学位論文要旨



No 116996
著者(漢字) 山村,高淑
著者(英字)
著者(カナ) ヤマムラ,タカヨシ
標題(和) 開発途上国における地域開発手法としての文化観光に関する研究 : 中国雲南省麗江ナシ族自治県を事例として
標題(洋)
報告番号 116996
報告番号 甲16996
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5137号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大西,隆
 東京大学 教授 西村,幸夫
 東京大学 教授 原田,昇
 東京大学 助教授 小泉,秀樹
 東京大学 助教授 城所,哲夫
内容要旨 要旨を表示する

 本研究では、文化の保全と経済成長とを結合するひとつの試みが「地域社会の自律的な活動」−伝統的な都市・集落空間やそこでの暮らし・民俗を継承している人々、あるいは現在的に共有している人々が、自ら主体的にこうした文化資源を活用した経済活動を行ってこれを維持管理すること−を通した観光開発の概念であるとの前提のもと、地域の民俗や伝統が現代に継承されている途上国の歴史都市ならびに伝統的集落を対象として、大きく以下の2点を明らかにすることを目的としている。

1)地域開発政策の下に急激な観光地化が進行している、中国雲南省麗江の旧市街地(以下、旧市街地)およびこれに隣接する伝統的集落である黄山郷白華行政村(以下、白華村)をケース・スタディとして、文化資源を活用した観光を成立させる背景、および文化観光開発が地域に及ぼす空間的、社会的インパクトを分析し、地域が自律性を発揮する上での制約要因となっている社会的メカニズムの課題を明らかにすること。

2)上記2地区の具体的な観光産業に着目したケース・スタディを通して、自律的な活動が展開することにより、既存の文化資源が保存、再構築され、それに基づく観光産業を地域社会が創出していくプロセスを検証し、持続可能な観光開発を達成する上で地域社会に求められる要件について明らかにすること。

 研究方法は大きく分けて、既往研究・文献の整理による理論的考察(第I部:第1〜2章)、現地政府提供資料ならびに具体的な現地調査によって得た一次情報をもとにした、現地の観光開発に関わる制度分析および観光開発に伴い発生している現象の実態分析(第II部:第3〜8章)に依る。

 第I部(第1〜2章)では、観光開発における「自律的な活動」の意味と「文化観光の自律的創出プロセス」の分析視座のあり方について、文献整理をもとに論じた。そして、持続可能な観光開発を実現するためには、地域社会の「自律的な活動」に基づく三つの文化資源の再構築プロセス、すなわち「文化観光の自律的創出プロセス」が重要である、ということを提示するとともに、その分析視座として三つのプロセスを示している。その要点を以下に箇条書きで示すが、これらの考え方を本研究を貫く地域発展のあり方に関する仮説として位置づけた。

1)地域社会の「自律的な活動」

 外部の情報や人材、あるいは資金の導入を図ることもあり得るが、あくまでも地域社会の側の主体的な意志にもとづいて地域の資源・資本や社会、文化、技術などを活用していくプロセス。「自律的発展」とは、こうした地域社会の「自律的な活動」に基づく発展形態を言う。

2)「文化観光の自律的創出プロセス」

 既存の文化資源(意識構造、技術体系、社会構造)を前提として、地域社会が自律的にこれを再構築することによってtouristic cultureを創造し、それに基づく産業、すなわち「文化観光」産業を創出するプロセス

3)文化観光の自律的創出プロセスの分析視座

 (1)「意識構造の再構築プロセス」

 ・固有の文化資源について、観光開発という視点から再評価がなされているか?

 ・こうしたプロセスはホスト社会に新たな文化的アイデンティティを付与しているか?

 ・開発のプロセスを通して強化されているか?

 (2)「技術体系の再構築プロセス」

 ・3つのレベルで技術体系の保存・向上・革新が行われ、地域固有の技術の価値・質が担保されているか?

 ・財あるいはサービスとしてのtouristic cultureを供給・流通・販売する「機会」と「場」が地域に提供されているか?

 ・技術体系の再構築は生活の質の向上に貢献しているか?

 (3)「社会構造の再構築プロセス」

 ・観光開発(開発・経営・管理)の担い手として、既存組織あるいは第三者組織が再構築され、民衆組織が形成されているか?

 ・住民レベルの動きと政府の公共政策との連携がうまく構築され、住民の意思決定への参加と適切な政策メニューによる文化観光開発の支援が実現しているか?

 そして第II部では旧市街地および白華村をケース・スタディとして、この「文化観光の自律的創出プロセス」の三つの分析視座にもとづきながら事例の検証を行った。

 その結果、両地区において観光開発をきっかけとした地域のアイデンティティの再認識が見られ、特に旧市街地では、新旧住民が混住する環境のもと、地域固有の技術体系をベースに、多様な構成員が自らの独創性を融合させ、新たなアイデンティティが生まれつつあることが確認された。特に旧市街地における現代トンバ芸術品の事例では、こうした動きが新たな工芸品の商品化につながっていることが確認された。このプロセスは、多様な属性を有する住民が混住するという都市的環境の創造的側面が効果的に作用し、touristic cultureの創造に結びついた点で高く評価された。しかし、旧市街地では伝統的な地域社会が崩壊していることもあり、当事者間の組織化は進まず、アイデンティティの強化に至るには不十分な状態であった。

 その一方で、白華村においては、伝統音楽をはじめとする既存の文化資源が観光資源として再評価され、問題は含みながらも、ホスト社会の自律的な活動のもと文化観光産業を創出・発展させつつあることを確認した。そしてその背景として、当事者組織の組成が自律的に進んでいる点を指摘している。

 また技術体系の再構築については、両地区で、第一レベルの技術体系をベースとしたtouristic cultureの創造が、既存産業との新たな連関を生み、地域全体の生産性の向上へ有効に貢献していることを示した。なお、特に伝統的社会構造が著しく衰退している旧市街地においては、touristic cultureの質を担保するために、行政等の支援による第一レベルの技術体系の保存が必要であることを指摘した。

 社会構造の再構築については、当事者の利益を代表する組織の組成が重要であることが両事例から示唆された。

 旧市街地においては伝統的住宅建築に対する厳しい建て替え制限や、高額の修改築費用、生活の不便さなどが背景となり、本来の住民の旧市街地に住み続けるインセンティブが低下しつつある点を示した。この点では政策上、住民の「生活の質」に対する配慮・計画思想が必要となることを指摘した。また、旧市街地では観光地化以前より既に伝統的な社会組織が崩壊しており、さらに観光地化に伴う急激な社会構造の変容が生じていることも明らかになった。こうした状況下、旧市街地が混住に特徴付けられる都市的環境を創造的に作用させ、文化観光を自律的に創出していくためには、流入人口を含めた地域社会の再定義とコミュニティの再生、当事者の組織化が重要であることを指摘した。

 また、白華村においては、農家に観光経営のノウハウが蓄積されていなかった観光開発の初期段階において、郷鎮企業である旅游開発公司が地域社会を代表する組織として行政当局と農家を結び、共同経営体制の下、農家を開発主体として組織化していった過程を検証した。そしてその後、農家経営が軌道に乗るにしたがって農家側の主体性が強まり、新たな問題に対処するためにも、農家側の組織化をより一層進め当事者組織を設置する方向にあることを明らかにした。さらにこうした経緯が可能となった、あるいはそれを促進した背景として大きく三つの要因をあげている。すなわち、(1)開発の初期段階における第三者組織としての公司の役割、(2)集落規模と開発範囲の一致、(3)既存組織や住民のリーダーが影響力を発揮できる土壌(伝統的な社会基盤や社会秩序)の存在、の三点である。

 こうした両事例を比較した結果、その顕著な差として、当事者組織の組成によって、政策決定者と住民の間に相互対応的な関係が構築されているかどうかという点が抽出された。すなわち、白華村の事例では開発の初期段階において、郷政府が郷鎮企業をうまく利用することでノウハウ蓄積の少ない農家の経営意欲を支え、そうした意欲が民衆組織の形成へとつながっており、行政による政策的な支援が非常に重要であった。その一方で旧市街地ではこうした枠組みが存在していなかった。このことを受けて、文化観光を自律的に創出していくためには、自律的な活動を住民が展開していけるようなプロセスを政策的につくっていくことも大きな課題として指摘した。特に現在の旧市街地は、白華村とは異なり、伝統的な住民組織が存在しておらず、地域社会の側に自らを組織化する能力もないと考えられるため、当然、行政を含めた第三者組織がその組織化を支援することが望まれる。以上を踏まえると、地域行政には、地域の動きを注意深く把握し、住民の発想を支えながら、それを日々調整しうるような枠組みを構築し、さらに情況に応じて改変していく、という柔軟なマネイジメントの姿勢が求められていると言える。

 以上のような議論を受けて第III部では、本研究の結論として、観光開発においては住民の主体性やアイデンティティの強化がその基礎として重要であるが、こうした観光開発に対する住民の意欲が組織化され、政策的に支援される環境こそ創出されるべきである点を指摘した。さらにそのためには、観光開発に関わる様々なアクターの役割と、新しい動向について政策担当者が認知し、地域社会の自律的な活動を支え、その拡大のための制度化に努めるべきである点を提言した。そして、こうした地域の発展段階に応じたそれぞれのアクターの柔軟な役割調整が、地域社会自らを開発主体として形成していくプロセスの本来の意味であると結論づけた。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、文化の保全と経済成長とを結合するひとつの試みが「地域社会の自律的な活動」−伝統的な都市・集落空間やそこでの暮らし・民俗を継承している人々、あるいは現在的に共有している人々が、自ら主体的にこうした文化資源を活用した経済活動を行ってこれを維持管理すること−を通した観光開発の概念であるとの前提のもと、地域の民俗や伝統が現代に継承されている中国雲南省麗江歴史都市ならびに周辺伝統的集落をケーススタディ地区として、大きく以下の2点について分析している。

1)地域開発政策の下に急激な観光地化が進行している、中国雲南省麗江の旧市街地(以下、旧市街地)およびこれに隣接する伝統的集落である黄山郷白華行政村(以下、白華村)をケース・スタディとして、文化資源を活用した観光を成立させる背景、および文化観光開発が地域に及ぼす空間的、社会的インパクトを分析し、地域が自律性を発揮する上での制約要因となっている社会的メカニズムの課題。

2)上記2地区の具体的な観光産業に着目したケース・スタディを通して、自律的な活動が展開することにより、既存の文化資源が保存、再構築され、それに基づく観光産業を地域社会が創出していくプロセスを検証し、持続可能な観光開発を達成する上で地域社会に求められる要件。

 その結果、観光開発をきっかけとした地域のアイデンティティの再認識が見られ、特に旧市街地では、新旧住民が混住する環境のもと、地域固有の技術体系をベースに、多様な構成員が自らの独創性を融合させ、新たなアイデンティティが生まれつつあることが確認された。このプロセスは、多様な属性を有する住民が混住するという都市的環境の創造的側面が効果的に作用し、touristic cultureの創造に結びついた点で高く評価された。しかし、旧市街地では伝統的な地域社会が崩壊していることもあり、当事者間の組織化は進まず、アイデンティティの強化に至るには不十分な状態であった。

 その一方で、伝統集落においては、伝統音楽をはじめとする既存の文化資源が観光資源として再評価され、問題は含みながらも、ホスト社会の自律的な活動のもと文化観光産業を創出・発展させつつあることを確認した。そしてその背景として、当事者組織の組成が自律的に進んでいる点を指摘している。

 また技術体系の再構築という観点から、両地区で、第一レベルの技術体系をベースとしたtouristic cultureの創造が、既存産業との新たな連関を生み、地域全体の生産性の向上へ有効に貢献していることを示した。なお、特に伝統的社会構造が著しく衰退している旧市街地においては、touristic cultureの質を担保するために、行政等の支援による第一レベルの技術体系の保存が必要であることを指摘している。

 旧市街地においては伝統的住宅建築に対する厳しい建て替え制限や、高額の修改築費用、生活の不便さなどが背景となり、本来の住民の旧市街地に住み続けるインセンティブが低下しつつある点を示した。この点では政策上、住民の「生活の質」に対する配慮・計画思想が必要となることを指摘した。また、旧市街地では観光地化以前より既に伝統的な社会組織が崩壊しており、さらに観光地化に伴う急激な社会構造の変容が生じていることも明らかになった。こうした状況下、旧市街地が混住に特徴付けられる都市的環境を創造的に作用させ、文化観光を自律的に創出していくためには、流入人口を含めた地域社会の再定義とコミュニティの再生、当事者の組織化が重要であることを指摘している。

 以上のような議論を受け、結論として、観光開発においては住民の主体性やアイデンティティの強化がその基礎として重要であるが、こうした観光開発に対する住民の意欲が組織化され、政策的に支援される環境こそ創出されるべきである点を指摘している。さらにそのためには、観光開発に関わる様々なアクターの役割と、新しい動向について政策担当者が認知し、地域社会の自律的な活動を支え、その拡大のための制度化に努めるべきである点を提言した。そして、こうした地域の発展段階に応じたそれぞれのアクターの柔軟な役割調整が、地域社会自らを開発主体として形成していくプロセスの本来の意味であると結論づけている。

 本研究は、中国の世界遺産都市において急速な観光化による地域社会の変容の実態とその課題をはじめて詳細に分析し、その実証分析を踏まえて、当該地域のみならず広く同様な課題を抱える地域に対してきわめて有益な政策提言をおこなっており、優れた学術的価値を有している。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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