための交通政策を検討する。信頼性の計測の問題点は、ネットワーク利用者が主として関心のある、利用者満足の信頼性と旅行時間の信頼性にある。

 信頼性分析で特に困難な点は、道路利用者の不確実な状況下での行動を表すための、そのような不確実な行動のフィードバックを含んだ、適切なモデルを選択することである。本研究では、道路利用者が不確実な状況下での、リスク行動の意思決定を表現し、道路利用者の出発時刻と経路の選択行動を、期待効用理論を用いて定式化する。そこで、静態と動態の二つの新しいネットワーク均衡モデルと、それに対応するソリューションアルゴリズムを提案し、道路ネットワークの利用者満足の信頼性と旅行時間の信頼性に対する、事故により生じた交通渋滞の影響を評価する。本研究では、上記のモデルに加え、道路ネットワーク旅行時間の信頼性に関する、道路利用者の日常の交通行動の変化の影響を検証するための確率過程的な交通量配分の方法を提案する。

 本研究では、提案した評価のツールを用いて、道路ネットワークの機能信頼性を向上する政策の洗い出しを試みるために、さまざまな政策の検証を行った。具体的には、道路の拡幅、交通事故マネジメントのような、直感的な施策から、先進旅行情報システム(ATIS)の実施に至るまでの多岐にわたる。本研究では、直感の方法に対して、特定のリンクにおける容量の拡大や、リンク所要時間のばらつきの補正が、却ってネットワークの信頼性を悪化させる場合がある、という新しい信頼性パラドックスを示すことができた。この直感に反する結果は,道路ネットワークに対する投資の分析は慎重に行われる必要性があるということを示唆している.その結果、ネットワーク設計モデルが、既存のネットワークに対する最適な改善計画を決定するための、二段階計画法として定式化される。また、提供した情報がネットワーク信頼性を向上させるかどうかを検証するために、静的・動的な要素を複合した(決定論的かつ確率論的な)均衡モデルを、それぞれのケースについて提案した。その結果、ATISの導入が、利用者満足の信頼性と道路ネットワークの旅行時間の信頼性の双方の改善を保証することができないことがわかった。

審査要旨 要旨を表示する

 殷亜峰氏(Yin Yafeng)の博士論文は,『Reliability Assessment of Road Networks : Models and Algorithms』(和訳:道路ネットワークの信頼性評価:モデルおよびその解法)と題するものである.

 この研究は,道路ネットワーク上の交通流動を対象に,そのサービスの信頼性を評価するための新たな理論的モデルならびにその解法を提案し,より効率的な道路利用を実現するための交通政策に貢献することを目的としたものである.

 一般に,信頼性はサービスの質の安定性を示す重要な尺度である.既に,水供給や情報通信等のような他の分野の計画においては,信頼性が重要なファクターとして認識されてきていたが,交通の分野ではこれまでほとんど注目されることはなかった.しかし,近年,地震等の災害発生時における交通網の信頼性確保に対する社会的関心の高まりや,国民生活レベルの向上等にともなって,交通システムにおいても,サービスの信頼性を考慮することがより重要と認識されるようになってきた.

 道路ネットワークの信頼性を議論する際には,交通事故の発生による渋滞など道路サービスの供給側に起因する所要時間の不確実性と,OD交通量の変動など需要側に起因する所要時間の不確実性の,2種類の不確実性が存在することに留意する必要がある.また,信頼性を評価する指標としては,利用者にとってもっとも重要と考えられる,利用者の満足度に関する信頼性と旅行時間の信頼性の2つを考慮することも重要である.

 供給側の不確実性を考慮したネットワークの信頼性評価モデルとしては,ネットワークの状況に不確実性が存在するというリスクにさらされている道路利用者が,出発時刻と経路を選択するという意思決定行動を,期待効用理論を用いて定式化した.そのなかで,静的モデルと動的モデルという2つのネットワーク均衡モデルとその解法を提案し,道路ネットワークの利用者の満足度に関する信頼性と旅行時間の信頼性を評価した.

 はじめに,静的均衡モデルについては,期待不効用は,経路選択における利用者のリスクに対する行動を考慮して定式化されており,利用者は期待不効用を最小とするように経路を選択すると仮定している.その結果として,ネットワークは,どの利用者も自らが一方的に経路を変えることによって不効用を減少させることができないという,均衡状態に至ることになる.本研究において,リスク回避的な利用者の期待不効用は非加法的に定義されるので,上記の均衡状態は,等価な非線形の補問題として定式化されることになる.しかしこの補問題は,既往のリンク・ベースのアルゴリズムでは解くことはできないため,本研究では,経路ベースのアルゴリズムを提案している.すなわち,ギャップ関数を用いて非線形の補問題を制約条件のない最小化問題に変換し,Armijoの線捜索アルゴリズムを用いて解を求めている.この非線形補問題を解くことによって,各ODペア間の期待不効用が求まる.ここでこの不効用は,利用者の認知する所要時間のばらつきに対する不満足の程度を表すので,ネットワークを設計する際の利用者の満足度に関する信頼性を表す新たな指標となる.一方,従来の信頼性の指標である旅行時間の信頼性は,1トリップあたりの平均所要時間の偏差として定義されることになる.

 また,本研究の評価手法を用いて,ネットワークの信頼性を向上させる際に生じうる,信頼性に関するパラドックスを示した.このパラドックスは,ネットワークの容量を増加させることや,ある特定リンクの所要時間のばらつきを減少させることが,結果としてネットワークの信頼性を低下させるというものである.本研究では,このパラドックスを回避するため,最適なネットワーク改善計画が決定可能な2段階のプログラムをもつモデルを提案した.これらのモデルと静的均衡モデルを用いて,高度情報システムによるドライバーへの交通情報の提供が,ネットワークの信頼性を向上させるか分析を試みた.高度情報システムの普及率とリスクに対する態度が利用者により異なることを考慮して,多段階の確率的利用者均衡モデルを提案し,逐次平均法により解を求めた.いくつかの数値実験の結果より,まず,混雑のないネットワークにおいて,不完全な情報しかもたない利用者に新たに情報を提供すると,利用者の満足度に関する信頼性は向上し,全体の所要時間も短縮される.しかしながら,混雑時においては,結果は異なるものとなる.また,混雑状況によらず,高度情報システムの導入は,所要時間の信頼性の改善を必ず保証するとは限らないことが明らかとなった.

 動的均衡モデルについては,利用者の満足度に関する信頼性評価において利用者のトリップ・スケジューリングを取り込むために,通勤者が出発時刻・経路を選択する際のリスクに対する行動を考慮した.まず,混雑の変動や,事故によって生じる渋滞による所要時間の不確実性,そしてその結果としての早着または遅刻に対するペナルティーを変数とした,通勤者の出発時刻・経路の選択行動に関する期待不効用関数を定式化した.さらに,動的均衡の記述において,本研究は点待ち行列の概念を応用し,FIFO(First-in and first-out)規則に従ってパスフローの制約条件を定式化した.通勤者が期待不効用を最小にするように出発時刻と経路を選択すると仮定しているので,ネットワークは,どの通勤者も自らが一方的に出発時刻と経路を変更することによって期待不効用を低下させることができないという,出発時刻と経路に関する同時均衡状態となる.本研究は,静的モデルと同様に,このような均衡状態を等価な非線形補問題に定式化し,この非線形補問題を解き,信頼性を定量的に計測する二つのアルゴリズムを提示した.第一のアルゴリズムは,ギャップ関数を利用することで非線形補問題を,制約のない最小化問題に変換し,Nelder-Meadの多次元の逐次シンプレックス法によって解くものである.第二のアルゴリズムは,あらゆる初期流入比率のパターンを均衡のパターンに調整できる,経路・費用を経験的に交換するルールに基づくものである.次に,この動的均衡モデルに基づいて,高度情報システムの導入効果を検討した.そのために,まず,利用者を高度情報システム装備車と非装備車に分け,前者は出発時刻と経路を決定的に選択するが,後者は確率的な選択行動を行うと仮定した.高度情報システム非装備車のドライバーに対しては逓増的な不効用関数を導入することで,時間依存型の混合行動の均衡状態を,確定的な動的配分と確率的な動的配分を統合した非線形補問題として定式化した.

 本研究では,供給の不確実性についての上記の作業に加え,需要の不確実性に関する信頼性についても検討を行った.すなわち,道路利用者の日常の交通行動の変化が,ネットワーク所要時間の信頼性におよぼす影響についての評価を行った.日常のすべての交通行動の変動は,各個人に固有な偏差と,各個人の日々の行動の変化に分解され,前者はランダム効用理論により,後者は記憶に基づく学習メカニズムとそれに対応した交通行動選択の理論により,モデル化が可能となる.その結果,何日にもわたり続けられる道路ネットワーク状況の変化過程は,離散的な時空間における確率過程を実現したものとみなせる.本研究では,確率過程は経路ごとに一意に定められたフローの確率分布に依存すると仮定し,モンテカルロシミュレーションの手法を用いることにより,この確率分布を求め,これよりネットワーク所要時間の信頼性を計測した.この結果,所要時間の信頼性に影響を与える決定的要因は,交通需要の変動よりも,混雑の程度にあることが示された.

 本研究は,該当する研究分野に対し,いくつかの新規かつ重要な学術的貢献をもたらした.第一の点として,一般に,道路サービスの信頼性を適切に評価し改善するためには,交通行動とネットワークサービスレベルとの関係,特に,道路利用者が不確実な状況下でどのように行動するのかを明らかにすることが必要である.道路サービスにおいては,混雑状況に応じて道路利用者が自ら行動を変化させるという特性があるため,ある道路利用者の不確実な状況下での行動が,他の道路利用者の行動に影響を及ぼし,さらにそれが自分自身にフィードバックするという現象を表現しなければならない.こうした問題を解決するために,本研究では,利用者の出発時刻と経路の選択行動を期待効用理論を用いて定式化し,ネットワーク均衡分析に取り込むことにより,ネットワークの信頼性をより正確に評価することが可能となった.また第二の点として,本研究は,リンク容量の拡大やリンク所要時間のばらつきの是正がネットワークの信頼性を悪化させる場合がある,というパラドックスを示すことができた.この直感に反する結果は,道路ネットワークに対する投資の分析は慎重に行われる必要性があるということを示唆している.第三の点として,動的な交通量配分問題に対する本研究の独自の貢献があげられる.つまり,確定的な行動と確率的な行動が混在した,経路と出発時刻の選択に関する利用者の行動を,それと等価な非線型の補問題としてはじめて定式化した.さらに,この動的な交通量配分をより効率的に行うための2種類の解法を提案している.

 本研究の結果は実用面においても少なからぬ示唆を与えている.概括すれば,本研究の成果は,ネットワーク管理者がネットワークのパフォーマンスの信頼性に関してより賢明で効率的な意思決定を行うのに役立つであろう.本研究の提案するモデルにより,管理者はネットワーク上の各リンクにおける信頼性の重要度を評価することが可能となる.このような重要度に関する情報をもつことによって,日常保守点検の際に特別の注意を払うべき重要リンクを識別し,ネットワーク信頼性のレベルを保つために限られた資源を効率的に割り当てることができるなど,ネットワークの管理者にとって有益な点は多い.ネットワーク設計の段階においては,本研究で提案された評価手法を適用することにより,いくつかの既定スキームの中から最も効率的な改善スキームを選択することが可能となる.その上,本研究で提案されたネットワーク設計の手法は,ネットワーク信頼性を最も顕著に改善する,最適な改善スキームを提示することが可能である.以上のような情報によって,ネットワーク管理者は容易に効率的かつ賢明な投資を行うことが可能となるのである.

 一方,高度情報システムの実施に関して導き出された新しい知見は,軽率で浅薄な意思決定を避ける役に立つであろう.このようなシステムを不適切に導入してしまうと,マーケットメカニズムに従って高度情報システムが過度に普及することにより,ネットワークシステム全体が失敗へと向かってしまう可能性がある.本研究の提案するモデルを用いることによって,ネットワーク管理者は慎重かつ系統的な分析を行い,システム導入を急速に進めることは可能か,そうであればどこですべきか,そしてマーケットに介入すべきタイミングが存在するかを決定することが可能となる.

 なお,上記の研究内容は,既に4編の雑誌論文(2編は既掲載,2編は査読中)として,Transportation Research B, Transportation Research Record, Journal of Transportation Engineering(ASCE)に投稿又は掲載された.また,ISTTT(International Symposium of Transportation and Traffic Theory), INSTR(International Symposium on Transportation network Reliability), WCTR(世界交通学会),EASTS(東アジア交通学会)といった国際学会においても計4編の審査論文を発表し,高い評価を受けている.

 また,論文提出者は審査会においても明快な発表を行い,審査員からの質疑においても適格な対応をした.以上のように論文提出者の研究は学術的に優れたものといえ,よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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