学位論文要旨



No 116997
著者(漢字) 稲葉,陸太
著者(英字)
著者(カナ) イナバ,ロクタ
標題(和) 環境改善技術導入に伴なう多側面の環境影響の統合的評価手法の構築と適用
標題(洋)
報告番号 116997
報告番号 甲16997
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5138号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 花木,啓祐
 東京大学 助教授 平尾,雅彦
 東京大学 教授 大西,隆
 東京大学 教授 味埜,俊
 東京大学 講師 荒巻,俊也
内容要旨 要旨を表示する

 人間社会の持続的な発展を実現するためには,あらゆる人間活動に伴なう多側面の環境影響を明らかにし,これを包括的に低減することが課題となっている.公共事業の形で導入されることが多い環境改善技術は,目的とする環境負荷を削減する一方で副次的に別の環境負荷を排出するという,通常の人間活動とは異なる特性を有しており,こういったトレードオフをいかに統一的に評価していくかが課題となっている.

 環境負荷の排出プロセスは直接的なもの,間接的なものに大別できる.直接的プロセスは評価対象そのもの,あるいは近接する一連のプロセスと捉えられるため,それが所在する地域の特定は比較的容易である.これに対して,間接的プロセスは評価対象に投入される資源・エネルギーの生産や輸送であるが,その経路は複雑で所在する地域の特定は困難といえる.地域環境の影響程度は負荷排出地域に依存するため,特定が容易な直接プロセスからの負荷による地域環境への影響は比較的厳密に推定できるが,特定が困難な間接プロセスからの負荷による地域環境への影響は地域性を一般化して推定する必要がある.また,地球環境の影響程度は負荷排出地域に依存しないため,影響推定では排出地域を特定する必要はなく,負荷排出プロセスを直接と間接で区別する必要はない.

 環境影響の統合的評価手法として期待されるLCA(Life Cycle Assessment)手法の多くは不特定地域での負荷排出に対する妥当な評価結果を得るために,環境影響の地域性を一般化している.またいくつかあるLCA手法について検討すると,評価結果に具体性を持たせるためには,最終段階での影響を求める手法が適しており,評価結果に一般性を持たせるためには,貨幣換算による統合化手法が適していると考えられる.一方,地域環境改善の経済的価値については,地域住民に直接アンケート調査を行なうCVM(Contingent Valuation Method)を適用した評価が数多く実施されている.CVMによる評価結果は貨幣尺度で表されるため,LCAにおける環境影響の貨幣換算による統合的評価結果と直接比較することが可能と考えられる.

 環境改善型の公共事業においては,事業目的とする環境負荷の削減による環境改善効果の予測のみが行われてきた.包括的な環境負荷削減のためには,地球環境に影響する負荷および間接的プロセスからの排出負荷を考慮した多側面の環境影響の統合的評価が必要とされている.また,これらの環境改善と環境悪化のトレードオフを統合的に評価することが必要である.

 このような背景から本論文では,環境改善技術導入に伴なう多側面の環境影響の統合的評価手法の構築を主な目的とした.構築した手法は以下のとおりである.まず,技術導入による直接的負荷削減量を推定すると同時に,技術導入に伴なう副次的な環境負荷をインベントリー分析で把握する.このとき,直接的プロセスと間接的プロセスを区別して負荷の算定を行なう.次に,排出プロセスと影響が及ぶ環境によって負荷を分類し,適切な影響評価手法を選択する.環境影響の評価では最終段階での影響を推定し,貨幣換算による統合化を行なう.公共事業として導入される環境改善技術の場合,事業による直接的負荷削減の効果について地域性を反映した環境改善評価を行なう.それに続く環境改善効果の貨幣換算に関しては,地域社会の特性を反映するためにCVMの適用を考える.一方,直接的プロセスで排出され地域環境に影響する負荷については,地域性を反映した影響評価を行う.また間接的プロセスで排出され地域環境に影響する負荷については,地域性を一般化した影響評価を行う.また,地球環境に影響する負荷については,排出プロセスを問わず地球全体への影響を評価する.このようにして多側面の環境影響を同次元の貨幣尺度として捉え統合的に評価を行う.さらに,地域環境の改善効果と,多側面の環境影響のトレードオフを貨幣価値によって統合的に評価することにした.以上の構築手法を図1に示す.

また,構築した手法の適用事例として長野県・諏訪湖の水環境改善対策を対象とした.対策としては,下水道整備の完了,底泥浚渫の完了,市街地対策(雨水貯留槽設置),農地対策(施肥量削減)について検討した.

 まず,各対策による直接的水質負荷削減量を算定した結果,下水道整備完了による削減量が最も大きいという結果が示された.一方,各対策に伴なうCO2, NOx, SOx, COD, T-N, T-Pといった副次的な環境負荷排出量をインベントリー分析で算定した結果,ほとんどの負荷項目で下水道整備に伴なう分が最大となった.農地対策においては肥料削減による負荷の減少分が存在した.

 つぎに,諏訪湖の生態系モデルによる水質改善予測を行なった結果,単独の対策では下水道整備による改善効果が大きいことが示され,いくつかの対策を組み合わせた場合では下水道整備と農地対策を含む場合の改善効果が大きいという結果が示された.

 本論文では,水質改善に対する諏訪湖水環境改善を予測したシナリオをもとに,諏訪地方の住民に対してCVMを適用したアンケート調査を行なった.その結果,推定したWTP(Willingness to Pay:支払意思額)を諏訪地方の世帯数で集計すると,設定した水環境改善水準に対する社会的便益は7.2〜9.5[億円/年]と推定された.CVMで設定した水質改善水準と各対策による水質改善水準を対応させた結果,単独対策による水質改善ではいずれも年間で約7.2億円の社会的便益がもたらされ,複合対策では,下水道整備と農地対策を含む場合の水質改善によって年間で約9億円の社会的便益がもたらされるという結果になった.また,全ての対策を組み合わせても水準3以上は達成されないという結果になった(表1).

 対策に伴なう副次的な環境負荷による環境影響とその貨幣価値について推定した結果を以下に示す.CO2については直接分・間接分を区別せず,共通の社会的限界費用を適用した.NOx, SOxについては,地方単位での地域性を考慮した社会的限界費用を用いて推定を行なった.COD, T-N, T-Pなどの水質負荷については,直接分の排出量は対策による削減分と比較して影響は無視出来ると判断した.間接分の水質負荷については,全国の不特定地域で排出されると仮定した社会的限界費用を用いて推定を行なった.以上で推定した多側面の環境影響を統合的に評価した結果,対策別では,特に下水道整備における社会的費用が最大となった.農地対策では肥料に誘発される社会的費用が回避される分,社会的便益がもたらされる結果になった.負荷項目別の比較では,社会的費用の内訳はほとんどがCO2排出によるものとなった(図2).図2では各対策の上方推定値(max),下方推定値(min)を示した.ここで,適用した環境負荷の社会的限界費用は,CO2に関するものは網羅的に影響が考慮されているのに対して,NOx, SOx, 水質負荷に関するものは限定的な影響が考慮されているに過ぎず,社会的費用の算定結果は考慮した影響の範囲に十分留意して評価する必要がある.また,社会的費用はいずれの対策においても間接分の割合が相対的に大きかった(図3).図3でも上方推定値(max),下方推定値(min)を示した.このように,公共事業においても間接プロセスの環境影響が大きいという結果になった.

 環境改善と環境影響のトレードオフ評価にあたって,環境改善の社会的便益を「環境便益」,環境影響の社会的費用を「環境費用」,環境便益から環境費用を減じた値を「環境純便益」と呼ぶことにすると,単独の対策では水環境改善便益(いずれも一定)と比較して,その他の環境費用および環境便益は非常に小さく,環境純便益はいずれも同程度となった(図4).図4でも上方推定値(max),下方推定値(min)を示した.

複合対策では,対策の追加で副次的な負荷も増加するため,全体における費用の割合が大きくなった.また,下水道整備と農地対策を含む場合に環境純便益は最大となった.以上の結果から評価対象の対策は,地球温暖化,酸性化の森林資源への影響,富栄養化の漁業資源への影響による環境費用と比較して,諏訪湖水環境改善の環境便益が大きく上回るという結果が示された.

 本論文で構築した手法において排出プロセスと影響の地域性を考慮した効果を検討するために,考慮しなかった場合との比較を行なった.排出プロセスと影響の地域性を考慮しなかった場合の環境純便益(図5)は,考慮した場合の推定結果(図6)に比べ,上方推定値(最大)でも10分の1程度であり,下方推定値(最小)では負の値を示した.

以上の結果から,排出プロセスと影響の地域性に関する考慮の有無によって評価結果は大きく異なることが示された.特に,諏訪湖水環境改善の環境便益については,その絶対値も,水質負荷削減率に対する増加率の差異も顕著に示された.こういった結果から,多側面の環境影響の統合的評価手法において,環境負荷の排出プロセスを区別し,影響の地域性を反映させる必要性が裏付けられた.

 また,貨幣換算による環境側面の統合的評価結果を公共事業の社会的費用便益分析に導入することを試みた結果,単独対策では,下水道整備に伴なう社会的純便益が最大となった.これは下水道整備による生活環境改善便益が大きいことが理由である.複合対策では,下水道整備と農地対策の組み合わせの社会的純便益が最大となった.これは両対策の水質改善効果や,環境側面以外の社会的便益が大きいことが理由と考えられる.このように,公共事業に伴なう環境側面での影響と他の社会的要因を同次元で議論する可能性を示すことができた.

図1 多側面の環境影響の統合的評価手法

表1 改善水準ごとの貨幣価値と水準を達成する対策

図2 各対策に伴なう社会的費用における負荷の内訳

図3 各対策に伴なう社会的費用における負荷排出プロセスの内訳

図4 単独対策に伴なう環境影響のトレードオフ

図5 環境純便益の値(排出プロセス,地域性考慮せず)

図6 環境純便益の値(排出プロセス,地域性考慮)

審査要旨 要旨を表示する

 地球環境、とりわけ地球温暖化は人類の未来にとって重大な問題となっており、長期的な取り組みが強く求められている。一方で、地域において生じる水環境を始めとした環境の悪化もまた人間の生活や生態系にとって重要な問題である。このような地域の環境を改善する技術は、従来はもっぱら環境の改善に資するものと考えられてきた。しかし、これらの技術を適用することによって二酸化炭素を始めとした副次的な環境負荷が生じることも事実であり、これら多くの環境側面を同時に評価することが環境改善技術の実際の場において必要となってきている。そのため、多側面の環境影響を統合的に評価する手法を確立することが求められている。

 本論文はこのような背景の元に行われたもので、「環境改善技術導入に伴なう多側面の環境影響の統合的評価手法の構築と適用」と題し、10章からなる。

 第1章は序論であり、研究の背景を示した上で、環境改善技術の統合的な評価の必要性を指摘している。

 第2章は「環境改善技術導入に伴う多側面の環境影響の統合的評価手法の構築」である。この章では環境改善事業によって改善される環境側面と、副次的に影響を受ける環境側面について、それぞれの環境へのインパクトの増加あるいは軽減が地域性を持つか、あるいは地域を特定できないか、という点をまず分離した。そして、これらのそれぞれについて、どのような手法で評価すべきかと言うことを示している。異なる環境負荷の特性を緻密に分類し、その評価方法を示しているこの章は、本論文の基本的な考え方を示す章でもある。

 第3章は「諏訪湖の現状と水環境改善対策の概要」である。本研究では、環境改善技術導入の評価の場として諏訪湖を取り上げている。この章では、現在の諏訪湖の水環境の状態を示し、実施、あるいは検討されている対策について概略を説明している。

 第4章は「諏訪湖水環境改善対策の実施に伴なう環境負荷変化量の把握」である。本章では、水環境改善対策を実施したときの諏訪湖の水環境への汚濁負荷量の削減量を算出する一方で副次的に生じる環境負荷を算出している。特に、後者の算定に当たってはライフサイクルアセスメント(LCA)を実施することによって材料由来の環境負荷をも算出している。この点は、従来の汚濁負荷解析にない全く新たな点である。LCAの方法自体は新たなものではないが、このように環境改善効果と並んで副次的な環境負荷を求めるということは新たなLCAの活用の方向であろう。

 第5章は「施策対象の水質負荷削減による諏訪湖の水質改善予測」である。ここでは、湖沼の水質モデルを用いて、前章で求めた水環境への負荷量削減効果が水質にどのような影響を及ぼすかを定量的に求めている。

 第6章は「CVMを適用した諏訪湖水環境改善の貨幣換算」である。ここでは、諏訪湖の水環境改善効果を金銭価値に換算するために、諏訪湖周辺の住民に対して行った仮想評価法(CVM)の調査について記述している。CVMの実施に当たっては、4段階の水質改善を想定し、また水質改善の効果の理解を助けるためのイラストの活用など、新たな方法を取って諏訪湖の水環境の改善によってもたらされる仮想的な金銭的な便益を算出した。このように貨幣換算することによって後述の地球環境への影響と比較が可能になるのである。

 第7章は「副次的な負荷排出による環境影響の貨幣換算」である。この章では、二酸化炭素による地球温暖化などの副次的な環境負荷による影響を既存の文献に基づいて、貨幣換算している。ここで重要なことは、二酸化炭素による影響は世界全体に及ぶため、対象としている諏訪地域での調査に基づくのではなく、むしろ世界全体に関する既存の知見を活用する、という考え方である。

 第8章は「環境影響の統合的評価」である。前2章で求めた環境改善及び副次的な環境悪化を貨幣単位で比較すると、この諏訪湖の場合にはいずれの対策の場合も水環境改善効果が、二酸化炭素による温暖化を始めとする環境悪化の効果に比べてはるかに大きいことが定量的に示された。一方、地域性を考慮せずに一般的な文献の値で諏訪湖の水環境改善効果を貨幣換算すると、水環境改善効果がかなり小さく評価されてしまうことも明らかにしている。

 第9章は「環境影響評価結果の費用便益分析への導入」である。本研究で得られた結果は環境改善事業の費用便益分析に適用でき、ここでは各対策の間での対費用効果を比較している。

 第10章は「結論」であり、本論文で得た結果と今後の展望をまとめている。

 排水処理などの環境改善技術は、従来は疑いもなく環境を改善する技術として捉えられてきた。しかし、地球環境問題の台頭により、エネルギーや資源を消費するこれらの技術は他の側面で環境へ影響を与えていることが認識されるようになった。しかし、その定量的な比較はほとんど行われていなかった。本研究はこのような異なる側面の環境影響を比較しようとしたものであり、その比較にはなお公平性などの問題が残っているものの、明快な結果を諏訪湖の例には導き出している。本研究はまた、LCAやCVMという近年用いられるようになった手法を駆使して環境への影響を評価している点にも新たな特徴がある。

 以上、環境改善技術がもたらす多側面の環境影響に焦点を当てた本研究において得られた成果には大きなものがある。本論文は環境工学の発展に大きく寄与するものであり、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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